今、大空にゆく時
レクサンドラシリーズ3話目。他を読んでなくても話は通じます。ただ同じキャラが出てきたりしますので、ほかを読んでいるとさらに楽しめるかとおもいます。
「どうした、もう終わりか? お前の父親は見事に私の背を地につけさせ、打ち負かす事ができたぞ?」
かれこれ何度目だろうか。この言葉を聞くのは。
「まだまだだ」
この言葉も、何度も口にしたな。
彼は、そんな事を思っていた。
すでに身につけていた服は所々破れ、肩で息をする程にまでなっている。だが、彼の目の前の相手もまた、彼と同じような状況であった。彼の目の前の存在、大陸最後の竜と言われているアルラネウスは、今は人の姿を取って彼と同じように服を裂き、肩で息をしている。
「口では何とも言えるぞ、タージュタージェ」
息を切らしながらも、紅い瞳を歪めてそう言うアルラネウス。彼がタージュタージェと呼んだ黒髪の青年もまた、その真昼の空のような色の瞳を細めて、にやっと笑う。
「俺は、口だけの男じゃない!」
はっきりとそう言いきった彼は、右手の拳を突き出し、それを受け止めようとしたアルラネウスの腕を左の手で掴み、それに右手も加える。
「しまっ……」
「うおおおおおっっっっ!」
アルラネウスが全てを言い終えないうちに、タージュのかけ声が響きわたり、彼は掴んだ腕を肩越しに引いて、そのまま自らの背に乗せるようにアルラネウスを持ち上げ、勢いのままに前の地面へ向けて、引き落とした。
「くっ」
地面に背中を打ち付け、アルラネウスが苦痛の声を漏らす。その時、タージュはようやく、初めてアルラネウスを見下ろしている事に気がついた。実に三年越しの挑戦が初めて勝利をおさめたのである。
「俺の勝ちだ、アルラネウス」
はあっ、はあっ。
そんなふうに激しく息をしながらも、なんとかその言葉を絞り出し、見下ろしているアルラネウスに右手を差し出ず。
「ついに、してやられたな」
がしっとタージュの右手を取り、それを支えにして立ら上がるアルラネウス。その後、彼は銀色の光に身を包み、もとの巨大な竜の姿へと戻っていった。
その時。
タージュの背後に突然人の気配が現れ、それに伴って男性の声が響く。
「ようやく、アルラネウスに勝てたのですね、我が弟子は。まずは良くやったとほめるべきなのでしょうねぇ」
そんな呑気な声であったが、タージュにはその人物が誰なのかわかっていた。
「しっ、シルヴィ師匠!」
「なんだ、大賢者が何のようだ?」
タージュの言葉を聞いて、アルラネウスも彼が誰なのかを判断したらしい。
その場に現れたのは、レクサンドラ大陸で初めて大賢者と言われるようになった、シルヴァラントであり、タージュが魔法を学んでいる師でもあった。驚くべき事に大賢者と呼ばれている彼は、タージュよりもほんの少しだけ年上の青年という外見であったが、それはタージュの祖父の時代から変わらない事だといわれていた。
その事だけでも十分に彼を神秘的に見せているのだが、それ以外にも彼の真珠色の輝きの髪と、薄金の不思議な色合いの瞳という組み合わせの色も、彼の神秘性に一役買っているように、タージュは常々思っていた。
「いえいえ。我が弟子が貴方に認められたので、私も我が弟子に一つ課題を出そうかと思いまして、わざわざここまで来たのですよ。いえ、魔法を使ったために、別に山登りをする必要はなかったので、疲れはしませんでしたけれどもね」
話し出したら止まらない。そんな感じの大賢者に、タージュとアルラネウスはしばらく身動きを見せずに、彼の話を聞いていたが……疲れて動く気がしなかったという事もあるが、とにかく彼等は、大賢者の言葉に静かに耳を傾けていたのだ。
「ローグ山の怪鳥を解き放とうと思います」
という、言葉が出るまでは。
二人はその言葉が出た途端に、表情に驚愕の色を浮かべて、大声で言ったのだ。
「怪鳥の封印を解くというんですかっ!」
「気はたしかか!」
と。
「はい。実はあの怪鳥、そろそろ封印が切れるのですよ。もともと、タージュのお父上のファスティ殿が施した封じを元に、私が封印した物なので、そろそろ元になった封じにがたが来ているのですよ」
