Episode5
Episode5 盛況
1
空から見たらどんな光景だろうか。
まるでジャングルの山火事のように街中は赤く染まり、黒煙に包まれている様は、傍から見れば圧巻である。
綺麗な人間の屋敷はどれもこれも倒壊し、砂煙と共に崩れていく。
これぞ、崩壊だ。
――カオスだ!
それでも、そこら中で響き渡る悲鳴と耳障りな銃声が、あまりにも喧騒としすぎていて鬱陶しい。
加えて、地面に目を向ければ――数メートルおきに死体が転がっている。見慣れた物だとしても、腹から大腸やら腎臓やらの臓器がはみ出ている様は、流石に少しだけ吐き気を催す。
それが彼の率直な感想だった。
「う、気分が最悪だ。体ん中が燃えてる」
脳内には、全身を焼かれたひたすらに乾く感覚が残っていた。じわじわと火炙りにされるのとはまた別の、一気に体の奥底から燃え上がってくる表しようのない刹那の苦痛。誰も記憶に残るはずのない、死の実体験だ。
『まだ、気分が優れないのですか?』
「ああ、全身が焼けてる。まるで、まるで、そうだな、サウナに二四時間入ってた気分だ」
『例えがよく分かりませんね。いい加減慣れてください。もう、何度目になると思っているんですか』
「おいおい、慣れるわけないだろ。それに、死の感覚に慣れちまうと、そいつはもう、本当の意味でイカれた、あー、壊れたアンドロイドになっちまうぞ」
『……それも、いいかもしれませんね。ともかく、これで一度死にましたから、ストックは後二つです』
「ふむ」
まだ、二つもある。
――使い方としては悪くなかったな。
ティスとテルがそんな、たわいもない『日常会話』をしながら火の手の中を歩いていると、とあるイベントが起こった。
幼い叫び声が後方から聞こえた。
見ると、齢一〇才程度の黒いワンピースの少女が死体を切り抜けて走り込んでくるではないか。特徴なんてなく、とにもかくにも逃げ回るだけの小動物。涙を一杯に貯めて、この出口のない地獄の迷路を駆け抜けている。
それを追いかける大の男、こちらは凄く悪い顔をした禿げたヴァンパイアだ。
「おーおーやってるなー」
それを横目に見ていたテルは、淡々と言葉を口にした。
間もなく、テルは護身用に懐にしまっていた拳銃を持ち出して、禿げたヴァンパイアの眉間を撃ち抜いた。
「あ、う……」
顔面から盛大に地面に倒れ込み、髪一つない綺麗な頭から血が流れ落ち、事切れた。血だまりだけが広がっていく。
少女は立ち止まって、泣きはらした瞼のままにテルへと寄ってきた。
「あ、あ、ありがとう……おじさん。おじさんは、良い人? 人間でしょ? ……そ、それとも奴隷?」
「いやいや、違うよ、俺はどちらでもない。それにしても、災難にあったな。ほら、手を出しな。ここから先はこいつをやるよ」
テルはおもむろに、少女が差し出した両の手へと持っていた拳銃を置いた。
少女は驚いた様子で、テルを凝視した。
「おじさんは警察じゃないの? おじさんが助けてくれるんじゃないの?」
テルは苦い顔をして首を横に振る。
「まさか、おじさんは良い人じゃないからな」
「ど、どうして……たすけ……わたし、もう……」
何もかもを失った表情をしている――泣きはらした無垢な瞳で訴えかける少女の額を、テルは叩いた。
思い出してみると、かつてのエステロスも似たような顔をしていただろう。
「早く行きな。俺も忙しい。そんなに駄々を捏ねられると本位じゃないが殺すしかなくなる。こんなしみったれた世界の中でも、死ぬのは嫌だろう? それとも、死にたいのか? まあ、ならなおさら、殺せないがな」
その凶悪な笑みに当てられて、少女は一つの言葉も出ず、傷だらけの体を引きずって、一目散にどこかへ走り去っていった。きっと、目的もなく、この動乱の世界を逃げ続けるのだろう。
テルはそれを見送って、一息ついた。
『可哀想に。ここで殺してあげた方が彼女のためですよ』
「どうしてそう思う?」
『まだ物心も付いていない少女です。きっともう、両親も死んでいるはず。このまま逃げても、どこかのロリコンにレイプされて殺されるのが関の山でしょう』
「それは分からんぞう。確かに一〇〇〇人いたら九九九人は死ぬかもしれないな。でも、もしだ、もしそれでたった一人の生き残りになれたら、どうだ、ほら、強い女になるだろ。その可能性は残さないとなー。楽しみだ」
『戯言ですよ』
心底、期待していないようにティスは呟いた。
テルはそれに対して、失笑で返した。
「さてと、どうするかな」
『彼女は思い通りに動いてくれましたね』
ティスは、ようやく本題に入れて、トーンを一つ上げた。
「俺の思い通り? 違うね。あいつは遅かれ早かれ、いずれこうなっていたさ。俺はそれをほんの少し早めただけだ」
