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Debug  作者: 岡本翔平
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Episode1

Episode1 希望


 これは、とある世界の話だ。

さらに掘り下げるなら、ストリビアという大国の片田舎で発生した、どこにでもあるつまらない話だ。

一方で、全てに繋がる重要なワンシーンでもある。

バタフライエフェクトなんて言葉があるが、そんな因果応報を体系的に表すであろう一幕かもしれない。

 さて――とある少女の両親はしがない農家だった。

 少しばかり『問題』を抱えていたとしても庶民として、幾坪かの土地で数種類の野菜を育てるしがない生活を送っていた。経済的に困っているわけでもなく、身の毛もよだつような妙な事件に巻き込まれることもなく、起こる不祥事は猛獣による畑荒らしくらいだ。

 少女もまた、学び舎へ通い一般教養を身に付ける日々を送るだけであった。

誕生日には望むままに好きな贈り物が与えられ、朝昼晩の全てにおいてバランスの取れた食事が用意される不自由のない環境だ。

いくらかの親しき友人を持ち、無邪気に笑って外で走り回っていた。

おまけに少女の体は強く、身体能力は大人顔負け、それ故に村の人気者であった。

なんてことはない、幸せ。

変わらぬ日常が永遠に続けば良い。だが、事故はいつだって『乱数』でやって来る。どこかの誰かが幸せであるように、どこかの誰かはどうしようもなく不幸に見舞われる。それは、誰のせいでもない。

神は、そうやってバランスを取っているのかもしれない。

きっと、前触れはあったのだろう。片鱗はあったのだろう。だが両親は幼い少女には惨すぎるその『問題』を隠したために、少女は知ることができなかった。

まともな心の準備すら、する暇はなかった。

気づけば、目の前に広がっていた。

 ある日、少女が学校から帰宅すると……。

 

 ――全ては終わっていた。


 予感など、なかった。

 村は一面煙に抱かれ焼土と化し、小さな小屋の扉の前には燃えかすとなった人型の何かが腕を伸ばして倒れ伏していた。

 息が止まって、鼓動が急速に脈打った。

 それは、決して黙々と立ち上がり続ける煙によって体内が毒されたことが原因ではなかった。

 何故?

 その疑問に答えるように――ちょうどそのとき、通りすがりの旅人である青年もその惨状を傍観していた。それから彼は、立ち尽くして呆然としていた少女へと歩み寄り、少女が知らなかった現実を語った。

 ――人間とヴァンパイアは、まるで水と油である。

王は傲慢なヴァンパイア達を嫌い、彼らに隷属身分『シュドラ』を与え――そして、人間とヴァンパイアのハーフを半魔『バルロイ』として扱い、処刑する法令を出した。

ヴァンパイアの多くは奴隷として強制労働を強いられるか、密かに辺境地帯で暮らすか、二つに一つとなった。

 道端で飢えて野垂れ死んだとしても、人間に嬲り殺されても、問題にはならない。其処ら中に生えている雑草と変わらない、何の権利もない者となった。

少女の村は人間、ヴァンパイア、――二つの種族が入り混じったこの国最後の『混種の村』であった。

そして、少女はバルロイとして生を受けた。

それだけだ。

なのに、一方的な王政は時間差もなく全てを終わらせようとした。

人間に危害を加えたわけでもなく、ただ農業を営むだけのどこにでもあるのどかな村だ。事件を起こした犯罪者など一人としていなく、ヴァンパイアも人間も互いに協力し合って生きていた。

なのに、流れる血だけを判断して滅されたのだ。

 そんな理不尽があっていいのか?

 いいだろう、とほとんど多くの者は理解している。この世の中は、正しくない論理で一部の権力者達が得をして成り立っているのだから。

だが、幼い少女には受け入れ難い事実であった。

絶望か。

 疑念か。

 憤怒か。

 無心か。

 最後に少女の胸に残ったのは、どこにでもあるくだらない復讐心だけだ。

 数年が経ち――数多くの教養と武術を身に付けたかつて非力な少女でしかなかった彼女は、独りで立てるだけの力と意志を持った。

 そして、彼女は生きる標を得た。

 数多の殺戮、奴隷化――ヴァンパイア達を絶望に追い込んでいた王、イルトムソン・シュレーゲルを討つ大義を心に誓ったのだ。

 当然、彼女と共に立ち上がる者など多くはなかった。精々、数人の友だけであった。民は、王の粛清を恐れていたのだ。反逆者には、苦痛の死だけが待ち受けていると分かっていて、おいそれとレジスタンスには加われない。

 とはいえ、あまり時間は掛からなかった。一〇人にも満たない構成員は、一ヶ月で五〇を超え、半年で三〇〇、一年で一〇〇〇を超え、そのまま増え続けた。彼らは皆、同じ志を持った量産型のレジスタンスである。

 彼女は、彼らと共に多くの戦場を作り上げ、戦果を挙げた。

それでも、それより多くの敗北を味わった。

 そして、今も――。


 ストリビア国、アロビアン市東地区――かつては多くのヴァンパイアがいた緑溢れる集合住宅街は、現在、血なまぐさい紛争地帯となっていた。

 銃声が響き渡る毎日の中で、壁は赤黒く染まり、道端には首や腕のない判別不能な死体が片付けられずに放置されている。ここに死体があることはもはや常識、わざわざ処理しようとする者もいないのだ。

 今日もまた銃声と阿鼻叫喚の日常だけがそこにあった。

 レジスタンスと政府軍がそれぞれ数十人程度――互いに一定の距離を保ち、随所に散りばめられたコンクリート製の建造物の影に隠れて、睨み合っていた。

 無益な殺し合いだ。

 それでも、レジスタンス『アンティ・パシ』総司令官ティンバートン・エステロスは自ら戦場に立って、指揮を取る。

 硬い黒のブーツと重装備で覆われていようと、肩まで伸びた黒髪は戦場に似合わず華麗で、その隻眼は一縷の憂いもなく凛としている。

「……ふぅ」

 溜息と共に重たいアサルトライフル――M202A0の銃口を、窓から顔を出していた政府軍兵士へと合わせて弾丸を発射する。放たれた鉛玉は確かに敵の頭を撃ち抜き、血飛沫が辺りに飛び散る。

