第一章 最凶のCランク(その5)
「リっ、リラちゃん!?」
「狭いから、ごめんね」
「いや……」
完全に後ろからリラちゃんを抱き締める体勢になってしまっていて、リラちゃんの顔は見えない。だけど、サラサラな桃色の髪からちょこっと覗く耳は真っ赤に染まっている。さっきから様子がおかしいけど……。
「リラちゃん、どうしたの? 具合悪いの?」
「だっ、大丈夫よ!」
「そう? 何か、顔赤いし……」
「ねぇ、ヴァン」
リラちゃんがオレの言葉を遮る。
「何?」
やばい。何か狭い空間に二人っきりだし、完全に密着しているし、オレの心臓の音がリラちゃんに聞こえてしまうんじゃないかと不安になってしまう。
「ヴァンは子供の頃の約束を覚えていて、このスペアカへ入ったの?」
「……理由はそれだけじゃないけど、ちゃんと覚えてたよ。まさかリラちゃんとフラムが年上だとは思わなかったけどね」
本当はそれしか理由がなかったんだけど、そう答えると底が見えて格好悪い気がして、ついつい余計な見栄を張ってしまう。
「……私だって好きで年上なんじゃないわよ」
「え? 何て言ったの? 声が小さくて聞こえなかったよ」
「ううん、何でもない。じゃあ、早速動かしてみましょう。このレバーと、ここにそれぞれ手を置いて」
リラちゃんに言われたとおりの場所へ手を置くと、その上にリラちゃんの可愛らしい手が重ねられる。
「リラちゃん?」
「まずは私が操縦してみるから、動きを確認してね」
そう言うと、三面モニターに様々な情報を表示させつつレバーを動かす。
「こっちのモニターは付近の索敵用。母艦にもっと高性能の索敵モニターがあるんだけど、緊急時はここから指示を出すの。あと、こっちがこの機体の情報。で、こっちが……」
「何か沢山見るものが有るんだな。HUBってこんなにややこしい仕組みで動いてるの?」
「ううん、この機体が特別に多いだけ。カノンが改造し過ぎちゃって、バランスを取りながら操縦する必要があるのよ。ここが全体の出力で、ここが各部の出力。こっちが機体のバランス。これが外部からの影響用なんだけど、今はコロニーの中だから気にしなくていいわよ。そして、こっちが機体の温度ね。各部の温度が出ているから、これがこのラインを超えないようにしないといけないのよ。超えそうになったら、こっちを操作して冷却を増やすか出力を絞ってね。とりあえず、動かすだけならこのくらいで大丈夫かな」
「へぇ」
マジで注意事項が多いな。カノン先輩どれだけ無茶な改造をしてるんだよ。そんな事を考えているオレにはお構いなしに、リラちゃんが続きを説明し始める。
「歩くためには、出力を上げるから左側のこのレバーをこのくらいにして、右手のレバーを前に倒した状態で、右足のペダルを軽く踏んでね。右手のレバーはここの重心を参考にしながら倒してね。ペダルを急に踏む足を踏み出す角度が変わるから、ここの数値を参考にこっちも重心が中心からズレないように気をつけて、こんな感じで歩くの」
歩くだけでも気をつける事が山ほどあるようだ。しかし、リラちゃんは手慣れた操縦で機体を歩かせてみせる。少し歩いてから、オレの上に重ねていた手をそっと放す。
「今度はヴァンがやってみて」
「いきなり?」
「浮遊型ボートでも運転するつもりでやってみて、ね?」
こんなややこしい浮遊型ボートなんて無いよと思ったけど、リラちゃんに可愛く頼まれたら断れる訳がない。先程、リラちゃんに教えて貰ったコツを確認しながらレバーを倒し、ペダルを踏んでみる。すると、ゆっくり機体が足を上げて歩を進め始めた。
「うっ、動いた!」
流石にリラちゃんの操縦よりはバランスが取れていないから、コックピットが少し揺れてしまったが、無事に動かすことが出来た。どの部分に気をつけるかさえ分かれば、情報量の多さはそんなに苦にならなさそうだ。
「ヴァン! 凄いわよ!」
狭いコックピットなのに、リラちゃんが無理矢理振り返ってきた。体ごとこちらに向けてきたので、向かい合わせで密着してしまう。
「リラちゃん!?」
「ヴァンがこの機体を動かせて本当に良かった。私、ヴァンが動かしてくれるって信じて、一年間この機体を守っていたのよ」
