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【2巻刊行記念SS】海を知らない聖女――新婚旅行前日譚

2025/5/15に夜逃げ聖女2巻が発売されました。刊行記念SSとして、新婚旅行の前日譚をリリースします^^

俺がエミリアと結婚してから、早4ヶ月。


新婚とはいえ王弟と聖女――それぞれ多忙な身である俺たち夫婦が、一緒に余暇を楽しむことは難しい。しかしどれほど忙しくても、できるだけ毎晩、眠る前に寝室でのんびりと語り合う時間をとるようにしている。


エミリアとたわいない会話を楽しんでいると、一日の疲れが吹き飛ぶのを感じる。エミリアはいつも、仕事中の出来事や友人との話題などを表情豊かに聞かせてくれる。そんなエミリアを見ていると、俺も幸せになってくる。


ところで今日はエミリアの話を聞いて、心の底からびっくりしてしまった。


「あの、ディオン様。海ってしょっぱい味なんですか?」


真剣な顔で、エミリアはそんなことを尋ねてきたのだ。海がしょっぱいなんて、そんなのは常識中の常識だと思っていたからどう反応すべきか分からずポカンとしてしまった。


「…………ええと。知らなかったのか?」

「知りませんでした」


……エミリアは、海に塩が含まれていることを知らなかったそうだ。神殿で巡礼者を癒す仕事をしていたとき、海に囲まれた地域から来た巡礼者との会話の中で「海はしょっぱい」と知ったらしい。


「実は私、海を実際に見たことがないんです。生まれ故郷のレギト聖皇国は内陸国で、塩は輸入か岩塩がほとんどで。湖や川なら、子供の頃によく遊んでいたから分かるんですけれど」

と、エミリアは恥ずかしそうに笑って肩をすくめていた。


「海って、綺麗ですか?」

「ああ。とても綺麗だよ」

俺は海のことをエミリアに教えた。


「川や湖は対岸を見渡せるのが多いが、海は水平線の彼方まで広がっているんだ。それに川や湖と違って大きく波打っている。潮の香りが豊かで、空や砂の表情も全然違うよ」


「そうなんですね……!」

目を輝かせて話に聞き入る彼女を見て、「エミリアに海を見せてやりたいな」と思った。


エミリアは聖女としての仕事や能力は完璧だが、それ以外の経験や知識については意外と乏しいときがある。きっと幼い頃からレギト皇家に利用されて、皇女カサンドラの替え玉生活を強いられてきたせいだろう。エミリアはこのログルムント王国に密入国してくるまでの10年間、友達も休日もない働きづめの毎日を送らされていた。


(俺の妻にした以上、エミリアに不幸な思いは絶対にさせたくない)


だから俺は『今度一緒に海へ遊びに行こう』とエミリアを誘おうとしたが、口に出す直前に思いとどまった。俺たちの住むヴァラハ領は内陸部にあり、海に行くには往復だけでも2週間以上かかってしまう。


(エミリアは聖女の仕事があるから、長い不在は難しいだろうな……)


エミリアはこの国で唯一の聖女だ。巡礼者を癒すのは神官たちにも可能だが、『竜化病』の治療となると聖女(エミリア)以外の者には不可能だ。だからエミリアは、長い休みを取ることはできない。


(できれば海を見せたり、新婚旅行をしたりできたら良いんだがな。何か方法はないか――?)


エミリアを喜ばせたい。エミリアと一緒に、楽しい時間を過ごしたい。俺に何かできることは――、と俺が考え込んでいると。


「あの。ディオン様」

くい、くい、とエミリアが俺の袖を引っ張ってきた。


「ん?」

「大丈夫ですよ」

労うような笑みを浮かべて、エミリアは俺にそう言った。


「私のために海を見せようと思ってくれてたんでしょ? でも、無理にでかけなくて大丈夫です」

「……! よく分かったな」

「だって、顔に書いてありましたから」


どうやら口に出さなくても、エミリアには俺の考えが伝わっていたらしい。

「私はディオン様と一緒に過ごせるだけで、満足なんですから」


エミリアは、心の底から幸せそうな笑みを浮かべている。

「私、すごく幸せです。ディオン様と夫婦になれたのも、偽聖女をやめて堂々と聖女の仕事に打ち込めるようになったのも。これ以上のぜいたくなんて、思いつきませんから」


「エミリア……」

愛しさが込みあげてきて、俺はエミリアを抱きしめていた。まっすぐで純粋なエミリアは、太陽の香りがする。野に咲くタンポポのように強くて可憐で、美しい。


エミリアは「これ以上望むものはない」と本気で思っているようだが、俺はエミリアをもっともっと幸せにしたい。


「それじゃあ次の休みは、一緒に湖畔にピクニックへ行かないか」

「ピクニックですか?」

「ああ。遠出が無理でも、できることはいろいろあるだろ?」

エミリアは目を輝かせた。


「これからも、夫婦でいろいろなことをしよう」

「はい! 楽しみです!!」

抱きしめ返してきたエミリアの髪を、愛しさを込めて俺は梳いた。


(それでもいつかは、エミリアを海に連れて行ってやりたい)


海だけじゃなくて、きれいな場所や楽しいこと、幸せをたくさん教えてやりたい。今すぐには無理でも、いつか。





――そんなふうに思っていたある日。

法王猊下から俺に、一通の手紙が届いた。その手紙には、驚べき内容が綴られていた。


「サグート王国への視察旅行……。エミリアと一緒に……!?」


法王猊下からの手紙には、ログルムントの隣国・サグート王国への視察要請が記されていた。サグート王国は豊かな海を持つ国だ。なんでもサグート王国では今、竜化病を治療する薬の開発が進んでいるらしい。


聖女にしか治せない竜化病が、薬で直せる時代が来たら。エミリアは、今よりもっと自由になれるに違いない。


法王猊下の手紙には、こんなことも書いてあった。


――視察には聖女エミリアも同行し、治療薬研究に尽力してほしい。

――視察中は法王がログルムント王国を支援するので、聖女不在の心配はいらない。

――視察が済んだら、エミリアとともに新婚旅行を楽しんでくると良い。


新婚旅行……!

法王猊下の粋なお計らいに、俺は笑みを浮かべていた。

これなら、エミリアを海に連れて行ってやれる。青い海で、思い切り新婚旅行を楽しめる! エミリアに視察旅行の話をするのが、楽しみで溜まらなかった。



  ――2巻に続く。



☆☆☆ おしらせ ☆☆☆

2025年5月15日に夜逃げ聖女の2巻が発売されます!!

全編書き下ろしのオリジナルストーリー。

甘い海での新婚旅行と竜化病治療薬にまつわる大事件。新たに登場するキャラクターたちが、エミリア&ディオンにどう関わっていくか……ぜひお楽しみください!!


<新キャラ紹介>

・カイル:サグート王国の第三王子で、竜化病治療薬研究の第一人者。エミリアに恋愛感情を抱いてしまい……。

・マデラ:砂の民ルファト族の族長。ディオンを婿に欲しいと言い出すが?

・ユロヴィア伯爵:サグート王国の王家直轄領メレッサの管理官。竜化病治療薬の研究になぜか反対しており、砂の民に異常な嫌悪感を示している。


1巻に引き続き、ダフネやザハットも登場します!!


エミリアとディオンは、無事に海へとたどり着けるのか? 視察&新婚旅行の顛末を、ぜひご覧ください^^ お楽しみに!

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