一人の命が音もなく消えた。

 ただ、エステロスとて無傷で済むわけではない。総司令官である彼女に飛んでくる鉄の雨は数知れず、その何発かは防弾アーマーを纏った腹部へと被弾していた。

口元から濁りなき綺麗な血液が滴る。強靭な肉体とはいえ、秒速五〇〇メートルで飛んでくる鉛玉の衝撃は決して蔑ろにできるものではなく、息が詰まり体に巡る鈍痛は計り知れない。

 とはいえ、怯みもしない。

複数の痛撃を受けてもなお、エステロスは赤く染まった歯を剥き出しにして笑ってみせる。

「あぁ……」

 こんなつまらない戦地で死ぬ気など、毛頭ありはしない。

目的を果たしてこの国があるべき未来を築くまでは、生き続けけなければならない。

一方で、心に溢れかえった闘気とは裏腹に、別の思の介入があった。

「おい、エス!」

 壁に背中を付け、視線を声のした方へと移す。

 そこには――かつて青年だった恩人、レジスタンス副司令官のナタレーヌ・マラカスが険しい表情で発砲し続けながら、エステロスへと顔だけを向けている。その弾道は正確無慈悲に、敵の急所に命中している。

 銀髪も砂埃にまみれ、顔はススだらけとなっていたとしても、他とは一線を画した濃密な紅色の瞳が凄まじい覇気を放っている。

「マラカス、どうした?」

「一〇分後に政府軍の援軍が来るぞ! 兵を引かせるんだ!」

 政府軍は数だけで言うと、レジスタンスの兵士の比ではない。仮に、制圧できるだけの数を揃えられたとするとひとたまりもない。

 エステロスは瞬時に思考を巡らせる。

 ここで撃ち合い続けていたとしても、いずれ全滅するのは目に見えている。つまり、今日も何の成果も得られることなく、十数人の部下を失ったことになるが――撤退、以外の選択肢はないのだ。

 最近、いつもこうして敗走している。

(間違いなく全体の士気も下がってしまう……)

 とはいえ、今は考えていられなかった。これ以上の被害を抑えるために、いち早く部下達を先導しなければならない。

エステロスは懐から発射口の大きな信号拳銃を取り出し右手に携えると、腕を伸ばし銃口を上空へと向ける。

破裂音と共に撃ち出されるのは、青い光を放つ発煙弾である。

――青の発煙弾が見えたら、サートリビアへ退却しろ。

アロビアン東地区の最端からさらに東へ二キロ進んだ先に広がる、ストリビア国最大のジャングル『サートリビア』――暗く、解明されていない得体の知れない森である。

つまり、政府軍とて迂闊に踏み込めない危険地帯だ。

あらかじめ決められていた命令に従って、レジスタンスの兵士達は順次、発砲を止め、まどろみの森の中へと向けて迷いなく後退していく。忠実に、女王蟻の言葉に従っているのだ。

エステロスは最後尾に位置し、全員が引き上げ始めて問題が発生していないことを見届けると、自らも行動に移ろうとする。

が――普段と異なるイレギュラーは、エステロスを呆然とさせるようにそこに広がっていた。

きょろきょろと辺りを見回し、転がっている仲間の死体に思わず腰を抜かして尻餅を付き、おどおどと状況を掴めないでいる新兵が、その場に釘付けとなって死を待つのみとなっていた。

挙句の果てには、遥か前方から己の頭部に銃口が向けられていることにすら気づいていない。

所詮、隊列を乱す役立たずだ。居たとしても、部隊に取って利得になるような者でもないのだろう。

加えて、エステロスは総司令官だ。リスクを負うわけにもいかない。

――見捨てるか。

だが、仲間である事実に変わりはない。レジスタンスの兵士の証である『白銀の剣を持つ女神』が描かれたリストバンドは左腕に取り付けられていた。

それに、ここで『ただの一歩兵』である彼を見捨てれば、指令官として何かを失う気がした。いや、癖になってしまうような、そんな恐怖が心に釘を刺した。殺人は癖になるとかつて誰かが綴ったように、『切り捨て』を繰り返す性分にはなりたくなかった。

