3.ラリエット王女の思惑
「それで、どうだったの?」
花が乱れ咲く丘の上に、2人の女性が座り込んで話している。2人の隣には馬が美味しそうに草を食んでいる。
身分の高い2人には当然護衛がついているが、彼らを振り切ってきた2人の傍には、護衛の姿がない。
一人は黒髪の少女、辺境伯の娘のアイーダ。もう一人は赤に近い程の鮮やかな金髪に大地を覆う緑の瞳のラリエット、ユラニア国の姫だ。年は18、なのに、既に婚姻の経験と、離婚の経験がある強者だ。
2人は3歳違いだが、子どもの頃から仲良く育ち、まるで姉妹のように仲がいい。
アイーダは熊殺しの異名を持つ剣士、ラリエットは鷹の目の異名を持つ弓の使い手だ。
当然だが、親達はこの異名で娘達を呼ぶ事を禁じてはいるが、実績がその異名を証明してしまう。
親にとっては、可愛いが、困った娘達なのだ。
「どうって?」
「嫁ぎ先。あの後は何も言ってきてはいないの?」
「ふふっ。大丈夫。ちょっと弓の練習に付き合ってもらったぐらいでおもらしするなんて、恥ずかしいわよね。」
「ラリエットの弓の練習ねぇ。」
「父上から、婚姻の申し込みの際に、見た目に惑わされずに婚姻相手は選ぶべきだと、散々言われたのに、どうしてもって言うから、もう少し肝が座っているのかと思ったのに、残念だったわ。彼の顔は気に入っていたのよ。」
ラリエットの見た目は、まるで妖精のようだ。
王にとっては自慢の姫だが、そのお転婆ぶりはアイーダと変わらない。彼女は一度に三本の矢を放つ事ができるほどの弓の名手なので、きっと嫁ぎ先の王子目掛けて三本の矢を射って見せたのだろう。
一度に三本の矢が自分に向けて飛んでくるのは、かなりの恐怖に違いない。
あの顔自慢の王子の引き攣った顔が想像できるアイーダだった。
「母上は、もう結婚しなくていいって仰るのだけれど、父上はねぇ。」
「結婚しろって?」
「そう。兄上の結婚の事があるから。」
「? どうして?」
「乱暴で離婚された妹がいると、外聞が悪いらしいの。」
「ハザール様はなんて?」
「兄上は何も仰らないわよ。だいたい結婚相手もどうでもいいと思ってる人よ。興味のあるのは、土壌の改良と、作物の改良だけの人でしょう?」
そう、今のユラニアの豊穣はハザールの研究の結果だ。12歳で研究を始めた彼は28歳の今も、絶えることなく日々研究を積み重ね、殆ど研究室から出てこない。
王の政務を支えているのは、幼なじみの宰相補佐のカインと、ラリエットだった。
「じゃあ、またどこかへ行ってしまうの?」
「多分ね。」
「いっそ、あなたが国を継げば良いのに。」
長男が継ぐことが当然なこの国で、王女のラリエットが国を継ぐ可能性はゼロだ。それでも、惜しいとアイーダは思っている。
彼女ならば良い為政者になると思うのに。
「無理だもの。仕方がないわ。あーあ、男に生まれたかったなぁ。」
背後から、複数の馬の足音が近づいてくる。振り返れば思った通り、護衛達だった。
2人は立ち上がると、笑顔で彼らに手を振った。
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一人自室でアーロン王太子はため息を吐いた。
王族とは言うものの、恋愛結婚だった両親は彼の憧れだった。いつかは自分も愛する人と生涯を共にしたいと夢見ていたのだ。
ラリエット王女は見た目は美しいとの噂だが、常識のない愚かで、傲慢な姫だと聞いている。だから一年と持たず我慢に我慢を重ねたが、離婚する事になったそうだ。
その美しさから、求婚は後を絶たなかったそうだが、離婚後は一変し、求婚の話は全く無いそうだ。
─父上はああ言うが、他に何の手があると言うんだ。
彼だって、心惹かれる相手が無かった訳では無い。
6歳の頃、父の影として働く騎士に一度だけ抱いてもらった事がある。その頃の記憶など他に記憶に残る程の事も無いのに、何故かその騎士の顔だけは、今でも忘れられない。
その騎士の似顔絵を父の本の間から見つけた時、父に内緒でこっそり部屋に持ち帰った。今も引き出しの中に大切にしまっている。
紫の髪に、それよりもなお暗い紫の瞳。
冷たく見える印象なのに、誰よりも優しい笑顔を向けてくれた人。生きていれば、アーロンよりも10歳位年上だろうか。
アーロンは彼女の事を誰に聞くこともなく、ただ想っていた。いつか父の仕事を継げば、自分の影として、支えてくれると。
彼女に主として認めてもらう。
それがアーロンの望みだった。
けれど、ラリエット王女と婚姻するならば、その前に一度だけ、彼女に会わせてもらえないだろうか。
一度、たった一度でいい。あの女に会いたい。
あの女に触れたい。
アーロンは、初めて、自分の気持ちが憧れではなく、恋情であると意識した。