微笑むリラちゃんの瞳がうっすらと涙で滲んでいる。大きな翡翠色の瞳がキラキラと輝く。あまりに綺麗すぎてその瞳に吸い込まれてしまう。
「ヴァン……」
「リラちゃん……」
リラちゃんの顔が近づいてくる。心臓がうるさいぐらいに悲鳴を上げている。リラちゃんが瞳を閉じるのに合わせてオレも瞳を閉じようとしたその時……。
『おーい、操縦確認も出来たし、降りてこーい!』
フラムの明るい声がコックピットに響き渡った。
「うわっ」
「きゃっ」
オレとリラちゃんは近づきつつあった顔を慌てて顔を離す。あ~、やばい。まだ心臓がドクドク言ってるよ。
「フラムも呼んでるし、降りましょう」
リラちゃんはそさくさと操作をして、簡易エレベーターに乗り込んでしまった。
「と言うわけで、ヴァン、お前は三号機のパイロットとして仮入部して貰う」
フロアへ降りた瞬間にフラムがそう言ってきた。
「はぁ? オレが三号機に乗ったら、リラちゃんはどうするんだよ?」
「リラは元々パイロット候補じゃない。今後は指揮に専念して貰う。本人もそれを希望している」
「え? リラちゃん、そうなの?」
「うん、操縦はあまり得意じゃないの」
「でも、さっきの操縦上手かったじゃん」
「だって、一応一年くらい操縦しているから。そりゃあ、今日初めて操縦したヴァンよりはうまいわよ。でもね、私が初めて今の形の三号機に乗ったのが去年の夏で、まともに動かせたのは秋の終わりかけよ。最初に乗った日は一歩も動かせなかったわ」
「それでも、三号機を動かせるのはリラだけだった。あの膨大な情報を処理しながら機体を動かすのは、単純に操縦が上手いだけじゃダメなんだ。操縦技能と情報処理技能。どちらも素早く並行して行う必要があるからな」フラムがオレを真っ直ぐ見つめる。「お前、今朝の浮遊型ボートで競争した時、オレの操縦を一回で覚えただろ? 三号機にはそういう器用さが必要なんだ。だから、絶対適正有ると思ったよ」
成程、器用貧乏のオレにはぴったり適正が当てはまった訳か。
「じゃあ、この三号機の起動用カードはヴァンに預けるわ」
「え? 良いの?」
「うん、だって本当はヴァンに……」
「オレに?」
「あっ、おにぎり出そうと思って忘れてたわ! みんなで食べましょう」
続きを聞きたかったのに、突然リラちゃんが大きな声を出す。
そう言えば、教室でもおにぎりの話してたな。色々とあってすっかり忘れていたが、もうどちらかというとおやつの時間だ。
「確かにオレもお腹減った~。おにぎりどこにあるの?」
思い出すと空腹感が一気に来る。
「宿舎のキッチンよ。今日は張り切って沢山作ったから、運ぶの手伝ってくれると助かるわ」
「でも、宿舎ってリラちゃん達の家って事だろ? お邪魔したら悪くない?」
「どうして? だって、ヴァン達も明日からこの格納庫併設の宿舎で一緒に暮らすのよ」
「え? どういう……」
「各チームは格納庫併設の宿舎で生活を共にすることによって、より強いチームワークを作るのよ」
「それはオリエンテーションでも聞いたけど……。仮入部だよ?」
「仮入部でも、チーム所属には変わらないわよ。それに、今ヴァン達が住んでいる宿舎は本来合宿用の宿舎だから、仮入部が決まれば追い出されちゃうわよ」
「そういうものなのか」
「そういうものなのよ。じゃあ、おにぎり取りに行きましょう」
「はいはい」
「はいは一回ね」
「はーい」
リラちゃんに手を引かれるのが嬉しい反面、オレはとんでもない所に仮入部してしまったのではないかと、一抹の不安が隠せなかった。
*
――翌日。
無事に合宿用宿舎から格納庫併設の宿舎へ荷物の移動を終わらせた。荷物といっても制服や教科書など最低限なものだけだ。荷ほどきするほどのものもないので、食堂にバッグを放り投げてそのまま一日過ごしてしまった。
今日も慌ただしく一日が過ぎていき、
「ごちそ~様でした~」
あっという間に宿舎での初めての夕食を終えた。
夕食はまるで戦場のようだった。沢山有った筈のおかずが、何であんなに一瞬で無くなってしまうんだ?
