家に
コンビニに寄って歯ブラシを買ったあと、彼女に着いていった。少し歩けば、そこはもう住宅街で、駅の喧騒とは程遠かった。正直、こういう雰囲気の方が落ち着く。騒がしいのはあまり得意ではない。
駅から十数分歩くと、彼女の住むアパートに着いた。暗いし、少し奥に入ったので、ここまでの道のりはあまり覚えていないが、中々キレイなアパートだ。
二階の角部屋に住んでいる彼女は、俺に少し待っててと言って、家の中を確認しに行った。まぁ常に部屋をキレイにしてる人なんて中々いないだろうから、待つのは仕方ない。何が、とは言わないが、隠したいものもあるのかもしれない。
数分して、もういいよ、と彼女が出てきた。特別散らかっているわけでもないが、まだ少し段ボールが残っているからゴメン、と少し申し訳なさそうに言った。正直、それはどうでもよかった。むしろその方が、どこか親近感がわく。いや、親近感というのもおかしな話だが、女の子はどこか部屋がキレイなイメージがあるし、俺なんかも、部屋に段ボールはあるし、なんだかさらにとっつきやすくなった気がした。
部屋の中に入ると、化粧品の匂いがした。よくあるデパートの売り場に近い匂いである。そんなに得意ではないが、売り場程きつくはないし、彼女も化粧品は好きだと言っていたので、特に気にしなかった。女の子の家ってそういう匂いがするんだろう。
部屋は言うほど散らかってなかったし、段ボールも端に寄せられていた。唯一気になったのは、台所の洗い残された食器ぐらいか。それすらも、なんだか微笑ましかった。可愛い子でもそういうところあるんだ、と思ったら、彼女がますます愛おしくなった。
俺は部屋の隅にカバンを置き、上着を脱いで、小さくなって座った。流石に部屋の中で大きく陣取ることも、鎮座することもできない。年頃の女の子の部屋に、男がお邪魔するという状況も申し訳ないのに、さらに迷惑をかけるわけにはいかない。もっと言えば、廊下を貸してくれるだけで十分なのだ。
彼女はメイクを落とし、部屋着に着替えて、また俺の前に現れた。部屋着姿はさっきまでのロングスカートとは打って変わって、上下の繋がった、ほぼほぼノースリーブにショートパンツというような恰好をしていた。正直興奮してしまった。別に息子が元気になったというわけではないが、何より可愛かった。メイクを落としても、彼女の魅力は全く落ちず、むしろ作らない、ナチュラルな感じが、俺の心に刺さった。
そして、露出の多い恰好。誘われてるのか?とも思ったが、いやいや、そんなことはない、と自分に言い聞かせた。本音を言えば、脚フェチの俺にとって凶器にも思える格好だったが、ここで襲ってしまえば、俺が最初からそれを狙っていたと思われかねない。考えすぎかもしれないが、それだけは避けたかった。
俺は今度も平静を装い、すっぴんでも可愛いじゃん、なんて冗談めかして言った。照れ隠しが下手だなぁと、自分で思いつつも、それが精一杯だった。
時刻はもう深夜の三時前。彼女はそのまま布団の中に入り、俺は、そこらへんの床に寝ころんだ。さっきも言ったが、廊下でもいい。が、それはさすがに気を遣わせてしまうだろうと、自分の中では妥協したつもりだったが、彼女はそれも我慢ならないらしい。
「こっち来なよ」
こっち、というのは、布団のことだった。
いやいや、待ちなさいあなた。
さすがにそれはまずいでしょうよ。
なんとも嬉しいお誘いだったが、俺は何度とその誘いを断った。
俺はここで大丈夫だから、と。
しかし、彼女も中々引き下がらない。それもそうだろう。俺が逆の立場だったら、そんなことはさせない。むしろ俺が床で寝て、相手にベッドを使ってもらうだろう。だからといって、ここで折れては男の名折れ。
「わかったよ」
いや、やっぱ折れるしかないだろう。
と、言いつつも、さすがに布団の中には入れない。それはさすがにまずい。俺だって我慢できる気はしない。いや、我慢するけども。
俺は移動して、彼女に背を向けて、布団の横に寝ころんだ。カーペットが敷いてあったので、さっきよりは少しばかり背中の負担が減った。これで十分だ。
そんな俺に、彼女は少しばかりの不満を漏らした。そりゃまぁ、そうなるだろうよ。いや布団に入りたいですけど、さすがにそれは、と自分に言い聞かせる。
なんとか彼女のことを意識しまいと、雑念を振り払おうとすると、背中にこそばゆい感覚が流れた。その正体はすぐにわかった。彼女が俺の背中を指でなぞってるのだ。
誘ってるんですかぁ?
