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竜王前夜  作者: 此や此
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残光



 それから、何年が経ったでしょう。

 竜にとっては瞬く間、けれど人にとっては赤子が一人前の働き手に育つほどの時間です。


「――グウィン! グ――ウィンッ! 何処に行きやがったクソガキが!!」


 炎でも吹き上げそうな怒号が、糸杉の森にとどろきました。


「……やべっ、親父だ!」


 河で魚をさらっていた少年が、冷たい水を蹴り上げ、濡れた靴で糸杉の間へと逃げ込んでいきます。

 靴は手製の不恰好な革靴で、服も草を細く裂いて編んだものや獣の毛皮を簡単になめした粗末なものです。

 ですが、少年は水が染み込み放題の靴で深い雪の上を跳ね回っても、突き出した草葉や木の根が足元を阻んでも、顔色ひとつ変えません。

 少年の豊かな赤毛が木漏れ日を浴びて、鬱蒼うっそうとした森の中で燃えさかる炎のように輝きました。

 その瞬間、大きな影が日の光をさえぎり、少年の身体をさらいます。


「……探したぜぇ、グウィン」


 少年の襟首を牙にぶら下げ、金色こんじきの目を獲物を捕らえた狼のように細めた巨大な生き物は、かつて少年を拾った若い竜です。

 その迫力に、グウィンと呼ばれた少年は思わず口の端を引きつらせます。


「……よう親父、ごきげん斜めじゃねぇの。またじっちゃんに説教くらったか?」


「おじじは関係ねぇよ! 原因はおまえだ! お!ま!え!」


 ごう――とすさまじい咆哮ほうこうが、少年がぶら下がったままの若い竜のおとがいからほとばしりました。

 グウィンは首を引っ込めて、たまらず両耳をふさぎます。


魚獲りだの木の実集めだの、おまえは食うこと遊ぶことにしか熱を上げやがらねぇ。

 このおれが有り難ーい知恵をおまえの小っせえ頭に叩き込んでやるって言ってるんだぞ、どう考えてもそっちが優先だろうが!」


「知るかよ! だいたい言葉なんて十種類も二十種類も覚えて何の役に立つってんだ! 一個でいいだろ、一個で!」


「かぁ、たかだか二十言語で音を上げやがって! この根性なしが!」


 竜にも負けず劣らぬ威勢いせいで、親と呼ばわる若い竜と舌戦を繰り広げるグウィン。

 そんな一柱とひとりの姿を、森の鳥や獣たちはまた始まったと言いたげに見守るのでした。


 少年は物覚えこそ悪くはありませんでしたが、竜と”ネズミモノ”では頭のつくりが違います。

 竜が覚えられて当然の知識は、グウィンの小さな脳の器からあふれるほどに膨大でした。

 それでも、若い竜は根気よく、諦めずにグウィンに知識を叩きこみます。

 言葉だけでなく、食糧の集め方やら衣食住に必要な物の作り方、果ては彫刻や絵の技法まで教えました。

 毎日のように止め処ない知識を叩きこまれてグウィンはくたくたでしたが、それでも懸命に知識を吸収していきます。

 そうしてグウィンは、日が暮れる頃には疲れ切ってぐっすり眠るのが常でした。





「……頑張るのう、グウィンも」


 すっかり日の落ちた宵闇よいやみの空から、きしむような翼を羽ばたかせた巨大な影が落ちました。

 それは霧深い谷に住む、一柱の老竜でした。

 グウィンが若い竜の足元の、大樹のうろでぐうぐう寝息を立てられているのも、老竜の古い知識のおかげです。


「おじじ、来てたのかよ」


「グウィンの顔が見たくてなぁ」


「死んでしまうならそれが定めとか言ってたくせによ」


「ほっほ、すくすく元気に育っておるなら話は別じゃよ」


 若い竜がむし返した話を、老竜はひょうひょうと受け流します。


「立派になったもんじゃ。……”ネズミモノ”の成長は早いもんじゃのう、瞬く間にこんなに大きくなるとは」


 老竜が少年を見つめる目は優しいものの、言葉にはどこか含みがあります。


「順調に生き延びても”ネズミモノ”はすぐ老いて寿命がくるぞ。……そう言いてぇんだろ」


「言うまでもあるまいよ。……グウィンをどうするかは、もう決めたかえ?」


「ああ、こいつを生かすと決めた時には、とっくにな」


 若い竜の決然とした言葉を聞いて、老竜は何も言わず、朝日が昇りグウィンが目覚める前に糸杉の森を飛び去っていきました。






「おいグウィン。いまは教える事もないからよ、”ネズミモノ”の巣に行ってこい」


 ある日、若い竜はグウィンに唐突に切り出しました。


「街に? なんでまた?」


 グウィンが”ネズミモノ”の街に行くのは今回が初めてではありません。

 一人歩きできるようになってからは、何度か向かわされています。

 他愛のない買い物がほとんどでしたが、物を買う事よりも重要なのは、グウィンを人里に慣れさせる事でした。

 グウィンが街へ行くにあたって、ただひとつ固く誓わされているのは、竜との関わりは決して誰にも話さないという事です。

 グウィンも”ネズミモノ”にとって竜がどんな存在であるか、竜が”ネズミモノ”を育てるという事がどれだけ奇妙な事かを理解しているので、この誓いを破った事はありません。


「おまえの服がそろそろ窮屈きゅうくつになるからだよ。新しいのを買ってこい」


「服ならきつくなりゃ作ればいい……ああ、そうじゃなくて街に行く時の服の事かい」


 グウィンは納得したようにうなずきました。

 普段着ている野人そのものの姿では”ネズミモノ”の街では大層目立ちます。

 だから”ネズミモノ”の社会に溶け込むために、人里で仕立てられた服を一着所持しているのです。

 グウィンはさっそく、大樹のうろから衣服と靴をを引っ張り出して、土ぼこりを払ってまといました。

 多少薄汚れて草臥くたびれてはいますが、野山を駆け回る猟師だと言えば誰もが納得する姿です。


「そんじゃ、行ってくるよ。ついでに親父にも何か土産を買ってくる」


「いらねぇよ、おまえがった獣の皮の値段なんぞたかが知れてるだろ」


 親代わりの竜に悪態をつかれながら、グウィンは丸めた毛皮をたっぷり背負って雪深い獣道を進んでいきます。

 若い竜は糸杉の間に消えていくグウィンの背中を見届けたなら、少年の行く道を迂回うかいするように飛び立ちました。

 少年の歩みはすみやかではありましたが、とても竜にはかないません。

 若い竜は少年よりもよっぽど早く”ネズミモノ”の街へとたどり着きました。



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