しかも、フラムが横からおかずを奪っていくし、それを守ろうとすると、正面からコーズに狙われてしまう。オレの胃袋の平和のためにも、これは真面目に防御対策をしないといけなさそうだ。
「ってか、フラム」
「なんだ?」
「お腹いっぱい食べられるって言ったじゃないか」
思わず抗議してしまう。だってそれがスカウトの第一声だったじゃないか。
「量は沢山有っただろ」
「お前とコーズが横から取ったじゃないか」
「弱肉強食だな。四文字熟語、習っただろ?」
よもやフラムに学問について解かれるとは……。仮にも先輩に向かって失礼かも知れないが、腹立たしい。弱肉強食より焼肉定食って感じの食欲のくせに。
「フラムだって、知らなかったでしょ。前にテストの時に焼肉定食って書いてたじゃない」
すかさずリラちゃんからツッコミが入る。やっぱりそういうミスすると思ったよ。って、オレは意味わかってるんだよ。なんかリラちゃんが哀れみの笑みを向けている。いやいやいや、フラムと一緒にしないでくれ。
「リラちゃん、オレは……」
「知らないことは、恥ずかしいことじゃないわ。この機会にきちんと覚えればいいのよ」
うわっ、なに先生みたいなこと言っちゃってるんだよ。弁解したかったけど、リラちゃんは何か用事があったのか、素早く食堂を出てしまった。フラムとシャンス先輩が食器洗いを始める。
「まぁ! 先輩方! 食器洗いでしたら、あたくしがいたしましすわ」
「そうっスよ、自分ら一年がやります」
おっと、いつの間にかオレも手伝う感じになっている。まぁ、食器洗いくらいやった方が良いとは思うけど。
「良いんですよ。毎日のことですし。元々このチームは何でも当番制ですからね。ユミディナもコーズも当番の時はよろしくお願いします」
けれど、シャンス先輩がやんわりとその申し出を断った。確かに、ここで生活するんだ。食器洗い以外にも色々やる事があるだろうし、全部一年生だけでやるのは大変だとは思う。
「じゃあ、お言葉に甘えて、オレは先に部屋に戻らせて貰います。ちょっと眠くなって来ちゃったんで」
こういう時は下手に食い下がると、相手により負担をかけてしまう。ユミディナやコーズは納得いかないとばかりの顔をしているが、オレはさっさと自分の部屋に戻ることにした。と言っても、まだ新しい自分の部屋に行ったことは無かった。
「あっ、そう言えば、オレの部屋はどこ?」
食器を片付けているフラムに尋ねる。
「ああ、その階段の所だ」
「分かった。そんじゃあお休み~。皆さんもお休みなさい」
オレは素早く食堂の扉を閉めて廊下へ出る。シャンス先輩がちょっと驚いた顔をした気がしたんだけど、ユミディナが何かしたのかな?
