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Debug  作者: 岡本翔平
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Episode2

Episode2 慟哭


 ――スーサ国立武器庫内部にある第三倉庫を爆破する。

 どれだけの被害を出したとしても、たとえ全滅したとしても……意味は残せる。この国を揺るがす過去になり、そこから未来は開かれる。

まあ実際は、そう上手くいかない。

その反乱が引き金となって、平穏に静かに暮らしていただけのヴァンパイアにも危害が加わるかもしれない。奴隷制がより一層強化され、いずれは種族そのものが完全に滅んでしまうかもしれない。

失敗すればヴァンパイアはより厳しい状況になり、崩壊が進む。

かと言って、このまま野放しにするわけにもいかない。傍観して、待っているのは一方的な弾圧だけだ。

「悩ましいな……」

 自室に戻る道中、エステロスは誰もいない廊下で呟いた。

 最近、目指すべき結果が定まらない。先の見えない夜道をずっと歩かされているように、心には霧が掛かっている。

 もはや、リーダーとしての役目を果たしているのかも定かではない。信念が揺らいだわけではないが、ちぐはぐで微妙な心境だ。

 マラカスとの軋轢も、大きくなっている。

 上の者達のいざこざが長引けば、そこから瓦解しかねない。

「どうすればいい……」

 ふと……そんな弱音をかき消すように、大広間が騒がしく盛り上がっていることに気づいた。

「はぁ、またあれか」

 多くの兵士が、集まって騒いでいる。

 これはもう随分と昔からあるここの兵士達の娯楽で、いわゆる一対一の拳による決闘だ。互いに力比べをすることによって、切磋琢磨できるだとかなんとか。そんなこじつけの理由を持ち出しては、殴り合って優劣を付けているのだ。

 暴力行為は避けるよう、マラカスはいつも注意喚起を促しているが、どうやら未だに行われていたようだ。

 とはいえ、大きな事件にならない限り、エステロスは見逃している。まったくの自由がなければ、兵士達も鬱憤を溜めるばかりだ。負の感情の捌け口は少なからずあった方が良い。

 それに、彼らはヴァンパイアだ。多少の傷であれば、すぐさま完治する。ましてや、殴り合いで死ぬような事態には陥らない。

 それが容認できる、最大の理由わけだ。

 珍しく足が向いた。

 邪魔にならぬよう、皆から少し離れた大広間の入口へともたれかかり見物してみる。

 ちょうど、次の試合が始まったところのようだ。

 一八〇センチはあるであろう裸の大男二人が向かい合い、拳を額目掛けて振るい合う。鈍い音が響いて、互いの唇の端が切れて血が流れる。周りを取り囲む見物客達は沸き立ち、声援が送られる。

 ――フォー!

 ――いいぞ!

 ――もっとやれ!

 その後も馬鹿の一つ覚えよろしく、ひとしきり顔面を殴り合ったところで片方が倒れ気絶すると試合は終了する。

 ――うおおおおおっ、どんなもんよ!

 勝利を手にした上半身裸の毛むくじゃら男は、右手を振り上げ叫び散らす。

 ――いいぞ、次だ次!

 ――おっもしれー!

 それだけで、彼らの空気は最高潮に達する。

 と――。

「あーいいなそれ、次は俺にやらせてくれ」

 すると前触れもなく、ひょろひょろの明らかに場違いな、覚えのある顔が現れたではないか。

(あいつ……)

 テル、という名前ははっきりと覚えている。戦場での服装も、常識知らずな性格も入隊初日に色々と問題を起こしてくれたことも。

 そして、エステロスと同じバルロイだ。

「おいおい、そんな体で俺とやり合う気かよ」

「ああ、この右手があれば十分だ。これはあくまで俺の見解だが、殴り合いの喧嘩は意気込みだけで勝敗が決するもんだ」

 ぷらぷらと右手を一回転させておどけてみせる。

「……は? 何言ってんだ。まあいい。じゃあ、やるか」

 毛むくじゃらの男は侮ることもなく、両手を構えた。

 テルの腕は特に普通で、万力で殴られれば簡単に折れてしまいそうだ。とても、眼前に佇む大男に勝てる要素はないように思える。

(おい……)

 エステロスは心配するように顔を顰めた。

 だが、次の瞬間に起こった現象はエステロスの思考と違う結末を示していた。

「おらよっ!」

「ほら、お前の方が気迫たっぷりだ。そういう奴は大抵、こうなる」

 テルは毛むくじゃらの男の大きな右ストレートを躱すと、飛び上がって全体重を載せた拳を男の顔面のど真ん中にジャストミートさせたのだ。そのまま、頭から床に叩きつけられた毛むくじゃらの男は意識を失ってしまう。

「ん、いい倒れ方だ」

 ――おお、すげえ!

