愛したのは、あなただけ。
思いつき第五弾のはず。
勘違いモラハラ男の話です。
——ああ、目が覚めてしまった。
自室の寝台の上で、カーテンの隙間から漏れる朝日に瞼を開いたアリシアは少しずつ鮮明になる意識の中で静かに絶望した。
今日は五の月の十二日。アリシアの婚約者である、第四王子ダルクスとの交流の日だ。
八歳の頃に王家からの婚約の打診を受けてからというもの、アリシアは八年間ダルクスとの交流を続け、婚約者としての務めを果たしてきた。周囲から見れば未熟で足りない所もあったと思うけれど、それでも淑女の端くれとして懸命に励んできたつもりだ。
ただ。その努力を婚約者のダルクスが認めてくれたことは、一度だってなかった。
「ずいぶんみすぼらしいな。こんな人だとは思わなかった」
婚約して初めての交流の場で、ダルクスはアリシアにそう言い放った。それだけでは飽き足らず、顔が暗い、卑屈な態度が不愉快だ、ドレスが地味、などと矢継ぎ早にアリシアへ批判を浴びせ、別れ際には「私に相応しくあるよう励んでくれ」と辛辣な言葉で見送った。
まだ幼さを残したアリシアがダルクスに苦手意識を抱くには、十分すぎる出来事だった。
以来アリシアはダルクスに批判された部分を直そうと努力してきたが、ダルクスは顔を合わせる度に目ざとくアリシアの欠点を見つけ、それをあげつらって冷笑した。
「茶を飲むペースが早い」
「挨拶が味気ない」
「礼が浅すぎる」
そうしてアリシアを徹底的に採点して不合格を叩きつけた後で、決まってダルクスはこう言うのだ。
「私に相応しくあるよう、もっと励んでくれ」
不合格のレッテルを貼られ、ダルクスに冷たい態度を取られる度にアリシアは血の滲むような努力を重ねた。徹底的に淑女の振る舞いを身につけ、指先や眉の動きひとつさえも崩さぬ完璧な淑女となれるように日夜励んだ。
それだけではない。教養が足りないと溜息を吐かれれば座学の時間を増やし、華やかさがないと鼻で笑われれば社交界の流行を敏感に探っては装いに取り入れ、男心がわからないと吐き捨てられれば父や従兄弟に話を聞いて回り、男心という曖昧なものの理解に努めた。
それでも、今に至るまでダルクスから合格点を与えられた試しはなく。厳しいことで有名な一流の家庭教師から立派な淑女になったと太鼓判を押されたアリシアの所作にさえ、ダルクスは失望の眼差しを向けた。
「君はずいぶんとつまらない女性になった。昔はもう少し可愛げがあったというのに」
可愛げ。それは最近になって新たに設けられた採点基準であった。
完璧な淑女が備えているのは洗練された美しさであって、愛嬌の類ではない。けれど婚約者のダルクスが言うのなら従おうと思って、アリシアは曖昧な採点基準に沿うべくまた努力をした。
とはいえ、淑女の振る舞いを壊さない程度に取り入れられる愛嬌には限度がある。可憐に見える装いをし、気持ち高い声で話して淑女よりも少女らしく微笑んでみても、相変わらずダルクスの反応は渋いままで。
「今の君は鼻持ちならない傲慢さが滲み出ている。努力したという自己満足にあぐらをかくばかりで、私の心に寄り添おうとしない。これならミリィの方がずっと可愛げがある」
「申し訳ございません。殿下のお心に沿うよう、今後も誠心誠意努める次第でございます。至らぬ点があれば、どうぞご指導くださいませ」
相変わらず辛辣な評価に、アリシアは深々と頭を下げていつもの文句を吐く。
ミリィというのは、近頃ダルクスが親しくしている令嬢のことだ。名をミラリー・バウスという彼女は子爵家の三女で、アリシアの目から見ればずいぶんと淑女らしさも教養も欠けているようだったけれど、どこかがダルクスのお気に召したようで大変仲睦まじくしていると方々で噂になっていた。
ダルクスは不機嫌そうに眉根を寄せて、また溜息を吐く。コツコツとテーブルを叩く指先が「ここまで機嫌を損ねたのはお前のせいだ」とアリシアを強く責め立てているように聞こえて、アリシアはわずかに目を伏せた。
