2.アイーダの記憶
その少女の瞳を見た時、ガルロフは目を疑った。
あれから15年。彼女の面影を追わない日はなかった。そして、すっかり諦めた彼の前にその瞳は現れたのだ。
もちろん彼女の遺体を荼毘に伏したのは自分だ。それは分かっている。彼女はもう失われたのだから。
それでも面影を追う自分は未練がましいと分かっている。
姉のように可愛がってくれたが、自分は姉と思った事がない。一生に一度の想いだった。
あの日、出かける彼女に偶然会った。次に会える日を聞けば、忙しいので予定がつかないと約束を貰えなかった。
王子の影として働く彼女にとっても命懸けの仕事だったと聞かされたのは彼女の死後。
彼女と一緒に行った者も全員死に、最後の力を使って届けた証拠が反乱を成功に導いた。
でも、誰も彼女の事を知るものはいない。全ては王子の功績となった。
雨の音で目が覚めれば、傷の痛みはあるものの、熱は下がり、随分体は楽になっていた。
ここに来る前に偶然出会ってしまった熊は巨大グマで、息の根は止めたが、自分も大怪我を負ってしまった。
それでも手負いで放置すれば、被害が広がってしまっただろう。倒せて良かったと思っている。
「熊に何処で出会ったの?息の根は止めた?」
彼が気がついた事に気づいた少女は、彼を気遣うでもなく話しかけてきた。
「倒した。」
「良かったわ。倒してないならば、倒しに行かないとと、思ったの。」
このまだ幼さの残る少女が行くのか?
彼の気持ちが伝わったようで、少女は楽しそうに笑った。
「当たり前だわ。マルロウではかなわないもの。私が倒さなきゃ。」
マルロウと呼ばれた騎士はため息混じりに頷いた。
「そうですね。お嬢様は熊殺しの2つ名をお持ちですから。」
冗談かと見上げれば、どうやら本気のようだ。
「狩りが得意なのか?」
「狩りだけじゃないけどね。塗り薬には少し痛み止めが入っているの。油断してると薬が切れた時に堪えるわよ。」
「手当をしてもらい、ありがとう。」
「構わないわ。あなた、名前は?」
「ガルロフ。」
「そう。私はアイーダ。辺境伯の娘よ。」
誰も話をしないまま時が過ぎ、雨の音が聞こえなくなった。
「私達は行くけど、この小屋を使っていいわ。水は、ここを出て少し下ると沢があるから。食べ物は床下に入っているから食べて。」
「良いのか?」
「構わない。その代わり、元気になったら、顔を見せに来て。」
「ああ。」
アイーダは、マルロウを連れて小屋を出ていった。
「アイーダ。辺境伯の娘。」
必ずもう一度会おうとガルロフは思った。
******
帰り道、馬を走らせながら、アイーダはガルロフと名乗る男の瞳を思い出していた。
あんなに綺麗な空色の瞳は、あの子しか知らない。
アイーダは15年前に死んだ女の生まれ変わりだった。
それも全ての記憶を持ったまま、生まれ変わってしまった。記憶を思い出したのは物心ついた頃だった。
転んで池に落ちた時、その水の冷たさが記憶を呼び起こした。あの時は、崖から落ちたのに、池に嵌ったぐらいで思い出すとは、随分軟弱になったものだと笑いが込み上げた。
記憶が戻ったせいか、武芸が得意になり、お転婆と言われるようになったが、自分では、随分女っぽい事もできるようになったと思っている。
その頃可愛がった孤児の少年、マクス。その子が空色の瞳をしていた。
そう言えば、最後に頭に浮かんだのはあの子の泣き顔だった。弟のような少年だった。
死にに行くと分かっていたから、別れを告げられなかった。
きっと勝手に死んだ私の事を怒っているだろう。
─今、どうしているのかしらね。
生きていれば、さっきの男ぐらいになっているだろうか。あの怒りん坊の可愛い弟。
でもあの男のような殺伐とした顔にはならないに違いない。あの子は優しい子だったから。
******
その日、コルニエ王国の王宮の奥、王の執務室にある報告に訪れた監察官の報告に、王も王太子も顔色を失った。
「そ、それは、間違いないのか?」
「はい。」
「あの鉱山が……。」
王国の財政を支えるガース鉱山。冬の長いこの国に置いて、ここから得るものは冬を乗り切るのに必要なものだった。
監察官の話では、その鉱山があと2年程で枯渇するという。たった2年。その間にガース鉱山に変わるものを見つけなければならない。
それでなくても今年の秋は実りが少なかった。民を飢えさせない為には、外からの輸入が必要なのに、もし無理に掘れば2年が1年になってしまうかもしれない。
監察官を下がらせ2人になると、王太子は意を決して王に向き合った。
「父上、南のユラニア国と私の婚儀を結びましょう。」
「アーロン。」
「ユラニアの姫を迎え、かの国に穀物の支援をお願いするのです。」
そうは言うが、まだ21歳で初婚の王太子に、出戻りのユラニアの姫を娶せる気にはなれない。もちろん、ユラニア側は喜んで差し出すだろう。国の為とはいえ、王妃も決して賛成はしない。
「もう少し考えさせてくれ。お前の将来の話なのだ。」
「分かりました。」
父親似のアーロン王太子は美丈夫で、近隣国に有名だ。もちろんユラニアからも婚姻の申し込みを受けている。
あの姫は見た目だけはまあまあだが、嫁いだ先から一年で離婚されるような出来損ないとの噂がある。
離婚理由は知らないが、知りたいとも思わない。
ローエン王は、部屋から人々を退け、一人物思いに耽った。