彼に銃口を向けている敵はたった一人だけだ。動きを止めている的に対して、引き金に指を掛け命を刈り取ろうとしている。

「くそっ!」

今一度、エステロスはアサルトライフルを持ち上げる。時間差もなく、照準を定める。

『救う』選択をした以上、迷っている暇はなかった。


 男――いや、テルと呼ばれる青年は存じ上げぬ戦場の真ん中に、指示されるがまま立たされていた。

 窓ガラスの割れたヒビだらけの崩れかけた建造物の群体、そこは爆破音と銃声鳴り止まぬ紛争地帯であり、吐き気を催す頭部の抉れた死体が足元に転がっていた。

「ああ、抉いのは嫌いじゃないが、これはちょっとな……」

テルは、死体が視界に入り思わず顔を顰めて口元を抑えてしまう。

『吐いてる時間はありませんよ。早く済ましましょう』

 とはいえ、心の友ティスは急かしてくる。

 突然、丸腰で戦場に放り込まれて文句を垂れたとしても、時間と死は待ってくれない。少しでも気の迷いがあると、知らぬ間に息絶えている。

「あーあー分かってる」

 テルは頭を掻き、腰を低くして行動を開始した。

『西へ一〇メートル、それから北へ一五メートル進んでください』

 指示に従い、無数に聞こえる足音を避けながら建造物の合間を通って進んでいく。

丸腰である以上、ライフル銃を持った敵と出くわせば間違いなく死ぬ羽目になる。できることは、お祈りくらいだ。

そうして、指示された地点に到達した。

そこにあったのは一つの死体である。

「ふぅ、あー……で、お次はどうしろと?」

『空を見上げてください』

 ティスに言われた通り、テルは上へと目線を向けた。

 遥か上空には、青い閃光が輝いていた。

「何か青く光ってるけど、それがどうかしたか?」

『どうやら、レジスタンス側が撤退の合図を出したようです。では、死体の左腕からリストバンドを拾って左腕に付けてください』

「ん? ああ、これね」

 言われるがままに死体を見下ろした。

 確かに綺麗な顔のまま死している男の左肩には、剣を持った女性が描かれたリストバンドが付けられていた。

 テルはそれを拾い上げると、すっと左腕に通した。

「で?」

『一〇秒待ったら、尻餅を付いてください』

「んー? 何だ、それ。まあ、いいか」

 時間通りに一〇秒経つと、テルは演技感丸出しによろめきどよめいた顔で、大袈裟に尻餅を付いた。

 三秒待っただろうか。

「それで――」

 ティスの次なる指示が飛んでくる前に、事は起こっていた。

 一発の銃声と共に、誰かの足音が迫ってくる。

「おいっ!」

 突然、何の前触れもなく登場した凛々しい黒髪の女は、怯えた外見のテルの前に立った。

 もちろん、見知らぬ人物だ。

「ん? あ、ああ? ちょ、ちょ、待った! 撃たないでくれ! 実は、面白い話があるんだって――」

 戦場とは思えない程、軽装備な白いシャツに青の短パンで武器も持っていない場違いな姿に、取材に来た新聞社の者とでも勘違いされたのだろうか。すぐさま、撃たれることはなかった。ともかく、不抜けた顔とおかしな文言で降伏を主張するしかない。

「何を言っているんだ! 仲間だろ! 早く立て!」

 しかし、どうにも反応が違った。

テルがたった今拾ったリストバンドと同じ物が彼女の左腕には付けられており、仲間であると主張してきている。

 ならば、乗らない選択肢などあるはずがない。

 どの道、ここにいても死ぬだけだ。

「え? あ、ああ、ありがとう」

 テルは手を取り、呆けたまま立ち上がる。

(誰だよ……)

『すぐに分かります』

(はあ?)

 思わず自らの手を引く女をまじまじと見入ってしまう。

「撤退だ! 急げ!」

 一方、当の彼女はそれどころではなかった。

 悠長に立ち止まっていられない。

 少し時間を取られたおかげで、今度はより多くの銃口を向けられていた。このままでは、救った甲斐もなく自分自身も死んでしまう。

 と――総司令官であるティンバートン・エステロスは、危険な状況に目を回した。

 安全地帯まで導く方法を、瞬時に考える。

「いやー助かった。いきなりゲームオーバーになるとこだったよ……」

「……黙って走れ!」

 肌の露出が激しい普段着を身に付けた青年。このような軽装では、どこに銃弾を掠めたとしてもほとんど致命傷だ。身動きが取れなくなり、そのまま蜂の巣にされる。

 なのにも関わらずだ――。

 数センチ横を銃弾が掠めていながら、横にいる青年はまるで恐怖心などないようにエステロスに言葉を投げかける余裕を持っていた。エステロスはそんな彼へ違和感と憤慨を覚えならがも、考えている時間もなく走り続けた。

 幸いにも、これ以上政府軍が追ってくる様子はなかった。

 二〇分は走り続けただろうか。

 先に後退した部下達に追いつき、ようやくエステロスは安堵の息を漏らした。

 ゆっくりと息を整えて、なんてことないジャングルの風景を不思議そうに見つめている青年へと、向き直った。

「ところで……貴様は、見ない顔だな。新兵か?」

 長年滞在している兵士ではないだろう。エステロスの記憶のどこを手繰ってもこのような顔に見覚えがなかった。

 もちろん、溢れんばかりに入隊してくる新兵であれば納得できる。

「そうそう、今日来たばかり。ユピテル・テルだ。お前は?」

「アンティ・パシ総司令官、ティンバートン・エステロスだ」

 その名を初めて耳にすれば、ほとんど多くの者は狼狽する。

 冷や汗を流し背筋を伸ばし、敬意のない今までの接し方に対し頭を下げて謝罪を述べるか、一歩引いて固まってしまって声を出せなくなるか、あるいは尻餅を付いて失神するか……。

 だが、テルの反応はそのどれでもなかった。

「え、あー、お前がそうか。よろしく、総司令官殿」

 何の躊躇も畏怖もなく、表情一つ変えずに差し出された握手に、思わずエステロスは応じてしまう。

「あ、ああ」

「お近づきの印に俺のジョークでも聞いてみるか?」

 明らかにその態度には、エステロスへの敬意が欠けていた。まるで友人との雑談の一幕のようだ。

 一寸、彼女も唖然として硬直してしまう。

「結構だ。それにしても、その服装は一体……」

 言いかけて、エステロスはようやく歪さに気づいた。

 この青年の決定的な不審感についてだ。

 眼前に突然現れ、退却命令を無視して彷徨っていた見知らぬ兵士――『アンティ・パシ』の証であるリストバンドは付けているが服装は極めて軽装、防弾ベストすら着用されておらず、もちろん配布されているはずのライフル銃も装備していなかった。そして、総司令官のエステロスに対してこの態度――全てが奇妙だ。

「それに……」

 そもそも、何故、こんな戦場にいたのか……入隊したばかりの新兵は全員、拠点に集められて教育を受けていたはずだ。

 冷静に鑑みる程に、歪である。

 と、なればある可能性が浮上してくる――ユダとしての。

「ん、どうした?」

「いや、何でもない」

 エステロスは視線を逸らし、一旦、思考を切った。

 この場で決め付ける必要もない。拠点に戻れば、すぐに分かることだ。その辺りの規則は、しっかりと設けられている。


 四時間は歩いただろうか。

 舗装されていない獣道をひたすら進んでいく。

 森は一層暗くなるばかりで、もはや鳥のせせらぎと蛙の唸り声しか聞こえてこない。仮にもこの場に一人取り残されれば、ものの数時間で頭がおかしくなってしまうだろう。

 それでも、一行が目的地にたどり着いたとき、眼前にはこのような深い森に合わした巨大な廃墟がそびえ立っていた。

「ん、あー、これは……楽しそうだ」

 思わず苦い声が漏れ出てしまう。

 まず、蔦の生えた錆びれた門が出迎えてくれる。次に目に入るのは、都市中枢の煌びやかな外装の住宅街とは大きく異なる、苔に覆われた不気味でヒビだらけの外壁である。

誰がどう見ても、肝試しに選ばれる廃墟でしかない。

 一方で、ある意味適切ではある。

 ただでさえ未開拓のジャングルの中にある、遥か昔に建てられた古城だ。存在をこの上なく認知されにくいだろう。仮に政府がおおまかな位置を把握していたとしても、勝手が分からないために迂闊に兵を送り込めない。