「やはり君は可愛げがなくなった。昔は私の気を引こうと懸命に励んでいたというのに、今はどうだ。付け焼き刃の仕草や知識ばかりをひけらかし、悦に入るばかりで私を立てようという気概がない。ミリィにもできるようなことを、なぜ君はできない」
「申し訳ございません」
容赦のない叱責に、アリシアはまた静かに頭を垂れた。
今だって励んでおりますよ、と。そういう風に言い返すのは男を立てられる女のすることではない。あえて下位貴族の令嬢を引き合いに出してアリシアを責めるのも、男を立てる女であれるか試しているのだろう。ならばより一層耐える他の選択肢はなかった。
「もういい、下がってくれ。君と話すのは不愉快だ」
そう吐き捨ててしっしっと手を振るダルクスに、アリシアは深く一礼をしてから席を立った。ここで醜く縋るのは淑女のすることではない。男を立てられる慎ましい女も、男の決定に異を唱えて我を通すことはしない。
最後に一礼をして去り際の挨拶をする時でさえ、ダルクスは忌々しげにアリシアを睨んでいた。
昔はこんな風に追い返されることがあると何が気に食わなかったのか必死に尋ねていたが、それを自ら察せるのも淑女の資質だと気付いてやめてから余計にダルクスは冷たくなったように思う。もしかするとこれも、ダルクスが「努力にあぐらをかいて自分に寄り添おうとしない」とアリシアを評した一因なのかもしれない。
(哀れに縋るのと淑女らしくするのと、どちらを優先すればいいのかしら)
矛盾する評価基準に、アリシアの心は揺れていた。完璧な淑女として振る舞っていても、アリシアとて人並みに心を持った人間である。頭ごなしに否定され続けば気も滅入るし、泣きたくもなる。人前では見せないようにしているだけで、アリシアの心はとっくに醜い傷だらけになっていた。
(次にお会いした時も、また叱責を受けるのでしょうね)
ようやく今日の交流が終わったというのに、アリシアの心はすでに次回の交流を予期して憂いていた。アリシアがどれだけ励んでもダルクスは及第点と認めてはくれず、新たな課題を出してはアリシアを責め立てる。まるでアリシアの努力を踏みにじり、無駄だと笑うかのように。
そんなものはつまらない被害妄想だと、アリシア自身もわかっている。仮にも王族の一人でもあるお方が、個人の好悪のみを理由に児戯にも等しい嫌がらせをするはずがない。きっとアリシアが高貴な血を継ぐ者の伴侶として相応しくあれるよう鍛えているだけだと、そう信じていた。
信じていたはずなのに。
アリシアのわずかな期待は、一通の手紙によって無惨にも打ち砕かれた。ミラリー・バウスと差出人の名が記された手紙には、やや読みにくく癖のある文字でこう綴られていた。
——ダルクス殿下が本当に愛しているのは私。あなたはただダルクス殿下に爵位を渡すだけの女。
——たとえ妻となったとしても、あなたがダルクス殿下に愛されることは決してない。
——あなたは所詮名目上だけの婚約者。お飾りの妻として、道具として消費されるだけの哀れな女。
「ああ!」
手紙を読み終えた時、アリシアはその内容の残酷さに嘆息して顔を覆った。
爵位を渡すだけの女。お飾りの妻。その言葉は今までのダルクスの辛辣な対応と照らし合わせれば、恐ろしいほどに辻褄が合うものだった。
ダルクスは、おそらく初めからアリシアを認めるつもりなどなかったのだ。これまでの要求は全てアリシアが己の言いなりになる従順な女かを試す試金石。もし素直に従うなら表向きの妻として不足のないよう鍛え上げる一方で、徹底的にダルクスに服従させ反抗の意思を削いで飼い慣らす算段だったのであろう。
その証拠に、ダルクスは近頃「自分の心に沿え」と繰り返し口にしていた。あれはアリシアを従順な女に仕立て上げるための洗脳だったのだろう。淑女の振る舞いを身につけたアリシアが自分に縋らなくなったので、服従の意思が薄れてきていると焦ってアリシアを躾け直そうとしたのだ。
