過去は消せない!
家の近辺にはツリーにできそうな木などない。
途方にくれるクレーは、あてもなく歩きはじめる。
一方、家では飾りつけに使う「紙」について、セルシとリズーが揉めはじめ……?
息を吐けば空気が白く曇る。それほど、外は冷えていた。黒い長そでの服に、ぴたっと足に密着した黒いズボン。それでも、ストレッチ素材で、運動機能は高い。クレーは、腕を組みながら遥か遠くにうっすらと見える森に向かって、歩いていた。
しかし、「森」といってもこの季節では葉は落ちている。落葉樹だったのだ。枯れ木というイメージではないだろうということは、クレーも察していた。
「此処では調達できないか……」
それならば、別の場所を目指す方が早い。そこまで歩いて行かずとも、結論が出たことは幸いと言えるだろう。しかし、今のクレーは数ヶ月前まで持ち合わせていた大いなる力を失くしていた。ブロンズの短剣で、自らを貫いたときに、クレーは絶命を期待していた。はじめから、クレーはこの世界に希望など持ったことは無かったからだ。常に斜めから世界を見、観察し、そして悲観していた。
ヘルリオット王家の遣いとして、無能武官……ブロンズの短剣を授かり、魔術士として生きる道を取ったのは、自らの存在をこの世界での「異端児」つまりは、「イレギュラー」として認識し、いつの日か排除する側、もしくはされる側になることを見越してのことだった。
そしてその思考は結果、間違いではなかった。ただし、目算違いとなったのは、姉ルイナはその上をいく「イレギュラー」であったということだ。
「参ったねぇ。まったく」
魔術で空が飛べたならば、楽に木を探せたかもしれない。しかし、それが叶わないというのだから、地道に歩くしかない。人間らしく、地面を行くのだ。
「適当な場所に、生えていればいいんだけど」
あまり、楽観視は出来ないと内心で思いつつも、クレーは脚を進めた。
※
「セルシ。こんな木が本当にあるんですか?」
レーゼは、本を見ながら椅子に座り、ミルクを飲んでいた。ルイナは、キッチン台にもたれかかり、お茶をすすっている。すすりながらも、意識は別のところへ飛ばしていた。そのため、レーゼとセルシのやり取りは、頭半分にしか入って来てはいない。
「あるはずですよ。きっと」
「俺、こないな木みたことあったかな」
「この辺にはありませんよね?」
大人びた口調のレーゼだが、実年齢は十六だ。訳あって大人として生きて来た為、背伸びした口調が板についてしまったのだ。
黒髪を背中まで伸ばし、さらさらとした髪質は姉とも兄とも違った遺伝子だった。目も二重で、兄とは違う。猫目ではないが、女性のような顔立ちだった。yそれがコンプレックスだということは、言うまでもない。男が「女らしい」といわれて、嬉しいものではなかった。
「まぁ、こころの清いものには見えるんです」
セルシのその言葉を聞いたとき、リズーは引きつった笑みを浮かべた。
「父さんが、一番怪しいんやない? こころ、清いか?」
「リズラルド。それは失礼でしょう? 仮にも、十年育ててくれたクレーに向かって」
「せやかて、先生や魔女さん……それだけやない。世界を恐怖に陥れた張本人やで? なんか、信用できへんわ」
「リズラルド」
レーゼは、自分よりも背丈が高くなったリズーを見上げ、叱りつけるように目を細めた。その視線を受け、肩をすくめるとバツが悪そうにリズ―はレーゼから視線を外した。その様子を、セルシは黙って見守り、ルイナはやはり、集中しきらずに受け流していた。
その様子を見て、リズーは気まずさから逃れるためにも話題を変えた。
「魔女さんは、さっきから何をしてるん?」
「……ん? 別に?」
「上の空って感じやん」
「だから、別に?」
お茶を一気にぐいっと飲み切ると、ルイナは玄関ドアへと向かった。それを見て、セルシだけは口元に笑みを浮かべていた。レーゼは、不思議そうな顔をしている。何故なら、姉は厚着どころか、黒のタンクトップ姿だったからだ。
「姉さん。どちらへ? 外へ行くなら、コートでも着たらどうですか? ローブだってあるんですし」
「魔術士みたいな格好はごめんよ」
「姉さんは、誰よりも秀でた魔術士じゃないですか」
「……ローブは、武官が着用するものよ」
「それは、偏見っていうんです」
