星を宿す人
著:蝉次郎
作品説明:
とある魔法使いの卵が、自分の本当の夢を求めて星の光を追う話。
生まれ持った才能と夢。一人の少年が空しさと不安に悩まされながらも将来を考えます。
数百年に一度しか起こらないという流星群の夜。ある国の貧しい家具職人のエルンスト夫婦のもとに男の子が生まれました。
生まれたばかりのその赤ん坊は瞳の色が片側ずつ違い、両親譲りの瞳の色を片側に、もう片側の瞳は鮮やかなエメラルドグリーンに輝いていました。産婆はその瞳を見て、「この子は星を宿しているよ」と叫びました。この国では片目に輝かんばかりの色を宿している者は『星を宿している』と言われています。星を宿している人間は、高名な魔法使いの外見によくある特徴だったのです。
両親は大層喜び、男の子にジェラールと名付けました。
ジェラール少年が魔術学校に入学したのは6歳のころでした。魔術学校に入る数日前、少年を送り出すために近隣住民全員を招いた盛大な宴が開かれていたとき、エールを飲み干して顔を真っ赤にしていた叔父が父親に話している声が聞こえてきました。
「魔法使いになりゃあ大金が手に入るだろうさ。お前の稼ぎなんぞすぐ超えちまうだろうよ。お前はまさに星を手にしたわけだな」
それに対して父親がなんと答えていたのか定かではありません。しかし叔父の言葉を聞いてすぐに頷いた父親の様子を見て、少年の心に何か言いようのない微かなわだかまりが残りました。
(僕はここに残りたかったのに……)
少年は家族を愛していましたし、両親が家のすぐ隣に建つ小さな工房で一生懸命に家具をこさえる姿が好きでした。木の匂いも好きでした。できたらここに残りたいけれど、魔法使いになれる才能があるというのは大変な名誉らしかったのです。「この子は将来魔法使いになるんだから」母親の口癖はいつもこうでした。
宴ではたくさんの大人たちが褒めてくれました。そのためジェラール少年も彼らの期待に沿うべく、魔法使いを目指すこととなったのです。
それから8年が経ちました。魔法学校に入学してからのジェラールは、才能があると言われるだけあり優秀な成績を残してきました。
同級生の誰よりも早く様々な魔法を習得し、ある時には優秀な魔法使いの卵として表彰を受けたこともあります。
「彼は偉大な魔法使いになることでしょう!」表彰式に高々と告げた教師の言葉は今でも記憶に残っています。
もちろんジェラール自身も自分の才能に誇りをもっていましたが、しかしいつからだったか、少年の心にはどこかぽかりと穴があいたような、奇妙な空しさを感じていました。
そんなある日の夜のこと、ジェラール少年はなんだか心がざわついて眠ることができず、学生寮近くの泉へやってきました。
そこは他の学生もあまり立ち寄らない、密かな安らげる場所だったのです。
虫のさざめきや草木が風に揺られる音を聞きながら、少年が泉にうつる星々を物思いにふけて眺めていると、不意にどこからか声をかけられました。
「君は何を思って泉を見ているのだろうか」
声の主は赤く光る年老いた星でした。訓練を積んだ魔法使いは自然と会話をすることができるのです。
「全ては順調であるはずなのに」少年は星に言いました。
「僕はどこか空しい思いを抱えているのです」
老いた星は瞬いて少年に尋ねました。
『君は何をしているのか』
「僕は魔法使いになる勉強をしています」
『魔法使いは何をなすのか』
「魔法を使って人を助けます」
『では、魔法を使い人を助けることが君の望みなのか』
「それは……」
もちろん、そのはず。そのはずなのに、少年は途中で何か喉に詰まっているかのように、言葉をうまく出すことができなくなってしまいました。
年老いた星は言いました。
『君の望みを知るために、まず君が何者であるのかをきちんと知るのが必要である。星の光を追いなさい』
少年は尋ねました。
「星は幾億もあります。どの光を追えばよいのです」
『お前は自分の目に星を飼っているだろう。星の光を追いなさい。ただし純粋な心で。何か別なものによそ見をしていれば光はその輝きを失うだろう』
こう言ったことを最後に、その日赤い星はそれ以上何も言いませんでした。
ジェラール少年は泉越しに自分の目を見ました。水面に映った自分の淡い緑の瞳が一瞬光ると、瞳の奥に一軒の建物を映しました。そこはジェラールが忘れかけていた、自身の生まれ育った家でした。
ジェラールが寮へ戻ると、郵便が部屋に届いていました。奇妙なことに差出人の名前は母親の名前で、封を切れば久しく嗅いだことのなかったあの家具工房の樹木の皮の匂いが香ってきました。そのとき彼は思い出したのです。幼い頃に家具工房で見ていた、両親が椅子や机を拵えている姿。父の力強くがっしりとした手が木を加工し、母親の傷のついた手が美しい装飾を凝らして、ピカピカに輝く家具に驚きと感激を以って眺めていたのでした。ああ、そうだ。ジェラールは思いました。
(僕は家具職人の息子だ。