 ――やるじゃねーか!

 予想外のワンパン劇に、より一層盛り上がる場内。

 そこへ、次なる挑戦者は名乗り出る。

「次は僕がやろう」

「ああ、いいぞ」

 金髪長髪のいかにも高飛車な男が名乗り出てきた。

わざわざレジスタンスに入隊してまで長髪を誇示しているのだから、相当に自己顕示欲が高い様子が見て取れる。

「これを受け取りたまえ」

「ん?」

 そんな金髪男は、テルへと標準的な大きさのコンバットナイフを投げ渡した。テルは特に気にせず、それを受け取る。

どうやら、ナイフファイトを望んでいるらしい。

 行き過ぎな武器の登場によって、エステロスの表情の険しさが増す。

「それで勝負をしないかい? なに、致命傷となる胸部と頭を狙うのは無しでだ」

 ――おいおい、マジかよ。

 ――それは流石にやりすぎなんじゃねーか。

 どよめき、止めようか悩んでいる者までいるようだ。

「ナイフ、ナイフか。んーでも、ナイフは喧嘩に使うものじゃないな。だから……」

 ナイフにはもっと違う用途がある。ただの取組み合いに使用するものではない。

 テルは持っていたコンバットナイフを地面へと落とし、素手を構える。

「どういうつもりだい?」

「いや、お前はそれを使っていいぞ。ただ、俺はあいにくナイフを喧嘩に使わない。ナイフってのは、そうだな、料理用だろ? あー、あるいは拷問か。あるいは……」

 ――殺すためにある。

「なにを言ってる……」

 金髪男は理解できないように、眉を顰めた。

あくまで、武器など使用するまでもないと相手は豪語していると、そうとしか解釈できない。

「ほら、時間がないぞ。早く来い」

 笑みを浮かべ、テルは更なる挑発を浴びせかける。

「ふんっ、バカが!」

 琴線が切れて、突進してくる金髪男が狙っているのは、テルの首元である。

致命傷となる部位は避ける条件を自ら突き出しておきながら、激昂によって意図も容易くルールが破られたものだ。

ただ、寸前で少しばかり勢いは弱回った。ほんの少しだけ、我に返ったのだ。

「ああ、ああ、いいぞ……だが、迷ったな」

 テルは体を右に倒し、ナイフの軌道から外れようとする。とはいえ、分かっていても完全に避けられるものではない。刃渡り二〇センチはあろうかというコンバットナイフは左肩へと深く突き刺さった。肉が抉れ、血飛沫がその場に飛び散り、テルの顔は悲痛に喘ぎ大きく歪む。

「ああ、うぅ、肩ってのは、刺さってもあんまり痛くないもんだ」

「ふ、ふんっ、粋がるからそうなるのだよ」

 金髪男は、引きつった笑みを浮かべて一歩引いた。

「ははははっ、はー、いいぞ、良い顔だ。お前は案外正常だよ、血を見て怯えたからな」

 だが、テルの左肩に深く突き刺さってしまったナイフにどよめき動きを止めた金髪男の顔面へと、テルは握り締めた拳を叩き込んだ。

「あ、がっ」

 先程の毛むくじゃらの男と同様に、地面へと叩き付けられるのは金髪男の方である。例のごとく鼻血を垂らしながら、仰向けになって伸された。

 とはいえ、異様な雰囲気に包まれた館内に先程と同じような歓声は巻き起こらない。そういう状況でも、もはやなくなったのだ。

「あーうぅ、なかなかの痛みだ」

 なぜなら、肩から多量の血を流したテルが膝を付いているのだから。地面には、ぽたぽたと赤い液体がこぼれ落ちる。

(あの、バカ!)

