24.アヌログ
ヴァリスマリスは、ルヴェーナと体を結んだ。
ルヴェーナは、やり方を教わってはいたが、実際にやるのは初めてだった。
ヴァリスマリスとて、まだ未婚の為、表向き未経験だが、立場上、子作りの指南を受け、実際に経験をしていた。指南役は、とても上手な人だった。まるで聖母の様に、優しく導いてくれた。
ヴァリスマリスは、ルヴェーナを優しく愛撫した。困らせてやりたい、という気持ちが先だったのに、ことに及べば、溺れたのは自分の方だった。ルヴェーナの体は、初々しく、柔らかく、刺激的で、幸福だった。
微睡みの中で、ガシャガシャという金属の擦れるような音がして、ヴァリスマリスは、自分はいつの間に戦場に来たのか、と、目を開けた。
ルヴェーナの体に重なるようにして寝ていたヴァリスマリスは、軽い頭痛を覚えながら、ソファに両手をついて上半身を起こす。その瞬間、剣が首元に突き付けられた。
「お楽しみの所、失礼致します」
聞き慣れた低い声が、顔の前の方で響いた。剣を突き付けている鎧姿の兵士の後ろに内務大臣のアヌログがいた。それどころでは無く、アヌログの周りには、十数人の兵士がおり、自分を取り囲んでいた。
ヴァリスマリスは、無表情で立ち上がると、脱ぎ落としていたローブを拾い、ゆったりとした所作で着直して、ソファテーブルの端にある一人掛け用のソファに座った。顔がアヌログの正面を向いた。
「何の用だ、アヌログよ」
アヌログは、うっすらと微笑んだ。
「肝の据わった方ですね。少し惜しい気もします」
「惜しいとは?」
アヌログは答えず、目を皇帝に向けたまま、
「ルヴェーナ」
と、呼びかけた。
皇帝は、少し寂し気に微笑んで、アヌログに顔を向けたまま、
「起きろ、ルヴェーナ」
と、声を掛けた。
「ルヴェーナ」
深い、海の底から浮上したように、ルヴェーナは目を覚ました。石の様に頭が重いのは、きっと薬のせいだ。汗をかいて冷えた体が、自分が何をしたかを思い出させた。
「ルヴェーナ」
皇帝の声がした。落ち着いた、労るような、優しい声。ああ、もしかして、全て夢だったのではないか。何も、なかったのではないか。思い込むようにして、体を起こすと、現実が自分を叩き潰した。
「起きたか」
ヴァリスマリスは、ちらりとルヴェーナを見て、微笑んだ。ルヴェーナは、罪悪感に苛まれているのか、顔を歪めていた。この娘も傀儡なのだと思うと、胸が締め付けられた。
「よくやった、ルヴェーナ」
内務大臣が言った。ルヴェーナは、応えなかった。
「ルヴェーナが、お前の遠縁というのは本当か?」
ヴァリスマリスは、この状況で、当然浮上する疑いを口にした。
アヌログは、癇に障ったのか、いつもは表に出さない感情を表した。それでも抑えてはいた。
「オルグストス家と同じ位、由緒のある家ですよ」
ヴァリスマリスは、何も言わなかった。
内務大臣は、何事もなかったように、懐から二枚の書類を出し、テーブルに並べた。見ると、婚姻証明書と、遺言書だった。書面は既に仕上がっている。後は、自分が署名を入れるだけだ。
内務大臣は、居間の片隅にあった文机の上に置いてあるペン立てのペンとインク壷を持ち、戻って来る。
「陛下、是非、そちらの書類に署名を頂きたく存じます」言いながら、インク壷を置き、ペンを差し出した。
ヴァリスマリスは、無言でアヌログを見た。内務大臣は、いつもと変わらないように見えるが、異様な迫力があった。こうなると、拒否したくなる。
「否と言ったらどうする?殺すか?」
皇帝の、揶揄う様な脅しに、アヌログは眉一つ動かさない。
ふいに、ヴァリスマリスの耳に、ルヴェーナの息を殺すような息遣いが聞こえた。見ると、ソファの後ろから、彼女の首筋に兵士の剣が当てられていた。ルヴェーナは、恐怖に耐えながら、震えていた。
ヴァリスマリスは、目に怒りを宿して、アヌログを見る。
「さっさと私を殺せば良いだろう」
押し殺すような、低い声で、ヴァリスマリスが言った。
「署名が先です」
無表情に、アヌログが応じた。
ヴァリスマリスは、内務大臣の手からペンをもぎ取るとペン先にインクを付けた。そして、二つの書類に署名を入れた。
皇帝の名は法である。二つの書類によって、ルヴェーナは、皇帝の妃となり、子供が無く皇帝が死んだ場合、皇妃が皇帝代理を務めることが決まった。