これは、大変困った事なのです。
口調は真剣なのだが、その表情がにこやかなために、あまり真剣に関こえない大賢者の言葉である。
「父上のした事が、失敗だと言うんですか」
「そんな事は申していないでわありませんか。ファスティ殿が施した封印というのは、彼の意志によって維持される物なのですが、その封印が施されて十三年。そしてファスティ殿がお亡くなりになって、何年になりますか?」
急に話を振られたタージュであったが、彼はその問いにはすかさず答えた。
「十年」
「そうです。あの方がお亡くなりになって、それだけたつのです。でも封印は健在しています。それは、それだけあの方の意志が強かったと言う事でしょう。死してなお、十年の歳月も力を保ち続けているのですからね。
ですが、それももう限界が来ているのです。いいですか、タージュ」
不思議な輝きの瞳をタージュに向け、じっと見つめる大賢者。タージュもまるで硬直してしまったかのように、じっと目の前の大賢者を見つめ返す。
「ファスティ殿はアルラネウスに勝ち、彼と共に怪鳥討伐に赴き、見事に怪鳥を封じました。そして、貴方もまた力にてアルラネウスを負かしましたね。ならば、貴方も怪鳥を封じる事ができるはずです。貴方のお父上と同じように」
「では、俺に封印のかけ直しをしろと?」
そう言葉を返したが、大賢者はそれには首を横に振った。
「封印のかけ直しは、問題の先送りにしかなりません。それに、何よりも貴方は私の弟子です。ファスティ殿が行使する力を持っていなかった魔法を、貴方は行使する事ができますね? ですから……」
そこまで言って、大賢者は二歩ほどタージュの元へと歩み寄り、タージュを見上げてにっこりと微笑む。
「怪鳥を倒しなさい。それが、私からの課題です」
いともあっさりと、そう言ってのけた。
「良いですか? それができなければ、この国の民が怪鳥に襲われる事になるのですからね?」
そう付け加える大賢者の顔を、タージュはただ呆然と見つめていた。だが、大賢者が再びにっこりと笑って、
「できますね?」
と念を押したため、タージュは思わずそれにつられて、
「はい」
と応えてしまっていた。
「ならば、良いのです。良いですか、三日後に封印を解きますからね。きちんと覚えていてくださいね。いえ、別に貴方が忘れるかもしれないと思っているわけではないのですよ」
などと言いながら、大賢者はタージュの目の前でその姿を消してしまった。ほんの一瞬の出来事であった。
「相変わらず、唐突な……」
一人、そう呟くタージュであったが、その傍らでようやくアルラネウスが言う。
「お前は、兄とあれには逆らえぬねらしいな」
と。あれとはもちろん、大賢者シルヴァラントの事である。
「不可抗力だ……」
タージュは少しの放心状態で、そんな言葉を漏らしたのだった……。
その日の夜。タージュは、深い自然に囲まれた森の中、巨大な岩のそばにあるアルラネウスの寝床で、竜の姿の彼の傍らで過ごしていた。
ぱち。ぱち。
たき火の火がはじけるような音を立てるのさえ、辺りに響きわたるような余韻を残す、そんな静かな夜であった。
「タージュ、無理をしなくとも良いのだぞ? いざとなれば私が……」
「アルラネウス、いいんだ」
アルラネウスの言葉を、そんな風に遮るタージュ。彼はアルラネウスに背を預けながら、たき火の炎を見つめて言葉を紡ぎ始める。
「俺が父上の封じた怪鳥を倒す事ができたら、俺はきっと父上を追う事ができるようになる」
少しだけ、悲しげな響き。
「追う事ができる? 父親を追いつく事ができるの間違いではないのか?」
そう問うアルラネウス。
タージュの父親は、怪鳥を封じた人物である。ならば、その怪鳥を滅ぼしたのなら、封じた者と並ぶ、いやそれよりも上をいくと言う事ではないか。
彼はそう言いたかったに違いない。だが、タージュはそれに首を横に振った。
「追う事ができる、で間違ってない」
なぜ?