「そこまでだ!」

 見ていられなくなったエステロスは割って入り、野次馬達の群れを押しのけてテルの元へと辿り着く。

 ――エステロス様……。

 皆が、一歩後ずさる。

「貴様等、遊びが過ぎるぞ!」

 ――あ、あ……。

 まるで親に怒られた幼い子どものように、縮こまって下を向くばかりの兵士達。幸いにも、悪い遊びをしていた自覚はあるらしい。

「今後、このような集まりは禁止する。はぁ……何かするにしても、もう少し健全なものしろ。分かったら、散れ!」

 それだけで、全員が逃げるようにその場を後にする。

 エステロスはそれらの有象無象を見送ると、テルへと視線を戻した。

「おい、立てるか……」

「ん、ああ、リーダーじゃないか。どうしたんだ、こんな獣の集会所に来て」

 命令されるがままによろめきながら立ち上がったテルの右手を掴むと、自室へと向けて歩き出すエステロス。

 当然、ナイフは肩に深く刺さったままだ。

「来い!」

「え? ちょ、待てって。せめて、こいつを抜き去ってからでもいいだろ?」

「いいから、来るんだ!」

 と、手を引かれて連れて行かれるテルの瞳は困惑している。

(おいおい……)

 このまま牢獄にでも連れて行かれるのではないか、なんていう不安もなくはない。

 そうなれば、その内に意識が遠のいて死んでしまう。

『上手くいきましたか?』

(ああ、もちろん)

『怪しいところですね』

(いやいや、こういうのは流れに乗るものなんだよ)

『……』

(信じなくていいぞ。そっちの方が面白い)

 連れて行かれている道中で繰り広げられたテルとティスとの裏のやり取りを、エステロスは知る由もない。


 肩から腕を伝って滴る血液の量は尋常ではなく、放置すれば失血死すらありうる。

それに、どう見ても深く突き刺さったナイフの有り様から察するに、もがき苦しんでいてもおかしくないような状態だ。

 なのに、苦痛など感じていないように、当の本人は顔を青白くさせながらもヘラヘラと道化師のごとく笑っている。

 エステロスは足早に自室に入ると、テルを強引にベッドへと座らせた。

 その顔は憤怒に燃えていながらも、明確に憂慮しているようだった。

「分かっているのか!? 貴様は純粋なヴァンパイアではないんだぞ! 治癒力は人間よりは幾分か高くとも、純粋なヴァンパイアには大きく劣る。臓器を損傷したとしたら論外だ。頚動脈を切られても、当然、助かる可能性は低い。もちろん、肩にナイフが刺さったとしても出血多量で死ぬかもしれない。そういう存在だ。身の程を弁えろ!」

「あー、この距離ならそんなに叫ばなくても聞こえるぞ。頭に響くだろ。もちろん、分かってる、俺だって、馬鹿じゃない。大体、こんな痛い怪我する気なんてなかったよ」

「はぁ……」

 エステロスは、テルの肩に刺さったナイフを右手で握り、素早く抜き去った。

「あぁ! 傷口を広げないためにも、もうちょっとゆっくり抜くのが適切だろ。それだと、ほら、痛すぎる……」

「ふん、自業自得だ馬鹿者が」

 そうは言いながらも、エステロスは消毒液を抉れた患部へと掛けどろどろした液体を傷口に塗り込むと、慣れた手付きでそそくさと包帯を巻き始めた。

「あーおい待て、キツく巻き過ぎだって……」

「うるさい、黙って反省してろ!」

 手際の良い処置だ。

それ以上、テルも文句は出てこなかった。あくまで総司令官の命令だ、黙れと言われたなら口を紡ぐ。

暫く続いた微妙な静寂を破ったのは、口達者なテルではなくエステロスであった。

「どうしてあのような集会に参加したんだ?」

「どうしてって、暇つぶしだろ」

この基地は、多くのヴァンパイアが暑苦しくひしめき合っている割には、想像以上に何もない空間だ。

テルがこの一週間の日記を付けたとするならば、あの個性豊かなルームメイト達と雑談しているかトランプに勤しむか、女の好みのタイプをそれぞれに出し合って妄想に耽るか程度でしかなかった。