これ以上なく、レジスタンスの拠点の立地としては素晴らしい。

よく、考えたものだ。

 一驚を喫しているテルの様子を横目に、エステロスは心内で呟く。

(この拠点についても知らなかった……か)

 あくまで表には出さない。

 まだ、核心には至ってない――ピースは残り一つで揃う。

「貴様が今日から住む家だ」

「ほう」

 テルはエステロスを一瞥した。

 残念ながら、既に出会った瞬間とは違う不穏な表情をしている。

『疑われていますね……いえ、ほとんど確信を抱いています、あなた様が裏切り者であると』

 どこからともなく現れたティスが口出ししてくる。

 当然、理解しているとも。

(はは、問題ない。黙って見てろ。こっちには切り札がある)

 とはいえ、テルはまるで気にした様子もなくティスとの会話を切り上げ、エステロスへと向き直った。

「あー、待った。みんなここに住んでるのか? とてもじゃないが、全員が入るようには見えないぞ」

 エステロスは、首を横に振った。

 まさか万単位で存在する構成員を一箇所に集めているわけがない。そんなことをすれば、政府に攻め込まれたときに袋の鼠同然に、容易く殲滅されてしまう。

「いや、ここは五つある拠点の一つだ。まあ、どこも同じようなものだがな。他にも、国の中に一般人として潜伏している者も大勢いる」 

 エステロスは肩を竦め、実態を語った。

「五つの拠点、か。なるほど、素晴らしい」

 分散し各拠点を持つことによってリスクを減らしている――『アンティ・パシ』は巨大な組織としても、正しいあり方を取っていた。

 全ての面において、よく統制の取れたレジスタンスだ。

 それだけではない。この拠点はそこまで単純でもなかった。裏側はもっと複雑で、思考され、手が込んでいる。

 城内大広間の中心には、一つの大きな穴があった。地下に続いているであろうその入口の脇には二人の警備隊員が立ち、全ての兵士達は巣へ戻る働き蟻さながらに、中へと消えていく。

 これで、秘密基地としての要素も取り揃えたわけだ。

 促されるまま、電灯も少ない暗い地下への階段を抜けた先に待ち受けていたのは、複雑に入り組んだ狭い通路を、多くのヴァンパイアがせわしなく行き交う――まるで帰宅ラッシュを迎えた駅構内さながらの光景――。

(なんてな。しかし……地下にこれだけの施設を作れるのか)

『この国は、銃火器と爆薬だけではなく、建造技術もかなり進んでいるようです』

(なるほど、地下帝国にも納得だ)

 発展しているところと未開拓の分野が随分とずれている――まあ、こんなものだと、テルは知っているが。

全ての者がエステロスの前を通るときには深く頭を下げる。

総司令官への確固たる服従心を、確かに持っていた。

「ふむふむ、総司令官殿は部下の信頼も厚い……か」

 そんな風に静かにばれぬように笑みを浮かべるテルに対して、不信な眼差しを向け続けているのは、横に立つ総司令官である。

 束の間、エステロスの前に若い兵士が立ち止まり敬礼を行った。

「どうした?」

「失礼します、入隊リストを確認していただきたくて」

 兵士が差し出したのは、何やら名前のリストが記された三枚の紙である。エステロスは、その一枚一枚を手早く閲覧するとすぐさま返してしまう。

「人数と名前は確認できた。もう行っていいぞ」

「はっ」

 それだけ済ませると、兵士は足早に去っていく。

(さて――)

 エステロスは一息つくと、未だに辺りをきょろきょろと見回しているテルを睨みつけた。

 思えば今も、違和感しかない――。

「貴様、新兵と言っていたな?」

「ん? ああ、そうそう。俺今日から――」

 テルがぺらぺらと言葉を並べ立てる前に、己を取り囲む複数の存在に静止させられてしまう。

 目付きの悪い、不機嫌な男が五人だ。どいつもこいつも、鋭い殺気を秘めている余裕のない輩達。わざわざ特徴を表現するまでもない。街を歩いているガラの悪いチンピラと、あまり変わらない。

「あーこれは、どういうことか……」

 状況が掴めずに疑問を口にしてしまうテルに対して、エステロスの返答は至極単純なものであった。

「貴様の着ている服は配布されたものではなく、ここの存在も知らなかった。おまけに、貴様の名は新兵の入隊リストにもなかった。この意味が分かるか?」

 あらゆる証拠が集まっていた。

 これだけ揃えば、もはや疑う余地はない。

「え、あ……ああ、まったくだ。そんなのが、あるのか」

「ああ、そうだ。残念ながら、情報が足りていなかったな」

 勝ち誇ったように出し抜いた笑みを浮かべて、もはや殺気の篭った敵意の視線しか送ってこないエステロスの表情を見据えて、ようやく己の立場が急変したことに確信が得られた。

「まったく、知らなかったな。これは、俺のミスだ。すまない。正規の入隊方法なんてのがあるのか」

「失せろ、政府軍のスパイ……」

 エステロスの乾いた最後通告によって、取り囲んでいた男達の二人に、テルは両脇を挟まれてしまう。

 スパイの末路など知れている。散々、爪やら皮膚やらを剥がされた挙句に滅多打ちにされて死ぬだけだ。あるいは薬物中毒にされて、狂ってしまい屍同然に地べたを這いずり回るナメクジにでもなるか。

(それは……)

 どちらも面白くない。

 どの道、そんな結末は許されない。

『どうされるおつもりですか?』

 ティスも、この詰んでしまった状況に困惑しているようだ。

(はぁ、まずいな。このままじゃ、そうだな、下手なB級映画のエンディングよりも酷いことになるぞ……)