再びそういった問いが返ってくる。
「なあ、アルラネウス。父上と母上がお亡くなりになった日の事、覚えてるか?」
ふいにそんな事を口にし始めるタージュ。
アルラネウスには、そんな彼の真意はわからなかったが、それでも彼に肯定の返事を返す。
「八歳? いや、七歳だったか? お前は泣きながら私の元を訪れたのだったか……」
あれは、お前と私が知り合ってから、一、二年ほどした時だったな。
「ああ、その時だ……」
星がこぼれ落ちてきそうな程の、満天の星空を見上げながら、タージュは遠い日の記憶意を語りだした。
※※※※※
あの日、ツァルガ王城内はしんと静まり返っていた。女王であった母上と、父上が何者かに卑怯な手口で暗殺されたからだ。
俺は聖堂内に横たわった父上と母上を、ただじっと見つめていた。冷たい表情を作る事で涙をこらえた兄上達の姿と、死に化粧を施された母上の白すぎる顔、そして父上の冷たい掌の感触だけは、今でもはっきり覚えてる。
いつの間にか、そこにハルスに手を引かれてティーナがやって来ていて、お二人のそばで何度か声をかけた後、不思議そうな顔で手をしっかりと握りしめていたハルスの顔を見上げて言ったんだ。
「ねえハルス、ちちうえとははうえがティーナが呼んでも、起きてくださらないの。どうしたのかしら。ハルス、どーして泣いてるの? 泣いてちゃ、父上がめっていうわよ?」
って。
まだ幼かった妹は、人の死というものが理解できる歳じゃなかったんだな。俺はそんなティーナの声を聞いて、いたたまれなくてその場から駆け出してた。そして、無我夢中でお前の元まで行ったんだ。兄上達が泣くのをこらえてるのに、その前で俺が泣く訳にはいかなかった。
だから、お前にすがって泣いたんだ。ずっと、ずっと泣いてたんだ……。
「あの時、お前はわざわざ人の姿になって、泣きじゃくる俺をぎゅっと胸に抱きしめてくれてたな」
そんな風に依くように言ったタージュに、アルラネウスは一度だけ鼻を鳴らし、何かを懐かしむように沈黙した。タージュもまた、その沈黙の中でアルラネウスの次の言葉を待っていた。
「……結局、私が手を引いてツァルガの王城までお前を送っていったのは、二人の葬儀の後だったな。お前がどうしても帰りたくないとぐずったからな」
人でいうなら、肩をすくめたという仕草に値するだろうか。アルラネウスは、微かに身体全体を震わせて、そう言ったのだ。
「そうだったな」
くすりと弱々しい笑いをこぼして、そんな風に答えるタージュ。彼は少しだけ体制を変え、アルラネウスの顔を見やる。すると、アルラネウスが長い首を動かして、タージュの手の届く所へと顔を持っていく。それを手で触れ、何度か撫でるタージュ。
「俺は、ただの一度も父上と母上の墓を参った事がないんだ」
その告白に、ぴくりとアルラネウスの顔が震える。なぜだ、という問いはなかった。タージュの言葉が続く気配をみせていたからだ。
「俺は、逃げてたんだよ。両親の死というものから。そして、現実から。ずっと、ずっと。あの日、お前の胸に逃げ込んだ時からずっと」
両親の死と言うものを受け入れる事ができなかったんだ……。
「だから、なのか」
何を、とはあえて言わないアルラネウス。タージュはそれでもきちんと理解して領いた。
「ああ。だから、逃げない。今度は逃げたりしない。父上と同じ事を……いや、それ以上の事を成し遂げて、俺は初めて父上の背中が見えるようになるんじゃないかって、気がしてるんだ」
だから、逃げるわけには行かない。
強く、そう繰り返す。
「……もう眠れ」
アルラネウスはそう言って、鼻先で軽くタージュの頭をこづいた。それは、言葉には出ない彼なりの肯定であったのかもしれない。すでに慣れきってしまった、アルラネウスの硬質な鱗に頭と身体を預けて、タージュはゆっくりと瞳を閉じていった。
※※※※※
大賢者とタージュの約束の日。
ローグ山と向かい合った丘の上に、二つの騎影があった。一つは黒馬にまたがった、ツァルガ王国の青年王であり、タージュの兄であるトゥラース。もう一人は灰色の馬にまたがった、タージュとは同じ年の異母兄弟にあたり、国王直属の護衛士の長を若くして継いだハルシュタッドである。