ならば、あのような多少はテンションの上がるイベントに参加したくなる兵士達の気持ちも理解すべきだ。

「暇つぶしに肩を抉られていたら、何度死ぬことになるんだろうな?」

 それでも、エステロスは皮肉を込めた罵倒をテルへと投げかける。

「とはいえ、ほんとは見物だけのつもりだったんだがな。喧嘩なんて、もう長いことしてなかったし」

 殴り合うだけのショーならば腐る程に見てきたが、テルにはまったく興味がなかった。

 たかだか、客を喜ばせるための見世物でしかない。

太古の昔からある退屈な、催し物だ。

 それでも、手出ししたのは――。

「なら、どうして?」

 最初は野次馬の一人でしかなかったテルが唐突に参加の意を示したわけ、それは実に簡単な話だ。

「ま、言ったら見物客の中にいるお前が目に入ったから、だな」

「気づいてたのか……。まあいい、それがどうしたというんだ?」

 疑問は残る。

 ある程度の距離を取って傍観していたはずだ。それに、兵士達が一挙に集まるような人混みだ。その中から、エステロス一人を見つけることは困難だ。

 エステロスは頭に浮かんだ疑問を一旦捨てて、もう一つの審議に目を向けた。エステロスが見物していたことと、テルが殴り合いイベントに参加する意義の関連性について。

「いや、せっかくお前がいるなら、良いところを見せようと思ってな」

「わたしへのアピールだと? そんなことでわたしが褒めてくれるとでも思ったのか? 馬鹿者が! 兵士同士の殴り合いなど滑稽でしかない。ましてやあれは、もはや度が過ぎていたぞ」

 エステロスは大きな嘆息を漏らした。

「俺に失望したか?」

「規則を守れない奴を高く評価しろ、というのは無理な話だな」

 エステロスは、低い声で忠告する。

 敬意を欠き、規則は守らず、無意味にも大怪我を負った――流石に本気で憤慨しているのかもしれない。

(あー、そうなるか……なら)

 あまり心に響いていない微妙な反応、このままでは進展があるとは思えない。ならば、別の方法を試せばいい。

 心の揺さぶり方など様々だ。

 それは、眼前の総司令官エステロスに対しても同義である。これでダメならあれで、あれでだめならそれでと、あらゆる手段を用いて深く懐に飛び込めばいい。

「んー、でも、そう言う割には今こうして俺を治療してくれてるだろ?」

「それは、貴様の馬鹿さ加減を見ていられなくなったからだ」

 嘆息を漏らしながらエステロスは嘲笑うように呟いた。

「ほんとにそうか? 医療兵なら、あの場にもいただろ。俺が気に食わないのであればなおさら、そいつらに任せておけば良かった。お前自ら俺の治療をする必要はないはずだ」

「それは……」

 だが、その質疑を問われて初めてエステロスは口篭った。

 自分でも熟知しているはずだ。どうしてあの場で体が動いて、自ら割って入ってテルの前に立ったか。

 それは、勇敢な姿に惚れ込んだから――などでは決してない。

 たった一人、初めてだ。

 仲間はいても、それはあくまで違う者達だ。

この国は、人間とヴァンパイアが交わることを厳しく禁じている。もし見つかれば、親族もろとも死刑になると法律で決められている。そういう情勢から、バルロイは自然と消滅する節理だった。

仮にバルロイがまだいたとしても口に出して公言する者などいない。ひっそりと身を隠し、種族を偽り、静かに生きていく。

 だからこそエステロスは独りだった。

ただ、そんな孤独な生涯に現れた最初で最後になるであろう同族を、気遣わないわけにはいかなかった。

(そんなところか……)

 一方で、エステロスは総司令官だ。あくまで部下は平等であり、一人の兵士を贔屓することなどあってはならない。

 だからこそ……。

「この場だけの戯言だと思って聞け」

「ん……ああ」

 テルもこの先は、既に分かっている。

「確かにわたしは貴様を気に掛けている。それは、貴様が数少ない、いや、生涯で初めて会う同族だからだ。これで満足か?」

 嘘偽りなく、事実を吐き出した。あまり総司令官としては良くない心情であると知りながら、己の心の内を止めておこうとはしなかった。

 実際、エステロスはテルについて考える日も少なくない。とはいえ、それくらいの贔屓は許されるだろう。

同じ瞳の色と歯と志を持つ者同士なのだから。

「そうか、てっきり取り繕うかと思ったんだけどな。そこは素直なんだな」

「取り繕う必要などない。紛れもない事実だ。貴様は、わたしが初めて出会った同族だ」

 エステロスは初めて、怒りも悲しもない屈託なき真剣で実直な眼差しをテルへと向けた。

(いい顔するなー)