 だが、状況にそぐわずテルの瞳にはまったくもって絶望感などなかった。

 これはゲームだ……テルからすれば。

 複雑で難解で一見どうしようもない詰まされた状況だとしても、正しいルートは必ずある。

たとえそこまで単純ではなくとも、テルは最初からこの場における答を得ていた――故に、エステロスの不穏な視線も気には留めなかった。

(知っているとも)

 エステロスは民衆の意思を汲んでレジスタンスを立ち上げた。

 ところが、実際には全ての民衆ではなくヴァンパイアと、それから僅か少数しか存在しない人間とヴァンパイアのハーフであるバルロイを救おうとしている。

事実、ヴァンパイアとバルロイのほとんどはエステロスを支持している。いや、今や存在しているのかも定かではないバルロイなど数には含まれないだろうが。

そしてエステロスは、数少ないバルロイの生き残りだ。この国で忌み嫌われ、見つかれば即刻処刑となってしまうバルロイなのだ。

災い転じて――テルもまた、同様にバルロイだ。

そんな存在しているだけで汚物であるバルロイが、政府軍のスパイ? おかしな話だ。彼らはスパイとして利用する前に、殺されてしまうだろう。

であれば、それだけで解決策に成りうる。

(何も問題ない)

 両手を拘束され、有無を言わさず牢獄に連れて行かれようとしたその時――テルは大きく息を吸い込んだ。

「牢獄に拘留しておけ」

「それも悪くないが……ああ、ちょっと待った。俺に注目してくれ」

「なに?」

「ほらほら、俺の綺麗な目とか並びの良い歯とかよく見てみろ。この国では珍しい、不思議なことに気づけるぞ」

 もはやスパイと断定された者への興味もなく、その場を去ろうとしていたエステロスは僅かに動きを止めた。テルに言われるがまま、その口元、正確には備え付けられている歯と瞳に目線がいった。

 瞬間――エステロスの血相は変わってしまう。

「き、さま……」

 バルロイにはとある特徴がある。ヴァンパイアよりは一回り小さな四つの犬牙、それからヴァンパイアと人間の血が入り混じってできた唯一無二の隻眼だ。

 顔の細かい特徴など気にも留めていなかった。

ありえないと――もはや存在していないと確信していたからこそ、疑いすらしていなかった。

だからこそ、気付けなかったのだ。

 ――同じであると。

「そうだよ、俺はお前と同じ」

 テルは小さくはにかんでみせた。

 時間差はなかった。

「拘束を解け……」

 エステロスは静かに、そう命令した。

数秒前までスパイと断定していた男を開放しろ、と。あまりにちぐはぐな指示に困惑してしまうのは取り囲んでいた部下達である。

 だが、有無は許されなかった。

「拘束を解け!」

「了解しました……」

 エステロスの怒号によって、テルを囲んでいた男達は一歩引き下がった。そこには確かな疑問があったが、追求する気はないようだ。意見があったとしても、総司令官の命令は絶対であり、破ることはない。

 強い忠誠心だ。

(どこの世界も、変わんないな。信奉心って奴は……)

 皮肉った思いを胸に呟き、失笑を付く。

 そこへ――。

 騒動の中、群衆を嗅ぎ分けこの拠点を取り仕切る司令官がもう一人現れた。

「マラカス……」

 周囲を見渡し、まるで見世物でもやっているかのような集まりに、厳格な副司令官が深い溜息を漏らすのは言うまでもない。

「何をしている! 全員、散るんだ!」

 確かな憤慨を含んだ命令に、群がった野次馬達が持ち場へと帰っていく。

 全ての者が消えその場にはエステロス、テル、マラカスの三人だけが取り残される。

そういうお膳立てが整って初めて、マラカスはエステロスへと視線を向けた。そこには彼女に対する不満が溢れていた。

「こんな通路でどうしたというんだ」

「いや、それは……すまない」

 エステロスは親に怒られて縮こまる子猫のように、小さく呟いた。

 そんな返答に、マラカスは再度溜息で返すだけだ。

「まもなく定期合同会議だ。君も出席するんだ」

「あ、ああ」

 鋭い眼に貫かれたエステロスは、少し澱んでマラカスに応えた。

 マラカスの後に続いて、右に伸びた細い通路へと入っていこうとする。それでも、今一度振り返って――、

「この大通路を真直ぐ行ったところにある中央ホールで待っておけ。すぐに、係の者をいかせよう」

「ああ」 

 去りゆく二人を、掛ける言葉もなく見送った。

 想像以上に、上手くいった。

 エステロスは、意図も容易くテルをスパイである可能性から外しここへ迎え入れた。

「好都合だが、脆すぎるな」

 彼女はもし、テルがヴァンパイアであればスパイと確定していただろう。奴隷として飼われているヴァンパイアを従僕として育てあげることはわけないと、彼女自身も知っている。そんなパターンは、探せばいくらでもある。

今までに、実例もあった。

 だが……。

 自分と同じバルロイであるからといって、完全な仲間とは限らない。何らかの理由でエステロスを殺害するために潜り込んできた、ごく個人的な私怨を抱いた復讐者かもしれない。

 たとえ、そうではなくとも――少なくとも、得体の知れない誰かをそこまで信用する理由にはならない。

『彼女はバルロイであるが故に、想像を絶する酷い仕打ちを受けました。だからこそ、同族であるあなた様を仲間であると断定したのかもしれません』

 ティスは最もな解答を導いた。

「自分がバルロイだからこそ、ってわけか。はは、ますます脆いな。ま、それは後でどうにかするとしてだ……ふぅ……さてと、これからどうするかな」

 とはいえ、ここで終わってしまえばただの一兵でしかない。なんてことはない、幾千はある駒の一つに過ぎない。近付くどころか、そのまま戦場で散ってしまうしようもない命となるだけだ。

『それにしても、上手くいきましたね。こうなれば――』

「んー」

『攻め、あるのみではないでしょうか?』

 接触できなければ、何もイベントは起こせない。接触不可である関係性になるよりも前に、手を打つ必要がある。その機会が眼前にあるならば、どのような状況であれ逃すわけにはいかない。

