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Debug  作者: 岡本翔平
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Episode4

Episode4 茨道


 六人は錆び付いたマンホールをこじ開け、入り口へと降り立った。

 そこでまず――どこまでも続く暗闇をランタンで照らし、絶え間なく流れる下水から放たれる異臭に鼻を覆った。飲み屋の横に広がっている嘔吐物の山など問題にならないレベルの、素晴らしい香りだ。

 生活排水でどす黒く汚れた水に、積み上げられた生ゴミの山――見た目通りで想像通りの有り様に、それでも一同は顔を顰めてしまう。

 テルは惜しみなく、心の内を吐露する。

「ああっ、いかれた臭いだ」

「ここを一〇キロも進むのはきつすぎますやろ」

 ジョンがそれに応えるように、恨み節を吐いた。

 他の三名の兵士は二人のみっともない姿など目もくれることなく、厳しい顔のまま先頭集団として進んでいく。彼らは弱音がチームに取って良くないと理解しており、それを心の内だけに留めて置けるだけの精神力を、テルとジョンと違い持ち合わせているのだ。

 エステロスは、二人を睨みつけて怒号を飛ばした。

「ここしかスーサ国立武器庫への侵入経路はないんだ。つべこべ言わずに進め! それに、これがどれだけ重要な任務か分かっているのか? 緊張感を持て!」

 レジスタンスの諜報員が得た情報によって、唯一の侵入経路が判明したのだ。とはいえ、それも簡単な道のりではない。

 後ろも前も分からない、暗い下水道というわけだ。

「は、はい……すいません」

 落ち込んだように下を向いてしまうジョンとは違い、協調性の欠片もないテルは更なる文句を重ねる。

「あー分かってるって。でも、何で俺達二人が荷物持ちなんだよ。どう見ても、筋力に自信があるような体型はしてないぞ」

 従順性が一縷も感じられない、怠けた言い分だ。

それはもはや、母親に意味のない不満をぶつけるわがままな子供と同じである。エステロスはすかさずテルに詰め寄り、耳を引っ張り上げて囁く。

「貴様はガキか? 場の空気を乱すな! 黙って命令に従え」

「あ、痛い痛い……耳を引っ張られると頭がぼーっとするだろ。ああ、分かった分かった、従いますよ」

 こんな茶番を経て、一同は暗闇の中を進んでいく。

 錆び付いて赤黒く染まった壁と、所々に削れて機能していない鉄骨を見つめて、一人の兵士がふと呟いた。

「ここはもう何年も整備されていないようですね」

「確かに……となると、好都合だな。誰も侵入を予想していないだろう」

「まあ、こんなドブの中に入りたいと思う輩は誰もいないよな」

 テルはニヒルな笑みを浮かべて、減らず口を叩く。

 懲りない部下の緊張感のなさに、エステロスも眉間に皺を寄せる。

「この下水道は、スーサ国立武器庫のどこと繋がっているんやろか」

 ジョンは、ふとそんな疑問を呈した。

 エステロスは、首を振るばかりだ。

「どこに出るか、正確な位置は把握できていない。もしかすると、兵士で固められた場所かもしれないな。どちらにせよ、やるしかない」

「ほとんど博打と同じやないですか……、はぁ、出た瞬間滅多撃ちされて死ぬのは御免やなー」

 気分を害しながら、一同は何とか一〇キロ進んだ。

 しかし、出口まで二キロの地点――ジョンが持っていた疑惑に答えるように現れた光景に、テル以外の全員が絶句して、歩みを止めた。

 下水に浮かび上がっていたのは、明らかに小動物のものとは思えない溢れんばかりの骨の山だ。その殆どが欠損していて原型を留めているものは少ないが、予想するまでもなく、調べるまでもなく、どの生物の骨かは見当が付いた。

 エステロスは、その一つを拾い上げておもむろに言葉を発した。

「これは……奴隷の骨か」

「これだけの数、形からしてそうなりますね」

 兵士の一人が静かに呟いた。

 肉などもちろん残っていないが、その骨のほとんどが細く薄かった。であれば、まともに食料も与えられず栄養失調気味である奴隷の骨であることは、大体推測できる。

「……」

 これだけ多くのヴァンパイアが、誰に知られることも、悼まれることもなく、殺されて捨てられているのだ。

 エステロスは両の拳を握り締め、感情を抑え込む。

 本当にぶつけどころのない怒りだ。それは大衆に駆り立てられた偽りの心ではなく、彼女が幼少の頃からふつふつと育て上げてきた真実の正義感から来るもの。

 テルは、そんなエステロスを見つめてふと語った。

「死んだとしても誰にも気付かれないし何の問題もない、あくまで消耗品であるヴァンパイアの奴隷を実験に利用して、死んだ後は政府が保有する下水道に捨ててたわけか。はは、骨折り損のくたびれ儲けだな」

 奴隷には幾らかの種類がある。

 一生こき使われて死ねば捨てられる家事全般奴隷――一番多く、配属された世帯によっては、不自由なく暮らせている者もいるそうだ。

 公共施設の掃除や設備を任される公務奴隷――一日中、重労働をさせられ続ける言わば、奴隷の鏡である。

 それから、こういった検証やら実験やらに用いられる実験奴隷――マウスや蛙を使った生物実験をヴァンパイアの体で行っているわけだ。いつかのどこかの収容所で行われていた人体実験と変わらない。

 どこの世界でも、やっていることは同じだ。

 思わずテルはクスクスと小さな笑みを浮かべてしまう。

「そないなこと、許されるはずないやろ……」

「……」 

ジョンの悲痛な叫びに、テルは何も言わなかった。

 変わりに、骨の横に散らばっていた鉄屑を凝視してしばらく止まっていた。

『これは、クレイモアの残骸ですね。伝えなくて良いのですか?』

 どこからともなく脳内に響いてきたティスの言葉に対して、テルは苦い顔で首を横に振って反発的な対応を取る。

「まさか……それは面白くない。ここからが、楽しみなのに」

 そんなテルの呟きに、ジョンが反応する。

「どうかしたんか?」

「いや、何でもない。先へ進もうぜ……」

 さらっと元の表情に戻ったテルがジョンを促し、行進が再開される。

「ここからは何が起こるか分からん。皆、気を引き締めてくれ」

 ――エステロスは闘士を燃やしている。

 そんな彼女の姿を見て、思わず笑いを堪えるのが難しい男が一人いた。

 

