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親指スマイル  作者: コウ
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目覚めの歌-2

 俺の家から自転車で約十分のところに、ゆきなの通う保育園がある。

 家を出る前、観念して玄関の壁に掛かる時計に目をやった。

 そして俺は時計を見たことに後悔した。

「おらおらおらー! 今日は超ウルトラスペシャル特急コースだー!」

 後ろに乗ったゆきなはきゃあきゃあ喜んでいたが、俺は本気で焦っていた。

 四分で保育園に着いて、先生との挨拶を一分半で済まして、駅まで――実際は十五分かかるところを――六分半。

 頭の中でいけるかいけないかのボーダーラインぎりぎりの時間設定を叩き出す。というより、ほぼ不可能な計算だ。

 いや、いける! 俺はやれる! やってみせるさ! わはははは……

「パパぁ、保育園すぎたよ?」

 キキィーーーーッ!!

 砂煙をあげながらの急ブレーキ。危うく父娘そろって昼のニュースに登場するところだった。


 すでに登園し終えた子供たちが園内の広場で走り回っている。

 俺は正門近くで自転車を止めると、ゆきなをひょいと抱き上げて降ろしてやった。

 彼女は野を駆けるうさぎのように小さく跳ねながら、正門近くに立っていた森先生に大きく挨拶をする。

「せんせ~! おはよ~!」

 そんなゆきなの挨拶に、森先生もにこやかに挨拶を返している。

 森先生は、俺とそう歳も離れていない、小柄な可愛らしい先生だ。俺の妻もとい、ゆきなの母親が亡くなった時大変お世話になった先生でもある。

 ゆきなは妻が亡くなった当初、積極的に保育園へ行きたがらなくなってしまった。

 俺も、俺の周り――ゆきなの祖父母――も相当頭を抱えてしまったのを覚えている。

 だがそんな時、園長先生のみならず、他の先生たちも一緒になってゆきなと向き合い、話し合い、支えてくれたのだ。

 少しずつ、少しずつ。

 今では、森先生とゆきなは大の仲良しなのだとか。……羨ましいかぎりだ。

「入江さん、今朝は早いんですね?」

 頬にえくぼを作って微笑む森先生を見て、俺の脳内では『先生との挨拶を一分半』から『三分』に書き換え処理が行われた。

 まぁ、いい。後のことは任せたぞ、『後の俺』!

「いや、早いんですけど遅いんです。ははは……」

 説明不足で意味不明の言葉を並べたことに言った後で気づいた俺だったが、彼女は何ともなしにそうですかと気さくに相槌をうった。

 あぁ、違う違う! 時間は早いんだけど、早朝会議には遅れそうな時間なんだ! このままでは単なる寒い奴じゃないか!

 もう一度詳しく言い直そうと口を開きかけた時、森先生の視線が下を向いてあっと小さく声をあげ――微笑んだ。

「入江さんも、とうとうやられちゃったんですね」

 なんてことを言って退けるんだ森先生! 俺は頭なんかやられてない――

「爪です、爪。左手の親指の」

 言われて視線を落とすと、俺はあんぐりと口が開いてしまった。

 左手の親指の爪が、笑っている。

「な、ななな、いつの間にこんな……」

 爪にはくりくりの目が二つに、にっこり笑った口が一つ。スマイリーフェイスと言えば想像しやすいだろうか。

 しかもゆきなの奴、これ油性ペンじゃないか!?

 右手でごしごしと擦ってみるも、若干薄まった気はするが目立たないまでにはならなかった。

 あいつめ何ということを――!

 狼狽している俺を見て、森先生はいっそう柔らかく微笑んだ。


「最近、保育園で歌っている歌があるんです。『ラッキー・スマイル』っていうんですけど。みんなで笑顔をふりまこうって内容で、子供たちの間でとっても人気があるんです」

 言いながら森先生は、新たに子供を送りにきた母親たちと挨拶を交わした。母親たちは笑顔で子供の背中を見送っている。

「……どの子が始めたのかは、わからないんですが」と、再び俺に視線を戻した森先生は続けた。

「大好きな人、お父さんやお母さんたちの身体に歌を歌いながらスマイルマークを書くのが流行り出して。ですから、他の親御さんも、もちろん子供たちも結構色んな所に書かれてるんですよ」

 ころころと笑う森先生の手の甲にも、隣りで肩を並べる母親たちの手や腕にも、俺の親指と同じようなスマイルマークが描かれていた。

 そんな森先生に見惚れて……いやいや、スマイルマークを眺めていると、ふいにズボンの裾をぐいとひかれた。ゆきなだ。

 いやいや、何だよそのニヤけた口は。何だよその物言いたげな目つきは。

「パパぁ? そーちょーかいぎ、行かなくていいのぉ?」

 間延びした口調で小首を傾げつつ問うゆきなに、俺ははっと我に返った。

 袖をまくり上げ腕時計を睨むと、背中に冷たい汗が流れ落ちる。

 完全に遅刻だ!

「それじゃ、森先生! よろしくお願いします!」

 言いつつ俺は既に踵を返していた。

 肩越しに、微笑みながら手を振る森先生と笑い転げているゆきなが見えた。

「行ってらっしゃい!」

 背中で受けたその言葉に、ほんのり胸が温まる。

 自転車をまたぎ、片足をペダルに載せた辺りでもう一度振り返ると、二人はまだこちらに手を振っていた。

 俺ははにかむように笑って応え、保育園を後にした。



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