そして本来僕は魔法使いではなく、家具職人になりたかったのだ……)
しかし自分の望みを知ったとて、ジェラール少年の心のざわつきは消えませんでした。寧ろより一層強まったかもしれません。
魔法使いとして学んできた少年にとって、魔法は様々なことを教えてくれました。人を癒す方法や、あらゆる生き物と会話する方法、天候を操る方法。
しかし彼は木の加工の方法を知りません。美しい装飾を彫る技も、いかにして家具を快適に使えるように作ることも。
そのために彼は、家具職人になろうと今に思ったところでどうにもならないのではないかと思ったのです。
「僕は魔法使いになりにここへ来たというのに、本当は家具職人になりたかったのです」
あくる日、再び泉にやって来たジェラール少年は赤い星に語り掛けました。
「でも今更家具職人にだなんて、叶うはずがないのです。きっと父さんも母さんも反対するはずです」
すると赤い星は昨日のように瞬いて少年に問いかけました。
『君は今何をしたいのだ?』
『私はほかの人間の話はしていない。君の話をしているのだ』
「僕は……」
少年はちょっと言いよどんで、しかし昨夜言われたことを思い出してはっとしました。
(〈星の光を追え〉……。)
彼は再び泉に映る自分の瞳を覗き見ました。星を宿した目は瞬いて、次に古ぼけた工房のような場所を映しました。そこは昨日とは打って変わって見たこともない場所でした。でもそこにはたくさんの材木が積まれていました。家具工房であると、すぐに気づきました。
後日少年がその家具工房の場所を探そうと人々へ尋ねてみると、そこは学生街から遠く離れた山の麓にあることを知りました。
それから彼は、入学して以来7年間休んだことのなかった学校を初めて休むことを決意したのです。
ジェラール少年が工房にたどり着くまでに数日を要しました。山に辿りつくまでの道はあまり整備が進んでおらず、時に魔法を使って乗り越えることもあれど、幾度か彼は回り道をしたり脇道を使う必要がありました。それでも彼はようやくたどり着くことができたのです。
工房は年季の入った古い建物でした。ジェラール少年が中へ声をかけてみると、髭をたっぷりと蓄えた、腰の曲がった老人が見えました。
「これはまた随分若い旅人さんが来たものだ」
無骨ながらに微笑む老人に、ジェラール少年が事情を話し工房を見せていただけないかと尋ねると、彼は二つ返事でジェラールを工房に通してくれました。
工房は木屑があちこちに見えて、年季の入った器具が丁寧に磨かれて置かれていました。ジェラールは工房に置かれた木材を見て、その木材を椅子に加工する老人の姿を見ました。腰が曲がっているとはいえ、その洗練された技の一つ一つは力強く、老人が並外れた職人であることは素人目でもわかりました。
一つ一つの木材が美しい曲線を描いた椅子になったり、机になっていく様。老技師の手に迷いはありません。見ているうちに少年はその技にみとれ、また心が自然と踊っているのを感じました。
「触ってみるかい」
老技師がたった今できたばかりの机を少年に指し示しました。華奢に見えてもしっかりと立ち、滑らかな曲線をつけた机の輪郭に、少年はおそるおそる指を滑らしました。
「家具をつくるとは木々と話し合うことだ」老技師が言いました。
「魔法使いでなくても話すことができるのですか」
ジェラールが尋ねると彼は笑いました。
「そうじゃない。魔法使いでなくとも、我々は目で、手で、彼らと語らうことができるのだ」
老技師の厚い手の平が、ぽんと少年の頭を撫でました。
「彼らが何になりたいのか、なるべきか、教えてくれるのさ」
好意で一晩泊めてもらえることになったジェラールは、藁のベッドに横になり目を閉じて考えていました。
(街からここまで離れているのに、腰もあんなに曲がっていて、なぜあのおじいさんは作り続けるのだろう)
あの老技師のことを考えているうちに、少年の考えは魔法学校のことに移っていきました。魔法使いとしての優秀な成績。偉大な魔法使いになると言われている自分。それを投げうってまで自分のしたいことをしてよいのだろうか。
(僕は本当に、家具職人になりたいのだろうか……)
考えているうちに、彼は自分の心がもやもやと霧がかかったように感じました。どこかもどかしさを感じて目を開けると、彼は顔のすぐ横に垂れる長い髪が目の前を塞いでいたことに気づき、髪をかき上げて耳にかけました。開けた視界の先には鏡がありました。ジェラールは鏡に映った彼の星を見つめました。
星は確かに輝いていました。その輝きは彼にこう告げていました。
『あなたが私を追う限り、私はあなたを照らし続ける光になる』
明朝、彼は工房を歩きました。老技師はもうすでに起きていて掃除をしていました。老技師の周りには土で作られたゴーレムが、木材を運んだり、器具の手入れをしたりして慌ただしく動いています。このゴーレムはジェラールが工房を見せてくれたお礼として老技師に贈った魔法の生き物でした。