ルイナは、ぴくっと右の眉を上げた。これ以上口論をすると、魔術の雷でも落ちそうだと、レーゼはさすがに口を閉じた。そこまで愚かではなかった。
「出かける!」
「いってらっしゃい、ルイナさん」
その後を、セルシは優しく見守った。
扉を勢いよく閉められると、家が揺れたんじゃないかというほどの振動を受けた。
「姉さん。どこへ行ったんでしょう」
「そんなの、決まっているじゃないですか」
「え?」
「なんやかんや言うても、父さんが心配なんや」
「そういうことです」
それを聞いて、レーゼは「あぁ」と目を細めた。そして、再びミルクを口に注ぐと、本に視線を落とした。かなり古い書物である。紙は、黄ばんでいて古さを強調しているようだ。
「飾りは、私たちで作るんですか?」
「それがいいでしょうね」
セルシは、ガサガサと本棚から何冊か選び、机に並べた。どれも、この世界のものではなさそうである。元魔王、そして「神」であったセルシにしか、持つことを許されない禁断の書かもしれない。見たことのない横文字で、何かが綴られている。
「これは?」
「切り刻もうかと」
「え!?」
驚きの声をあげたのは、意外にも本には興味がなさそうなリズーだった。
「セルシ! 何考えてるん!? これらは、天界の産物や! それを切り刻むやなんて!」
「いいじゃないですか。僕たちはもう、地上に居るんですから」
「そ、そういう問題にあらへん! これらは、価値がつかないほどのものや!」
「価値がつかないのならば、価値が無いも同然」
上司でもあるセルシの判断を、リズーが覆せるとも思ってはいなかった。それでも、これらの本は天界人にとっては、とても大切なものであるのだということは、リズーの慌てようからレーゼはくみ取った。
どちらの味方をしようかと悩んだレーゼだったが、切り刻んでしまっては、それまで。リズーの肩を持つことに決めると、本を一冊手に取って、パラパラと中身を確認してみた。絵や写真というものは、一切入っていない。すべて、文字によって記されていた。何語かは分からない。天界人にのみ、解読できる特別な文字なのだろう。
「セルシ。あえてこのようなものを飾りの道具にする必要性はないでしょう? 紙なら、どこか店に行けば売っていますよ。それに、要らない本ならば私のものを使いましょう? 武官時代の書物は、もう必要ありません」
「それなら、それも飾りにしましょう?」
セルシは、あくまでもこれらの天界書物を切り刻むつもりの姿勢を崩さないようだ。基本的に物腰のやわらかいセルシが、ここまで頑固になるのも、珍しい。何か、理由があるのだろうと、レーゼは思い読んだ。
「何か、意味があるんですね?」
「要らない過去、じゃないですか。天界も、武官時代も……」
「要らない?」
「僕は、こんな容姿です。自由に地上を歩くことも出来ない。それでも、天界人なんですよね。だから、せめてそれを象徴してしまう物を……今回は、この本を。手放そうと思ったんです」
「それは…………」
レーゼは、ミルクがあと二センチほど入ったコップを、かたんとテーブルに置くと、セルシの目を真っすぐに見据えた。
「それは、間違っていると思います」
「レーゼさん」
「過去は、過去です。捨てられない、自分の一部ですよ」
「それは分かっています」
「だから、それらを示すものを捨てたとしても、逃げられるものではありません」
「…………」
「天界人であっても、地上人であっても、魔術士であっても、武官であっても……すべて、受け入れないといけないんです」
そして、レーゼはやせ細った自らの腕をぎゅっと抱きしめた。薬を飲み、成人の姿へと急速に成長をさせた対価として、急速な老化、弱体化、そして幼児化している身体だ。骨が軋むため、少しでも和らげるためにミルクを飲んでいた。
「もし、これら書物を切り刻むというのならば、ツリーは要りません」
「……すみません、レーゼさん」
セルシは、本をひとつ、またひとつと手にとり、テーブルの上を片付けた。そして、本棚にそれらを戻しながら、ふっと大きく息を吐くと、目を細めてリズーとレーゼを見た。
「きちんと、飾りをつくって楽しみましょう。せっかくの、ラックフィールド再建記念イベントですものね」
それを聞いて、レーゼもリズーも目を合わせて微笑んだ。