 ようやくたどり着いた行き止まりは特に施錠がされているわけでもなく、六人の侵入者は難なく地上へと降り立った。

 至る所に兵士が駐在し、厳しい監視の目が行き渡っている。 

 それが彼らの予測していた地上の光景だ。

 ここからが鬼門になると踏んでいた。

 しかし、想像とは違った。

 まるで誰もいない――殺風景だ。

 一面に広がった草地の上に、いくつもの巨大なコンテナ倉庫が並んでいる。どれも形は立方体で、頑強な鉄で覆われた外装から中を見ることができない。

 防衛意識に対しては、そこまでの驚嘆はない。国家の武器を殆ど保有している倉庫を強固で貴重な鉄で固めることには納得できる。

 それよりも、この場所に一人として警備の兵士が見当たらないことに、全員が困惑しているのだ。いや、喜び半分なのだが。ジョンは、ぐるぐると首を回して状況が呑み込めていない。

 背水の陣の面持ちが打ち壊された。

「誰もおらんやんか……」

「どうなっている……」

 エステロスもこんな有り様は想定していなかったのか、訝しげに目を細めている。

地上に出た後、第三倉庫までたどり着くために計画したルートが全て台無しになってしまった。ある程度のイレギュラーは覚悟していたが、ここまで異常な状況は予想打にしていなかった。

 拍子抜け――でもない。

 ただただ、異様なのだ。

「全員、休日なんじゃないか?」

「国家最大の武器庫やぞ! そんな間抜けなことあらへんやろ!」

「ま、どっちにしてもラッキーだろ」

 もし、警備の兵士が一人としていないなら、難なく第三倉庫まで行き着くことができる。

 隠密行動ができないのではなく、する必要がなくなったのだ。

「考えている時間はない。進もう」

 時間が経過すれば、兵士達が戻って来るかもしれない。この不気味な光景に恐れをなして前に進めないなんて言っているようでは、一つの倉庫を爆破させるなど不可能に等しい。

 エステロスの命令に従って、隊列を組み一同は進み始めた。

 先行する二人はよく訓練された熟練の兵士であり、抜かりなく周囲を警戒しながら先導してくれている。

 テルはそんな二人を見つめて、溜息を付いた。

(違うんだよなー、こういう時に警戒する場所は上じゃなくて下なんだよ。誰もいないのに、周囲見渡しても仕方ないだろ)

 と、足元に目をやる。

 そこへ――、

『3――』

 ティスの声がやって来た。

 彼女は囁くようにカウントダウンを始める。

 テルは込み上げてくる戦慄に、足が竦んだ

『2――』

 それから息を吸い込んだ。

『1――』

 最後に固唾を呑んで耳を塞いだ。

 刹那――殺風景な中に生まれた轟音に、周囲のあらゆるものは包まれた。

 巻き上がるのは爆風と、砂煙と、ヴァンパイアの腕と足と、鮮血と、それからまるで女のように声高々な悲鳴が二つだ。

 白い煙が収まったとき、四人の目に飛び込んできたのは――原型を留めていない絶命した二人の兵士が、その場に転がっている姿だけだ。地面にはクレーターのような大きな穴が空いており、そこに地雷が埋め込まれていたことを容易に想像できた。

 たった三秒の沈黙が流れた。

「これは……」

 混迷の中、ようやくまともな思考が戻ったエステロスの脳内に浮かび上がった文字は、二つだけだ――撤退。

 実行員の二人が死に、計略の失敗は確定的だ。

 この後に考えていた、第三倉庫への潜入、爆破作戦は全て無に帰した。

「何やこれ……」

 ジョンが絶望の最中で、おもむろに呟いた。

 時間は待ってくれない。

けたたましいブザーが至る所で鳴り始める。たった数分で、護衛の兵士達が集まって来るだろう。そうなれば、もはや手遅れになってしまう。

「て……撤退するぞ!」

 奥歯を噛み締め、生き残った各々に向けてエステロスは叫んだ。

 エステロスに続き、ジョンと一兵は今にも走り出そうとする。

 そんな中――テルだけは真直ぐに第三倉庫を見つめて、挑戦的な笑みを浮かべて仁王立ちしていた。

「どうした!? 早くしろ!」

 エステロスが怒号を飛ばす。だが――。

「あー悪いな。俺は一人で、任務を遂行させてもらう」

 ジョンが地面に投げ捨てた分も拾い上げて、ダイナマイトが入った巨大なバッグを両肩に載せる。

 たちまち、エステロスの顔が歪んでいく。

 とてもではないが、冗談に付き合っている暇はない。

「何を言っている!? ふざけるな! 一人で出来るわけがないだろ! 命令に従え!」

「俺には考えがある。いいか、だから一人でやらせてくれ」

「そんな身勝手が許されるか!」

 テルは鬼気迫るエステロスに思わず溜息を付き、ジョンの方に小さく目配せした。

 寮友のかつてなく真剣な表情から全てを悟ったジョンは、苦い顔で頷いた――仲間の決意に口出しはしたくない。例えそこで確実に命を落とすことになろうとも、男ならその思いを汲み取るべきだと――そういう綺麗事だ。