実際アリシアは王家や父の意向に従いながらもダルクスとの婚約には薄々嫌気が差していたので、その懸念は本物だったわけだ。本来ならアリシアと結婚してからこっそりと家に連れ込む手筈だったろう真実の恋人をわざわざアリシアに見せつけたのは反応からアリシアの従順度合いを測り、引き合いに出して貶すことでより追い詰めてアリシアから正常な思考力を奪う目論見があったに違いない。
だが、ここで計画にひずみが生じた。ダルクスが心からの愛を捧げた相手であるミラリーが思いの外軽率な人間であったことと、彼女にアリシアを足蹴にしていいという意識を持たせてしまったことだ。
ダルクスは夜会になると決まってミラリーを抱き寄せ、アリシアに見せつけるように二人で踊っていた。そのアリシアの従順さを測る行動が公衆の面前で行われたことで、ミラリーは公然とアリシアを虐げてよいと思ったのだろう。
とはいえアリシアは侯爵令嬢で、ミラリーは子爵令嬢。家格の差がある以上下手に挑発して抗議をされれば子爵家の立場が危うくなる。そこでミラリーは、ダルクスから伝え聞いていた彼の本心をアリシアにのみ打ち明けることでアリシアに優位を取ろうとしたのだ。
もちろん、ダルクスが知っていれば己の手の内をみすみす晒すことなど許すはずはない。確実にこれはミラリーの独断専行だ。おそらく淑女としてつんと澄ましているアリシアが婚約者に愛されていないなどという恥ずべき事実を周囲に漏らせるはずがないと浅い目測を立てたのだろうが、家のことが絡むならばアリシアとて黙ってはいない。
「セラーナ、お父様に急ぎ文を届けさせて。大事なお話がありますと」
「かしこまりました」
アリシアは侍女のセラーナに言伝をし、その言葉はセラーナから侍従へ、侍従から王宮に勤めるセラーナの父へと届けられた。文を受け取った父はその日のうちに侯爵邸へ戻り、己の書斎へアリシアを呼び寄せた。
「大事な話とは何だ、アリシア」
「当家の一大事でございます。ダルクス殿下が、当家の乗っ取りを画策している可能性があるのです」
「何だと」
娘の口から飛び出した思いもよらぬ陰謀の気配に、父は目を白黒させた。これが動かぬ証拠です、とアリシアから差し出されたミラリーの手紙に隅から隅まで目を通して、父は盛大に顔をしかめる。
「お前を貶めるためだけの中傷とも考えられるが」
「しかし、殿下のお言葉や振る舞いと合わせると辻褄が合います。王家から申し込まれた婚約といい、あまりに出来すぎていると思われませんか」
これまでの理不尽にも程があるダルクスの要求を根拠として並べ立て、侯爵家の危機を訴えるアリシアに父はううむと難しい顔をして唸る。
机を一定のリズムで叩く父の指は不機嫌の印ではなく、思索の海を漂っている時の癖だ。だから怯える必要はない、とアリシアは己に言い聞かせながら父の返事を待つ。
長らく沈黙が続いた後、父は重々しく口を開いた。
「仮に邪な企みがあったとしても、それは王家が主導したものではなかろう。当家の資産を当てにせねばならぬほど困窮はしていないはずだし、手中に収めるにしてももっと上手いやりようがある。十中八九殿下の独断と見てよいだろう」
「あくまで殿下一人がお考えになったことであり、陛下達の与り知らぬところである、と?」
「そうだ。それならいくらでも手はある。陛下に訴えてこの婚約を終わらせる。妃陛下が調えた縁談とはいえ、殿下が当家の乗っ取りを企てている事実をほのめかせば無下にはされまい」
はたしてその言葉通り、速やかに父の訴えが通ってアリシアとダルクスの婚約は一時凍結となり、事実関係の調査や協議を経て正式に解消された。
ダルクスは乗っ取りを企てた事実はないと再三主張していたものの、平素の言動からアリシアを精神的に支配しようとしていた旨が認められ、幽閉処分が下された。
公にはダルクスが突然不治の病を得たと発表がされ、明日をも知れぬ身の上のためにアリシアとの婚約を解消した、ということになった。しかしどこから漏れたのか、王宮から消えた第四王子は実は侯爵家の乗っ取りを企てていたのだという噂が流れた。
