3.出兵要請
西のマシリアヌ大陸の、中央よりやや北寄りに位置するエランドルク王国。
多くの山に囲まれ、1年を通して雪の溶けない5000メートル級の山脈が国境を接している国々、特にキンレイ帝国に対する防壁となっている。
小さくも歴史のある都と、その周辺には5万人が住んでいる。都の中央部は、周囲より少し高い台地になっており、そのへりに国王の居城、エランドルク城がある。
台地の崖下には川が流れ、小さな跳ね橋を渡って門をくぐれば城の中に入れる。城の崖側にある麦藁色の石造りの城壁は山のようにそそり立ち、この城の守りの固さをその姿で示している。
中には、国王の家族と、100人の臣下その家族、使用人が住んでいる。要職にありながら中に住んでいない者もいる。その一人が軍務大臣のシドウェルである。
シドウェルは、15で成人するより前から傭兵をしていた。長年の働きを認められ、隣国のマグダム公国の公王キーズによって爵位と報酬を得ていた。
5年前、30歳で傭兵を引退したシドウェルは、エランドルク王国が軍務大臣を公募している事を知り、これだ!と、思った。
公募と言っても、勿論、誰でも良い訳では無い。国防を担う重要な職務であるから、身元を保証し、確かな実力がある、との推薦が無ければ、国王と会うことも出来ない。
シドウェルは、公王の推薦を得て、エランドルク城に乗り込むと、国王アレクゼスに
「エランドルクを強くしてやるから自分を軍務大臣にしろ」と迫った。
面接をした中で、ここまではっきりと言ってきたのはシドウェルだけだった。
アレクゼスはシドウェルに決めた。
シドウェルは、キンレイとの軍事同盟を根拠に、平時500人だった国王軍兵士の数を3年掛けて倍の1000人に増やした。
経験を活かし、自ら兵士に訓練を行った。次には他の者でも同じ訓練を指導できるよう手順書を作成した。
また国王軍の編成を見直し、情報伝達、収集、分析に特化した部隊を新たに創った。
2年前、キンレイの属州エルビルで内乱が起こると、ヴァルコス皇帝は、エランドルクへ出兵を要請、総督府の治安部隊と、エランドルクの部隊は共同作戦を展開し、内乱の鎮圧に成功した。皇帝は両部隊の活躍を讃えた。
シドウェルは、城下に屋敷を構え、そこから毎朝馬車で登城する。屋敷では妻と二人の息子、使用人らと暮らしている。
シドウェルは傭兵を引退したとは言え、体つきは今だ逞しかった。鼻の下と顎には控え目に髭を生やし、流行りの整髪料で黒い髪を後ろに流して固めている。整髪料の香りなのか、彼の体からは常に良い香りがする。
城壁の中には、幾つかの石造りの建物と、臣下達の住居、馬小屋、酒屋、鍛冶屋、パン屋等が揃い、小さな町のようである。ここを攻め落とすのは何年も掛かるだろう。
この200年、エランドルクは領内が戦場になることが無く、不便な跳ね橋を架け替えないか、という議論が数年前からあった。
シドウェルは軍務大臣になると、わざわざ弱点を作る必要は無いと、この議論に終止符を打った。但し、橋の上げ下げをもっと容易に出来るよう、木製のからくりを作らせ、兵士の負担を軽減した。
東側の入り口から政務棟に入り、自室へ向かう為に階段を上がり切ると、外務大臣のクレイが、すぐ目の前にいた。
クレイは喜々と目を見開き、歩み寄って来る。
シドウェルは不審に思いながら挨拶する。
「お早うございます」
「お早う。今、迎えに行こうとしていた所だ。皆もう集まっている」
クレイは微笑んで、シドウェルの背中に軽く腕を回した。
クレイはシドウェルより5歳年上で以前は貿易商だった。国外での経験や語学に堪能であることを買われ、先代王によって外務大臣に任命された。アレクゼスの下でも引き続き務めている。一人息子は外務部で働いている。
クレイは細身だが身長はシドウェルと同じ位でスーツが良く似合っていた。
ところで、「皆集まっている」とは、大抵の場合、「主要な大臣(皆)が、国王の執務室に(集まっている)」、という意味である。二人は国王の執務室に向かって廊下を歩く。
「何があったのですか」
「うん。昨日の夕刻、キンレイ皇帝から出兵の要請が届いた」
クレイは、シドウェルと同じく城下に住んでいたが、昨日はたまたま仕事が遅くまでかかり、そこへ皇帝の使者が現れた為、国王と共に使者へ対応した。
シドウェルは少し考えて、
「何処です?」と訊いた。
外務大臣は前を向いたまま「オリビスだ」と、答えた。
シドウェルは黙り込んだ。
シドウェルは、オリビスで乱が起きたことは情報部の報告で知っていた。もしや要請が来るかも、とは思っていた。
実はオリビスで乱があったのは、今回で二度目だった。一度目は単発的な暴動と言ってもよく、速やかに鎮圧された。今回の乱は、要請が来たことを踏まえると、最初の暴動に比べて組織的で、中心に指揮を執れる者がいると思われた。