 ジョンは咄嗟に、エステロスの左腕を強く掴んだ。

「ほっておきましょ! こんな自己中野郎のせいで死ぬのはごめんですわ。さっさと、置いて行きましょ!」

「待て、駄目だ、そんなの……」

「ここで言い争ってたら、全員死ぬことになるやろ!」

 ジョンはエステロスの腕を持ち、無理やり連れて行こうとする。

「ダメだダメだダメだ……貴様が消えればまたわたしは…………そんなの、ダメに決まってるだろ!!」

 完全にパニックを起こして叫び散らすエステロスの頬を、テルは両手で叩いた。

「よく聞け! 俺はお前に掛けてんだ。だから、俺はお前が進む道に障害物があるなら、それをどんな手を使ってでもどけてやる。今日の障害物はでかいな……もしかしたら、俺は死ぬかも知れない。でも、必ず任務を遂行する。約束しよう。だから、お前は必ずこの国を変えてくれ。これも、約束だ!」

 エステロスは言葉も出ず、静かに涙を流した。抵抗する気力も失せ、ジョンに連れられるがままにテルと離れていく。

 最後に――、

「待ってくれ……わたしの中には貴様の……」

 掠れた言葉はテルに届かない。

 代わりに、ジョンが大きな声で吐き捨てた。

「このアホが!」

「感謝するぞ!」

「ふん、精々無駄死にせんようにな!」

「ああ」

 一同は、足早に去っていた――その先に待っているものなど知るはずもなく。

 鳴り響くブザーの中で残されたのはテルのみ。

 彼は――静かに第三倉庫へと目を向け、凶悪な笑みを浮かべた。

『彼女はまだ、脆いですね』

 さらりと脳内に現れたティスが、そう呟いた。

 テルという存在一人に惑わされ、泣き喚き、取り乱すエステロスの姿は組織のリーダーとはとても思えない。

 未熟だ。

「あいつはまだ発展途上だ。どんな奴でも同じだ。壊れては治し、壊れては治し、そうやって誰でも強くなる。そういう意味で……あいつは、これから驚異的に強くなるぞ。壊されて壊されて壊されて……楽しみだ」

 つまりそれは――幾度とない、絶望を味わうことになる。

『それは……見ものですね』

 どう変わっていくのか、テルは心の底から期待している。

 ――ただの『英雄』なんていう変数から、明確な『唯一』への変化を。

 一方で、良い傍観者になるためには仕事を終わらせておかなければならない。

「さて……ティス、警備の兵士がここにたどり着くまで、後どれくらいだ?」

『ここへ一人目の兵士がやって来るまでの時間が三分……この辺り一帯が兵士が埋め尽くされるまでの時間が五分です』

「あーはー、割と時間があるな。クレイモアに頼ってて、警備が薄いせいか」

『好都合です。この目立ちすぎる服装をどこかで変えましょうか』

 兵士でこの場が埋め尽くされれば、身動きが取れなくなってしまう。ならば、紛れていても咎められない格好になる必要がある。

 偽装だ。

「そうだな、一人身の兵士を探してくれるか」

『既に見つけてありますよ』

「よしよし、流石俺の相方だ。それじゃあ始めようか……舞台は整えないとな」

 ようやく開幕した劇場に、テルは嬉しさを爆発させた。


 ――今日は気分が良い。

 本日付けで、このスーサ国立武器庫の警備兵として配属されたラーク・ジョンソンは、休憩室で優雅にコーヒーを飲んでいた。

 彼は単なる一兵でしかなかった。ただ、昇進のため、家族のため、老後の幸せのために、真面目にひたむきに働き続けた。

 その結果、彼は認められ昇進した。

 妻も娘も息子も、皆、泣いて喜んでくれた。ジョンソン自身も、昔ながらの友人を多く集め、宴会を開いて大いに盛り上がった。

 質素な人生の中で、最も幸福な瞬間であった。

彼の新たな配属先であるスーサ国立武器庫は、最も厳重な警備が敷かれている重要拠点で機密情報も多い。

つまり、認められた証である。

これは始まりに過ぎない。

ここは言わば登竜門。順当に行けば、より上の地位への昇格も望める。

 思わず顔がにやけてしまう。

 惚けながらコーヒーを一口付けた瞬間――けたたましいサイレンが鳴り響き、思わず持っていたカップを床に落としてしまった。ガラスが粉々に割れ、茶色の液体が床に広がっていく。

 だが、そんなこともどうでも良くなるくらい、サイレンに目を奪われていた。

 何が起こった?

 火事か何かか?

 いや、このサイレンは災害時のものではない。

 侵入者?

 ここに?

 どうやって警備網を抜けた?

 目的は?

 疑問は尽きない。

 巡り巡る思考のわずか五秒後、答を表すかのように勢いよく入口のドアが開いた。

 息を切らしながら部屋の中へと入ってきたのは、大きなバッグを二つも抱えた怪しげな黒服の男である。

「ここにはいないのか!」

 ――お前以外には誰もいない。

「え、あ、あの……」

 大声を上げて大袈裟に辺りを見回す黒服の男に、ジョンソンは目を泳がせて困惑してしまう。

「君、助けてくれるか!」

「も、もちろんです! 何があったんですか?」

「侵入者だ。こんなこと、ここでは初めてなんだが……」

 怒涛の展開に圧されてしまっていたが、ようやく冷静になってきたジョンソンは、彼の服装が軍服ではないことに疑問を抱いた。

「その、あなたは……」

 よく考えてみれば、奇妙な大きなバックを二つも抱えている様相もおかしな点だ。

 しかも、焦ったようにこの部屋に飛び込んできた。

 更に、助けを求めてきた――わざわざ、休憩室に?