不意に、トゥラース王が手にしていた剣を両手に抱える。
「母上……。ここでタージュの勇姿、しかと見守ってください」
そんな言葉を漏らす。
彼が手にしたのは、彼の母であり先代国王であったトキが生前に使っていた、形見の剣であった。
「トゥラース様、父上の事は良いのですか?」
遠慮がちに、傍らのハルシュタッドがそう尋ねる。
すると、トゥラース王は一度だけ彼笑みゆっくりと告げる。
「ハルス、父上は………私などよりも、もっと間近でタージュの姿を見ておられる」
と。彼の視線は優しげに、下方の平原に存在する竜とその背にまたがる弟、タージュタージェに向けられていた。
「もっと、近く……ですか」
ハルスは少しだけ首を傾げて、そんな事を呟いたが、やがてはトゥラース王と同じように、タージュへと視線を落とした。
ゆっくりとアルラネウスが空中へとはばたく。そして、それと時を同じくして目の前の山から、一羽の巨大な鳥が姿を現した。
タージュタージェとアルラネウスの、怪鳥との戦いが始まろうとしていた。
※※※※※
「くそうっ、なんで魔法がきかないんだ!」
竜であるアルラネウスの背の上で、タージュが苛立たしげに叫ぶ。すでに、何度か魔法を怪島へと放ったために、その顔をには疲労の色が浮かび上がっている。
「たぶん、魔力を分散するような力を、あれ自身が持っているのだろう。私と同じように」
そう答えるアルラネウス。
その瞬間、彼の身体が大きく揺れる。怪島と間近ですれ違ったのだ。
「アルラネウス、あの鳥の首筋にあるのはなんだろうな? しっかり見えたか?」
すぐ間近で怪鳥の姿を捕らえた一瞬で、タージュは怪鳥の首筋に何か、異質な物がある事を認め、それをアルラネウスに尋ねてみた。
「首筋? いや、私には見えなかったが……。そう言えばお前の父が大賢者からもらい受けたという剣を、怪鳥の首へと刺す事で、怪鳥を封じたな……」
緊迫感もなにも感じさせない、思い出話を語るような、アルラネウスの言葉であった。
もしかしたら彼は、その口調でタージュの苛立ちをなくしたかったのかもしれない。
「父上が……。そうかっ、アルレラネウス! もう一度、あいつとすれ違ってくれ!」
まるで何かを思いついたようなタージュの声に、アルラネウスは一つだけ安堵のような息をついて、再び怪鳥の正面へ出るような位置へ移動し、真正面から向かっていく。
だんだんと、タージュの視界に映る怪鳥の姿が大きくなっていく。
「まだまだ! できるだけ近くに!」
その声に従うアルラネウス。やがて、先程と同じようにぶつかるすれすれですれ違う。
「一体何を……?」
自らの背のタージュに、そう問いかけたアルラネウスであったが、その次の瞬間。背に存在する筈のタージュがいない事に気がつく。
「タージュタージェ!」
そう叫び、まさか落ちたのではと彼の姿を探した時、アルラネウスは怪鳥の首筋で、そこに突き刺さっている剣の柄に手をかけている彼の姿を認めた。彼はすれ違った瞬間に、怪鳥の首筋へと飛び移っていたのだ。
「まったく、一言くらい言ってからにしろ!」
そんなアルラネウスの声が、タージュの耳にもきちんと届いた事だろう。
そして、そのタージュはと言えば、背の異物をなんとか振り落とそうと暴れる怪鳥の上で、十年も前に自らの父親が刺したという、古びて黒く変色した剣を抜きにかかっていた。
その剣はすでに怪鳥の身体の一部になりつつあると言っても良かった。だが、それでもタージュは剣の握りに両手をかけ、両足で怪鳥の身体を踏みしめる。
剣が淡く、タージュの瞳の色と同じ色の輝きを帯びる。
彼の力に、そして意志に反応しているのだ。
次の瞬間、古びた剣が一瞬にして真新しい物へと変わる。
べりっ。
そんなにぶい音を立てて、剣から怪鳥の肉がはがれ、ほんの少しだけ剣が動く。それに伴って、怪鳥の青色の血が流れ、それは一瞬にして固まって、小さな青色の宝石の滴となって地に向けて落下していく。
「うおおおおっっっっっっ!」
そんなかけ声とともに、運身の力を込めて剣を一気に引き抜くタージュ。
ぎゃるるるっ、るるっ。