『ふふ、ご冗談を。それにしても、彼女の呼び声にほとんどすべてのヴァンパイアは応え、まるで催眠術にでも掛かったみたいに、王城へ向かっています。落ちるのも時間の問題です。凄い力ですね』
テルも、王城がある北側へと目を向けた。
そこには無数の死体と希望と絶望、それから……ともかく全てが集結している。まさに混沌とした戦場だ。
「当たり前だ。あいつには知識においても力においても今の王に優るものはない。だがな、ただ一つだけ、誰よりも強く授けられた才がある。民達を導き、崇められる才――それが、『信仰』なんだから……このくらいは、処理の範疇だな」
『あなた様はどうするんですか?』
「決まってる、王城に向かうさ。俺も人形の一つとして踊らないとな。それに……あいつが待ってる」
にこやかなスマイルで、無邪気に興奮を表す。
『しかし、どうやって中に入るおつもりですか?』
「決まってるだろ」
テルはそこら中に転がっている政府軍の兵士の死体に目をやった。選り取りみどり、中には血に塗れていない綺麗な死体もあった。
仮装するのは、簡単だろう。
「それに――」
テルは喉の中へと右手を突っ込んで、自らの吐き気を誘う。
「うげ、あが……あ」
終に吐いてしまうと、口から出てきたのは涎に塗れた液体が入った瓶である。
「一つ、あの倉庫からかっさらといた、コイツもあるしな。楽しみだ」
それが、何なのか、二人にはよく分かっていた。
ヴァンパイア殺しの、妙薬である。
2
眼前にそびえ立つ巨大な王城――傷一つない鉄の要塞。
その前に立ち並ぶのは、一〇万を超える政府軍の兵士達。誰も彼もが重厚な防護服を身に付け、最新鋭のアサルトライフルを装備し、ご丁寧に鉄のバリケードで固めて、ヴァンパイア達の進行に備えている。
対して、その正面二〇〇メートル先に立ち並ぶのはヴァンパイアの大連合――二〇万。どれもこれも、元奴隷がほとんどであるせいか、みすぼらしい格好の痩せ細った者ばかりだ。持っている武器も、くわ、それから斧に、包丁――まるで、ちぐはぐだ。ピストルを持っている者すら、少ない。
その先頭に立つのはレジスタンスの総司令官、ティンバートン・エステロスだ。
歴史上、最も大きな内部戦争。
まるで想像していなかった。
この圧倒的に壮観な戦地の中心に、こうして立たされているのだ。
どうしてこうなった?
今一度、思い返してみる。
人間達に両親と、住む場所を奪われた。どうにか奮起して、レジスタンスを立ち上げてみるが、何をやっても、上手くいかない。細々と、抵抗していているだけであった。そんな中、『奴』が現れた。『奴』は、エステロスの全てを変えた。意図も容易く懐に入られ、心と体を支配された。だが、どうにも嫌な気分はしなかった。失いたくないと、切に願った。だが、結局、『奴』もエステロスの手の中から滑り落ちて、消えていった。いつの間にか、組織も崩壊していた。
両の手から宝がこぼれ落ちるのは、一瞬だった……そして、今に至る。
一体、『奴』は何者だったのだろう?
今まで気にしてすらいなかったが、どこまでも素性の分からない男だった。話していた全てが本当ではないのだろうが、魅入られるままに信じ込まされた。もしかすると、新手の詐欺師の可能性もある。あるいは、政府軍のスパイかもしれない。
だが、どうだっていい。
たとえ敵であったとしても、エステロスは会いたかった。ただ、話をしたかった。ただ、隣に寝て、顔を見ていたかった。
それだけだ。
幸せを望んでいたわけでもない。
きっと、何があろうと、何もかも許してしまうだろう。
きっと、狂っている。
きっと、依存している。
きっと、全てなのだろう。
それでいい、それでもいいから――。
「ふう……」
ふとエステロスは考えた――そういえば、マラカスはどこに行ったのだろうか?
他の幹部達は残らず死んだと聞かされたが、マラカスはどこに消えたのか。まさか同じように死んだ……いや、それはありえない。
エステロスは知っている。
あの副司令官殿の『強さ』は別格だ。傷の修復速度も、精密射撃も、鉄の扉を捻じ曲げる膂力も、まるで違う次元に存在する怪物のようだ。あの男が死ぬ姿だけは、どうにも想像できなかった。
ならどこに消えた?
そういえば、拠点の位置はどうして漏れてしまったのか?
それも、全ての拠点の位置が一挙に漏洩したのだ。内通者がいる他には、理由など考えられない。
消えたマラカスに、特定された全拠点――よく考えなくとも、マラカスが内通者であるとすれば辻褄が合うではないか。
元々、マラカスはエステロスの様々な案に反対してきた。どうにも消極的な彼の態度、ユダの確率としては高そうだ。
まさか、一番の側近に裏切られていたかもしれないなんて……。
そう、信じてしまう方が楽だ。
(そうしよう!)