「ありがとう!」

 そんな疑問も、もはや意味はない。

 彼が腰に付けていたピストルに手を掛けたときには、彼の喉には刃渡り一五センチはあるナイフが深々と突き刺さり、鮮血がこぼれ落ちていたのだから。

「か、か、く……」

 倒れ伏し、声にならない音だけが口から漏れ出る。

「あー、侵入者に手を貸してくれる警備員なんてお前くらいだ、本当に感謝してるよ」

 まもなく息絶えるジョンソンの服を全て脱がせながら、テルは心無い謝礼をした。

「まあでも、つまらん人生の中で珍しい終わり方できたわけだからな、その点に関してはあの世で良い話の種になるんじゃないか? あの世なんてないけどな」

 ――ああ、死ぬ。

 ジョンソンはそう、淡々と思った。

 妻は家事に没頭している最中で、娘と息子は学校に行ってるだろう。

 もはや言葉を掛けることすらできないが、最後にちょっとした善行を積むくらいしておけば、少しはマシな父親になれるだろうか。

命も報われる。

 ピストルを持った右手を天井に向け、僅かに残った意識の中で引き金に力を込めた。

 そして――命が事切れると同時に決して小さくない破裂音が、辺りに鳴り響いた。

「ははははは、おいおいこれはこれは、傑作だな! 単なるモブなりに、それっぽく爪痕残して死んでいったぞ」

 テルは腹を抱えて笑い転げた。

『笑っている場合ではありませんよ。すぐに、銃声を聞いた兵士達が集まってきます』

「後、何分だ?」

『一分足らずです』

「なるほど……そいつは……それなりにまずいな」

 逃げられない。この休憩室までは一本道であった。誰にも怪しまれずに逆方向へと通り過ぎることなどできるはずもない。

「まあ、でも、やり方はあるよな」

 まず、持っていた二つの大きなバッグを休憩室の外へと放り投げた。

 それからテルは落ちていたピストルを拾うと、そそくさと自分がたった今脱いだ服をジョンソンの死体へと被せていく。更に、死体の背中へと『ある物』を隠しておいた。

『なるほど……それならば』

 そう、ティスが言い終わるより前に勢いよくドアが開け放たれ、四人の兵士が中へと走り込んできた。

 咄嗟に両手を挙げて、降参をアピールする。

「な、何があった!?」

 兵士の一人である髭を蓄えた男が、テルへと銃口を向けながら激しく問うた。

「あ、あ、あの、自分も何がなんだか……。ナイフを持って襲ってきた男を発砲してしまいました!」

 確かにテルの右手にはピストルがあり、死体の横には大ぶりのナイフが置かれていた。

 髭を蓄えた男は訝しげにテルを睨むと、今度は別の質問を投げかけた。

「君は?」

「今日づけでこのスーサ国立武器庫に配属となりました、ラーク・ジョンソンです!」

 敬礼し、頭を下げる。

 すると、髭を蓄えた男はにやりと笑って、真赤な嘘を並べ立てるテルの肩を、まったく疑うことなく叩いた。

「デカしたぞ! そこで死んでる奴は侵入者だ。できれば生け捕りにしたかったが、まあいいだろう。君、怪我はあるか?」

「はい、胸の辺りを少し刺されました」

 あらかさまに右手で胸の部分を抑え顔を歪め、痛がっている素振りを見せる。

 確かに胸部は、血色に染まっていた。

「よし、ここは我々に任せて、すぐに医務室へ行きなさい」

「はい! 失礼します」

 テルはそそくさと、その場を後にしようとする。

 と、そこへ――。

「あ、待った」

「は、はい?」

 髭を蓄えた男はもう一度、微笑んだ。

「君の功績は必ず讃えられる。昇進は固いだろうな」

「い、いえ……私は当然のことをしたまでです。失礼します」

 それだけ言い残して、テルは部屋を後にした。

 扉が閉まり、誰も目も呉れなかった二つのバッグを拾うとゆっくりと歩き出す――第三倉庫へ向けて。

『功績ですって。良かったですね』

「はは、まあ、悪くはないな。褒められるのも」

『ちなみに、死体の後ろに隠したものは……』

「ああ、それな……」

 テルが答を言うよりも前に――先程までいたはずの休憩室は強烈な破裂音と共に煙を上げていた。

 中にいた兵士達がどうなったかなど、考えるまでもない。

「ほら、いい感じに爆散したな」


 それから五分が経過した。

 ここは第三倉庫、その中心に位置するだろうか。

所狭しと並んだ鉄の棚には、何やら液体の入ったビンが敷き詰められている。それらが、エステロスの言っていた劇薬で間違いないだろう。 

 ここに集められた生物兵器を簡単に処理できれば、少なくとも当分はヴァンパイアが壊滅するようなことにはならないだろう。

「よしよし」

 テルは施設内を、何の気なしに歩いていた。

 だが、ドタドタと大量の足音が近づいてくるのが分かる。同時に、至るところで怒号が飛び交っている。

 そして――。

 得意気になっていたのも束の間――たった数秒で、彼は両手を挙げて怯えた表情を作って、降伏をアピールせざるを得ない状況に追い込まれてしまう。

 もはや、バッグもアサルトライフルも持ち合わせおらず、彼ら武装した兵士達に抵抗する力はない。丸腰だ。

 複数の銃口がテルへと向けられる。

 数にして三〇はいる。これは、映画やドラマではない。有無を言わさず、意図も容易く射殺されてしまうだろう。

「おほん、皆さんお揃いで。あー、こんなときに、なんて言うのが正解かな」

 そんなおどけた言い草に、一人の若い兵士が反応した。ちょうど、先程喉を切り裂いたジョンソンと同じくらいの歳に見える。

「ここで何をしていた!」

「そんなに叫ばなくても聞こえてる。ああ、まあ、何だ、最近良いことないから、花火でも打ち上げようと思ってな。そうしたら、少しは気が晴れるだろ?」

「ふざけるな! 他の侵入者はどうした?」

「ああ、あいつらは一目散に逃げ出した。しょっぱなに二人死んじまったからな、撤退しかないってな。それで俺がここにいるのは何故かって言うと…………ああ、まあ、頭が少しばかりイカれてるからだな」

