Episode3
Episode3 軋轢
1
いつもは幹部や諜報員など、特定の者以外誰も入れないはずの小奇麗な会議室――そこには、エステロスとマラカスの他、兵士四人が集められ整列していた。その中には、テルのルームメイトであるジョンもいる。
兵士達は、誰も彼もここに集められた理由を認識していない。ただ、呼び出されるがままに来ただけだ。勿論、理由が分からなければ不安にもなれば困惑もする。
普段から落ち着きのないジョンは、キョロキョロと辺りを見回して思わず口を開いてしまう。
「あのー……、俺達って何のために集められたんやろ……ですか?」
エステロスは少年のようにもじもじ動くジョンに、仕方なく反応した。
「黙っていろ、今から話す。はぁ……ただ、一人来ていな……」
悠長に遅刻している男に対してエステロスが頭を抱えて大きな溜息を漏らそうとしたところで、勢いよく扉が開かれた。
そこから現れたのは、少しだけ息を切らしたテルである。
「ふぅーあーんー、遅れて申し訳ない。えーっと」
テルは整列された兵士達を見て、ゆっくりとした足取りでその右端に加わった。
その明らかに舐めた態度に対して、エステロスは苦い顔をしながらも特に咎めることもなく全体に向き直った。
確実に自分がテルに甘くなりすぎていると分かってはいるが、このような場でわざわざ咎める気になれないのだ。
エステロス自身が恥ずかしくなってしまう。
「よし。皆、何故ここに集められたのか理解していないだろう。これからする話は極秘だ、誰にも口外することを許さん。たとえ、仲間であってもだ。それを、まず覚えておけ」
そこで沈黙していた兵士達の中で、ざわめきが起きた。
驚嘆もなく平然と欠伸をしているのは、テルくらいのものである。それは、単純に何も考えていないだけなのか。それとも、エステロスによって既に何もかも承知している故にの余裕なのか――答はすぐに出た。
「では……」
「あーちょっと待った……何だか、関係ない奴がいるな」
エステロスの言葉を容易く遮ったひょうきんな声は、遅れてきたと思えば気怠そうに立っている輩のものである。
挙げ句の果てに副司令官であるマラカスを指差した。
驚きもなく目を細めるマラカス。
「僕が関係ないと? 副司令官である僕が?」
テルは、問いかけられて不敵な笑みで頷いた。
「ああ、俺が事前に仕入れた情報によるとこれから話す内容に副司令官殿は関係ない。だったら、ここにいるべきじゃない。たとえばそうだな、王であっても誰であってもだ。この話は極秘だ。違うか?」
「それは、君が決めることではない」
マラカスは、テルの不躾な問答に対して一言で終わらせた。
が……テルはもう一度、頷いて右手を広げた。
「そうか? なら、エステロスに決めてもらおうか」
エステロスは議論に加わる隙もなく二人のやり取りを眺めていたが、双方からの視線を浴びて仕方なく口を開いた。
「テルの言い方に問題があるが……それは、正しい。マラカス、少しの間ここから出てくれ」
実際、正しくはない。
副司令官が、重要な作戦の会議から外されるなど、あってはならない話だ。エステロスも理解している。
だからこそ、少々申し訳なさそうに下を向いていた。
マラカスは顔を歪ませ、やがて首を横に振ると扉から出て行った。
「そんなアホな……」
兵士達は、テルの一声によってマラカスが退場させられていく有り得ないような光景を唖然として目で追っていた。まるで立場が入れ替わったような、いや、間違いなく逆転していた。
「それでは、話を始めよう」
エステロスは異様な雰囲気に包まれる中、淡々と語り始めた。
2
一時間が経って、全ての説明を終えると室内には重苦しい静寂だけが残っていた。
皆、懐疑的な表情を隠せず、あまり深く理解できないまま下を向いて外に出ていった。
唐突で、無謀な任務内容に、明るいビジョンはまだ想像できないようだ。
それでいい。
エステロスも分かりきっていた。作戦の難易度は高く、全てを投げ打つ覚悟で臨まなければならない。
成功させるしか、未来はない。