エステロスはニヒルに笑った。
「まあ、どうでもいい……」
さて――。
ようやく、妄想に耽るのも止めて、現実に向き合ってみる。
辺りを見回してみると、今か今かと、後ろに聳えるヴァンパイアの軍勢がエステロスを凝視していた。
この者達はエステロスの号令を待っている。
殺気で溢れている。
たった一言で、戦争が始まる。
なんという単純明快なスイッチなのだろう。
エステロスは、右手をさっと上に挙げた。
「さあ、死力を尽くせ!!」
一斉に、全ての者達が走り始めた。
止まることなく、命潰えるまで舞台上で動き続ける無感情な人形だ――エステロスとて、例外ではない。
なら、考えてはいけない。
いや、強いて言うならば持ちうる感情は一つだけだ。
――憂さ晴らしに――
「殺し放題だ!」
ふと、見ると――。
ただ、彼女の表情は戦々恐々と笑っていた。
3
銃声と銃声と銃声と破裂音とそれから黒煙と……絶命の音頭。
窓の外から見下ろすと、まさに『混沌』が写りこんでくる。人間の兵士とヴァンパイアの奴隷達――それらの大群がひしめき合って、刺し合い、割り合い、撃ち合い、殴り合って――実に原始的な殺し合いをしている。
そんな無残な光景が、二〇〇メートル程先まで続いている。
ここは王城――その最上階の一室。
そこには、全ての自治区を管理する貴族が集まっていた。
逃げも隠れもせず、全員が事の成り行きを見守っていた。どうなろうと、もはや覚悟は出来ている。
万が一、この戦争に政府側が敗れることとなれば――奴隷となるのは人間達の方だ。まさに、立場が逆転するだろう。
「予想以上に多いのう」
部屋の中を落ち着きなく歩き回りながら、ティルムは舌打ちをした。
「叩いたはずの反乱軍……どうしてここまで大きくなってしまったのか……」
椅子に鎮座し物音一つ立てていなかったアンダーソンが、ぼそぼそと独り言のように吐き捨てた。
「奴隷達のほとんどは職務を放棄して、レジスタンスに参加しているからだよ。そうでなくとも悪質な犯罪者になったりと……はぁ、もう滅茶苦茶だ」
タールスはそこまで話して、テーブルを叩いた。
「まさか小娘一人の言葉に、ここまでの影響力があるとは……驚きですね」
マリーは指を噛んでいる。
「くそっ……こんなときに王は何をしていらっしゃるのだ!」
フェグは怒りを表して椅子を蹴り飛ばした。
「今さら、名も顔も知らぬ王について何かを言っても仕方ないじゃろ。とりあえず、遠方に出払っている軍勢を呼び戻しているが、半日はかかるのう。それまで持ち堪えてくれるか……」
ティルムは悩ましげに髭を摩っている。
「信じるしかありませんわ、兵士達を」
シルクは静かに言い切った。
数秒間、沈黙が流れた。
と、そこへ荒々しく戸を叩く音が室内へと響いてきた。
「誰だい?」
「失礼します!」
タールスの呼び声に応じて、深く帽子を被った一人の兵士が姿を現した。王室警護の全身赤と白の正装を着衣しており、両手にはとても重そうな大きな白い箱を抱えている。
誰かが異を唱えるよりも前に、兵士は口を開いた。
「お荷物が届いております。諜報員の兵士から貰い受けました。とても重要なものだと伺っております」
「大きな荷物ですね。差出人は誰と申していました?」
マリーは警戒心を顕にしながら、兵士に尋ねた。
「はい! 確か、ゼットエスと……申しておりました」
「ん……」
その名に、全員の顔が硬直した。
それから、藁にもすがる感情が湧いてくる。
「そこのテーブルに置いて、下がりなさい」
「はい!」
マリーの言葉に即座に応じ、兵士はテーブルに例の箱をゆっくりと下ろすと、会釈を二度して、部屋を後にしようとドアノブへと手を掛けた。
しかし、そのままでは終わらなかった。
残された白い箱を凝視していたティルムが手を挙げたのだ。
「待て。お主、名前はなんと言う?」
「は、はい! ライアー二等兵であります!」
兵士は体を一八〇度回転させるときっちりと両足を合わせ、敬礼をした。
ティルムは訝しげにライアーを眺めて、やがて口を開いた。
「よし、ライアー君。君がこの箱を開けるのじゃ」
「は、はい! 了解しました!」
ティルムは警戒心の強い男だ。突然、持ってこられた得体の知れない箱の中身を簡単に確認しようとはしない。毒の可能性も、爆弾が入っているパターンもありうるのだ。そこに下端の兵士がいるのであれば、自ら見入る必要などない。
「人が悪いですわ。嫌ならそのまま下がってもよろしくてよ?」
シルクは、まるで毒見をさせているようで、不快な気分でしかしない。
そういった上と下の優劣が、何より嫌いなのだ。
本当のことを言えば、差別的なこの国のあり方にも反対だ。だが、平等なんて言葉は、紛い物でしかないとも知っている。
「い、いえ、大丈夫です」
促されるままに、ライアーはテーブルの前に立った。
テーブルの上に置かれている白い箱に手を掛けると、テープを剥がしていつでも取り出せる状態にする。
それから、恐る恐る、ゆっくりと箱を開けた。
そこには――、
「白い大きな紙が入っているようです……中を見ますか?」
そこまでで、ある程度の安全は確認できた。
具体的な中身を下の者にまで見せるわけにもいかない。
「いや、もう十分だ。下がっていいぞ。済まんかったのう」
「い、いえ……。では、失礼します」
ライアーは、最後に会釈すると部屋を出て行った。
「さてと……」
ティルムが腰を上げると、それに続くように他の貴族も立ち上がって箱の前に集まった。
シルクだけは座ったままぼーっと窓の外を眺めていた。
興味がないのだ。報告書一つで戦況が変わるはずもない。
そもそも、得体の知れない『zs』に踊らされるがままにレジスタンスの拠点を攻め立てて、結果的にヴァンパイアの反乱の意志を焚きつける結果に……なったのだ……。
(え…………)
ふと、違和感に気づいた。
確かに『zs』は一つも嘘など付いていない。レジスタンスの拠点の位置、兵士の数、司令官の名前、全て情報を提供してきた。そこに一つの嘘もなかった。おまけにスーサ国立武器庫が襲撃されることも、何もかも知っていた。
よくもここまで情報を集められたものだ。
だが、結局……失敗した。
スーサ国立武器庫の第三倉庫は破壊され、今、王城はヴァンパイアの軍勢に攻められている。
そこでシルクは明確に、『zs』へ不信感を得た。
嘘を一つも付いてない。
なら、騙そうとはしてない。
だから、安易に味方の諜報員だと断定して良いのだろうか?