「何だ、引き戸なんて珍しいな」
朝から放ったらかしにしていたバッグを持って歩くと、階段の隣にある扉は直ぐに見つかった。あんまり部屋という感じがしないけど、格納庫併設の宿舎って言うのはこういうものなのだろうか?
特に鍵もかかっていないし、勢いよく扉を開く。
「…………」
「…………」
あまりの光景に理解が追いつかない。
何故かオレの部屋の扉を開けたら、リラちゃんが居た。いや、別に居ただけなら良いんだ。嬉しいだけだし。お茶の一つも出しちゃうよ。って、そうじゃ無くって、
どうしてリラちゃんは何も着ていないのか、つまり、産まれたままの姿でいるのか、それが最大の問題だ。
って、それも嬉しいだけなんだけどさ、じゃあ結局嬉しいだけなのか。
これで良いのか?
あれ、何の問題もないのか?
いやいやいや、やっぱり士官学校生って言っても、要は高校生の一種だ。こういう事は一つずつ順序ってものが有って、ちゃんとステップアップしていかないと。いくら幼なじみでも、十年ぶりに再会したその日にこれは早すぎるよ。それとも流石に年上だけ有って、リードしてくれるって事なのか?
いやいやいや、やはりこういう事は、男のオレがリードした方が、そうだ、いっそオレも脱いだ方が……。
それにしても、制服着ていた時にも気づいてはいたけど、リラちゃんって凄くスタイルが良いんだな。胸も柔らかそうだし、腰もビックリするくらい細いし、でもガリガリって感じじゃ無くて、全体的に柔らかそうなんだよな。実際、さっきコックピットに乗った時、すっげー柔らかかったし。
「ヴァン……」
熱を帯びた瞳でリラちゃんがオレを見つめる。オレが深い思考を巡らせている間に、いつの間にかその柔らかい肢体にはバスタオルが巻かれている。その瞳はやばいって。
「リラちゃん」
よ~し、オレも男だ。勇気を出してリラちゃんに一歩近づく。すると……
「きゃー! いつまで見てるのよ! 早く出て行ってよ!」
「え? え? うわっ!」
リラちゃんが手近なタオルやボトルを投げつけ始める。タオルは良いけど、ボトルは当たったらやばいってば。
「分かった、分かったから、投げないで」
「良いから出てって」
「ぐわっ!」
丁度そのタイミングで、オレの顔面にカラフルなボトルがクリーンヒットした。思わず後ずさるオレを確認して、リラちゃんが乱暴に引き戸を閉じてしまった。
「…………」
何が起きたのか理解できずに呆然と廊下に座り込むオレの元へ、フラム達が駆け寄ってくる。
「悪い、お前の部屋は階段上がって二階だ。一階は風呂場だから気をつけろよ」
「まぁ、扉が違うから間違えることは無いでしょうけどね」
シャンス先輩が微笑む。しかし、オレの足元に転がる洗面用具の数々で状況は察してくれたようだ。微笑みが苦笑いに変わる。
「何だ、貴様初日から覗きか。随分良い度胸だな」
「自分、兄貴のお背中流すっス」
「貴様、我輩が風呂に入っている時に、この馬鹿と同じ事をしてみろ、産まれた事を後悔させてやるからな」
オレの事を指さしながら、この馬鹿というのは止めて頂けませんか、カノン先輩。
「ヴァン……お前、まさか……」
フラムが何か言いかけた時、引き戸が開き、制服姿のリラちゃんが姿を現した。どうやら着替えたみたいだ。
「あんた達、いつまでここで騒いでるの? 早くどっか行きなさい!」
「ん? 俺もか?」
フラムが不思議そうな顔をする。
「当たり前でしょ!」
「だって、俺は……」
「同じことを何度も言わせないで! 早くどっか行きなさ~い!!」
「「「「「「はっ、はい!」」」」」」
あまりの剣幕に六人は一斉に廊下を駆け出す。階段を駆け上がりながら、初日にして、このチームで誰が一番怖いのか気づいてしまった。