「……会議って言ってたか」

 まもなく定期合同会議と、マラカスは言っていた。

『ええ』

「場所が分かるか?」

『もちろんです』

「よしよし」

 付け入る隙間に飛び込むまでだ。

 敬意を捨てれば、道は開ける。


 大きな鉄のテーブル一つを、六つの硬い木製の丸椅子が取り囲んでいる。

 それから、壁一面を覆うホワイトボード、そこには詳細に都市全体が模写された巨大な地図が貼られていた。その各所に画鋲が刺さっており、いくらかにはバツ印が刻まれていた。

 今日もまた、同じ印が刻まれる――敗走だ。

 重苦しい空気の中、四人は椅子に座って項垂れ、一人は極めて険しい顔付きで意味もなく地図を凝視して、残りの一人は壁を見つめてぼーっと今日出会った奇妙な男について考えている。

 椅子に座る四人――彼らは『アンティ・パシ』が持つ五つの拠点の内、それぞれが一つずつを収めるサブリーダーだ。

 陰鬱に地図を睨みつけていたマラカスは、ぶつぶつ壁と会話しているエステロスに白い眼差しを向けた。

「さて、今回も失敗したわけだ。お次はどうする?」

 エステロスの中に動揺はない。

想定されていた通りだ。ただ、内容には少なからず問題がある――尻尾を巻いて背中を向けて撤退したのだから。

 何の成果もなかった。

 だが、重要なのはもはやたかだか街中での突発的な撃ち合いの結果でもない。

 抱えている敵はもっと漠然としていて、それでいてこの国の根底へと深く突き刺さっている。

 この国のあり方、そのものだ。

 とはいえ、まずは目の前の問題へと向き合わなければならない。

「今回の被害は?」

「退くのが早かったおかげで死者は一〇名程に抑えられたよ。だが――」

「……」

 エステロスとて、理解している。ここ最近数回に渡って行われた、市街地での無益な銃撃戦……マラカスが何を言わんとするか。

「これで二連続だ。一方的に殺され続けば、兵士の士気は下がる。それは、君も分かっているはずだ。あの場で戦うのは、どう考えても敗北が決まっていた無意味な銃撃戦だった」

「次は上手くやればいい。それに、負けてはいない」

「撤退は敗北に等しいよ」

「退くよう指示してきたのは貴様だろう、副司令官殿」

 敗戦にも興味なく深刻そうな表情を見せず、エステロスはマラカスへと責任転嫁を図ろうとする。

 まるで、ゲームに負けたくらいの軽さだ。

 マラカスは溜息を返すだけだ。

「なら、あのまま全滅するまで戦い続けるのが正解だったというのかい?」

「そうは言ってないだろ。ただ、敗北と決め付けるな……」

 もちろん、限りなく敗北に近かっただろう。

エステロスはがむしゃらに戦い続ける獣でしかない……状況の把握があまりにもおごそかになっている。いくら個々の戦力に長けていても、それでは大局は覆せない。

必要なのはいつだって、戦略だ。

 対して――無謀、の一言で片付けるのが現実主義のマラカスなのだが。

(こんな君に国を任せておけるものか……)

 心の中で悪態を付く。

「……どこにも勝機などなかった」

「いつもマイナスなことばかり言うな、貴様は」

 エステロスが明後日の方向に顔を向けて、語る意味もない屁理屈を返す。それが、余計にマラカスの琴線に触れてしまう。

「何だ、その……」

 刹那、別の介入が入った。二人の兄弟喧嘩のようなやり取りを傍観していたサブリーダー達が、見るに堪えなくなって咳払いをしたのだ。

 そこで初めて、エステロスとマラカスは自分達がいかに滑稽な言い争いをしていたか気づかされる。

 今、すべきことはくだらない夫婦喧嘩ではない。これから未来を変えるために、より現実的な話し合いに戻らなければならない。

「はぁ、それで……次はどうする?」

 次はどうするか。

 エステロスとてふつふつと沸き上がる声を感じ取っている――下に控える兵士達の数と、膨れ上がった不満を。

 王はあまりにヴァンパイアを虐げすぎた。

 その――。

 悲壮を――。

 絶望を――。

 憤怒を――。

 憎悪を――。

 ――知らないで。

 あまり、下の者達が待てる時間も少なくなってきている。

 いや、それだけではない。たった数時間前に入ってきた情報によると、物理的な時間も多くはないようだ。

 エステロスはテーブルに両手を付き、顔を上げた。

「スーサ国立武器庫を襲撃する」

「なっ……」

 藪から棒に飛び出したエステロスの妄言。

 誰もが表情を固くした。

 スーサ国立武器庫――政府が保有する国内最大の武器庫であり、国の弾薬と爆薬の九〇パーセントを補っている。

 それ故に警備は何重にも敷かれており、セキュリティは王城の何倍にも値する。

 誰でも知ってる基本情報だ。

 だからこそ、襲撃する地点としてどれだけ無謀な場所かも明々白々だ。

「あの武器庫を襲う? ありえない……」

「まあ待て、何も考えなしに発言したわけではない」

 エステロスはマラカスの口を右手で制し、とある報告が記された一枚の紙を取り出してテーブルの上へ置いた。そこには事細かに文字が敷き詰められている。

 全員の視線が一つの紙に集まる。

「これは?」

「これは諜報員の一人が掴んだ情報の報告書だ。中身は大まかに言って、リパドシンと呼ばれる薬品についてだ」

「リパドシン?」

 皆、聞き覚えのない名に首を傾げた。

 マラカスとて、眉を顰めてしまう。

「政府の研究所が開発していたヴァンパイアへの毒薬だ。胴体への銃弾数発程度では致命傷には成り得ない優れた治癒力を持つヴァンパイアだが、これにはほんの少量で血を急速に凝固させ、僅か数分で死に追いやる効力がある」