結果だけを見れば、全て失敗だ。
もしも、計画的に失敗させられていたと考えれば……味方だと信じ込むのはあまりにも危険過ぎるのではないだろうか?
シルクは勢いよく顔を上げた。
今にも、ティルムは白い箱の中の一番上に置かれた紙に手を掛けようとしていた――下に何が眠っているのかなど、まったく考えようとせずに。
「お待ちになって!」
シルクは咄嗟に叫んだ。
「ん? なんじゃ?」
しかし、ティルムは既に紙を持ち上げていた。
刹那――何かの糸が切れる音が、三度室内に木霊した。
時間差などなかった――耳鳴り、視界の歪み、迫り来る炎、意識の消失、思考する合間など許されない。
「あ――――――」
どれくらいが経過したのだろうか。一〇秒、二〇秒、それとも一分?
ともかく、シルクは目を覚ました。全身が鈍い傷みに苛まれている。激しい頭痛にも襲われているが、幸いにも五体満足で視界ははっきりしている。
前方に倒れている人間が複数――貴族達だろうか。それから倒壊したテーブルと、溢れんばかりの血みどろ。
シルクは息を整えて、ゆっくりと立ち上がった。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……嵌め、られましたわね」
凄惨、散々、全滅――シルクを除く七人の貴族達は各々がばらばらに床に飛び散って、息絶えていた。中には、首が消し飛んでいる者もいる。
胃の奥底からせり上がってくる吐き気に抗うべく、シルクは咄嗟に口に手を当てた。別に、見慣れていない光景でもない。この職業をしていると、処刑台で何度か目にする機会はあった。
とはいえ、それは全てヴァンパイアの死体であったわけなのだが。
もはや、考えるまでもない。
届けられた箱が爆破した。
浅はかだった――それだけだ。
扉が開く音と共に、快活に靴音を鳴らしながら何者かが部屋へと足を踏み入れた。
「ふむふむ」
赤と白の王城における兵士の正装。それから、ぼさぼさの黒髪に特徴のない顔、一分前に聞いた声色――間違いなく、先程の兵士だ。
「おー、うーん、ごほっ、ごほっ……いやー、派手に吹っ飛んでるなー、どいつもこいつも……ん? あれ? ひーふーみーよー、それから、えーっとろくでななであれ? 一人足りないな」
『あちらに』
「ん?」
ティスに促されて、テロリスト、いや、テルは部屋の片隅に佇む女を見た。
黄金に輝く髪と瞳、おまけにまつ毛まで統一されて光を放っていた。みすぼらしい黒マントの格好が、余計に首より上の神々しさを際立たせている。
眩しすぎてテルも目を細めた――こんなにも場違いな女が、政府の上層部にいたのかと。
鋭い敵意と眼光を敵に向けるシルクは、数秒経ってようやく口を開いた。
「最初から、疑いを持つべきでしわね」
「疑い? 何の? もしかして、嵌められたと思ってるのか?」
テルは、警戒することもなくシルクへと近づいていく。
「上手くいって気分がよろしいでしょうね」
「違う違う! 嵌めたじゃない。俺は、そんなつもりはまったくない。俺はただ、提案しただけだ。今ならチャンスだと、一網打尽にできる、とな。それに、涎を垂らしたブルドッグみたいに飛び付いたのはお前たちだ。そして、この有り様もお前たち自身が招いた結果だ。他人に原因を求めるな」
「でも、結果的にあなたの思い通りに事は進んでいるのでしょう?」
シルクはゆっくり背中へと手を回した。
「いやいやいや、勘違いするな。表の裏も、裏の裏もない。俺は自分の掌で動かすような展開は嫌いだ。そんなの、面白くないだろ? だから、目的なんてないな。未来てのは、どうなるか分からないから楽しみなんだ。だから俺はただ……こうなった結果を満喫してるだけだ」
テルは満面の笑みを浮かべて、シルクの前に立った。
「目的がない? それでは、ただの頭のおかしいテロリストですわね!」
その瞬間、言葉と共にシルクは後ろポケットから取り出したナイフを振り下げた。
だが、力も速さもない女が扱う凶器は、テルの頭へと突き刺さるよりも前に左手で受け止められてしまう。
「まあ、選択としては妥当なんで理解できるんだが……面白くないだろ、それ。もう少し、妙案はないのか?」
「黙りなさい」
受け止められた右手に強引に力を入れて、拘束からどうにか逃れたシルクは、力の限りナイフを振り回す。
無駄のない動きであることは確かなのだが、所詮は人間の、それも女が振るう非力な斬撃だ。空を斬り続ける。
そんな女の右腕を、もう一度受け止める。今度はより強く、解けないように。
