8.思い出の女
アーロンから似顔絵を差し出されたローエン王は、無くなったと思った似顔絵が息子の手に握られている事に驚いた。
それでも吸い寄せられるように、その似顔絵を手にした。似顔絵を見ていると、ローエンは息子の自分を見つめる目も気にならなかった。
アーロンは、似顔絵を見つめ、泣きそうで、でも懐かしくて嬉しいような顔の父を不思議な思いで見つめた。
父上は、いや、父上も、この人に心惹かれていたのだろうか?
それならば、母上は父上にとってどんな人だったのだろう。
「お前が持っていたのだな。どこに無くしたのか、随分探したのだ。もう見る事ができないと諦めていたのに、また見れるとは……。」
父の目に浮かぶ涙に、アーロンに嫌悪感が広がる。
「答えて下さい。」
「彼女を知っていたのか?」
「名前も知りませんが、子どもの頃、あった事があります。」
「そうか。」
父の沈黙にアーロンは次第に苛立ってきた。なぜ彼女は死んだんだ。もしかして、その仲を隠蔽するために殺したのか?
そう考えたアーロンの、声にしない言葉が届いたのか、ローエンはゆっくりと言葉を紡いだ。
「彼女、レイラは私の影騎士だった。そして、幼なじみでもあったのだ。お前は私が庶子だったのは知っているだろうが、私の母がどのような人だったかは知るまい。」
「お祖母様……ですか?」
「彼女は隠れ里の出身で、里を飛び出し、王都で働いていた時、忍びで街に出られた陛下と出会われた。当時の王妃様は既に第一王子を出産されていて、浮気と言うしかない関係だった。」
「……」
「そのうち、王妃様に2人のことが知られ、陛下は母を避けようとしたが、その時に私の妊娠が発覚したのだ。面倒を避けたかった陛下は、子どもが息子であった事から、第一王子の予備として、私を庶子と認めることにされた。」
「なんて事を……。」
「母は寂れた離宮に閉じ込められるようにして暮らし、命の危機もあったそうだ。それを不憫と、捨てた里の者たちが母の為にその離宮に潜り込んできて、母と私を守ってくれた。隠れ里の者は武に優れた者たちだったのだ。」
「その一人が彼女だったと?」
「身辺警護の夫婦の子どもだった。」
「反乱の際、どうしても必要な物があった。レイラとその仲間は命懸けでそれを手に入れてくれたのだ。生き残った者は一人もいなかった。20人だ。その彼らに命を捨てさせたのは私だ。」
彼女は難しい任務を果たして死んでいたのか。そして、全員が……。
「なぜ彼女だったのですか?」
「彼女は一番の手練だった。20人の彼らの長が彼女だったんだ。そして、若手を全て失った隠れ里の者たちは、王都から姿を消した。元々その地に行ったことのない私には、里を訪れる事も叶わない。」
─では、あの男、ガルロフは、一族の生き残りか?
「愛していたのですか?」
「女性として愛しているのは、昔も今も、王妃だけだ。それは誤解して欲しくない。だが、人として、我が半身とも思ったのは彼女だった。」
「それは、愛とは違うと言うのですか。」
「そうだ。彼女の主として恥ずかしくない人間になりたいと、それだけを思って私は生きてきた。」
─私と、同じ。でも私は……。
「この似顔絵は、返して貰っても良いか?これしか彼女の似顔絵が無いのだ。」
「……は、い。」
「これを元に絵師にもう1枚描かせるから、そちらをお前にやろう。それで我慢してくれ。」
「わかりました。」
父が大切に胸ポケットに似顔絵を収めるのを見て、アーロンは頷いた。父にとってもとても大切なものなのだと理解できたから。
「王妃にも見せてやりたい。きっと喜ぶだろう。」
弾かれたように頭が上がる。
「母上も、ご存知なのですか?」
「そうだ。毎年反乱を起こした日の前日、王妃が山に行くのを知っているか?」
確かにその頃、数人の護衛だけを連れて、母は川遊びに出かける。
「その川で彼女の遺体が発見された。そこまで逃げ切って息絶えたようだった。王妃はその川に毎年彼女の好きだった花を供えに行くのだよ。二人はとても仲が良かった。」
「そう、だったのですね。聞かせて頂き、ありがとうございました。」
「いや。もう遅い。眠りなさい。」
「はい。」
頭を下げて、部屋を出る時、アーロンはローエンを振り返って一言だけ伝えた。
「父上、私は、彼女の主になりたいと、ずっとそう思ってきたのです。残念です。」
ローエンの息を飲む音は、閉じる扉の音に飲み込まれた。
******
ガルロフは、窓の外の暗い空を見上げながら、カップに入った琥珀色の酒をユルリと回した。
今頃、あの王子は、父である王に、彼女の話を聞いているだろうか。
あの男は息子に何と話をしているのだろう。
彼だけが悪かった訳では無いと、理性ではわかっている。あの当時、それ以外に方法は無かったのだ。
圧政に苦しむ領民を救いたいという、あの男の気持ちに里は協力した。そして、領民は救われ、里は……。
ほうとため息を吐き、ガルロフは、残った酒を飲み干すと、窓辺を離れた。