「それが……、どうしたというんだ?」

 マラカスもその他のサブリーダーも、政府がそのような物を研究していることは知っていた。ただ、そんな毒薬が実用段階まで到達するとは考えず、危険には感じていなかった。

 故に、初耳である。

「その猛毒を詰めたビンが数日前、スーサ国立武器庫の第三倉庫に全て貯蔵されたとの情報を諜報員が得た」

 そこでようやく、全員の目の色が変わった。

 エステロスとて初めてこの情報を耳にしたときは、どうしようもなく驚いたものだ。目と鼻の先に悪魔のような兵器は、迫っているのかと。

 同時に巻き起こる、押し潰されるような焦りも。

「仮にもこの兵器が実用段階に至っているのなら、ヴァンパイアなど瞬く間に狩れてしまう。結果的に、この国のヴァンパイアは滅びてしまうぞ。生き残るのは、従順無垢な奴隷達だけだ」

 もはや身体能力の差など関係ない。リパドシンが塗られた銃弾が一発命中するだけ、体のどの箇所であろうとヴァンパイアはもがいて固まって死ぬだけだ。疫病が拡大するように、死滅していくだろう。

 無謀だと罵るはずだったそこにいる全員が、黙って下を向いた。

「これが、スーサ国立武器庫を襲撃する理由だ」

 エステロスは静かに結論を述べた。

 誰も反論など浮かばないはずだ。

 だが……。

「それでも、無謀だ……。別の対策を考えよう」

 マラカスは、どうあっても異を唱えた。

 あまりにもリスクだけが高すぎる案に、否定的になってしまっているのか、それとも別の何かがあるのか――ともかく、マラカスは首を横に振るばかりだ。 

 マラカスの極度に保守的な姿勢には、エステロスはいつもうんざりしている。

 だからこそ、黙っているだけの者達とは違い身を乗り出して叛意を唱える。

「対策だと? このままうだうだとやっていれば、最終的に消えるのはヴァンパイアだ。それは貴様も分かっているだろう!?」

 声を大にしたエステロスの訴えに対し、マラカスの言い分は別のところにあった。

「仮にスーサを襲うとして、一体、どうする気なんだ? 半径三キロは塀で囲まれ、武装した警備の数も尋常じゃない。不可能だ。それとも、何かあそこを突破する名案でも思いつたのかい?」

「それは……まだだ」

 エステロスは、そこで初めて口篭った。

 王国最大の警備を突破する手段など、そう簡単に思いつくはずもない。一日や二日考えて出した策など、現実性がないに等しい。少なくとも、眼前の副司令官マラカスを黙らせる程のものなど、とてもではないが用意できていない。

 こうなると、反論する隙が生まれる。

「であれば、今はそのことについて考える必要がないな。別の問題への対策について議論しようじゃないか」

 別の対策とマラカスは言った。だが、これ以上に重要性と緊急性の高い問題などないのだ。死神は迫っており、一刻を争っている。

 エステロスはマラカスの取り合わない姿勢に奥歯を噛みしめ、一歩引かないようにした。

 ここで終わらせるべき話ではない。

「いや、この問題が最重要だ」

「はぁ、いくら話しあっても無意味だ。今の僕らに、あそこを突破できるだけの戦力はない」

 マラカスは向こう見ずな主張しかしない。

 エステロスは具体案がないが、とにかく実行すべきだと言う。

 未来に明るいものないが現状維持するか、無謀であるが好戦的になるか、どっちつかずの問答が続く。

「だとしても、どうにか案を考えるべきだ。少数で潜入するかして……」

「少数で? どうやって? どうあっても警備の目を掻い潜って三キロ進むのは不可能だ。一番奥にある第三倉庫に辿り着く前に、無惨に無意味に死ぬだけだ!」

 徹底的に否定し、論破することでマラカスはエステロスの主張を拒否し続ける。

「そうやって端から切り捨ててしまえば、手遅れになってから後悔することになるぞ! せめて話し合って、結論を出してからにしろ!」

「最初から出ている結論に対して議論する意味なんてないさ。可能性はゼロだ」

「何だと……」

 取り合う暇もないマラカスに対して、憤りを抑えられなくなりエステロスは顔を歪めて迫っていく。

 遂には、マラカスの袖を掴み一触即発が――。

 ――ゼロかどうかなんて、お前が出した結論でしかないだろ?

 ふと、どこからか鶴の一声が飛んだ。

聞き役に徹していたサブリーダー達が発したわけではない。

 全員、扉の前に立つ一人の男に目が吸い寄せられる。

 随分と馴れ馴れしく不躾に、頭を掻きながら欠伸なんかもしてだらしなく立っている男が誰かなど、エステロスとマラカスに取っては考えるまでもない。先刻、一五分前に別れたはずの新参者なのだから。

「貴様は……」

 つい、言葉を詰まらせてしまうエステロスの代わりにマラカスが口を開いた。

「ここには部外者が入れないように、見張りを付けていたはずだが?」

「んー、いや、誰もいなかったけど? トイレにでも行ってたんじゃないか?」

 マラカスの質問に対して平坦な顔で答えるテルに、嘘を付いている素振りはない。むしろ、初めて知ったような反応である。

「はぁ、まったくだ」

 マラカスは頭を抱える。

 無理もない。見張りの最中に用を足しに行くなど、警備の者として言語道断もいいところだ。結果的に、こうして今日入隊したばかりのほとんど部外者が、会議室へと侵入してしまっているのだから。

 とにかく、その話は後だ。

「ここに君はいるべきではない。出て行くんだ、今すぐに」

「新兵だからって? いいだろ、別に固いこと言わずにさぁ。そうそう、俺も混ぜてくれよ、興味あるんだよその話。あの要塞を突破するのは至難の技だが、俺は良い案が思い付きそうなんだよ」

 恐れを知らずに食ってかかる新兵に対して、次に口を開いたのはマラカスでもエステロスでもなくただ呆れ果てて傍観していたサブリーダーの一人だ。

「見ない顔だな。これ以上、邪魔をするならスパイとみなして拷問に掛けるぞ。早く消えろ」

 鋭い言葉がテルへと向けられる。

 しかし、スパイ問答は既に一度行っている。同じイベントを何度も繰り返すわけにもいかない、それこそ時間の無駄だ。

「その話は、ケリが付いたはずなんだけどな」

 ピリ付いた殺伐とした空気が場を席巻する。

誰も、どこからともなく現れたテルに対して良い印象を持っていないだろう。それどころか、立派な規則違反として罰せざるを得ない行動だ。

どう見ても、非はテルにある。

 だが、一人だけが違った。

「ここには入らない。皆が守っている、ルールだ。おとなしく下がれ」

 一触即発が起こる前に食い止めようと、エステロスだけが明らかに優しくテルへと言葉を投げかけた。

 そこには、擁護の思いだけがあった。

(まあ、いいか。顔を覚えてもらうためだけに来たわけだし……)

