Episode Final
Episode.Final 終着点
1
半壊したまま放棄された家屋、焼き焦げたビル、ゴーストタウンと化した西地区――傍から見れば、大地震直後のようだ。
かつてあった内戦の爪痕は大きい。
それでも、人も、ヴァンパイアも、まるで何事もなかったかのように生活している。
技術の進化――複数の金属を組み合わせた丈夫な鉄で構成された新時代の建築物も、所々に見られる。街の一部では、巨大な鉄の固まりが市民達を乗せてあちこちへと走り回っている。
王城も、かつては木と煉瓦が多く用いられていたが、今では骨組みのほとんどが鉄で支えられている。
全てが瞬きする間に変わった。
たった一〇年だ。
ある学者によると、それらは当の昔に完成しているはずの代物らしい。
国のいざこざが、進化を遅らせた。
内戦の直後――離島であることが功を奏したのか、敵国も攻めては来なかった。それどころか、支援を受けた程だ。
こうして、束の間の平和が訪れた。
とはいえ、問題は尽きない。
ティンバートン・エステロス――現国王は、忙しなく王城最上階の廊下を歩いていた。
横に付いているのは最近新しく就いた秘書、ジョン・テイラー。エステロスが叩きのめして捨てた彼がこうして隣を歩いているのは、彼女自身も不思議な感覚だ。
「この後の予定は?」
「はい、まずは定例復興支援会議がこれからあります。それから、スーサ国立武器庫リニューアル式典、近況に関する国民への演説をライダム放送局で。えーそれから、王城に戻って復興一〇年を祝ったパーティ、その後は――」
「あー! もう結構だ、聞くだけ無駄だ! 止めろ!」
エステロスは思わず遮って、耳を塞いだ。
激務だ。
それだけではない。毎日着なくてはいけない王の正装は、重たく動きづらくおまけにすぐに汚れるので、大きなストレスの要因となっている。
ようやく平和を掴んだと思えば、うんざりな現実が待っている。
それが、また良いのかもしれないが。
「全部出てもらいますよ」
「はぁ、何でもかんでもリニューアルの式典で王を呼ぶものじゃないぞ。演説する方の身にもなれ……気が滅入る」
「仕方ないやろ、王なんだから」
思わず、ジョンは本音を漏らした。
「おい、その方言は止めろと言ったろ?」
「はいはい」
「まったく……」
と、会議室へと向かっている途中で、正面から優雅に逆走してくる人間を見つける。
「あら、これはこれは王よ。おはようございます」
軽く会釈してくる気取った外務大臣、シルク・ケリトンにエステロスは目を細めた。
今日も、衣装も含めて全身丸ごと金色に染まっている。
「ああ、おはよう。ところで、どこに行く気だ? これから会議だろう? あなたも出席者の一人では?」
「あら、あんな無意味な会議に出席している時間はありませんの。わたくしは、これからロコア国との貿易協定に関する打ち合わせがありますから。余程、そちらの方が重要です。時間は有効活用しなくてはなりませんわよ?」
「そんな身勝手な……」
エステロスは、もはや部下の横暴に言葉が出ない。
「それに――」
シルクが何か付け足そうとしたとき、ドタドタと廊下を走る音が二つ聞こえてきて遮られてしまう。
ふと目をやると、廊下の突き当たりから一直線に少女と少年が向かってくる――それから、ちょうどエステロス達の前で急ブレーキを掛けた。
母親に負けず劣らず輝かしい黄金の髪を揺らしながら、満面の笑みを浮かべるケリトン・アリシア。
髪がまつ毛まで掛かってしまって、性格通りに気弱な雰囲気を醸し出しているティンバートン・ラー。両親に似ず――、
(いや、そうでもないな)
くすりと笑って、エステロスは優柔不断だったかつての自分と重ね合わせた。
「エステロス様、おはようございます!」
「……母様……」
元気よく挨拶するアリシアと対照的に、ラーは少しばかり困惑している。
「おはよう、アリシア。ん? 二人とも、今は勉強の時間ではないのか?」
エステロスの確信を付いた指摘にギクッと、ラーが一歩下がった。
それに気づいたように、シルクも眉間に皺を寄せて詰め寄った。
「そうですわ! アリシア! あなた、また抜け出しましたのね!」
はたまた、出てくるのは溜息が出る事態だ。
「僕は止めたんだよ……でも、アリシアが力づくで……」
「あら、一緒に抜け出した時点であなたも共犯ですわ。諦めなさい」
ラーの必至の弁解を、アリシアは無下にして同罪に持っていこうとする。
