招かざる不運たち-2
午前中の仕事は全くはかどらなかった。
脳内では「東部長」のお面をくっつけた闇の化身が、嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ね踊り狂い、俺に「過去の過ち」という石を投げつけてくる。
そう。傍目はただ落ち込んでいる人物だが、実際には大いに落ち込んでいる人物なのだ。
行きたくなーい! と駄々こねしたい気分満々。もしくは、お腹痛くなったから帰ってもいい?
「なんだよ、まだウジウジしてんのか? 今日は俺が昼飯おごってやるんだから、ガッツリ食っていっちょかましてやれよ!」
ガハハと隣りで肩を揺らす大久保に対して、俺は笑みすら浮かべれなくなった。
悪い、地球。今日は俺の二酸化炭素で十年は温暖化が進むかもしれない。
「ほらほら、ここのカツカレーは絶品だぞ。敵に勝つ! なんてな~」
俺の右手に持つのがスプーンで助かったな、大久保。
「お、ゆきなちゃんが薄くなってるぞ」
その言葉に、俺は口に運びかけた手を止め、一瞬思考停止状態に陥った。
大久保の視線の先に俺の親指――というより、親指の爪があることに気がついて、俺は思い出した。そうだ、ゆきなの落書きを消し忘れていた。
「サンキュー大久保! 俺この爪のことすっかり忘れてたよ。やばいやばい」
言いながら右手で擦る。やっぱり石鹸で落とさないと無理か?
「あの東部長さんにお披露目したらいいじゃないか。『娘のゆきなです』ってな」
娘の~の辺りで、指人形さながら親指を折り曲げ演じる大久保に、俺はふくらはぎに蹴りを入れてやった。大げさに「いてーっ!」と叫ぶ。
冗談じゃない。あの東部長にこんなおふざけ、考えただけでもぞっとする。
立ち上がって店の隅に設置してある手洗い場へと視線を移すと、非常識にも顔を洗っている先客が見えた。周りに飛び散る水しぶき。迷惑そうだ。
「なぁ、それ『ラッキー・スマイル』だろ? 消したら効力なくなるぞ」
「効力ってなんの」
仕方なく着席した俺に向かって、大久保はスプーンを突き出してきた。
「運だよ、運」
その瞬間、本当にそのタイミングを見計らっていたかのように、俺は背中に強い衝撃を受けた。
いや、衝撃だけではない。何とも嫌な音を耳にし、嫌な感触を背中に感じたのだ。
「う、わわわっ! すすす、すみません!! ど、どうしよう? どうすればいいんでしょう?」
こっちが聞きたくなる。
慌てふためく青少年を目の前に、俺はカレー臭漂うスーツを身にまとい、ほんの少しだけ遠い世界にトリップしていた。
カレーをかけられるなんて珍事件、人生で何度経験出来るだろう! なんておめでたい考えを持つ人間になりたい。
今日は厄日か? こう立て続けにくると、こんな俺でも泣くんだぞ。
机に突っ伏してため息を吐く俺をよそに、大久保は笑い続けた。
「運は運でも、そっちか~」と意味不明の言葉を放って。