「良い根性してるな……そういや、お前みたいな女が、一人、知り合いにいたな」
その代わりテルは、より鋭い憎悪を込めて睨まれてしまう。
か弱い小動物の、せめてもの抵抗である。
もちろん退くわけもなく、顔を近づける。
「お前みたいに金ピカの髪にまつ毛に瞳に、それから、えーっと、あからさまな神々しさを身に付けて――おまけに同じように肝の据わった奴なんだが、それでも決定的にお前とあいつとでは違う点が一つある。それは――」
圧倒的な状況に油断してガラ空きになった首元に向けて、シルクは隠し持っていた起死回生の一裂きを左手から繰り出した。
――が、
「なっ!?」
――当然、届かなかった。
残った右手で抑えられ、これで彼女の両腕は使えなくなってしまった。
「あいつは、自分の意志を押し通せるだけの強大な力を持ち合わせていた。お前には、それがない」
思い出すようにテルは頷きながら、シルクを見下ろした。
「黙りなさい! 直に、下階にいた兵士が到着します。わたくしを殺すことはできるでしょうが、あなたにもここで心中してもらいますわ」
「それは困るな。お前との時間を誰にも邪魔されたくない。だから、秘策を用意した。聞いてくれ。スリー、ツー、ワン――」
号令と共に、耳に入ってきたのは複数の破裂音――それから、建物の一部が崩れ落ちる激しい地響き。
建物内部で起こった爆発……どこの部位が破壊されたのか、シルクはすぐに理解させられた。
退路を塞ぐなら――、
「まさか、階段を爆破して……」
「そうそう。これで、三〇分は時間を稼げる」
血の気が引いていく。
唇が震えている。
これまでだ。
「早く、殺しなさい」
怯えながら、それでも確かに言い切った。
手に持っていたナイフも地面へと落下させる。
国の統治者として、命乞いなどしない――テロリストに、屈することなどない。
そんな気高い女を見つめて、テルは首を縦に振った。
「その目は嫌いじゃない。そこで提案なんだが、いや、一方的だから、少し違うか。まあ、ともかく、お前に力を授けよう。きっと役に立つぞ」
それだけ言うと、シルクは為すすべもなく押し倒された。
4
たった、一〇分間の出来事だ。
シルクは目尻に涙を溜め、座り込んでいた。
服は着ておらず、せめて胸部だけでも両腕で覆って隠している。
眼前の男に噛み付けるだけの殺意ももはやなく、ただ、全てを失った虚ろな眼で床を見つめるしかない。
そんなはしたない女を前にして、テルは満足気に頷いている。
「ところで、王はどこにいるんだ? 探してるんだが」
「誰が……」
「まあ、それはそうか。お前に聞いたところで答が返ってくるはずも――」
と、テルが言い終わるよりも前に、答は眼前へと示された。
天井は長方形の白いタイルで区切られていた。
その一枚が擦れる音と共にゆっくりと切り出され、中から上へと続く長い石の階段が降りてくる。誰も知らなかった王の元へと続くであろう開かずの扉は、当の本人によって容易く用意された。
あからさまな隠し通路に、テルは腹を抱えて、唖然としているシルクを見た。
「ははは。どうやら、王自ら俺に会いたがっているようだな」
もちろん、王がどこにいるのか、八人の貴族さえ知らなかったのだ。まさか、こんな形でその道が開かれるとは考えもしなかった。
それだけに、不信感は募るばかりだ。
「王よ、どうして……」
「こんなの、よく作ったな」
どうして、このタイミングなのだ。
殺されると分かっているはずなのに。
「王を殺して、ヴァンパイアの英雄にでもなるおつもり? そうすれば、喝采を受けて、あなたの身分は約束されますものね」
問いかけられたテロリストは、眉を潜めた。
「英雄? 俺が? 笑わせるな、やめてくれ。英雄なんて、探せばいくらでもいる。そんな、ありきたりな存在なんて、なりたくないね。俺はもっと、こう、『唯一』になりたいんだよ。誰でもない、ただ一人にな」
「何を言って……」
「それに……王は殺せない、何をどう仕向けても。お前には分からないことだろうが」
それだけ言って、テルは石畳の一段目へと足を掛けたところで動きを止めた。
思い出したかのように後ろを振り向いた。
「そういえば、そこには居ない方がいいぞ。そのうち、ヴァンパイア、いや、違うな。とある女がここに来て、お前を殺そうとするだろうからな」
シルクは失笑した。
殺されてくれるな、とでも言いたいのだろうか。
これだけ多くの同士を殺した頭のおかしいテロリストが。
情でも沸いたと?