「アリシア! あれだけ真面目に受けなさいって注意しましたわよね! しかも、王の息子を巻き込むなんて、何を考えていますの!?」
シルクの堪忍袋は既に爆発していて、アリシアに掴みかかる勢いだ。
いつも、こんなように叱責している構図がある。
「きゃ、お母様ったら、こわーい。行きましょ、ラー」
「あ、ちょ、アリシア」
そう言って、アリシアはラーの手を取って逃走を図る。
「それでは皆様、ごきげんよう」
それっきり、行ってしまった。
「はぁ」
何度、同じ息の吐き方しなければならないのか。
「一体全体、世話係は何をしていますの!? 今すぐにでもあの娘をとっ捕まえて、お仕置きが必要ですわ!」
シルクは、未だに怒りが収まってない様子だ。みっともなく地団駄を踏んでいる。
とはいえ――エステロスは、そんな一連の茶番に微笑した。
この一〇年、厳格な条例を作った。
あらゆる身分制度を破棄した。人間もヴァンパイアも平等で対等な間柄、それだけを重んじた。互いに尊重し、互いに暮らし、笑い合えるように。
こんな日常を送れるように。
最初は、多くの不満が双方から出た。
だが、この条例を守らぬ輩は容赦なく処刑した――数え切れぬ程。
デモも、武力によって鎮圧した。
その内、恐怖で誰も抵抗する者はいなくなった。
そして、今では種族に関係なく皆が当たり前のように共存して暮らしている。
きっともう少し経てば、人間とヴァンパイアの枠組みすらなくなるだろう。
完全には無くならないだろうが、彼らの大半は分かり合えるようになる。
そういうものだ。
「ふぅ……」
比べられない程、この国は平和になった。
とはいえ、エステロスは今でも時折思い出す――彼女の懐に潜り込んできた『彼』を。
彼女は、『彼』に弄ばれた。
多くの犠牲が、『彼』によって出た。
シルクが、『彼』によって強姦されたことも知っている。
罪悪感など、『彼』は微塵も持っていない。
きっと『彼』は正真正銘、ただの殺人鬼だったのだろう。
悪人でも、善人でもない。思慮もない。
「シルク、今でもあなたは『彼』を憎んでいるか?」
ふと、エステロスはそんな質問を投げかけた。
ただでさえ気分の悪いシルクは、余計に険しい顔付きになる。
「当然ですわ。あの男を憎悪しなかった日などありませんわ。今でも、毎日のように夢に出てきますわ」
「そうか。なら」
アリシアは、シルクの娘。その一方で、『彼』の娘でもある。
「ただ、あの娘は別ですわ。何も知らない、何の罪もない……あの男の血が流れていることが、愛さない理由にはなりませんわ」
シルクは、嘘など付かない。
彼女は、きっぱりと分けているのだ。『彼』への憎悪と、娘への愛情を。
「そうか」
エステロスは、違う。
どれだけ、『彼』が戦犯であったとしても殺人鬼であっても、どうしようもない。
今となっては、そんなことは口に出せない。
それでも――。
――わたしは未だに『彼』を愛している。
そっと、心の中で呟いてみるのだ。
2
雲一つない晴天の空。
周りは、ガラスが張り巡らされた高層ビルが立ち並んでいる。
植物一つなく、アスファルトが焼けて、気温は三五度を越えてきている。
既に常温になってしまった缶コーヒーを片手に、皺だらけのスーツを着込んだ黒髪の男は鉄のベンチに腰掛けていた。
「ちくしょう。強い王を作れると思ったのにな、結局量産型ができちまった」
『あなた様の思惑が外れて、ホッとしましたよ』
男が誰に対してでもなく独り言を漏らしていると、頭の中に住み着いている女からそんな声が聞こえてきた。
「まあいいか。にしても、あついな……ここどこだよ?」
『次の仕事です』
男の表情がたちまち曇ってしまう。
話が違うとばかりに、口を開けた。
「ちょ、ちょっと待て。何の冗談だ? 今回の仕事を終えたら、休暇を貰う約束だろ?」
持っていた缶コーヒーを地面に叩きつけて、怒りを顕にする。
『ええ、要望取りに仕事を完遂できたら、という約束ですけど。□□様は、相当お怒りになっています』
女は□□という上司の名前を出して、男に脅しを掛ける。
「何を言い出すかと思えば。俺はしっかりこなしただろ? 民を苦しめる邪悪な王を奈落の底に落として、新たな英雄が王として誕生した。国は平和になり、人々は笑い合っている。お前の報告書によると、そうなってるんだろ?」
男は、捲し立てるように自分の功績を語って反論してみる。
『はい、その通りです。しかしそれは、一〇年の月日を経てそうなった結果に過ぎません。あなた様が与えた多大なる被害が消えるわけではありません。そもそも、私はシステムへの影響度を五%以内に抑えるように念押ししましたよね?』