ジェラールもまた老技師に手伝いを申し出て、工房の中の掃除をしていました。掃除の最中、彼は立てかけられた木材の一つに視線を奪われました。木目の一つ一つが美しく、大変に立派な木でした。
「立派な木だ……」
少年がその美しさにみとれていると、その切り出された木材が語り掛けてこようとしているのを感じました。
『若人よ』木の声に少年は耳を澄まします。
『我らはもとはこの島に住む一本の大木であった。しかし最初は小さな種の一つに過ぎない。
われらを育んだこの地は以前火山灰で包まれていた。芽吹くのは大変な苦しみ。成長した後も飢えた生き物にかじられ、強風に茎を折られ言葉に語りつくせぬ苦痛を味わった。しかしこうして生きぬき、我は世界の果てを窺った。若きときに苦しみ続けたのちに我が皮膚は強靭なものになったのだ。
あの老いた技師も、我はこの者がまだ皺のない赤子であったときから知っている。この男は昔剣士を目指していた。いかに罵られようと、蹴とばされようと、この者は諦めなかった。
しかしそうして何年も修業を積んだのちに、才がないと彼の師に見限られついに夢破れた。悔しさと憤怒に襲われた彼は、持っていた我々の同胞を――剣の形に彫られた我が同胞を力任せに我々に強く打った。そしてそのとき彼は知ったのだ。我々の苦しさと強靭さを。その全身を通して知ったのである。その衝撃か、この者はそれ以降我らを知ることに努めた。我らを知るために、それを生業としている者に弟子入りをして、決して我らとの語らいをやめなかった。そして我らを知る上で、剣技を極めようとしてきたその精神力と金物の扱いが役に立った。この技師はそうして我らのようにその皮膚に皺を作り、強靭となっていったのだ。
我が肉体はこうして今やこの技師に削られ形を変えられる。我の苦しみをこの者は語らうことで知っている。だからこの者はお前たちを支える物として我を使う。我が皮膚が強靭なればこそお前たち二本足は安心して我に身をまかせられるのである。
若人よ、いくら踏みつけられようが、かじられようが、折られようが、その経験は強き皮膚となりて我々を守るのだ。だがそれには強き芯が必要である。他のものになにをされようと気にもしないその芯が。若人よ、芯をもて。そして柔らかい皮膚である内に多く傷つけよ。そうして固き皮膚を作るがよい』
工房を発つ前、ジェラールは別れの挨拶に、技師から小さな木材の欠片をいくつかと、椅子の作り方を教えてもらいました。教えてもらったあと、ジェラールは老技師に一つ尋ねてみることにしました。
「ここに置かれている木材の一つが教えてくれました。あなたが技師になったきっかけを」
「おや、これは驚いたな」老技師は笑いました。
「まさか本当に木と話すことができるとは」
「でも、よくわからないんです。あなたはなぜ技師になろうと思ったのですか?」
老技師はどこか懐かしむかのように目を伏せました。
「私はあのとき剣士になれなかった。悔しくて、自棄になって、もっていた模造の剣で木を乱暴に叩いた。しかし笑える話なんだが、あのときずっと鍛えていた自分よりも、木の方がずっと強くてね……、打ち付けたときの衝撃がそのまま私の腕に返ってきたのさ。
自業自得とはいえとても痛かった。でもそれ以上にその木の頑丈さを知ったのさ。そのとき私は初めて木というものの偉大さに気づいた。もっと木を知りたいと思った。それで知り合いに家具職人がいたから、その人から学んでいく内にどんどんのめり込んでいくようになっていった……」
「これでいかがかな」老技師の言葉に、少年は深々と頭を下げ、お礼を言いました。
「まあ、まずはやってみることさ」老技師は柔らかく微笑みました。
「結果はそれからついてくる。失敗も挫折もあってもなんにも無駄なことはない。
誰にも先なぞわからんのだから。しかしこの老いぼれから言えることといえば、それでもただ辛抱強くすることだよ、エルンストくん。己の一時の感情に惑わされてはいけないよ」
それから、ジェラール少年が小さな旅を終え、魔法学校に帰ってきて数日後のこと。休みを迎えたジェラール少年は、老技師に教えられた通りの方法でおもちゃの椅子を拵えてみることにしました。
あの老技師の作っていたものよりも遥かに小さな物であるにも関わらず、教えてもらった通りのやり方で行うのは苦労を要しました。作業は朝から始まり、夜になるまで少年は作ることにすっかり夢中になっていました。時間が惜しいと昼食すら抜いてしまったくらいです。
そうして沢山の星々が夜空に浮かんだころ、彼はようやく椅子を完成させることができました。それは大変不格好な椅子でした。自分で作った椅子を眺めて、ジェラールはその不格好さを見て笑い、しかし自分で初めて作り出したそれに心から喜びました。これこそが、自分を知るということなのだとジェラールは思いました。
ジェラール少年が満足そうに微笑むその様子を窓越しに、夜空からあの年老いた赤い星が優しく見つめていました。
『君の行く末に、祝福があるように』