「それがどうしたのでしょう? もはや、わたくしが生きる意味などございませんわ」
「いや、そういうことじゃない。お前は、死なないんだよ。たとえ、そうだな、首を吊ろうとしても、ピストルで頭を撃ち抜こうとしてもな」
まるで、おかしな文言にシルクは嘲笑する。
「何を馬鹿なことを仰っているんですか? 不死身になったとでも?」
少し考える素振りを見せてから、テルは強く頷いた。
「そういうわけではないが、その通りだな。ともかくやって来た女と口論になる。その面倒な展開を回避したければ、隠れといた方がいい。俺のありがたい助言だ」
「まったく意味が分かりませんわ」
「まあ、いいか」
それ以上は、何も言わなかった。
テルは階段を上り始める。
同時に、隠し通路は閉じられていく。
最後に僅かな隙間から、手を振っている姿が写り込む。
「また、二十年後くらいに会うことがあるかもな。そのときが、楽しみだ」
それが別れの言葉だった。
天井は閉じられ、元の壁に痕跡一つなく戻っている。
二十年後?
――笑わせるな。
――もはや、生きる気もない。
残されたシルクは、膝下に落ちていたナイフをおもむろに拾い上げる。
首元に鋒を立てる。
目を瞑り、一気に己の喉元を切り裂こうと力を込めたが、鋭い刃が皮膚に触れることはなかった。
シルクは持ち手を見て、顔をしかめた。
根元から刃だけが千切れており、持ち手だけが残っていた。切り離れた刃は、フローリングの床に落ちている。
手入れを怠ったわけではないのに、どうして?
「まあ、いいですわ」
疑問よりも前にもう一度試みようと手を伸ばすが、持ち手を失った細く薄い刃は手入れされフローリングに張り付いて持ち上げることができない。
苛立ちを隠せず、シルクは床を叩く。
「くそっ!」
すると、立ち上がり、辺りを見回した。
貴族達の死体の一つの胸元にある、光を反射した銀のピストルが目に留まった。
これなら、一発で終わる。
間違いなんて起こらない。
すぐさま駆け寄り手に取ると、銃口を頭に向け、引き金を強く押し込んだ。
しかし――、
ガシャ――と鈍い音が鳴るだけで、命を一瞬で刈り取る鉛玉は出てこない。
シルクは使い物にならないピストルの有り様を見て、絶句した。
「弾詰まり……」
歯を噛み締め、壊れたピストルを壁へと投げつけた。
――死ねない。
ようやく、ありえない事象について考え始める。
テーブルの角に目をやる。
ここに額をぶつければ……。
無理だ。
頭では理解していても、体は拒絶する。精々、意識を失う程度の軽傷で済んでしまうだろう。死ぬことなど、到底、不可能だ。
ただ、意志に関係なく、より簡単な方法なら知っている。
床に転がる壊れたピストルをもう一度拾い上げると、眼前の窓ガラス目掛けて勢いよく投げつけた。
それだけで、ガラスは粉々に砕け散り、人が通れる程の空洞が出来上がる。
ここは五階、加えて窓の外は崖になっている。下の見えない奈落の底だ、どれだけの高さがあるのかも分からない。
飛び降りれば、人間の肉体は到底耐えられないだろう。へしゃげた肉塊になるだけだ。
それで、終わりだ。
一歩前に出て、外を眺めた。
ほんの少しだけ気になるのは――誰にも知られず、ただ孤独に死ぬことくらいだ。
「ふう……」
――箱庭だけの人生だった。
――やめよう。
感傷に浸っている時間もいらない。
大きく息を吸い込み、一歩前に出ようとした――それでも『生』は、シルクの体にまとわりついて離さなかった。
何者かに、肩を強く掴まれた。
死神に笑われて、『死』への願いは果たせなかった。
5
陰鬱、空虚、簡素、どの表現も的を射ている。
階段を上りきった先――そこは何もない、石の敷き詰められた三〇畳程の部屋だった。
冷え切っている。
特徴と言えば、入口の横の壁に二本の古びた剣が飾られていることくらいだ。
一つのパターンとして、既に神話となっていた王が、誰も知らない王が、存在していない可能性もあった。
だが、そういうわけではなかった。
奥には肘を付き、テルを見下すように傍観する者がいる。とは言っても、どんな表情をしているかは全く分からない。
顔は黒の仮面で覆われており、体は灰のマントに包まれている。
「わざわざ王自ら招いてくれるなんて、ありがたい話だな」
辺りを見回しながら、いかにも無感動に息を吐いた。
「……」
「ところで、どうして仮面なんて被ってるんだ? ここにはお前と俺しかいないぞ。隠す必要なんてないだろ?」
「……」
王、なのか誰なのか。
ともかく一言も発しない。
もちろん、会話も成り立たない。
なのに、テルは全て承知しているような顔付きでニコニコしている。
「あー、そうだな。仮面を被ってる奴っていうのは、三パターンに分けられる。一つ目は、誰にも見せたくないくらい不細工な面のとき。それから二つ目は、あー、額が傷だらけで、あるいは火傷で爛れていて、とても隠さないと生きていけないような顔のとき。それから最後は……俺に素顔を見られると困るとき……だな」
テルは、気に止めずに捲し立てる。
それを遮るかのように、物言わぬ仮面の者は立ち上がった。
