竜王
「――お父様ぁ!」
白くけぶる糸杉の森に、悲鳴のような少女の声が響きました。
騎士団長にともなわれた王女が、雪の上に力なく膝を落とした国王に駆け寄ります。
「お許しを……! 父は何か、許されぬ事をしたのでしょう。
父が今までどれだけ強引な手段を講じてきたかは、若輩の私でも知らぬ事ではありません。
けれど、父は本当に、誰よりも国を愛しているのです。
我が国をどの国よりも強く、何者にも侵されぬよう、ただそのために……!」
「顔をお上げ、お嬢さん。お父上はもう報いを受けたのじゃよ」
老竜の優しい言葉に、王女が晴れた空のような青い目をまたたいて国王を見つめます。
国王は茫然と目を見開いたまま、何も言いません。
ですが、その横顔に常の精強さが無い事は、娘である王女の目には一目瞭然です。
「……王よ」
騎士団長が歩み寄り、国王のかたわらに跪きます。
「御身が罪は、臣下も同罪。
ただおおせのままに、強き王に従えば間違わぬと信じて疑わずにいたのは我らです。
……王よ、御身だけに罪を負わせはしませぬ」
「……もう、良い。……良いのだ。余にはもう、何もない」
「何もない、とはどの口で。
力なぞよりも尊いものが、かたわらにふたつもおろうに」
国王は相変わらず魂が抜けたような顔をしていましたが、老竜の言葉に少しだけ顔を上げました。
「……何でもいいが、おれ達はもうお呼びじゃないだろ。そろそろ行ってもいいかい?」
見守るばかりだった若い竜が、口を挟みます。
「悪者の汚名が消えた所で、あれだけ騒がせちまったら王国の近くにはもう居られねぇよ。
――グウィン、行くぞ。やっぱりおまえは独り立ちにゃまだ早過ぎる」
「はいはい、まだしばらくはよろしく頼むよ。親父」
肩をすくめつつ、グウィンは育て親である若い竜にうなずきます。
グウィンが若い竜の背中によじ登るのを見て、はっとした王女がグウィンに駆け寄りました。
少年と少女の、よく似た色の青い目がお互いを見つめあいました。
「グウィン様! いいえ、――お兄様!」
王女の唇から飛び出した呼ばれ慣れない言葉に、グウィンは変な顔をしました。
「ようやくわかりました、貴方が私のお兄様なのでしょう。
……母が、よく聞かせてくれました。産まれたばかりの子を守れずに、奪われてしまったと悔やんでおりました。
お兄様、お父様や私を蔑んでいても仕方がありません。国を嫌っていてもかまいません。
けれど、母だけは。
――今際の時まで貴方を思っていた、私と貴方のお母様だけは、どうか憎まずにいてくださいませ」
王女の思いのたけをぶつけるような言葉に、グウィンは晴れやかに微笑みます。
「姫様、おれを兄と呼んでくれてありがとう。おれは誰も憎んでないよ、最高の親父と出会えたんだから」
グウィンの言葉が終わるか終わらないうちに、若い竜はしたたかに大きな翼を羽ばたかせます。
それは、どこか照れ隠しのようにも見えました。
グウィンを背に乗せた糸杉色の大きな身体が、灰色の雲におおわれた空へと舞い上がります。
一柱とひとりの姿をかき消すように、粉雪が舞い散りはじめました。
「どうか、どうかお元気で! またお会いできると信じておりますわ!!」
少女の祈りの声が、風に乗って届きました。
それから、どれだけ月日が過ぎたでしょう。
ある世界のある時代に、ひとつの国が興りました。
戦で国を失った人や、あらゆる事情で国を追われた人びとが集まってできた小さな国です。
ひとりの少年が、壮年になり、老年になるまで、ひたすらに行き場のない人びとを集めて作った国でした。
長じた少年は、やがてその小さな国の王となりました。
少年を後押ししたのは、糸杉の森に囲まれたある王国です。
その王国は精彩を欠いた王に代わって、賢き姫が女王となり、長く少年を支援したと伝えられています。
あらゆる国の言葉を理解し、色とりどりの知識を持ったありし日の少年は、竜のような知恵を持つため後に竜王と呼ばれました。
後の世に、竜王は幼い頃に竜に育てられていたという伝説がついて回りましたが、それが真実であったのか、単なるお伽話に過ぎないのかは――みなさまが一番よく知っているお話です。
ご覧いただきありがとうございました。
また次回作でお会いできましたら幸いです。