室内に残ったのはエステロス、テル、それからたった今話を終えたところに入ってきたマラカスの三人だけだ。
「さてと、これから忙しくなるな」
と、明らかにテルの方へ視線を向けながらエステロスは言葉を発した。
「ああ、背水の陣ってやつだな」
そう問われ、テルも笑顔で対応する。
まるで軽い調子だ。
紛れもない当事者だというのに、一人だけただの傍観者のように緊張が感じられない。
「お前は、軽すぎるな」
エステロスはそんな風に呆れながらも、朗らかな笑みを零していた。
この重苦しい作戦会議の中で唯一、テルは軽口をたたけるくらいに余裕を持っていた。いや、何も考えていないだけかもしれないが、エステロスに取って今はそれが救いだ。まるで無謀な作戦が成功するような、そんな根拠のない希望を感じさせてくれる。
だが、気づいている者が一人だけいた――状況にそぐわぬ異常さに。
メンバーから外されていたその男は、いつの間にかテルの前に立っていた。
「エス、少し外してくれないか。彼と話がしたい」
「テルにか? どんな?」
少し不信感を持つように、エステロスはマラカスと目線を合わせた。
このところ、二人の仲は良くなかった。エステロスはテルと親密になる一方で、マラカスとは意見のすれ違いが起こることが多くなっていた。そうなると、マラカスがテルに対して敵愾心を感じてしまうのも無理はない。
そう、エステロスには見えていた。
だからこそ、声色も冷たくなる。
「いいさいいさ、ただの世間話だろ。お前は先に行ってろよ」
「そうか? まあいい……」
エステロスは部屋に出て行く直前、テルの元へ寄っていき耳元へ顔を近づけると――。
「先に部屋で待っているぞ。話が終わったら、来い」
「ん? ああ、もちろん」
それだけ残して、エステロスはその場から消えた。
残されたのはテルとマラカスの二人だけである。
「それで、話ってのは?」
「……どうにも、何か大きなことをするつもりみたいだね?」
前置きもなく、マラカスはテルに問いかけた。
藪から棒に飛んできたもはや意味のない質問に、テルは唇を釣り上げた。
「んー、ああ、さあな」
テルは機密であることを武器に、まともには相手にしない。
この道化師はうすら笑いを浮かべて、小馬鹿にしたような表情で躱そうとする。
そんな展開も、マラカスには分かっていた。
もはや分かっている……生きてきた中で、一番の難敵だ。
「まるで考えていない様子だね。でも、君はそんなに馬鹿じゃない。短い間にエステロスの信頼を得て、さらに彼女に今回の策をけし掛けた」
「んー、ああ、何の策のことだ? 知らないな。おいおい、だいたい俺がそんなに頭の良い奴に見えるか? たとえ何かを考えていたとしても、発案者はもっと思慮深い誰かだよ。俺じゃない」
――そうですね。
と、誰かが言ったかもしれない。
「どうだろうね。どちらにせよ、君が来てここは大きく変わった」
マラカスは、敵意を隠そうともせずそう続けた。
事はそこで起こった。
「あー、それはまあ一理あると――」
道化師の達者な口はそこでは途切れる。
「君は何者だ?」
腐っても仲間に向けるべきではない拳銃をテルの額に押し付けて、マラカスは搾り出すような声でそんな疑問を投げかけた。
もちろん、セイフティは外れている。
そこには、もはや殺意すら見え隠れしている。
テルは一歩下がって、ゆっくと両手を上に挙げた。
「ん、あー、まあ早まるなって。俺が心底気に食わないのは分かるが、一旦落ち着こう。仲間だろ?」
宥めようとするテルに対して、マラカスは変わらず銃口を向けたまま皮肉な笑みで応えた。どこまで本気かは、計り知れない。
『ここで死んでしまっては、元も子もありません。何とか、避けてくださいよ』
テルの脳内には、そんなボヤキが飛んできている。
理解している。
死ぬべき場所は、少なくともここではない。せめて、様々な条件が噛み合った戦場でなければならない。兵士として、感動的な死に様を迎えなければ英雄として彼女の心に名を刻むことはできない。