怪鳥がそんな鳴き声を発したが、タージュはそれに構う事なく、怪鳥の首筋で呪文の詠永唱を始める。
「天高く舞う空の守護者たる者、その一対の翼にて巻き起こす嵐……」
自らの右の拳に力を込め、彼は剣を引き抜いたためにできあがった、いまだに青い血を溢れさせる怪鳥の首筋の傷口にそれをぐっと押し込んだ。
痛みのためか、再び怪鳥が鳴き声を発するが、それでもタージュは呪文の詠唱を続ける。
「我が意の元にその力を具現し、空をも切り裂く刃となれ!」
その利那。
握りしめたタージュの右手の拳を中心とし、そこから激しい風が巻き起こる。それも、怪鳥の体内で。外部からでは魔法をはじくような力を持っていた怪鳥であったが、自らの身体の内側から、魔法によって生み出された鋭い風をくらったのでは、はじきようも防ぎようもなかった。
そのため、怪鳥は空中に霧のような青い血しぶきをあげ、そのまま地面へと落下していった……。
タージュは、怪鳥の身体が沈み始めるのを確認した途端、自らすすんでで空中へと身体を投げ出した。
「アルラネウス!」
そう、叫んで。
彼は信じていたのだ。自らをアルラネウスが救ってくれる事を。
「全く、全て相談してから、事を起こせ」
アルラネウスが、後からタージュにくどくどとそう言ったのは、言うまでもない事であっだが、それでも彼は元からそうなるであろう事を予測し、きちんと自らの背でタージュを受け止めたのだった。
その後、地に降り立ったタージュとアルラネウスは、地面に墜落した怪鳥の傍らに立ち、それが徐
々に姿を変えて、一つの巨大な卵に変わるところを見届けた。
「これって……いつか、孵るんだろうな」
タージュが、不安げにそう呟いた時、またも彼の背後から声がかかる。
「安心してください。それが次に孵るのは二百年先の事ですから。それまでには、私が良い方法を考えて差し上げておきましょう」
言うまでもなく、大賢者シルヴァラントであった。
「師匠、いたんですか」
「あいかわらず、唐突だな」
タージュとアルラネウスが、同時にそんな言葉をこぼす。
「可愛い我が弟子の勇姿ですからね。見ていたに決まっているではありませんか。まあ、見ていただけで、手をかすつもりは……」
毛頭ありませんでしたけれどもねぇ。
大賢者がそこまで言い終わらない内に、タージュが声を上げた。
「剣が!」
タージュの手に握られていた剣が、かなり強い光を発し始めていたのだ。そしてそれは、タージュの身長程もある長さの剣から、どんどんと形を変えて、タージュが片手で扱えるほどの大きさの剣へと変化したのだ。
「師匠……これは、一体」
訳が分からなくなってそう尋ねたタージュに、大賢者はにっこりと微笑んで答えた。
「その剣は、持つ者の意志と力にあわせた形に具現する剣です。今まで、あの大きさであったのは、貴方の父上がそう望み、またそうでなければならなかったからでしょう。しかし、今貴方の手の中で、その剣は形を変えました。それは、父上の物から貴方の物になったと言う事です。……ファスティ殿が貴方に残した形見です。大切になさい」
「父上の……形見……」
そんな呟きがこぼれ落ちる。微かに、タージュの剣を持つ手が、震えていた。
「タージュ……」
彼にかけてやる言葉が見つからずに、そんなふうに名前だけを呼んだアルラネウス。だがそんな彼に、タージュは剣を高々と掲げるようにして持ち上げ、にっこりと微笑んで見せた。
そして、大声で言う。
「アルラネウス、俺はようやく父上の背中が見えたぞ。今日から、俺はその背を追いかける。だからっ、見ててくれな。お前は俺の二番目の父親みたいなものだから」
と。
「タージュ……。わかった。私はずっとお前と共にあり、お前の進む道を見守ろう。お前の一生を、私は見守り続けよう」
アルラネウスもまるで微笑むように口を横に広げて、そう返した。
この大陸に竜族は彼ただ一人であるために、子係を増やせぬ彼にとっても、幼い頃から自分を慕ってくれて
いるタージュは、自らの子のような存在であったのだろう。二人は、そんな風にお互いの絆を深めあったのだ。
大賢者はそんな光景を微笑ましげに見つめていたが、やがて自らの背後を振り返り、遠くの丘の上でたたずむ二つの騎影に向け一度だけ手を振った。