 テルはありのままを話した。

 あまりに快活に話す様子に、若い兵士は眉を潜めた。状況を理解していないように思える。それとも、もはや割り切っているのか。

「第三休憩室を爆破したのもお前か?」

 一〇分前に、爆破した休憩室のことで間違いないだろう。

 テルは少し考えて頷いた。

「もちろん、俺以外にいるわけないだろ? あんな、派手な陽動しようとする奴なんて、そうそういないぞ。まあでも、綺麗に吹っ飛んで愉快な気持ちになれたな。小さいストレスなんてなくなっちまうくらいに。ああでも、これから見せる花火の方が――」

 しみじみと、笑みを作って語りかけようとしたところ、銃口の先を頭にぶつけられてテルは床に倒れ伏した。

 頭が切れて、意識が少々朦朧とするのが分かる。

 血が額を伝う。

「くそが……くそが……てめえのせいであいつが……」

 若い兵士はぼそぼそと悪態を付きながら奥歯を噛み締めた。

 それから、今にも食い殺しそうな殺意をテルへと向けてくる。たとえ、敵兵であってもここまで強く憎しみを抱けるはずがずない、理由がなければ。

「あはあ、もしかして吹っ飛んだ奴の中に友人でもいたのか? それは悪いことをしたなー、代わりと言っては何だが……」

「もういい、黙れ! お前を拘束する!」

 若い兵士は他の連中に構わず、テルの腕を掴んだ。

「ちょっと待てよ、話は最後まで聞いた方がいいぞ。とんでもない、見落としがあるかもしれないからな。そのー、名前は、えーっと、ローエン君?」

 テルは若い兵士の首からぶら下がった名札に書かれた文字を呼み上げた。

「結構だ! これからある尋問で、十分聞けるからな。その後は、断頭台送りだ、喜べ」

「ああ、それは、それで楽しそうだがな……、皆に見られながらってのは、ちょっと恥ずかしいなー。てことで、今から一緒に焼かれるってのはどうだい? ローエン君」

「なに?」

 時間差はなかった。

 眩い閃光。

 押し寄せる爆炎。 

 衝撃波の後に遅れてやって来る破裂音。

 ガラスの割れる音。

 それから、邪悪で満足気な笑み。

 その場にいた全員をそれらが包み込んだ――誰であれ、例外はない。

 この死は絶対だ。

 

 今日は快晴になるはずであったのに、いつの間にかザザぶりの大雨と落雷の音だけになってしまっていた。

 暗い森は一層、心を下に落とし、エステロスは背中を丸めてぼーっと地面を見つめながら歩いていた。

 涙も枯れた。

 あるのは魂の抜けた姿だけだ。

 ジョンはそんな司令官の顔色に嫌気が刺して、余計に明るい声を発した。

「あいつはすげー奴や」

「……」

 エステロスに向けた言葉であっても、返答はない。

「たった一人残って、向かってった」

「……」

 確かにそうかもしれない。だが、もはや彼女に取ってそんなことはどうでも良かった。

 頭の中を巡っていることは一つだけ……彼が死んだ、それだけだ。

 彼の意志を継ぐだとか、復讐を成し遂げるだとか、国を改変するだとか……。

 もはや、それら全ては、彼女に取って何の価値もない、砕け散った目標と化している。

 それでも、これがリーダーとして今見せるべき姿か?

 沈み込んだエステロスにとうとう耐え切れなくなって、ジョンは吠えた。

「見てくださいよ! 今、スーサ国立武器庫で大きな大きな煙が上がってる。あいつはきっと、任務を全うしてくれた。部下が命を賭して成し遂げたんです、あなたが落ち込んでいる場合ですやろか?」

 ふと、エステロスも黙々と黒い煙を放つ上空を見つめた。

彼は任務を完遂したんだろう。

 ただ――死んだ。

 テルは死んだ。

「あいつは英雄です!」

「ああ、そうだ。だが、死んだ」

 そこで初めて、エステロスはボソリと呟いた。

「だから!」

 必至に抑えていた感情が噴き出してきて、エステロスはジョンに掴みかかった。

「死んだんだ! 貴様にその重さが分かるか!? ここまで、暗いことばかりだった。毎日、重圧に潰されそうだった。そんな中、あいつはわたしの前に現れて、光を見せた。あいつは、あいつはわたしに取って唯一の拠り所になってしまったんだ! なのに、意図も容易くわたしの前から姿を消した。まるで……まるであの日を繰り返しているようだ……」