「あーそうだな、なんというかー俺はそのー、あー、兵士……、そう、そうだ、ただの一兵だって。お前が気にするような奴じゃない。ほら、今もこうして上官に苛められて怯えてるだけの一兵だ」
身振り手振りで自分の弱さを表現しては、口を引きつらせて怯えたような様子を演出してみせる。
テルは傍から見れば、ただの弱者だ。
しかし、一片たりとも恐怖を感じているようには見えない。
「ただの兵士が、ここまで頭のキレる奴とは思えないね。今だって、銃口を向けられているのに冷や汗の一つさえ流していない。少なくとも、その表面上の仮面とは掛け離れた内面が存在する。違うかい?」
「いやー別に何もないぞ。ほら、仮面なんて被ってないって。見てみろ、俺の顔を。こんなツラの仮面が売ってたら、誰も買いやしない」
「そうかい? なら……この引き金を引けば、その仮面を剥がせるんじゃないかな?」
テルが尚も挑発するような言動を繰り返すのに対して、マラカスは不敵な笑みを浮かべて右手に力を込める。
「いやいや、何も得るものなんてないって。俺が死んで、それで終わるだけ。残るのは頭のてっぺんに穴の空いた死体だけ。……というか、お前にはまだ撃てないよ。少なくとも今はな」
わざと、銃口へと顔を近づけて微笑するテルには半ば確信地味たものがあるようだ。
「どうして?」
「それはまあ、理由がないからな、無理だ」
「君をここで殺しておかないと、嫌な予感がしてね。それは理由にならないかな?」
テルは首を横に振って、拳銃を指差し嘲笑を浮かべた。
「まあそれは……かもな。でも、ここで俺を、そのサイレンサーの付いてない拳銃で撃ったところで、残るのは銃声と死体だけだ。そして、すぐに兵士達がここにやって来て、お前は仲間殺しの残忍な容疑者として確定する」
「誰かがここに来るまでに立ち去れば?」
「あー、それは無理だ。ここに俺とお前しかいなかったことは、エステロスが知ってる。お前は、真先に疑われることになる」
「君と口論となって、襲われたと言えば?」
「んー、それも無理だな。襲われたとしても、お前程戦闘に慣れた人間がわざわざ拳銃を取り出して致命傷となる頭を狙う必要はない。足なんかを撃って黙らせればいいだけだ。だいたい、エステロスは無惨な俺の死体と無傷のお前を見てどう思う? 本当に襲われたのかすら、定かじゃない……それどころか、こう感じるだろうな……鬱憤を溜めた副司令官に俺が殺されたってな」
そこまで言い合ってようやくマラカスは、表情を変えることなくテルへと向けていた銃口を下ろした。
「それが、懸命な判断だな」
マラカスは拳銃を閉まって嘆息を付くと、その場から出ていこうと扉へと歩み始めた。
「なに、今じゃないだけさ」
その一言だけ残して、消えようとする。
「ああ、今じゃないよな。あー俺も一つ聞いていいか? ちょっと気になってたんだが、お前が大抵、この基地にいないのは何か理由があるのか?」
マラカスは扉から半分出た状態で、首だけをテルへと向けて言い放った。
「僕にも仕事があるからね、色々と。君に話すつもりはないよ」
「それもそうか」
これっきりだ。
明かす必要のないことだ。
張り詰めた空気の弛緩に、テルは思わず笑ってしまう。
唯一の不安と言えば、マラカスが狂気に走って乱射してしまうことだけだった。
どうにも、そこまで追い詰められてはいなかったらしい――たとえ、エステロスを奪われたとしても。
「そういえば……」
もう一つ聞きたかったことがあったのだが――どうして□なんて、しているのか。
「まあ、その内聞けるか」
3
夜も深けて、静寂が訪れる。
鬱屈とした地下の部屋であっても立てられた一本のロウソクが仄めき、穏やかな空気が流れている。
この三ヶ月、いや四ヶ月、テルは殆どの時間を掛けた。
だから、二人がベッドの中に並んで入っている姿ももはや珍しくはなかった。
随分と疲れた様子で欠伸を咬み殺すテルの横で、エステロスは天井へと腕を伸ばしておもむろに呟いた。
「いよいよだな」
