26.強敵現る
飲み物を取りに行った娘の方に目を向けた辺境伯は、それを追うように争う3人の若者の姿を見た。
「おや、本命3人が必死じゃないか。」
「あらまあ、ふふふ。あの様子ですと、告白するのかしら?」
「ふむ。殿下はそのつもりだろう。2人はそれの阻止のつもりだろうが、さてさて。」
「あの2人、競争相手を次々に追い払って来ましたけれど、まだ告白しようとしていませんものね。焦れったいですわ。」
「その通りだな。牽制するばかりでなく、もっとガツンと行かねば。」
「きっと自信が無いのでしょうね。私はその気持ちもよく分かります。」
若い頃、ずっと憧れ続けた人。自分からは話しかけるのも無理だった。それでも、ずっとずっと好きで……。
目で追い続けた人と目が合って、目が離せなくなり、手を握られて、想いを告げられた。あの日の事は彼女の大切な大切な思い出。愛する人に抱きしめられる今でも、あの日の事は決して色褪せる事がない。
「私だってわかるよ。あなたに魅せられ、あなたが自分を見てくれないかと、毎日あなたの通るところにわざわざ用もないのに足を運び、あなたと目が合うことを願ってあなたを見続けた。」
「あなたも?」
「そうさ。目が合ったら、止まらなかった。毎日ずっとあなたに気持ちが伝えたくて堪らなかったからな。」
辺境伯は、彼ら4人に優しい眼差しを向ける。
「さて、誰が娘を射止めるだろうな。」
「そうですわね。私は……。」
誰でも良い。あの子を幸せにしてくれる人ならば。
でも、と、夫人は思った。もう1人……。
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アイーダは、ガルロフに誘われて2階のバルコニーに出たが、そこにアーロンと騎士団長のヤニスが現れた。
そして、今、彼らは彼女の前で小声で言い争っている。
広間に戻りたいのに、続く窓のそばに彼らがいるので、戻る事も出来ない。
ふと、下から小さな石が飛んできて、バルコニーの手摺に当たった。
見下ろせば、見慣れた緑の頭が見える。
子供の頃から一緒に育ったクリスだ。今は、辺境伯本邸の執事見習いをしているひとつ違い。
成人したら、正式に第2執事に就任する事になっている。
そのクリスが笑顔で両手を広げて立っていた。
アイーダは、言い争う3人を横目で見て、少しドレスの裾を持ち上げると靴を脱ぎ、ヒラリと手摺を乗り越えた。
細身の見た目からは分からないほど、以外に筋肉質のクリスは、飛び降りたアイーダを難なく受け止め、そのまま歩き出した。
バルコニーの上では、3人が何やら叫びながら、手摺を乗り越えてくる。
「お嬢様、少し走りますね。」
飴色の瞳を細めて笑いながら、いきなり走り始めるクリス。アイーダは、そんな彼の首に手を回し、背後の3人を眺めた。飛び降りた3人がほぼ同時に走り出す。
しかし、誰もクリスに追いつけない。
「クリスったら、速いのね。」
「逃げ足の速さには、昔から自信がありますから。」
そういえばそうだった。子供の頃、剣をどんなに振り回しても、クリスにだけは当たらなかった。
執事見習いで忙しいクリスに会うのは、何年ぶりになるだろうか?ここ2年ばかりは王都の屋敷勤めなので、話す時間もなかった。
たまに王都屋敷を訪れても挨拶で顔を見かける程なのに、彼女の機微に配慮した心地良さを手配してくれているのは、クリスだった。
少し大人ぶりたいアイーダに、ほんのりりんご酒の香りがするチョコレートをくれたり、風邪の時には、蜂蜜とハーブで作った飴をくれた。
落ち人の剣術書を見つけてくれたのもクリスだった。
下から見上げる彼は、たった一つ違いなのに、いつの間にか大人になっていて、どこか別人のようだった。
「広間の入口までお連れしますか?それとも、ここから歩かれますか?」
そう言われて、アイーダは少し悩んだ。彼に抱えられているのが、照れくさいのに、とても心地良かったのだ。
─私、何を考えてるんだろう。
「歩くわ。ねぇクリス、広間に戻ったら、私と一曲踊って。」
昔、クリスに同じように強請った事がある。その時は執事の仕事ではないと断られたが、今の彼はなんと答えるだろう?
「良いですよ。でも、一曲だけです。」
「……ありがとう。」
広間に戻るとちょうど曲が変わる所だった。少しアップテンポで華やかな旋律。アイーダの好きな曲だ。
クリスに手を取られて、クルクルと回りながらステップを踏む。彼のリードが上手いので、まるで羽が生えたみたいに気持ちよく踊れた。
「凄い!いつの間にこんなに踊れるようになっていたの?」
「お嬢様と踊る為に練習しましたから。」
「私と?」
「はい。」
広間の入口にあの3人の姿が見えるが、今はクリスとのダンスを楽しもう。こんなに楽しいダンスは初めてだ。
「そうですわね、私は、もう1人強敵がいると思うのですよ。」
辺境伯は、2人のダンスを見ながら、さっきの夫人の言葉を思い出していた。