 二人の間に暖かい空気が生まれる。

「ほら、治療は終わったぞ。長居すると、他の者にどう思われるか分からん。もう行け」

「はいはい」 

 とはいえ、そんな時間も長くは続かない。

 包帯がぐるぐるに巻かれた肩を一回転させると、テルはエステロスの言葉に従って扉の前まで歩を進めた。

 そこで、もう一度だけ振り返る。

「たまにここに来て雑談してもいいだろ、数少ない同族として」

「……」

 エステロスは何も言わなかった。それはある意味、明瞭な答なのだが。

「じゃあな」

 それだけで、二人は一本の糸で繋がれた。

『予想は良い方に転がりましたね。彼女は、あなた様という同族を放ってはおけなかった』

 心の中からそんな言葉が囁かれ、思わず笑い出しそうになる口をテルは必死に噤んでその場を後にした。


 その一室は、一般兵が押し込まれている大衆部屋とは比べられない程に綺麗で、大きな本棚まで置かれて、更にたった一人で使えると言うではないか。

そこが、本来であれば入れない敷居の高い場所であることは承知している。

だが、不機嫌な部屋の所有者などお構いなしにテーブルに足を載せ、大きな欠伸を漏らしながらいつ発行されたのかも分からぬ新聞に軽く目を通している男が一人。

そんな不躾な男――テルを横目に溜息を付くのは、エステロスである。

かれこれテルが入隊してから三ヶ月が経ち、このような光景が日課になってしまった。どうしてこうなってしまったのかは、エステロスにもよく分かっていない。

あれよあれよと自室に入ることを許していたら、いつの間にか対等に話をするようになっていた。

今では完全に上下関係が崩壊している。

それが原因で、最近アンティ・パシ内部でも由々しき事態が起きている。

「最近、妙な噂が立っているのを知っているか?」

「ん、どんな?」

 一寸、恥じらうように躊躇って顔を少し赤らめたエステロスは、視線を下に向けながら口を小さく開いた。

「貴様とわたしが恋仲にある、というものだ」

「んー、それが?」

 丸っきり興味がないように、テルは新聞に顔を埋めながら適当な返事だけを返した。

 当事者の微妙な反応に、エステロスはつい苛立ってしまう。

「それが……ではないだろ! 分かってはいないようだから言っておくが、わたしは総司令官だ! ここでは恋愛禁止の規則は設けていないが、総司令官であるわたしが色恋に夢中なんて話になれば兵士全体の士気に関わる」

「でも、満更でもないだろ?」

 今度はエステロスに顔を向け、テルは煽るようにニヤついた視線を送る。

 そんなおどけた口調に、まともに慌てふためいて、棚に頭をぶつけて盛大に中身を床へとぶちまけてしまうのが、エステロスの子供地味たところを表している。

 身を乗り出して、テルに顔を近付けて憤慨する。

 こんな調子だからこそ、からかい甲斐があるのだが。

「な、何だと!?」

「はは、ああ、そんな怒るなよ、もちろん嘘だ。んーでもまあ、お前と俺が仲良くなるのは別に普通のことだろ? 何でそれでどうのこうの言われないといけないんだ? 問題なんてない。違うか?」

 エステロスとテルは唯一の同族だ。お互い一度も見たことも聞いたこともなかった、初めて出会う同じ瞳と牙を持つ同士なのだ。

二人が、自然と同調してしまうのは半ば必然とも取れる。

だからこそ、そういう噂が飛び交っていたとしても外野から何かを言われる筋合いはないだろう。エステロスとて総司令官であることを除けば、ただの仲間でしかない。親しい友人の一人、許されてもいいはずだ。

「そ、それも、そうか……」

エステロスはそんなテルの正論に、静かに微笑んで呟いた。

 束の間、沈黙が訪れる。

 やがて、エステロスは口を開いた。

「貴様はわたしと同族だ」

「ああ、そうだな」

「わたしは同じバルロイをを見るのは貴様が初めてだ。だが、その生涯が厳しいものであることは我が身を持って分かっている、つもりだ」

 エステロスは弱々しい口調で語り始める。

 村は焼かれ、村人も両親も皆死んでしまった。それまでの生活は普通の幸せであったのに、一日にして全てが瓦解した。絶望し、反乱軍を作り今に至る。

 ここまで波乱万丈ではなくとも、バルロイとして何かしら仕打ちを受けてきたのには違いない。今の国の方針が、そういうスタンスで固まっているのだから。

 テルは回りくどい言い方がついつい面倒になってしまう。

「ま、そうだな。で、何が言いたいんだよ?」

 エステロスはテルに真直ぐ瞳を貫かれ、観念したようにある質問を口にしてしまう。

「聞かせてくれないか……、貴様はどんな人生を送ってきた?」

 一秒経って……。

 二秒経って……。

 三秒経った……。

「あ、あー、ああ。んー、いいとも」

 テルは完全に声を詰まらせていた。

「別に語りたくないなら、する必要はない。ただ、興味本位で聞いただけだ」

「いや、そ、そんなことはない、な……是非とも話したい、同族のお前に」

 否定するテルの表情には、多量の汗が滲んでいた。

 これは重要なイベントだ。互いの心を分かち合う上で、過去を打ち明けることは心を掴む最短経路なのだから。

 逃すわけにはいかない。

(ふう、大丈夫だ。今、考えた……)