重大な任務が残り二日と迫っているせいか、エステロスは神妙な面持ちで語りかけてくる。
博打、いやただのテロ行為でしかない。
何度も参加する必要はないと部下達に諭されたが、エステロスは自らが参加することに断固とした意志を持っていた。
きっと、二度と失うわけにはいかないものができた――これがほとんどの要因だろう。
まあ、テルは任務自体には興味がない様子なのだが。
「それで、その後はどうする?」
「後だと? そんなこと、まだ考えられるわけないだろ、気が早すぎるぞ」
テルはエステロスの懐疑的な物言いに対して、首を横に振った。
「ノーノー、先を見据えることは重要だ。仮に今回の任務が成功したとしても、浮かれてもたもたしていると、頭の良い統率の採れた政府軍に簡単に食われちまう。あー、どうだ、俺の考えを言ってやろうか?」
「何だ?」
エステロスは不満気に、それでいて無邪気な好奇心を持ってテルを見つめた。
テルが来て、アンティ・パシは大きく変わろうとしている。それが悪いか良いのかはまだ分からないが、どこか期待しているのだ。
テルはエステロスを見つめ返すと、微笑して言い放った。
「王城を攻め落とす、なんてのはどうだ?」
「お、王城だと!? 貴様はまた、はぁ……いきなりとんでもないことを言うな。無理だ、今のレジスタンスの戦力ではあそこは落とせん」
誰がどう鑑みても、明らかな事実だ。武器の性能においても、兵士の数においても、圧倒的な差がある。
策戦や気合でどうにかなるレベルではない。
当然、テルも理解している――その上で、戦略を立てているのだ。
「ふーん、なら、この国のほとんど全てのヴァンパイアが戦力なら――どうだ?」
この国の人口の三割を占めるヴァンパイア、その全てが兵士として参加するなら状況は異なる。王城を守る兵士の数を遥かに超える軍勢が押し寄せてくるのだ。そうなれば、守りきれはしない――もちろん、どんな祭事が起こったとしても国中のヴァンパイアを集めることなど不可能なのだが。
「今、奴隷として飼われているヴァンパイアを含めてか? 確かに可能だろうな。だが……そもそも、国中のヴァンパイアを集めることが無理な話だ」
まさしく正論。
飼われる生涯を送る奴隷達に、兵士として立ち上がる志など存在しないだろう。主人を裏切って戦う思考にすら、至らないはずだ。加えて、どんな仕打ちを受けていようと争いを好まない者もいる。
静寂の中で生きることだけを望んいでいる者もいるのだ。
これ以上、悪化しないように。
「あー、確かに家畜として飼われている奴隷達を奮い立たせるのは難しいな。だが、そこでだ、お前が奴らを鼓舞すればいい。あー、そうだ、演説なんかでな。そうすれば、希望を見出した奴らの大半はお前の軍勢に加わるって算段だ」
「わたしが国中のヴァンパイアに向けて演説するのか? どうやって?」
ここまで来ても、エステロスはテルの言葉に耳を貸そうとはしない。
「確か……国中に伝播できる放送局があるだろ」
「国中に伝播? ライダム放送局のことか? なるほど、確かにあそこなら国全体へと演説できるだろうな。だが、あの場所も警備が薄いわけではないぞ」
国民へ向けて祝い事を伝えるために建てられたライダム放送局、この国が持つ唯一の全国放送局だ。
故に、多くの警備隊が常駐している。
「あーんー、だが、放送室を占拠すればいいだけだ。王城に比べれば不可能ではない、違うか?」
テルは得意な笑みを浮かべてエステロスへと顔を近づけた。
「はぁ、そうかもしれん。だが、どちらにせよ現実味のない話だ」
「ああ、分かった分かった。今は気に留めておく程度でいい」
――これでいい。
――頭には残っただろう。
これ以上は、余計でしかない。
「それよりも、わたしも貴様に大切な話がある」
突然、エステロスから真剣そのものの眼差しを向けられて、テルはどうにも表し難い悪寒に苛まれて固まってしまう。
「何だ?」
「ふっ、この任務が終わったら話そう」
彼女の顔色は不穏で、それでいて随分と温かいものだった。
Episode3.5 漏洩