「待った! お前が今すぐにでも俺を殺したいのは分かってる。分かってるんだが、ここでピストルの撃ち合いなんてしてもつまらないだろ? そこでだ、ここにちょうど二つの剣がある。これで決闘するのはどうだ? チャンバラなんて、お前もガキの頃以来だろ? 久しぶりにすると、きっと楽しいぞ」
テルはすぐさま飾られていた二つの剣を取り上げると、片方をゆっくりと近づいてくる仮面の者に投げつけた。
顔に目掛けて飛んできた凶器を、仮面の者は無造作に掴み取る。
鉄製の、古い剣。どれだけ埃を被ろうとも、もう何百年も前から錆び付くこともなくそこにある。
きっと、素晴らしい鍛冶屋が作った聖剣なのだろう。
「よしよし。それじゃ、始めるか。ほら――」
間などなかった。
おもむろに懐を揺さぶった後――テルが放り投げたのは、爆破寸前に調節されたピンの抜かれた手榴弾だった。
正攻法など、用いるわけもなかった。
――避ける暇なく、轟音と爆風が吹き荒れる。
一〇秒が経過した。
黒煙が晴れる共に現れた姿に、テルは微笑した。
驚きなどない。
「いやー、久しいな。せっかくの再開なのに、お前がいつまでも口を閉ざしているから挑発してみたんだが、それなら喋る気になったろ?」
一身に爆風を受けながら、飄々と立っている者。
仮面は砕け散り、素顔が顕になる。
傷跡などない。
火傷の跡もない。
醜い顔でもない。
そもそも、ここは他には誰もいない王室だ。そこで、わざわざ隠す必要があるとすれば、テルが認知している顔でなければ説明が付かない。
驚嘆がないのは、明白、だからなのかもしれない。
一片の濁りもない紅色の瞳、真珠のごとく光沢を放つ銀髪、まるで磨かれたクリスタルのように透き通った白い顔――忘れる、いや、知らないわけもない。
マラカス――この世で最も□□□、□□、□□である者。
本名――イルトムソン・シュレーゲル。
興味などないが、理解はしていた。
「まるで、最初から知っていたような口ぶりだね」
――そうでもない、俺はな。
「いや、驚いてるよ。顔に出ないだけだ」
マラカスは、改めてテルに向き直った。
鋒を向け、過去にした同じ質問を投げかける。
「さて、この質問は二回目になる。君は何者だ?」
何者――その曖昧な疑問に、テルは首を曲げて考え込む素振りを見せる。
「何者? いやー、考えたこともないな」
「なら、質問を変えよう。君はこの国をこれだけ掻き乱して、何が目的なんだ?」
レジスタンスに突然加入した。
ティンバートン・エステロスに取り入った。
スーサ・国立武器庫を爆破した。
貴族達を駆り立て、レジスタンスの拠点を襲撃させた。
そして現在――ヴァンパイアと人間の双方が、本能のままに戦争をしている。
貴族達も皆殺しにされた。
ありえないような速度で広がっていく直視できない国の崩壊に、マラカスも眺めることしかできなかった。
対策すら、思慮している時間がなかった。
「目的と言われると、楽しむことだ。このしみったれた国を、少しは愉快にしたかったんだよ」
テルは両手を広げて空想を思い描く。
「意味が分からないな。革命でも起こしているつもりか? 自分が救世主になったとでも?」
「救世主? 俺がか? ははははははははは、馬鹿言うなよ」
あまりに想像できない姿に、今度は腹を抱えて笑い転げた。
「……分からないな」
「分からないのか? 俺が何者か? 俺は救世主なんかじゃないぞ。もちろん善人でもなく、悪人でもない。善人気取りの悪人でもないし、悪人気取りの善人でもない。ああ、偽善者でもないな。そもそも、俺は善だとか悪だとかに興味がない。その上で、俺が何者かと言うと――」
――ただのイカれた殺人鬼だ。
意味なんてない。
「……」
マラカスの表情が険しく固まった。
「確かに俺は色々したな。でもな、その全てにおいて、計画性なんてないぞ。俺はこの国を憂いているわけでもないしな。奴隷を悪いとも思ってない。ヴァンパイアも人間も、どちらも興味ない。ただ、ただな、この国で楽しく遊んでいたら……いつの間にかこうなった。強いて言うなら、それだけだ。理解できたか?」
これだけ多くの死者が出た。
人間もヴァンパイアも、もはや壊滅的だ。
国全体が、崩壊へと突き進んでいる。
それでも眼下では、醜い殺し合いが行われている。
その全てでなくとも、ほとんどを引き起こした張本人は、特に思慮もなく、ただの遊びで、子供じみた理由で、状況を楽しんでいる。
きっと、彼を今更消したところで何も変わらない。
ただ、ここで殺らなければより酷い未来が待っている。
「ああ、理解できたよ」
「それは、良かった」
マラカスは間違えた。
王として、決定的に判断を違えた。
もっと早く――。
最初の段階で――。
「君をさっさと殺しておくべきだったとね」
「その通り! ようやく気づいたか」
「もう過ちは繰り返さない」
「ははー、いいぞ、その粋だ!」
両者は改めて向かい合う。
思考する時間などまるでなく、マラカスは剣を振り上げた。
すると――。
「はあ?」
腑抜けた声が出てしまう程にマラカスは一瞬にして、間を詰めてくる。
それから振り下げられた剣撃を顔を掠めながらどうにか避けてみて――。
鉄の塊を振り回して反撃してみるが、擦る気配もなくて――。
「うはは――」
そうか――。
ともかく耐えてチャンスを伺うだとか。
どうにかカウンターで一撃を加えるだとか。