世間の声は邪な企みを抱いた第四王子とそれを見過ごしていた王家への批判に傾いたが、じきに速やかな調査と公正な判断をした国王陛下を支持する声の方が大きくなり、やがて民衆の興味は別の噂へと移った。
「っく……それで君は、晴れて自由の身になったと。そういうわけか」
「ええ。もしミラリーさんからお手紙をいただけなければ、今頃どうなっていたことか。想像するだけで恐ろしいわ」
「っ確かに、ふふ、少なくとも君がこうして穏やかに過ごせることはなかっただろうな」
夏の日の昼下がり、侯爵邸の庭園がよく見えるバルコニーで涼やかな風に吹かれるアリシアの側で笑うのは、一昨年アリシアの夫となったユリアンである。
ダルクスの婚約が解消されてすぐ、父とアリシアは今度こそ乗っ取りを企てない婚約者を……と苦心しながら釣書の山を捌いた。その果てに白羽の矢が立ったのがユリアンで、入念な身辺調査と婚約中の素行観察の結果に違わず誠実な人柄だった彼は一年と半年の婚約を経てついにアリシアの夫となり、公私問わずアリシアをよく支えてくれた。
そのユリアンが、ある時不意にダルクスとの婚約解消の本当の理由は何なのか、と尋ねてきたので、アリシアは素直に全てをぶちまけた。婚約中のダルクスの疑惑の行動からミラリーによる機密漏洩、そして罪の告発と婚約解消までをつまびらかに語ればなぜか彼は楽しそうに笑い出して、そして今に至る。
「いや、しかし災難だったな。もしその手紙から奸計が漏れなければ、君は今でも籠の鳥だったろう。私も君という素晴らしい女性と結ばれる幸運に恵まれなかっただろうし、ある意味かの方の軽率さで皆が救われたと言えるな」
「皆ではないわ、ユリアン。少なくともかのお方とその恋人のお方は処罰を受けていらっしゃるのだから。お二人にとっては不幸な結末よ」
「ああ、そうだったな。だが彼らは幸せになってはいけなかったと思うよ。彼らの望みが叶うというのは、つまりその恐ろしい企みが誰にも悟られずに完遂されることなのだから」
「ええ。お二人には申し訳ないけれど、私も叶わなくてよかったと思っているわ」
かの方、と名前を伏せて呼んでいるだけでもあのつらい日々と厳しく叱責する声が脳裏に蘇ってきて、アリシアはつい目を伏せた。忍耐と努力を強いられるばかりの婚約はアリシアを立派な淑女へ押し上げたが、その一方で消えない心の傷も残していた。
「アリシア」
付き纏う過去の痛みに耐えるアリシアの肩を、そっとユリアンが抱き寄せる。大丈夫、大丈夫、と囁く声の温かさと優しさに、アリシアの頬を一筋の涙が伝った。
「君を理不尽に責め立てる人は、もういないよ。君の努力も痛みも、君だけのものではない。私が君の頑張りを讃えて、君の痛みに寄り添うから。弱い君も無邪気な君も、包み隠さず私に見せてくれていいんだ」
ユリアンの言葉は渇いた大地に降る雨のように深くアリシアの心に染み込み、痛みを和らげていく。胸に込み上げるじんわりと熱い想いは、ダルクスと婚約していた時はついぞ感じることのなかった愛おしさに違いない。
ダルクスといる時は感じられなかった安らぎも、ダルクスが注いでくれなかった愛情も、ユリアンは惜しみなくアリシアに分け与えてくれる。それがアリシアには嬉しくて仕方がなかった。
「アリシア。君を愛しているよ」
「私もよ、ユリアン」
ダルクスにつけられた傷は癒えることがなくても、彼といればその痛みを忘れられる。これこそが本当の愛なのだと、アリシアは心の底から信じられた。
◇◆◇◆◇◆◇
こんなはずではなかった!
押し込められた部屋の中で、ダルクスは一人そう叫んだ。
アリシアのことは嫌いではなかった。むしろ愛していたとも言える。彼女の変化にやきもきした時もあったけれど、害そうと考えたことなんて一度もない。
だというのに、父は侯爵の馬鹿げた訴えを聞き入れてダルクスを罰した。ミラリーのくだらない妄想が綴られた手紙と、ダルクスの日頃の言動が根拠だと言い張って!