ストリビア・ナーガ王城――その中でも最上階に位置するとある一室。壁には歴代の英雄達が肖像画として飾られており、広大な空間の中心に置かれた巨大な大理石のテーブルを、政府最高指揮官である八人の貴族が囲んでいた。
ロートムダム・ナタレ――北地区を統治。
ロジャル・フェグ――北東地区を統治。
ノバム・ジョルダン――東地区を統治。
ランカスタ・ティルム――南東地区を統治。
チルパス・タールス――南地区を統治。
ケリトン・シルク――南西地区を統治。
アンドリュー・アンダーソン――西地区を統治。
マリー・アルディーニ――北西地区を統治。
顔は一律に黒いフードで深く隠されているために、目には見えない。それぞれが、互いの立場を弁えているための措置だ。
徹底した秘密主義で腹の内を隠すことによって、強固な信頼関係を築いてきた。
とはいえ、何も互いの顔を認知していないわけではない。個室での会議のときは、顔を突き合わして議論をすることもある。
唯一、この場にいない――王を除いては。
「王はまた、出席なされないのか」
ナタレが言葉を発し、会議は始まる。
「この十年間――姿すら見たことがありませぬ。私達を余程、信用していないのでしょう」
フェグは項垂れた。
「いいではないか。王は、我々に全指揮権を委ねてくださている。そういう意味で、王は我々を信頼してくださっているのだ」
ジョルダンは笑みをこぼした。
王の真意など分からない、分かろうはずもないのだ。
姿も顔も声も、存在しているのかも、誰も知らないのだから。まさかただの偶像だったなんてくだらない結末はないにしても、それが何者なのか、街中を歩いていたとしても誰も気づけないだろう。
――どんな人物であろうと。
つまり、虚像だ。
「そういうことかもしれないね。まあいいじゃないか。それよりも、そろそろ本題に入ろうか。今回の議題は、巨大化し続けている国の癌、アンティ・パシについてだ」
タールスは周りを見渡し、場を正した。
彼らのここ最近の悩みは、全て国を掻き回すレジスタンスに注がれていた。彼らが悪であるか、それとも我々が悪なのか、そこはもはや重要ではなかった。彼らのお陰で内紛は激化し、多くの一般市民が死んだ。人間であれ、ヴァンパイアにしろだ。
その影響で、日に日にヴァンパイアと人間の溝は深まるばかりだ。犯罪件数も、年々増加傾向にある。
「流石にあそこまで大きくなってしまっては、放っておけませんのう。その内に、ここにも攻め込んでくるやもしれん」
ティルムは低く唸った。
「とはいえ、新型の兵器もありますし、掃討は簡単ではなくて?」
シルクは身振り手振りで余裕を表す。
「……そう容易くなはない」
アンダーソンは、静かに述べた。
「そこで、こんなものを入手しました!」
マリーは皆の怪訝な顔付きを見回すと、一枚の大きな和紙を取り出して、テーブルの上へと広げた。
「これは、何だい?」
タールスは、訝しげに覗き込んだ。
「まあ、まずは中身を見てください」
左半分には国全体を模した地図が描かれており、その所々には赤い点が記され、その横には住所が書かれていた。また、右半分にはまるで幼子が書いたかのような稚拙な文字が敷き詰められたメッセージがある。
『拝啓、この国を思う同士達へ向けて。どうか、私が何者か詮索することなく、今から言うことを聞いてください。私はあなた方と同じ、この国に泰平をもたらすために裏で暗躍し、レジスタンスの解体に協力する者です。諜報員、とだけ名乗っておきましょう。知っての通り、レジスタンスは肥大化し続けています。いずれ、国としてもかなりの脅威となりましょう。そこで私は、あなた方にいち早くレジスタンスを食い止めて頂きたく、この地図を送りました。そこに記された六つの赤い点と住所は、レジスタンスの正確な拠点の位置を示しています。さて、私が得た情報はそれだけではありません。四月四日、レジスタンスの総司令官であるティンバートン・エステロスは終日、拠点を離れています。司令官を失った軍隊程弱いものはありません。この日が、レジスタンスを滅ぼす最大の機会となりましょう。このような何者かも分からぬ私の言葉は信じ難いでしょうが、あなた方が最善の手を打ってくださることを祈って、このメッセージを残させていただきます。――zsより。追記、あなた方が保有するスーサ国立武器庫の襲撃を、奴らは狙っているようです。念のため、警備を強化することをお勧めします』