だまし討だとか。
弱点があるはずだとか。
何か自分が勝っている点を探すだとか。
全て関係なかった。
余計なのだ、試行錯誤をすることが。
今のままでは、無駄に終わる。
眼前に立っている男は、人も、ヴァンパイアも、遥かに超えた存在であると――。
――首を飛ばされる前から、既にテルは承知していた。
ごろごろと、血飛沫をまき散らしながら笑みを浮かべた頭部が転がっている。
この一撃を加えるまで、どれだけの時間と労力が掛かったのだろう。
決定的な結末を見届けると、マラカスは背を向けて歩き始めた。
一歩――。
二歩――。
三歩――。
これから、崩れ落ちた国の残骸を掻き集めて、少しずつでも修復していかなければならない。
その前に、この戦争を収めなければならない。
しかし――――。
今まで生きてきたどんな障害よりも巨大な壁だ。
甘くはなかった。
背中に突き刺さる凶悪な邪気に、マラカスは歩みを止めた。
「驚いたな。自分以外に、首を落とされて死なない奴がいるなんてね」
「そうでもないぞ。ただ、今は生きてるだけだ。五秒前までは死んでた」
飄々と、何もなかったかのように、傷一つなくその場に立っていた。
人間でもない。
ヴァンパイアでもない。
バルロイでもない。
マラカスとて、それが何者なのか定められない。
「なら、教えてくれるかな。何度、君を殺せば屍のまま朽ちてくれるのかな?」
この男に対する謎は深まるばかりだ。
――どうでもいい。
今は、ともかく決定的な殺害方法だけが重要だ。二度と起き上がらない状態だけを、作り出せればいい。
原理を解明すれば――。
「教えてやってもいい。ただ、その前に俺の質問に答えてくれるか?」
だが、テルは自ら打ち明けるつもりだ。
「……何だい?」
マラカスとて、このまま死のイタチごっこを続けるのは御免だ。
質問に一つ答えるだけで、殺し方を教えてくれるなら安いものだ。
「お前、どうして王なんてしてるんだ?」
――なるほど。
予想通りだ。
きっと、この疑問はレジスタンスの兵士なら必ず持つはずだ。
ヴァンパイアを締め付けて押さえつけている王が、どうしてヴァンパイアなのか?
それも、レジスタンスの副司令官が。
おかしな話だ。
マラカスは一度、剣を下ろした。
「いいだろう」
これは長い話だ。
それでいて、簡単な話だ。
Episode5.5 ヴァンパイア
もう、随分と昔になる。
きっと、何千年も前だ。
両親は普通の人間だった。ただ、彼は変わっていた。
同じ歳に生まれた子供、いや、大人達と比べても、違っていのだ。
強いて言えば、知力に関しては然程大差はなかっただろう。しかし、膂力、脚力、つまり身体能力に関しては常人を遥かに凌駕していた。というのも――火を見るよりも明らかに、それは人間の限界を超えていた。
それから、暫くして彼が三〇になった頃、新たな異変に気づいた。
成熟を迎えた一八から、彼はまったく歳を取っていなかったのだ。皺の一つもなく、変わらぬ顔だった。
人智を凌駕した遺伝子の進化……彼自身、その事実に驚いていたが、村の者達はそれ以上に戦慄していた。
彼はたちまち神と崇められるようになった。
やがて、村でしかなかったその場所は彼の名を聞いて集まってきた者達が住み着くことよって肥大化し、国となった。
そして彼は、王として君臨した。
彼の子孫は早々とその血を広げていった。
ところが、皆、彼のように不老とはならなかった。彼が作った子供達はあくまで人間との間にできた授かり物。遅くとも、歳を取って死んでいった。
彼はやがて、表に立たず、裏で政を動かす支配者となり国を繁栄させた。
また時が経ち、『ヴァンパイア』と呼ばれる彼の子孫は、国の三割を占める大きな存在になっていた。
もはやそれ以上変化することはない、固有の種族となった。彼らは人間よりも長く生き、寿命は一六〇年と言われた。その中には二〇〇年を生きた者もいた。
優れた血を引いた者達が、国を更なる発展へと導くかと思われた。
しかし、そう簡単な話ではなかった。
ヴァンパイアがこのまま増え続ければ、やがて人間が滅ぶことを示唆していた。
加えて、もう一つ問題が発生した。
国で起こっている犯罪の九割が、身体能力で優れているヴァンパイアによるものだったのだ。
彼は頭を悩ませた。
そして、これらの問題を解決するために、人間とヴァンパイアの交配を禁じた。さらに身分制度を作り、ヴァンパイアを最下位の奴隷へと落としめた。
最後に、いくつかヴァンパイアと人間が共存する村を焼いた。
ただ、この極端な政策は代償も大きかった。
あまりにもヴァンパイアの力が衰弱しすぎた。
彼はそこで人間に対抗するヴァンパイアの集団、つまりレジスタンスを作り、力が弱くなりすぎないよう均衡を取ることにした。
とはいえ、彼自身が指揮を取るわけにはいかない。王としての責務もある。
そのため、誰かをリーダーとして立てる必要があった。
そう悩んでいたところ――彼は自らが焼いた村をいくつか周り、焼け焦げて炭となった死体に寄り添う一人の少女を見つけた。
顔は純粋無垢な絶望に塗れ、今はまだ怒りにすら達していない。
きっと彼女は復讐に囚われ、立ち直ってくれる。
――レジスタンスのリーダーには、適任だ。