 深呼吸して、ゆっくりと口を開いた。

「俺の人生は、そこそこ酷いもんだった……。学校では無視されるし、近所に住んでいる奴らからの罵倒は日常茶飯事で石やらビンやらが飛んでくることもしばしば。おまけに両親はまともな職に付けず、挙句の果てには強制的に離婚させられて、俺は母親の実家で隠されて暮らしてきた。それ以来学校にも行ってないし、父親の顔も見てないな。どうなったのかも、不明だ。それから暫くの間は身分をヴァンパイアだと偽ってスーサ国立武器庫で奴隷として清掃員をしていたが、バレそうになって隙を見て抜け出した……それから、路頭に迷った俺はお前の組織に参加して今に至る。ま、こんなもんだ」

 テルは苦笑と共に、まくし立てて見せた。

 その中身は紛れもなく暗く聞いているだけで辛くなりそうな、だが一方で、ありふれたどこにでもありそうな身の上話でもあった。

 とはいえ、疑う理由などなかった。

いや、もはや疑念を抱くこと自体が失礼に当たるとエステロスは感じていた。

それくらい、心のどこかで同族であるテルを信じ込んでいた。

「……そうか。でも、親は生きている。まだ、マシだな。……わたしは、ある日、学校から帰宅すると、村が焼き尽くされていた。そこには、何も……何も、残っていなかった」

 今でも目に焼き付いて離れない。

 抱き合って灰となった両親の焼け焦げた死体を忘れられるわけがない。

 拳を握り締め唇を噛み締めるエステロスの今にも崩れ落ちそうな表情を見据え、テルはそっと右手を添えた。

 どうにもならない過去を嘆いても仕方ない、とでも言いたげな顔だ。

「だから、そんな世の中を変えるんだろ?」

 その言葉には確信があった。

 きっと、普通ではない、状況を鑑みれば。

 どこがずれている……確実に。

 でも、この一片の狂いもない表情……一貫性を持ったテルに、エステロスは頼もしさだけを感じていた。

 本当に、全てが変えられそうな――いや、これから変わっていくような、そんな感覚だ。

「ああ、そうだな」

 ようやく話せた……。

 同情も哀れみもなく、初めての理解者と誰とも分かり合えなかった痛みを共有できた。

 その瞬間、エステロスは、紛れもなく救われたのだろう。

 同時に、新しい拠り所を見つけてしまったのだ。


 エステロスの部屋から満足した表情で出てくる新兵、テルを凝視する者がいる。

「彼は一体、何者だ……」

 副司令官、マラカスだ。

 良いイメージなど、初めから持っていなかった。外見は完全に頭の悪そうなひょうきん者でしかない。世間知らずで礼儀知らず、にも関わらずその種族の特異性故に容易くこの組織へと加入した。

ただ、仮面を被った奥底に眠る情念は絶対的に別物だ。底の知れない『何か』意図があることを、マラカスは確信している。

外見からでは、まったく思考が読めなかった。

だからこそ、その不穏さに畏怖すら覚えてしまう。

加えて――。

「瞬く間にエスに取り入った」

 バルロイである共通点を起点にして、たった三ヶ月足らずでテルはエステロスと確かな関係を持った。ただの一人の部下でしかなかった存在から、対等な立ち位置まで昇華したのだ。

 エステロスは既にあの新兵に惹かれている。

感情表現が豊かになり、特にテルに対しては誰の前でも決して作ることのなかった多くの表情を見せている。

先行きも見え透いている。エステロスとテルの間柄は、もはや制限時間付きだと判断しても過言ではない。

 そうなるならば、勢力図も容易く入れ替わるだろう――全てはテルにそんな策略が、あるならばの仮定でしかないが。

 出来すぎている。

 マラカスは唇を噛み締めた。

「何が目的なんだ……」

 深く探りを入れるべきか。

「いや、まだ早い」

 マラカスは視線を外すと、その場を後にした。

 彼もまた、底知れぬ意図を含んでいるのだ。


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