全員が、言葉を失った。
嘘か誠か、誰かも分からぬ者の戯言かもしれない。
しかし、この手紙を持ってきた本人であるマリーは、得意気に鼻を鳴らした。
「これを書いたのが何者か、私にも分かりません。突然、私の元に届いたのですから。しかし、私が組織する諜報部隊の中には、名を隠して潜伏している者もいます。その内の一人であると考えれば納得ができる。そして奴らを掃討する、これはまたとないチャンス! そうではありませんか?」
「信用できるのかい?」
タールスは、訝しげに唸った。
「この拠点の位置が、紛れもない事実であることは私の部下が調べました。しかも、記された住所の横には各拠点の構成員の数、統治者の名前まで明記されていました。それから、スーサ国立武器庫が狙われているという情報も。我々を罠に嵌めようとしているなら、こんな情報は出さないはずです。ならば、嘘ではないでしょう。それに、うだうだしている間に奴らの方から攻められては後手に回ってしまうばかりです!」
マリーはトーンを上げて、話を続けた。
「皆はどう思う?」
長い沈黙の中で、各統治者達は一言だけ発していく。
「乗ってみるのも一興か」
「信用できるなら……」
「…………」
「面白い話ですわね」
「あまり、何者かも分からぬ奴を信じるべきではないのう」
これはある意味では、最大のチャンスだ。ここでレジスタンスを掃討できれば、悪しきレジスタンスの拡大を食い止めることができ、国民からの大きな信頼も得ることができる。もちろん、天下泰平も叫ばれる。
タールスは、事前に話を聞かされていた。
悩んだ末に議題に持ち出すことを容認した。
だからこそ、ここで決めることは一つだけだ。
「では、採決を取ろうか。この情報を信頼してマリーの話に乗るべきか乗らないべきか……。こんな簡単に話を決めてもいいものか疑問だけど、同意する者は挙手してくれ」
尋ねる必要などなかった。
ヴァンパイアのレジスタンス、アンティ・パシ――多くの土地を、兵を、時間を奪われてきた。どうしようもない彼らに取っての一番の悩みの種、掃討できるならこれより嬉しいことなどないのだ。
全員の手が上がり、結論は出された。
「……しかし、こんな話、王が容認するとは思えん」
アンダーソンは、そう異議を唱えた。
王は、一度も彼らの前に姿を現したことはない。
それでも、一つだけ釘を刺されていた物事がある――レジスタンスを完全に掃討するような戦争は起こすな。
平和主義から来る心理なのか、奴隷としての人材として考えているのか。王は、ヴァンパイアに致命傷を与えることを躊躇っている。
ただ、八人の貴族について、もはやそんな言葉に従う義理はなかった。
「彼の言葉に従って、いつまでも国の癌を放置しておくべきですか? レジスタンスを滅ぼしてこそ、平和は訪れるのです。人材においても、一定多数の奴隷は確保されています。どう考えても、早急に取り除くべきです!」
マリーは声高々にそう言い切った。
タールスは、低く唸り、皆に向けて尋ねた。
「王の言葉に従うべきだと思う者は?」
沈黙だけが、場に流れた。
誰も、威厳も存在もない王の声に耳を傾ける道理はなかった。
「決まりだね」
タールスは、納得したような笑みを浮かべた。
「どうやって侵入する気なのかは知らんが、スーサ国立武器庫には至る所にクレイモアが設置してある。奴らを一撃で吹っ飛ばす威力のな。だから心配はいらんじゃろうが、念のため護衛の数を増やしておこう」
ティルムは蓄えた白髭を摩りながら、一つの問題への答を出した。
「よし……」
タールスは最後に、テーブルを叩いた。
「では、レジスタンス掃討に向けた策戦会議に入ろうか」