「いやいやいや、俺が何したって言うんだよ?」
『まず、あなた様は前国王イルトムソン・シュレーゲルの殺害に失敗しました』
「おい、お前、あれは、その、殺せなかったんだよ。どうやって、殺すんだよあいつ?」
『いいえ。あなた様が本当に除去する気であれば、結果は決定的に変わっていましたよ。明らかに意図的なミスです』
「そんな……横暴な」
男は女の言い分に唖然として、空いた口が塞がらない。
『何故です?』
女は濁すことなく、真意を問うた。
男は女の圧力に、ようやく観念したように口を開いた。
「一方的な展開は、虫唾が走る程嫌いだ……くだらん」
乾いた口調で語られた男の言い分に、女は溜息を付くしかない。
身勝手以外の何者でもない。
『はぁ……あなた様のミスはそれだけではありません。国全体の建造物の損壊率が三八%、死者一五万三七〇〇人。全てあなた様の行動によって、もたらされた結果です。あの国自体へ八十九%、システム全体への影響度が九%ですよ。これのどこが五%ですか!? 正直、考えられません』
「あーまあ、そのくらいなら、誤差だろ?」
『あえて口出しはしませんでしたが、仕事の意義をお忘れですか? 経年劣化でシステムに湧いてしまったバグを取り除く……でしたよね?』
厳しい口調で責め立てられる。
とはいえ、男には理解できたものではない。
「俺がそんなに仕事ができる奴に見えるか?」
『いいえ。それから、過度な介入は控えるよう念を押されていましたよね?』
そう言われてしまっては、遇の音も出ない。
「成り行きで仕方なかったんだ。それに裏で暗躍なんて、俺ができるわけないって分かってるだろ?」
開き直って、悪びれる様子もない。
『はぁ……。最も、□□様がお怒りになられていた点はそこではありません。何かお分かりになられますか?』
女は、自らの憤怒も乗せて問いかけた。
「さあ? 邪悪な王を殺せなかったこと? 奈落に落ちていったしな、躊躇いなく」
あの瞬間を思い出して、男はくつくつと笑った。
『いいえ。あなた様がお二人も幼子を作ってしまったことですよ!』
女は珍しく声を強めて、言い放った。
「頭の中で叫ぶな……俺も初耳だったんだよ。ほんとは一人だけにする予定だったんだが……誤算だった」
『何をなさったか、本当にお分かりですか? あなた様の血を引く者が二人も誕生したのですよ? これによって、後々へのシステムの影響度は三〇%を超える予定です。考えられない数字ですよ!』
「同じことを何度も言うなよ。できたものは仕方ないだろ。それに、二人もいれば何かしら世界を変えてくれるかもしれないだろ? 楽しみじゃないか」
男はいつものように『楽しみ』だと口にして、特に気にした様子もない。
女は、ため息しか出てこない。
しかし――、
『まあでも、彼女はあなた様との間に子ができたことで、心が壊れずに済んだわけです。それだけは良い方に転じましたね』
唯一の拠り所だった男との間にできた『愛の結晶』は、彼女をあらゆる絶望から救ったのだ。
「けっ、あれも誤算だったぜ。まさか、自分からあいつの心を繋ぎ留める要因を作っていたとはな」
男はつまらなさそうに吐き捨てた。
『ともかく……以上が、あなた様が残業かさ増しとなった理由になります』
「なるほど、十二分に理解できた。今回ばかりは、文句は控えよう。それで、仕事内容は?」
掌を返すように、女の言い分に納得してしまう男。もちろん、もはや反論したところで敗訴することが確定しているからだ。
『はい。先に言っておきますが、今回の仕事は最短で完遂してもらいます。寄り道も、無駄なテロ、殺害もなしです』
「はいはい」
『では、始めます。ここは世界戦B-1。A-1、つまりオリジナルに最も近い世界戦です。日付は一九六三年一〇月二二日。仕事内容は、対象KFJの暗殺阻止、並びに首謀者の特定、捕縛。対象KFJは、言わなくても分かりますよね?』
男は今日も、面倒な事件に巻き込まれに行く。
「何で毎回、そういう仕事を持ってくるかね」
『全ての情報を持っています。つまり指示通りに行動すれば、すぐに終わります』
「そんな簡単に言うけどねー……まあいいや。ここでの、名前くらいは自分で考えさせてくれ」
『ここはアメリカです。本名のままでよろしいのでは?』
「ああ、嫌だな。笑われそうだ――」
――□□□なんて。
男は、ようやく重い腰を上げた。
今日も今日とて、□として。
(終)