ダルクスは侯爵家の乗っ取りなんて企んではいない。アリシアに厳しくしていたのは、彼女の愛を確かめたかっただけだ。
最初は母が決めた婚約相手だからとあまり期待はしていなくて、初めて顔を合わせた時もぱっとしない様子だったから冷たくあしらった。けれど彼女がダルクスのために努力しているという話を聞けばだんだんと愛おしくなってきて、つい惹かれてしまった。
どんなにすげなくしても厳しくしても、ダルクスに相応しい女性になろうといじらしく頑張るアリシアが好きだった。むしろ袖にすればするほどダルクスの気を引こうと必死になってくれて、それがたまらなく嬉しかった。
けれど。ダルクスの目から見ても完璧な女性になっていくにつれて、アリシアは徐々にいじらしさを失っていった。
ダルクスが叱っても、涙をこらえなくなった。ダルクスの前で、自分がどれだけ頑張っているかを訴えなくなった。ダルクスが早々に茶会を切り上げても、何が悪かったのかを尋ねてもうしませんからどうか許してと縋ってこなくなった。
ダルクスが好きだった健気な彼女は、淑女の仮面に食われてすっかり見えなくなってしまっていた。
それが悔しくて、ダルクスはアリシアの気を引こうとあれこれ手を尽くした。アリシアに捨てられるかもしれないと怯えて欲しくて、なりふり構わず縋って欲しくて、ミラリーのようなくだらない女とわざと親しくした。ミラリーを引き合いに出して、アリシアを貶すことさえした。それなのにアリシアは昔の可愛かった彼女に戻ってはくれなくて、ひどく苛立たされた。
ダルクスの気持ちがうまくアリシアに届いておらず、むしろ曲解されたことに気付いたのは父から叱責を受けた時だった。アリシアの父からダルクスが侯爵家の乗っ取りを企てているという訴えを受けたと、そう言われた時は何のことだかわからなかった。
後日ミラリーの手紙を見せられてこれまでの行動の意図を尋ねられた時は、背筋が凍るような思いがした。たかが当て馬風情のミラリーが、お前はアリシアの気を引くためだけの道具なんだからと言い含めていたはずのミラリーが、そんな思い上がりもはなはだしい手紙をアリシアに送りつけていただなんて!
ダルクスは自分の本当の気持ちを洗いざらい話し、ミラリーを呼んで叱りつけた。ミラリーはアリシアが妬ましかったのだと泣き崩れて、ダルクスの真意を聞いた父や臣下は呆れ顔をし、母は失神した。
それから名ばかりの療養とアリシアとの婚約解消を告げられた時、ダルクスは激しく抵抗した。アリシアへの害意がないこともミラリーがアリシアを妬んで嘘を書いたことも証明されたのに、なぜアリシアと別れなければならないのかと。どれだけ声高に訴えても、父もその周囲に侍る臣下達さえもまるで心を動かすことはなかった。
「ただ気を引きたかったなどと、仮にも王族であろう者が斯様に幼稚な動機で婚約者を貶めたと知れれば国中の笑い者だ。考えの足らぬ甘ったれた恥晒しを産んだと嘲笑されるくらいなら、奸計を企てた狐を産んだと誹られる方がまだましだ」
そう吐き捨てた父親によって、ダルクスは謂れのない罪を着せられ王家直轄領の隅の小さな屋敷に追いやられた。
公には不治の病に犯されたことにされているダルクスは屋敷の外に出るのはおろか窓を開けることさえ許されず、王宮にいた頃よりもはるかに粗末で窮屈な生活を強いられた。
固く狭いベッドで眠る度、脳裏に思い浮かぶのはアリシアの顔だった。大きな目に涙を溜めて、悲しそうに俯く幼いアリシアがいつもダルクスの夢の中にいた。
——ああ、そうだ、その顔だ。
——ずっとそうしてくれればよかったのに。そのいじらしい顔が好きだったのに。
ダルクスがそう思うと、決まって夢の中の幼いアリシアは冷たく澄ました十六歳のアリシアに変わり、黙って頭を下げて去ってしまう。
——どうして何も言わないんだ!
——私を愛しているくせに!