それは、全てがうまくいったという合図だったのだろう。
大賢者の合図を見て取った、その騎影の主の一人であるトゥラース王は、自らの胸の前で掲げていた剣を腰に戻して、安堵の息をついた。
「終わったな」
そう呟く。
そのため、傍らのハルシュタッドが、納得がいったというような顔で、トゥラース王を見やり、
「確かに、父上はタージュ様のすぐ近くで見守っておられましたね」
と、言葉をかける。トゥラース王はその言葉を聞き終えない内に、自らの黒馬の手綱を思い切り引いた。
「ハルス、このまま遠乗りにでる。続け」
その言葉と同時に、黒馬は勢いよくその場から駆け出し、ハルスは慌てて自らの馬の手綱を引いて、その後を追いかける。
「トゥラース様! お待ちください! タージュ様の元へ行かれて、ご報告を受けるのではないのですか!」
彼にしては珍しく慌てた口調でそんな事を言うと、トゥラース王は一度馬の足を止めさせて、ハルスが並ぶの待ってからその答えを口にする。
「今私が出ていけば、タージュは一番に私に報告するだろう。もちろん、先に城に帰っても同じ事だ。だが、 タージュが一番先に報告するべきなのは私ではない。そうだろう?」
少しだけ唇の端をつり上げるという、小さな笑みを浮かび上がらせての言葉であった。
「………なるほど。それは、そうでしょうね。なにぶん、十年間も顔を見せていないのですからねぇ」
何もかもわかったというような顔で、そう領くハルス。そしてにこりと微笑んで、再び言葉を紡ぐ。
「では、トゥラース様。心ゆくまで遠乗りを楽しんで下さい。私は何処までも、ご一緒させていただきますから」
そんな彼の言葉を合図にしたかのように、二人は同時に馬をかけさせ始めたのであった。
※※※※※
ツァルガ王国王城の南。
王城を彼方に見守る事のできる丘に建てれた神殿に、王家の者達の墓は存在している。
今、その丘の上に大空から竜アルラネウスが舞い降り、一人の青年……タージュタージェがその背から地に降り立った。タージュは一振りの剣を腰に吊し、その両手いっぱいに自らの母親の好きだった、真っ白な花を抱えて、神殿裏にある王家の者達の墓の並ぶ場所へと、足を踏み入れた。
自らの両親が他界して十年。
彼は始めて、その両親の墓前に立ったのである。
「父上……母上……」
寄り添うように並ぶ二つの墓の前に、彼は静かにたたずんだ。
まず初めに、何を言うべきか。
そんな風に考えたが、彼はすぐに首を横に振った。そして、抱えてきた白花を二つの墓の上に置いてからその場から離れ、アルラネウスの元へと戻ってしまう。
「もう、いいのか?」
意外だと言いたげにアルラネウスが間うが、タージュはそんな彼に短く、
「いいんだ」
と答えて、その背へと移動した。
やがて、タージュを背に乗せたアルラネウスが再び宙を舞い、目下の両親の墓に飾られた白花の束が、ほんの小さな点に見えるようになった時、タージュはその様子を見つめながら、ぎゅっと父の形見となった剣を握りしめた。
「何も、言葉なんていらないんだ。そうだろ? お二人はいつも俺達を見守ってくださってるんだ」
今さらどんな弁解を言ったって、全てお見通しなんだから。
そんな呟きを漏らしたのだ。
激しい勢いで彼を撫でていく風が、頬をつたった涙をも、勢いよく後方へと散らせていった。
「タージュタージェ、何か言ったのか?」
先程の呟きを微かに聞き取ったのか、一度だけ首を縦に揺らして、アルラネウスがそんな事を問う。
「いや。別に大したことじゃない。やっぱり、お前の背に乗って空を飛ぶっていうのは、最高だなって言ったんだよ!」
風を切る音に負けないために、叫ぶような声でそう言うタージュ。
そんなタージュの言葉を聞き取って、アルラネウスは今度は何度も顔を上下させて、
「それはそうだろう!」
と答え、次の瞬間には高らかに満足げな砲嘩をあげた。
その様子を見つめ、満足げな笑みを浮かび上がらせたタージュは、
「やっと、出発点だからな」
と、自らの胸に刻むようにそう呟いた。
《今、大空にゆく時·終》
最後まで読んでいただきありがとうございました。