 たった一日で焼き尽くされ、何もかも消え去った幼きあの日。

 同じように、彼もまた、燃え盛る火の手の中に消えていった。

 ジョンはそれでも首を振る。

「そうや! 死んだんや! でもな、死んだ奴気にしたって戻ってこうへんのや! うだうだ言っても仕方ないやろ!」

「だから忘れろと? 綺麗さっぱりなかったことにして、前を向けと? わたしはそんなに強くない!」

 エステロスは思わず拳を繰り出し、ジョンが少し仰け反った。それでも、口から血を垂らしながら向かってくる。

「人間に大事な仲間奪われた奴なんて、レジスタンスにはいくらでもおる。あんただけが、悲劇のヒロインじゃないんや!」

 顔をぶつけ合って揉みくちゃとなり、ジョンの拳を顔面にくらったエステロスは地面に倒れ伏した。

 防ぐことは簡単だ。でも、そうしなかった。

「知っているとも……でも、手に届くところにいたんだ。なのに、自らわたしの前から消えていくなんて、あんまりだ……」

「……」

 これ以上、ジョンは何も言わなかった。

 確かに暗い事実に身を落として、閉じこもってしまうことは多くの部下を抱える総司令官として許されない。

 だが、ほんの少しだけなら、悲嘆に暮れる時間があってもいいだろう。

 それから一分が経過しただろうか。

 エステロスはゆっくりと立ち上がり、歩き始めた。

「……済まなかった。行こう、やるべきことはある」

 声に力はなかった。

 ただ、これ以上部下と馬鹿げた喧嘩をする気にもなれなかったのだ。

 前を向く理由も、もはやないに等しい――革命が成功したとしても、エステロスの前に残るものなど知れている。

 また、偽りの平和が続くだけだ。

 けれど、物事は差し迫っている。

 止まっている時間はない。

 いや、そうしていると、少なくとも彼のことを考えなくて済む。


 だが……。

「はは、ははは、ははははははははははははははははははははははははは」

 目の前には、あまりにも奇妙な現実だけがあった。

 声を出して笑った。

 拠点にたどり着くまでもなく、数一〇〇メートル先で上がる煙と数多の銃声は結末を物語っていた。

どこかしこで、森の木々達が燃えていた。もちろん、突発的な山火事などではない。

襲撃された――一方的に。

ようやく、確信が得られた。

 この世界には――神などいない。

 もし、神がいたならこんな不平等な世界にはならなかった。

 もし、神がいたなら両親はあんな死に方をせずに済んだ。

 もし、神がいたなら最愛の彼を失わずに済んだ。

 もし、神がいたなら拠点が火と悲鳴に包まれるはずもない。

 もし、神がいたならエステロスはこんなに悲惨な顔をしてなかった。


 もし、神がいたならそれは――そいつは無能な傍観者でしかない。


「何やこれ…………」

 ジョンが、呆然と息を吐いた。

 どうあっても、楽観的に捉えられる事態ではなかった。何もかもが崩壊していく音が、その場にいる全員の耳元に届いた。

 ふと……木々の合間から、人影が見えた。

「誰や!」

 ジョンがそう叫ぶと、ふらふらとよろつきながらレジスタンスの兵士であろうよく太った黒髪の男が現れた。無惨にも右腕が肩から切断されており、両の目には溢れんばかりの涙が溜まっていた。

 一目でマイケルであるとジョンは悟った。

 この割腹の良い体格は部屋で毎日見てきた。

「どうしたんやマイケル! 何があった!?」

 がくがくとただ震えて、マイケルは上手く声を出すことができずに尻餅を付いて残った左腕で頭を抱えた。

 ジョンがそんなマイケルに歩み寄り、もう一度、静かに尋ねた。

「何があったんや?」

「せ、政府軍が突然攻めてきて、どうしようもなくて……皆、死んでいって……僕も腕を切られて、それから……わけも分からず逃げてきて……」

「全滅したんか?」

「い、いや、裏門から逃げれた兵士がいるはずだよ……ぐふっ……う……」

 吐血した。

 腕を切断されたからではない。見落としていたが、マイケルの右脇腹にはジワリと血が滲んでいた。

 ジョンは一瞬、固まってしまうがすぐにポケットを漁り始めた。

「ちょっと待ちや!」

 応急用の包帯と消毒液の入ったビンを取り出し、すぐに治療を開始しようとする。

 そこへ――、

「他に何か報告することはあるか?」

 エステロスが至って冷静に質問した。

 マイケルは口を抑えて、小さく首を振った。

「そうか……」

 その言葉を最後にエステロスは胸元から一丁のピストルを取り出した。

 そして――静寂の中、マイケルの眉間は造作もなく撃ち抜かれた。

 一発の銃声だけに、場は席巻される。

 事切れて地面に倒れ伏した仲間の亡骸を前にして、ジョンは数秒間、動けなくなってしまう。すぐさま我に返ると、ぐったりとしたマイケルの体を抱き抱えてもはや意味もなく揺らした。

「な、なんで……、なんでこんなことを……」

「こいつはもう助からない、絶対にな。なら、さっさと楽にしてやった方がいい」

 確かに、もう助からないかもしれない。

 ジョンとて、心の奥底ではそう実感していた。

ただ、まだ言葉を交わせたのに、仲間に対してこんな終わり方を押し付けるなんてあってはならない。

楽に死ぬか最後まで生き続けるかは、本人が決めることだ。

 ジョンは心無いエステロスの言葉に、拳を握り締めた。

「仲間に対してそないなことがあるか!」

 エステロスの顔面に目掛けて、振り上げた。

 しかし、結果は分かりきっていた。

 ジョンの拳は容易く受け止められ、逆に腹を貫かれ金的を蹴り上げられ、倒れ込んで背中を丸めた。

「……はあ、はあ……そないなことあるか……」

 ふらふらと立ち上がって向かっていくが、今度は鼻緒をへし折られ、顎を砕かれ、意識もろとも地面へと叩き付けられた。

 それでも――芋虫のように地を這う。

 伸ばした右手は無惨にも踏みつけられて、ぐしゃりと鈍い音が鳴った。

「あああああああああっあ、あ」

 エステロスは掛ける言葉もなく黒煙で覆われた空を見上げた。

「今やるべきことは、数分後に死ぬ仲間の介抱ではない。もっと他にわたしにはやるべきことがある。さて……付いてくるか、この仲間思いな馬鹿のようにここでくたばるかどちらか選べ」

 エステロスの冷たい視線に当てられて、残された兵士はどうしようもなく頷くしかなかった。

 最後に――懲りずに地を這うジョンの体をもう一度蹴り上げる。大木に叩き付けられたジョンの意識は、遂に失われた。

殺すまではしない。

ただ、殺し合いに柔な奴はいらない。ここに寝ておけばいい。全てが終わった後に、少しは役に立つだろう。

エステロスは歩き始めた――深く広い闇の中であっても、今度は行く宛がはっきりと見えていたのだ。

 

Episode4.5-1 瓦解


 ライダム放送局――鉄筋と木材だけで作られた、巨大な円形の高層物だ。それが建てられて一〇〇年が経過していることからも分かる通り、あちこちにヒビが入って所々に内部の鉄の一部が飛び出している。