どれだけ叫んでも手を伸ばしても、アリシアを引き止めることは叶わず。そうして一人きりの狭い部屋で、ダルクスは目を覚ますのだ。
「ああ、どうして」
愛されているはずだったのに。
愛していたはずだったのに。
決して抜け出すことのできない檻の中で、ダルクスはそう絶望するばかりだった。
勘違いには勘違いぶつけんだよ!ということで、毒をもって毒を制するお話でした。
「必死に頑張ってくれるから向こうも自分を愛してるに違いない」も「自分は愛されてないしお家乗っ取りのために婚約されただけだったんだー!」も勘違いだったわけですが、その勘違いが解ける機会は一生訪れないでしょう。
なおタイトルは「アリシアはダルクスを愛していないから、愛していたのはダルクスの方だけ」「傷付いたアリシアを婚約者として、伴侶として愛してくれたのはユリアンだけ(アリシア視点)」「アリシアが愛しているのもユリアンだけ」のトリプルミーニングです。やーーーい!お前ん愛情、ひっとりよーがりーーー!!(煽り)
◆アリシア
実はわりと天然だった侯爵令嬢。
ダルクスのモラハラで疲弊しメンタル的に弱っていたとはいえ、「つまり…全ては陰謀だったんだよ!」とキバヤシ的思考に至ってしまう程度にはおっちょこちょい。
良くも悪くも素直なので、それは勘違いですよと周囲に言われたら「そっかあ!よかったあ!」と納得はするが、ダルクスの件に関しては誰も勘違いを正してくれないのでずっと勘違いをしたままでいるし、勘違いしたままの方が本人も幸せだろう…と思われている。
◆ダルクス
モラハラクソ王子。
初めはアリシアに好感を持っていなかったが、自分に気に入られようと必死になっている姿がかわいい!と思ってからかわいい子ほどいじめたくなる理論でモラハラが加速。アリシアの反応が薄くなってからはミラリーを利用してまで気を引こうとするが、そのせいでアリシアには「ミラリーがいいならそっちに乗り換えてくれよ…」と内心思われ、ミラリーには嫉妬のあまりアリシアへの呪いの手紙を書かれ、と何一つ思惑通りにいかず破滅することとなった。
今でもアリシアに歪んだ愛情を持ち続けており、そのアリシアがユリアンと幸せにやっていると知れば発狂すること間違いなし。誤解させたことを後悔しながらも愛されていると勘違いしている今のままの方が幸せかもしれない。
◆ユリアン
実はわりと前からアリシアに片想いしていた。しかしすでに婚約者のいる方だから…と密かな想いを胸に秘め、ダルクスに冷たくされる彼女に胸を痛めながらずっと見守っていたが、あれ?ダルクスの言い分ちょっと支離滅裂じゃね?あれ?気移りしたにしてはダルクスちょっとミラリーによそよそしくね?と疑念を持っていた。
アリシアとダルクスの婚約解消が発表された時はまずアリシアが解放されたことに安堵し、次いでもし叶うなら…と釣書を送ったところ無事採用。アリシアの婚約者のちに夫となる。
アリシアと幸せ新婚生活をしていても、ダルクスって何考えてあんなことしてたんだろう…という疑問が残っていたので、アリシアにそれとなく探りを入れてみたらダルクスの言動の仔細を聞いてなんか色々察してバカすぎて爆笑した。
最愛の人を歪んだ愛で傷付けた挙句みすみす手放したダルクスには怒りと恨みと「バカだろお前」と「バカでいてくれてありがとう!」がないまぜになった感情を向けており、中指を立てながら感謝している。
今のところはアリシアにダルクスのことを忘れさせるのが目標で、仮にトラウマが癒えなくても辛い時や悲しい時に頼れる対象になれればいいと思っている。
◆アリシアの父
アリシアの勘違いを「んなバカな…」と思いながらもダルクスとの婚約解消に利用。
ダルクスがアリシアにモラハラしていたせいで「どんなに取り繕ったって王子様に愛されない哀れな女」とアリシアを小馬鹿にする風潮が一部にあり、そのせいで侯爵家もナメられていたので迷惑していた。
無事に負債を切り捨て、良い婿を迎えられてほっとしている。
◆王家
以前からダルクスのモラハラを認知しており、注意しても改善の様子がないので困っていたら「殿下が侯爵家の乗っ取りを企んでます!」と告発の体で抗議されて驚いた。
「んなアホな…」と思いつつも訴えられた以上は事実関係を調査するポーズを取ったら、ダルクスが好きだからイジワルする系男子だったと発覚し卒倒しかけた。
自分の立場も影響力も考えずにんなアホなことをしたガキが王家から出たなんてめちゃくちゃ恥なので、それならお家乗っ取りを企んだずる賢い奴にした方がマシと事実の隠蔽に走った。
世間に流れた噂も王家による目くらましの一環で、その後の火消しと流行の移り変わりもみんな王家の仕業。わりとまともではあるし決して無能ではない。
◆ミラリー
初めから当て馬だと知らされ「勘違いするな」と釘を刺された上でダルクスに利用されていた。
完璧な淑女であり歪んだ愛とはいえダルクスに愛されていたアリシアを妬み、せめて気持ちだけでもマウントを取りたいと呪いの手紙を書く。しかしこれがアリシアの勘違いを誘発し、自分の首をも絞める結果となった。
お家乗っ取りを企てた罪で家ごと取り潰しに…と見せかけて、実は全員無事。王家の隠蔽工作に巻き込んで殺すのも酷だから、とこっそり生かされ兄の子の世代で叙爵した新興貴族という体で社交界に戻すことを確約されている。
とはいえ、ダルクスと結託してアリシアを貶めていたのはマジなのでこれは温情に見せかけた罰であり、家族からはメチャクチャ怒られた。




