鑽火
「――余が行く。そなたらは再び竜が現れた時にそなえ警戒を続けるがいい」
「なりませぬ! 王! 姫様ばかりか御身に何かありましたら、この国はどうなるとお思いか!?」
篝火が焚かれた城門の前で、重厚な鎧の騎士と、天鵞絨の外套をまとった偉丈夫が押し問答をくり返しています。
かたやこの国の騎士団長、かたや王国の頂点である国王陛下その人です。
「わからぬか、余はそなたらは足手まといだと申しておるのだ。敵は悪しき竜ぞ、かつて善きの竜の加護を受けた余の他に渡り合える者が何処にいる」
国王の歯に衣着せぬ言葉に、騎士団長は歯ぎしりします。
「……しかし、主君が敵地に向かうのを指をくわえて見ていろとは、騎士にとってこれほどの屈辱がありましょうか」
「許せとは言わぬ。だが、そなたらをいたずらに竜の餌食にするのは余の本意ではない。
それに、かどわかされたのは他ならぬ我が娘ぞ。父が迎えに行ってやらずして何とする」
口ぶりは冷淡ですが、国王は決して臣下を、ひいては愛娘である王女を案じない人ではありません。
それでも騎士団長はかぶりを振って、食い下がります。
「……せめて背後で見守る事をお許し下され。決して邪魔立てはいたしませぬ」
「そなたも意固地な男よ。――好きにするがいい」
「はっ! 有り難き幸せ!」
国王の凍てついたような表情に、わずかな笑みが浮かびました。
天鵞絨の外套をひるがえし、王が城門から踏みだしかけた、その時。
「せっ……接近者あり! 接近者あり! 糸杉の森より人影ふたつ! かたや少年! かたや……
ひ……ひ、……姫様です!!!」
尖塔に立つ見張りの兵士が、泡をくったように叫びました。
国王と騎士団長は、我先にと糸杉の森の入り口に急行しました。
追いすがる兵士たちも一苦労です。
かくして、竜に連れ去られた王女の姿は怪我ひとつなく、赤毛の少年とともに其処にありました。
「姫様! 姫様ぁ! よくぞご無事で!!」
「姫よ、そなた怪我はないのだな。顔を見せよ、早よう父のもとへ……姫よ、その小僧は何者だ」
感きわまってむせび泣く騎士団長のかたわらで、国王の鋭い目が王女の背後のグウィンに向きました。
燃えさかる炎のような赤毛をにらむ国王の目は、まるで氷の刃のようです。
「ご心配をおかけしました。姫はこのとおり無事ですわ。
お父様、このお方は私の恩人のグウィン様です。竜の目を盗み、私を救い出してくださいました」
王女はよどみなく説明します。
「おお……なんと! こんなにも年若い少年が、なんと勇敢な!」
騎士団長は手放しに賞賛しますが、国王の眉間にはいぶかしげに皺が寄ります。
「……その話はまことか。貴様のような小僧に、そのような器量があるようには到底見えぬが」
「お父様!! 私の言葉が信用できないとおっしゃいますの!?」
珍しくも立腹をあらわにする王女を尻目に、国王はグウィンの前に押し立ちます。
グウィンは口を真一文字にひき結び、ただ口をつぐんだままです。
「小僧。余は貴様に聞いているのだ。答えよ、姫の言葉はまことか」
「…………おれは」
ようやく、グウィンの唇からかすれた声がもれました。
少年の目が国王をまっすぐに見て、それから王女を見て、それから――
「悪い、姫様。やっぱりおれは、親父を悪者呼ばわりされながらのうのうと暮らすなんて出来ないよ」
雲間にのぞく太陽のような、ひどくからりとした笑顔を王女に向けてから、グウィンは糸杉の森に踵を返します。
「グウィン様ッ!?」
王女が晴れた空のように青い目を見開きました。
グウィンはふり返らず、燃えるような赤毛を躍らせ森の奥へと駆け出します。
雲を裂く風のような少年の走りは、王女の足では、いいえ、並の者の足ではとても追いつけそうにありません。
取り残された王女は、途方にくれたように国王の顔をちらりと見ました。
「……ひっ!」
少年が走り去った方角を見すえる国王の表情に、王女は短い悲鳴を上げました。
娘である王女でも今まで見た事がないほどに、国王の顔はありありと憎悪と憤怒にゆがんでいました。
何かに憑かれたような、恐ろしくておぞましい顔でした。
「――殺せ! あれは忌み子ぞ!!!」
「何をおっしゃいますの……お父様っ! 待って、お父様ぁ!!」
愛娘の静止の声も、国王の耳には届きません。
国王は天鵞絨の外套を振り乱し、暴風のようにグウィンを追います。
「王っ!? くそっ、ぼやぼやするな! 我らが王に続けぇ――!!!」
一部始終を見守っていた騎士団長が、我に返っては兵士たちに檄を飛ばします。
彼らは必死に追いすがりはしましたが、野生の獣のような駿足の少年と、神掛かりの韋駄天の国王に、どれだけ遅れを取ったか事でしょうか。