誘われてるんですかぁ?
どこか艶めかしく、俺の背中をなぞる彼女。表情はわからない。いったいどんな表情をしているのだろう。まぁ、振り返ったとしても、暗くて良く見えないんだが。
「こっち来なよ~」
さっきも聞いたような言葉である。が、しかし、最大限譲歩しての、コレだ。これ以上は中々まずい。俺としても、我慢できそうにない。が、背中の感触は依然なくならない。あなたやめなさい。誘わないで。嬉しいけど誘わないで。
俺はまたしても、お誘いを断り続けた。彼女は全然納得しない。頼むから許してくれ。
「来ないなら私が下りる」
「は?」
待てーい!
それはおかしくない?
俺が中々布団に上がってこないので、それなら自分が下りると言い始めたのだ。そんなに同じ平面上が大事かね?一応横に並んではいるのだが?
が、しかし、そこまで言われて上がらないのもどうなんだろうか。いやだってね?そんなことになったら、家主までが地べたで寝るということになってしまう。それはまずい。家主が地べたはまずい。俺の家に女の子が来たら、迷わず俺は地べたで寝るが、女の子が地べたは良くない。しかも自分の家で。
俺は渋々彼女の布団に上った。が、それでも背を向けて、だ。向かい合うなんてのはもっての他だが、仰向けにもならなかった。相変わらずその状態の俺に、不満を漏らし、またしても背中をなぞる彼女だったが、俺は必死で耐えた。
「据え膳食わぬは男の恥だよ?」
待ちなさい。
落ち着きなさい。
俺が必死で考えないようにしていた言葉を、何の迷いもなく紡ぎ出す彼女。確かにそれは俺も思った。でもさ?一回目のデートでそれはどうなの?しかもまだ付き合ってもない。もちろん価値観は人それぞれだから、アリな人はアリなんだろうけど、ダメな人はダメじゃん?あなたは前者?
「え?やりたいの?」
「やりたいっていうか、なんか、意地?」
なんじゃそりゃ。
彼女いわく、こんなに可愛い子が横で寝てるのに、襲わないのはどうなの?ということらしい。だが待ってくれ。男がみんな襲うと思ったら大間違いだ。ちゃんと順序を守りたい男だっているんだよ。確かに、この機会を逃すのはどうなの?と思うよ?俺だって可愛い子とやりたいな~とか思ったりするよ?でも、実際するのは違うんだよ。言うは易く行うは難しってやつなんですよ。草食なんですよ、すいませんね。
なんていう押し問答を続けていたら、いつの間にか四時も近くなってきていた。
「ほら、早く寝ないと明日に響くよ」
もはや明日っていうか今日だが、そこはつっこまないでくれ。
「じゃあやらないと寝ない」
ふざけんな。
逃げ道がねぇじゃねぇか。
そんなことで意地になってどうするんだよ、と反論をするために、俺は体の向きを変えた。彼女の方を向いたその時、
「っ」
唇に柔らかい感触が触れた。
待て待て待て待て待て。
うっそだろ。
確かに俺は女の子が苦手だが、誰もが無理というわけではない。最初のとっつき方がわからないだけで、仲良くなれば、普通に話せるし、仲のいい女友達もいる。彼女がいたこともあるし、女性経験もある。この後の展開の対応だって持っている。童貞だから拒んでいたわけでは断じてない。
「やめなさい」
「なんで?」
彼女はまた俺にキスをした。
暗くてよく見えないが、少しうるんだ瞳は色っぽく、女性の身体の柔らかい感触が、さらに俺の気持ちを高めていってしまった。
「もうこんな時間だぞ?早く寝ろって」
「なんか悔しいもん。やるまで寝ないよ?」
折れた。