 ただ、それだけ歴史を感じる建造物でもある。

 内部構造の問題も解消されつつある。昨年から上階の補強工事を行っており、今年は下階、基盤にも手を付けることが決まっている。

 そして、ライダム放送局の最上階には、この国の技術の極地が集められていた。

 巨大なワンフロア――その入口には、三人の警備員が配備されている。彼らは万が一に備えられた特殊な兵士達で、最新鋭のアサルトライフルと防弾服、大きなベレー帽を被っている。おまけに、どれもこれも一八〇センチを超えた見るからに屈強な男達だ。

 フロアの中央にあるのは、大量のボタンが取り付けられた、一辺三メートルの巨大な黒い電子装置である。その装置を三人の整備士と一人の放送員が取り囲み、全国放送に向けて最後の調整を行っている。

 ライダム全国放送局第一放送室――ここから流される音声は、国内に張り巡らされた全ての伝播塔へと一斉発信が可能となっている。

 逆に、国中への放送はここのみ行われている。

 多くの政府関係者や貴族、戦争の英雄などがここで演説を行ってきた歴史と名誉が詰まった国宝というわけだ。

 そんな放送室に鎮座する唯一の放送員――茶髪に隻眼、白いスーツを着こなすマルシェ・ペーリンは、今日も国内のニュースを放送予定だ。とはいえ、ほとんどはヴァンパイア関連の処刑やら、窃盗やらの日常的な話題でしかないが。

 飽き飽きするような毎日だ。

 だが、それなりの地位が約束されているこの役職は、捨て難い。

彼は、喋りで相手を魅了する能力に関しては数多の特訓をしてきた。だからこそ、こういう重要な役割を任されいてる。

――過去がどうであれ。

 今日は重要な日だ。昨日、政府軍がヴァンパイアの拠点を一斉に攻めて、勝利したのだ。一網打尽にはできなかったが、生き残ったヴァンパイア達も散り散りになってもはやレジスタンスは崩壊に向かっている。

 人間の勝利で完全決着だ……悪くはない進展だ。

 欠伸をして、開始時刻を待つ。

 すると突然、大きな轟音がこの階まで伝わり、小さな地響きが発生した。

 ふと疑問に思い、こちらに歩いてきた親しい警備員である、ランカルに話しかけた。

「凄い音ですね。地下で工事でもしてるんですか?」

 ランカルは首を傾げた。

「そういや、ここも随分と古くなってきたから補強するとは言ってたな。でも確か、一週間後からのはずだが」

「へー、そうなんですか」

 とはいえ、音は一度では鳴り止まない。

 規則性があるわけではないが、数秒おきに地響きと轟音は続いた。

「打ち上げ花火でもしてるんじゃないか?」

 すると、ランカルがそんなジョークを吐いた。

「まさか、花火ならここの窓からでも見えますよ。手榴弾のパーティでしょ、やっているとすれば」

 すかさず、ぺーリンも同じように返す。

 そうして、二人は笑い合う。

「まあ、工事が早めに始まったんだろう。そんなことより、次の放送で今日は上がりだろ? 一杯、どうだ?」

「いいですね、行きましょう」

 独身のペーリンは、家に帰っても誰もいない。

 だからこそ、こういった深い仲の友人というのは大切にしていきたいのだ。断ることなど、ほとんどない。

「さてと、そろそろですかね」

 と、マイクに向き直った瞬間ときだった。

「え」

 先ず、始めに響いてきたのはけたたましい爆破音。

 そして、ドアが吹飛んでいる光景。

 それから、時間差なく押し寄せてきた黒煙に、思わずペーリンは目を瞑った。

「ゴホッゴホッ……あ、はあはあ……」

 少し音が止んで僅かに目を見開くと、飛び込んできたのは複数の鉄の塊が床に転がってくる光景だった。それが紛れもなく破片手榴弾であることくらいは、混乱した脳の働きの中でも理解できた。