 目的は果たした。

 これ以上、ここにいる理由もない。

「ああ、ああ分かったよ。あーでも、あの国立武器庫を襲撃するなら俺にも相談してくれ。あそこでちょっとばかし働いてたことがあるんだよ……清掃員としてだけどな」

 おどけたセリフだけを残して、すんなりと命令に従って出て行ってしまう。

 もう少し、粘っても良かったかもしれない。

 実際、ここにいるのがエステロスとマラカスだけであれば、テルはもっと深くまで足を踏み入れていただろう。

 それでも思い留まったのは――。

『あくまで、彼女に強い印象を与えることが目的です。これ以上は踏み込まない方がよろしいでしょう』

 どこからかそんな静止が入ったお陰だ。

 突然、部外者が来訪したことよってもはや白けてしまった会議室には、ただ疲れた静寂だけが流れていた。

 そんな中、マラカスだけはテルが去った後の扉をいつまでも睨みつけていた。

厄介な障害を目の当たりにしたように、紅色の瞳は細められていた。


6 

いかにも地下の秘密基地という雰囲気に、テルも最初こそ興味津々に見回していたが、時間が経つに連れて息苦しく感じてきた。

よく、考えたら酸素濃度も低く日が当たらないため、環境として良い場所のわけがない。

小汚い鼠の群が足元をすり抜ける、薄暗い街灯が取り付けられた狭い廊下を、案内係であるベレー帽を被った男に従って付いて歩く。

 この男も、ただの案内役の兵士だ。わざわざ記憶に留めておく必要もない、脇道に寝そべっている老人と変わらない。

 それよりも、この間に得られた地位と情報を整理する。

(さて……)

 一――レジスタンスには五つの拠点がある。

 二――レジスタンスの内情は、芳しくない。

三――ティンバートン・エステロスは、テルがバルロイというだけで新兵として迎え入れた。

 四――三つ目の情報より、エステロスは自分と同じバルロイ、いや、『バルロイ』そのものに対して相応の思い入れがある。 

(んー、こんなところか)

 テルがレジスタンスについての情報を纏めていると、案内役の足が止まった。

「ここが、お前の部屋だ」

 ベレー帽の男から、『10456』と掘られた一室を示される。

「ああ、どうも」

「それじゃあな。飯は七時から八時、風呂は一〇時から一一時だ、忘れるなよ。場所については、部屋の奴らに案内してもらえ」

「ああ、ありがとう」

「ふん、新人の癖に生意気な奴だな。とはいえ、お前バルロイらしいな。大変だったろうが、ここでは皆家族だ。安心しろ。それじゃあな」

 それだけ言って、ベレー帽の男は去っていく。

「さて」

 テルは部屋に向き直る。

 錆び付いた扉のドアノブに手を掛けゆっくりと開き、中へと足を踏み入れる。

「はは……ま、そうなるか」

 部屋は一〇畳程あるだろうか。そこに敷き詰められるように、簡易的な二段ベッドが三つ並んでおり、そこには五人の同僚であろう誰かが居ることになるので、実質的には相当狭くなってしまう。

 後は、部屋の真ん中にテーブルが一つあるだけだ。

 淡い希望ながら、個室である可能性を想像していたテルの思いは意図も容易く打ち破られてしまう。

(牢獄よりはマシか)

 それもそうだ。

 ここには、敵意を向けてくる者はいないのだ。

監視員には嬲られ、爪を剥がれ、拷問され、挙句の果てに下半身を掘られる毎日である牢獄よりかは、どう考えるまでもなく真当な生活が送れそうだ。

「お、新入りか」

 サングラスを掛けたオールバック。

「何だ、冴えない顔してんな」

 二ブロックな髪型に赤毛。

「ふん」

 単純なスキンヘッドに黒い肌。

「お、来た来た」

 金髪にどこぞの騎士のように整った顔。

「あ、あ」

 気弱で、肥満体型。

(ま、こんなとこか)

 とりあえず様子見とばかりに、テルは彼らに対する印象を頭の中で組み上げる。

黙っていると、騎士風の男はすかさず反応した。

「よぅ、新入り。俺はジョン・テイラーや。よろしゅうな」

「ああ、よろしく」

 そして、どこかで聞いたような訛りが入っている。

 特徴的で覚えやすい。

(騎士風で変に訛っているのがジョン)

「あっちの図体のデカイのがマイケルや」

(デブがマイケル)

「そんでもって、一番端にいるサングラスのおっさんがロバートで赤毛のあいつがジェームズ。最後に、スキンヘッドのあいつがウィリアムや。ちゃんとおぼえーや」

 口早に、ジョンは全員の名前と特徴を言ってのけた。こういう仕切りたがり屋タイプはグループに一人はいるが、自己紹介の進行を楽にするのでいた方が良い。

(ハゲがウィリアムで赤毛がジェームズ、サングラスがロバートと)

 一度頭の中で整理すると、テルも自己紹介を行う。

「俺はテルだ。あー、まあ、よろしく」

 皆、呼ばれた順番通りに手を挙げてもう一度自らの存在を主張し、頷いて歓迎してみせる。

 こうして、億劫な面識合わせは終了したわけだ。

『彼らの名前はしっかりと覚えておきましょうね』

 喋りたがり屋のティスから助言が飛んできた。

(あー、んー、面倒だな。俺は名前を覚えるのが一番が苦手なんだ、どうでもいい奴の)

『それがここでのルールです。怠れたば、また失敗する要因となりますよ』

 と、言われてしまえば従う他ない。

 余計な問題を増やすのは、得策ではない。それに、仲は良好に保った方が、扱いやすい。

(もちろん、分かってる。……必要なことだ)

 渋い声を、心内に漏らした。


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