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竜王前夜  作者: 此や此
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糸杉

 



 ある世界のある時代、この大地には言葉をあつかい話すことができる賢い生き物が二種類いました。

 

 ひとつは竜、自由なる翼で大空を統べる天空の覇者はしゃです。

 彼らは非常に賢く、そして長生きです。

 国一番の大きな図書館を漁るよりも竜に訪ねた方が早いとうたわれ、

 国がおこって滅びるよりもながき時を生きると噂されます。

 その出生については人知の及ぶところではなく、卵から産まれるとも天から生じるとも言われています。

 新しい竜が誕生する事は非常に稀です。


 もうひとつは言うまでもなく、人です。

 学があるのは彼らの中でも一握りだけで、竜に比べればずっと短命です。

 ですが、彼らはとてもたくさん産まれて、地に満ちます。

 産まれては死んでいく、果敢無はかない命ではありますが。

 厳密には猿に近い生き物なのですが、ずる賢く器用でよくえるので、竜は彼らを”ネズミモノ”と鼠にたとえて呼んでいます。


 人は竜を神とも呼び、時にその恩恵に預かろうと捧げ物を供え盛大にまつります。

 竜は基本的には自分たちより弱くて小さな”ネズミモノ”にはあまり興味がありませんが、あがたてまつられるのは悪い気分ではないようです。

 まれに捧げ物をくれた人々の国を天災から守ったり、悪い竜が現れたときには人に力を与えて討たせたりもしています。

 そうしてさらに捧げ物が増えることが、竜たちの間ではちょっとした自慢の種になるようです。


 そうやってまったく価値観の違う竜と人は、

 おたがいにささやかな接点しか持たずに普段は不干渉を貫いています。


 今も、昔も、これからも、ずっとそうなるはずでした――





 深い雪におおわれた糸杉が生い茂る森の奥で、声が聞こえました。

 それは小鳥のさえずりよりも小さく、今にも消えそうな声でした。

 けれども必死な声でした。差し伸べられる救いを求め、命の限り叫ぶ声でした。


「――うるせぇなあ」


 背の高い常盤の緑の葉を揺らし、巨大な何かがのっそりと動きました。

 糸杉の葉とよく似た色の鱗の、対の大きな翼を持つ竜です。

 ”ネズミモノ”も立ち寄らぬ鬱蒼うっそうとした森に、何百年か前から住み着いている若い竜でした。

 この大地で一番強い生き物のおでましに、羽を休めていた鳥たちが一斉に飛び去り、地を這う獣はあわてて巣穴に引っ込みます。

 そんな中で、一匹だけ逃げない生き物が雪の上に横たわっていました。

 逃げないのではなく、逃げられないのです。


「見たことねぇのがいるな。……何者なにもんだ、こいつは」


 若い竜は金色こんじきの目をぎょろぎょろさせて、その小さな生き物を凝視します。

 毛の少ない猿のような顔をした生き物です。真っ赤な顔をくしゃくしゃにして、か細い声で泣きわめいていました。

 申しわけ程度の暖を与えるためか、ぼろぼろの布に幾重にもくるまれています。

 若い竜は布のはしっこをひょいとくわえ、翼をひるがえして雪深い森から飛び立ちました。





「おじじ、おじじよ」


 やがて若い竜は森を越え、山をいくつか越えて、霧深い谷へとたどり着きました。

 生き字引として頼りにしている、岩とも見紛みまごうような硬質な鱗の一柱の老竜が住んでいます。


「なんじゃね、おぬしか。騒々しい」


 開口一番、老竜は若い竜をたしなめるように言いますが、老竜の石榑いしくれのような目蓋まぶたの奥で黒光る目は、すぐに若い竜の牙に引っかかっている生き物を見とめました。


「おや、”ネズミモノ”の赤子じゃないかえ。珍しい。”ネズミモノ”の巣の中で大事に育てられているものなのじゃが」


「”ネズミモノ”? こいつが?」


 若い竜とて”ネズミモノ”、すなわち人くらい見たことがありますが、こんなに小さくてふにゃふにゃなのは初めてです。


「大きくなりゃあ見覚えのある姿になるんじゃよ。おぬしも最初は大トカゲと似たようなもんじゃったろう?」


「……ガキの頃の話は別に聞きたかねぇなあ」


 からかうような言葉に、老竜には昔から頭の上がらない若い竜は決まり悪そうに首をすくめました。


「とにかく手のかかる生き物じゃよ。見たところ寒さと飢えで随分ずいぶんと弱っているようじゃ。放っときゃあ勝手に死んじまうが、それじゃあ決まりが悪いからわしをたずねてきたんじゃろう?」


 老竜の見透かすような言葉に、若い竜はただ金色こんじきの目を逸らします。


「”ネズミモノ”の住処すみかにゃ聖堂って言うてな、”ネズミモノ”にゃあ分不相応にでかい石造りの巣がある。

わしら竜をあがめるために造ったんじゃと。そこに置いてくりゃあええ。竜が置いてった赤子なら、決して悪いようには扱われんじゃろう」


「”ネズミモノ”の住処すみかったって此処からだと結構遠いぜ。それまでこいつは生きられんのかい?」


 軽く上げ下げした赤子は、すっかり弱りきっているのか、もう泣き声すらあげません。

 もしかしたら、若い竜のあたたかい息づかいに安心して寝入っているだけかもしれませんが。


「さてな、死んでしまうならそれがこやつの定めだったのじゃろう。

 大方こやつは親に捨てられたんじゃよ。捨てられた”ネズミモノ”の子のほとんどは生きてはいけん。わしらは確かに”ネズミモノ”に比べりゃ物を知っちゃあいるが、すべての生き物を救えるなんぞとおごってはいかんよ」


 老竜の言い聞かせるような言葉に、若い竜は神妙に目を細めます。

 そうして、老竜に向き直って言うのです。


「エサを食わせてあっためてやりゃあ良いんだな。おじじ、こいつは何を食うんだ?」


 若い竜の言葉に、石榑いしくれのような目蓋まぶたに埋まった老竜の目が何十年ぶりか見開きます。


「おぬし、まさかこやつを育てる気かえ!?

 悪いこたぁ言わん、やめておけ。竜と人とは互いに必要以上に交わらずに生きてきたんじゃ。竜が人を育てるなぞ長き時を生きたわしとて聞いたことがないわ。

 それに若いおぬしにゃそんな弱い生き物なんぞ手に余るだけじゃ!」


「そん時ゃ、それがおれの定めだったんだろうよ」


 若い竜は老竜の言葉を真似して、ニヤリと牙を剥きました。


「……勝手にせい、どうなってもわしは知らんよ。脂たっぷりの鰐梨ワニナシを潰して与えりゃあ、あるいは生き延びるかも知れんがな」


 老竜は呆れたように背中を向けながらも、ぽつりと教えてくれました。


「ありがとよ、おじじ


 若い竜は飲み込まないように注意深く赤子を舌で包みながら、自身の住処すみかである糸杉の森へと飛び立ちました。




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