 思わず椅子から転げ落ちて、体を丸めた。

 瞬く間に爆風は一帯を飲み込み、複数の銃声が辺りに響き渡った。

 もはや、思考は停止し、わけも分からず目を瞑って死ぬの待った。

 きっと死ぬ……そう思ったが、一〇秒経っても体にそれらしい変化はなかった。それどころか、銃声が止み、静けさが戻ってきた。

 五体に痛みはない。

 ゆっくりと目を開ける。

 すると、眼前には見知らぬ女が立っていた。黒髪に濃すぎる隻眼の、鬼気迫る形相をした不可解な女だ。

 辺りを見回してみると、黒煙の他に、壁やら床やらには幾つもの傷跡が残っていた。

「な、何が……」

「装置には傷一つ付けていない。さて、全国放送の準備は整っているか?」

 女はペーリンの疑問を晴らすことなく、問いかけた。

「え、ええ……後は、開始のボタンを押すだけです」

 真正直に答えてしまう。

「そうか……」 

 すると女は、腰を落としてペーリンと目線を合わした。

「貴様に家族はいるか?」

「え……」

 状況にそぐわない質問に対して、ペーリンは硬直してしまう。

「貴様に家族はいるかと聞いている」

「い、いえ、独身ですし……きょ、去年、母が亡くなって、今は私だけですけど……」

「そうか……家にヴァンパイアはいるか? 奴隷としての」

「い、いえ……独身なので、雇う必要がありません」

ペーリンの実直な返答に対して女は満足したのか、腰を上げた。

「そうか……貴様を殺しても悲しむ人間はいないのか……なら、意味がないな。いいだろう、逃がしてやる。精々、次の世界でも懸命に働くんだな。つまみ出せ」

 女がそう命令を出すと、後ろに立っていた五人の屈強な男達の一人がペーリンの体を片手で持ち上げ、入口の外へと投げ飛ばした。

 ――命拾いした。

 わけは分からない。

 ただ――。

 ペーリンは自分は運が良いと言い聞かせ、階段へ向けて一直線に廊下を走り抜けた。

 が――こんなテロに巻き込まれている時点で、運など底を尽きていた。

 後、階段まで五メートルと迫った所だった。

 足が何か光の線を通ったと思ったのも束の間――大きな音と爆風に飲み込まれペーリンは覚めることのない夢へと誘われた。

 エステロスはくつくつと腹を抱えて笑いながら、爆破があった入口の先に目をやった。

「くくくく、足止め用の地雷に引っかるとは……どこまでも運のない奴だな」

 そこで一息付いた。

「さて、始めるか」

 ゆっくりと歩き出し、マイクの前へ立つエステロス。咳払いをして、手を付いた。

『開始』のスイッチを押す。

緊張などあるはずもない。そういう境地には、もはやエステロスはいなかった。

「ご機嫌よう。わたしはティンバートン・エステロス、今世間を賑わせているレジスタンス、アンティ・パシのリーダーだ。ああ、忘れていた。先に言っておくが、このメッセージは人間に向けたものではない。わたしのメッセージは、この国にいる全てのヴァンパイアに向けられたものだ。さて……知っての通り、つい昨日、わたし達の拠点は政府軍に攻め込まれ、壊滅的な被害を受けた。同じ日に、最愛の恋人も失った。まあそんなことももはや終わった過去だ、どうでもいい。それに、この国にいるヴァンパイアの諸君は、そんな境遇の者で溢れているだろう。気にする程の悲劇でもない。ただ、ただ、なんというか、どうしようもなく不愉快なこの国のあり方に耐える日々に疲れしまった。わたしだって人間のように快適に暮らしたい。もはや時間もない………………。だから、これから二日後に…………」

 そこで、ひと呼吸置いて、もう一度マイクに向き直った。演説は、効果的で魅力的にする必要がある。


――王城を攻め落とし王の首を切り落とす! 


「……人間に鞭打たれる日々を送る奴隷の諸君、散らばったレジスタンスの兵士達よ……もしも、わたしと同じように疲れ果てていたなら、どうだ、死ぬ前に一度、大きな花火を打ち上げてみないか? そう望むなら、共に武器を取れ、走り出せ………………」


 ――共にこの国を壊そうじゃないか!


 それは単なる号令であった。

 だが、効力は十分だった。

 ある者は、与えられた農作業を投げ出して、持っていた桑を握り締めて走り出した。

 ある者は、主人を殴り殺し、赤く染まった拳を見て笑っていた。

 またある者は、折れた心をもう一度奮い立たせ、レジスタンスの兵士として信念を持って歩き始めた。

 そしてある者は、飼っていたはずの奴隷の圧倒的な反発力に、怯えてただ縮こまることしかできなかった。

 皆が皆、まるで何かに憑かれたように一直線にある場所を目指した――ただ一人の言葉に駆り立てられて。


Episode4.5-2 瓦礫


 ここは――スーサ国立武器庫第三倉庫、跡だ。

 そこには、辺り一面黒炭に覆われ無数の瓦礫が積み上げられていた。

 一日掛けてようやく火を消し終えたとはいえ、その凄惨たる有り様には、この場に来た誰もが唖然とするしかなかった。

 もはや数えることもできないが、多くの兵士が犠牲になった――数名の頭のおかしいテロリスト達によって。

 いや、正確には一人だ。

 予測できていたにも関わらず、なんて失態だと、叱責されても文句は言えまい。

 そんな跡地に、ポツリと立つ統治者。彼は王侯貴族の一人――なのにも関わらず、なんともみすぼらしい鼠色のマントを羽織っていた。

 北地区を治めているタールスだ。

 忌々しく第三倉庫であった建物を睨みつけている。

 その横に立つのは、同士――南西地区を治めるシルクだ。彼女は、言葉もなく、この泥沼のような展開にため息を付いた。

「やられましたわね。まさか、たった一人にここまでの惨事を引き起こされるとは……何も言葉が出てきませんわ」

 そんな彼女の鬱蒼とした言葉に返そうともせず、タールスは静かに尋ねた。

「首謀者の死体は?」

「そんなもの、あるわけないですわ。爆発の中心に立っていたんですもの……塵一つ残っていませんわ」

「生きてる可能性は?」

「ふふ、もし生きていたなら、それはもう、神以外にはありえませんわ」

「なら、身元は?」

「塵一つ残っていないのに、どうして身元を判明できると?」

「得意分野だろ……」

「不可能ですわ。痕跡は、まさしくゼロですもの。ゼロからは、何も生み出すことはできませんのよ」

 シルクは両手を挙げて、首を横に振った。

「くそっ……、第三倉庫を爆破され、放送局も乗っ取られ、ふざけた演説まで……」

「今は、そんなことを考えている暇はありません。非常事態ですから。各地でヴァンパイアの暴動が多発、民間人の死者多数……奴隷達のほとんどが仕事を放棄して失踪。おそらくレジスタンスに加わったのでしょう。おまけに二日後にはヴァンパイアの軍勢が王城に押し寄せてくるわけですから。あなたはどうされるおつもりかしら? 自分の自治区に逃げ込みますの?」

「まさか、王城に残るさ。奴らとの最後の戦争だ。見届けるさ」

「あら、聞いていないのかしら? 直ちに暴徒達を鎮圧し王城戦を避けろ、と王からわたくし達全員に通達が来ていましたわ。可能な限り殺傷は抑えろ、とのことですわ。どうやら、より平和的な解決を望んでいるようですわね」

 時間差もなく、タールスは怒りを顕にした。

「この期に及んでヴァンパイア達に温情を掛けろと? 冗談だろ? 王はどうしてヴァンパイアとの戦争にここまで消極的なんだ。どちらにせよ、そんなふざけた命令は無視だ! 今回の一件でヴァンパイアを根絶やしにする、一人残らず。その先に平和はあるのさ」 

 タールスは息つく間もなく言い切った。

「同意見ですわ……他の貴族達も。わたくし達も、王城で備えましょう」

 シルクは静かに言葉を吐いた。

「ああ、これで本当に最後だ……」

 タールスは、踵を返して歩き始めた。

 本当に最後の決戦になるだろう、どちらが滅んだとしても。



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