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北風日記  作者: 小烏屋三休
師永津
62/88

さよなら師永津

 その翌日、フツはひっそりと旅立った。例の龍神信仰の人たちとともに諸国行脚に行ってしまったのだ。

 夜更けに私の寝ているところに忍んできて、朝日が昇る前にあの一行に連れ出してもらえることになったと告げたのだ。私はただ馬鹿のように寝床に座ってうなずくことしかできなかった。そんな私の肩にフツは最後にもう一度そっと手を置いたので私もその上に自分の手を重ね、また少し泣いた。

 残されたもっちぃは案外に取り乱すこともなかった。フツが梅太郎の支援物資をほとんどすべて持ち出していたのでもっちぃはほぼ無一文だったが、すぐに支度をして自分は予定通り目的地に行くと里を去った。


 梅太郎と私、在命とゆっぴぃはそれから二日ほどして都へと戻ることにした。来たときは途中舟で川下りもしたのだが、帰りは舟が使えないので少し遠い。順調に行けば五日の距離だが、雨や雪が降るとさらに時間がかかる。

 旅路における悪天候は気が滅入るが、在命たちがが楽しく話してくれるので、表向きは賑やかに楽しく旅をした。ただ晩になって静かに体を休めていると、体は疲れているのになかなか寝付けなかった。

 ある夜、大きな里の宿に泊まった時、梅太郎と二人部屋に寝ることになった。帰路の道連れには紀井の国司の娘一行がいたので、それまでは私は彼女たちとともに女部屋、梅太郎や在命たちは男部屋に寝ていた。ところがこの日は紀伊の姫も在命たちもその里で知人に会うために一旦別れることとなり、残された私たちは仕方なく二人で宿をとったのだ。

 私はいつも通り疲れた体を横たえながらも、目はらんらんと虚空を見つめて開いていた。すると梅太郎が、

「眠れないのか」

 と聞いてきた。

「うん、この頃は寝るのに時間がかかるの」

「……。そうか」

 梅太郎は起き直って胡坐をかいたかと思うと、私の頭にごつごつした手を置いた。ゆっくりと、長いこと洗っていない頭を撫でてくれる。気持ちがいいが、こんなんだったら昨日川で少し洗っとけば良かった。水は冷たかったが、日はよく出ていた方だし、覚悟を決めれば良かったのに。

「まあ、なんだ。こうするといい夢が見られるんだろう?何も考えず、早く寝るんだな」

 梅太郎は私の不潔な頭を気にしないのか、しばらく脂っこい頭を撫ぜ続けた。

「最近は髪を結ってるんだな」

「ふにゃ?」

 気持ちよくて私が寝入ろうとしていたとき、ぽつりと梅太郎が言った。

「服装も女のものになってるし」

「うん、私が女姿で旅してたら、フツだけが目立って狙わることもなかったのかなと、思って」

 私が夢うつつで上のようなことを答えると、しばらくの間沈黙が下りた。梅太郎も急に寝入ったのかと薄目を開けると、びっくりしたような顔でこちらを見下ろしている梅太郎と目があった。

「何?」

「あ、ああ。だって、君はどんな格好をしてようが…。それにフツさんはもともと目立つくらいの美人だし」

 今度は私がはっきりと目を開いて、驚いた顔になった。梅太郎はなぜこんなにばつの悪いような顔をしているのだろう。

 それから梅太郎はしばらく考えるように目を伏せ、「いや、なんでもない」と言った。

「なんでもなくないわよ」

「ごめん。そういう意味じゃないよ」

 つまり、彼が言いたかったのは、私がいかに女装しようが美しくはないのでフツが目立たなくなるようなことはないと、そういうことだろうか。彼は私のことを軽んじているのか。いえ、梅太郎は眼鏡もかけていないし、私のことがきちんと見えていないのかもしれない。

「でもさ、この髪だってフツと同じ結び方よ。素敵だと思わない?それにすっきりして気持ちいいの。都に戻ればおすべらかしばかりになるけど、私は首筋に何もかからないのが好きなんだ」

 ややあってから梅太郎が、

「うん、すてきだ」

 と言った。私は瞼を伏せて、続くかもしれない言葉を待った。

 すると梅太郎は決まりが悪そうに天井を見上げながら、躊躇うようにゆっくりと続けてくれたではないか。

「君は首がきれいだから」

「でしょう」

「君の小さくて、か、かわいい、顔立ちにとても似合っている。きれいな結い方だ」

「ふふ。フツはもっときれいに結ってくれていたんだけど」

「フツさんは、器用になんでもできるんだな」

 私はもう少し梅太郎のおせじを聞きたかったが、梅太郎が話題を変えたのであきらめた。まあ一つ具体的に褒めてもらえたからよしとしよう。朴念仁と思っていた梅太郎も、やればできるということが分かった。

 満足する一方で、以前の彼からは想像もできないようなお世辞であることに疑問も湧いてくる。どこで学んできたのだろうか。

「梅太郎殿は、フツのところにお見舞いに行って何を話したの?フツはとっても面白かったって言ってたよ」

「別に。SNSで見た面白い投稿の話とか、大したことじゃない」

「私にもしてくれる?」

「なんだったっけかな。今度思い出すから、今日は早く寝ろよ」

 梅太郎は私の髪から手を離すと、また横になった。ところが私は彼の手が離れた途端再び目が冴えてきて、反対に起き上がった。

「なんでそんなに優しくするの?」

「はっ?」

「ここ数日、おかしいくらいに優しすぎる。ねえ、男の人が優しくなるのは後ろめたいことがあるときって言うのは本当?」

「だ、誰に聞いたんだそんなこと」

「やっぱり……。あのお守りの袋をくれた女の人と」

「やましいことはしていない」

「男の人は皆最後の証拠が出るまで絶対に認めないとも聞いたわ」

「男、男って、男について君が何を知ってるんだ。何も知らないくせに下司な勘繰りはやめるんだな」

 以前私のことを男女と揶揄したくせに。

「私を黙らせようとして、わざと強い言葉を使ったわね。下司なんて、ひどいじゃないの」

「わかってるなら黙れよ」

「人の話を聞かない、話をする機会をあげない。本当に聞かないよね、男の人ってさ。茂吉さんも、もっとフツがどう考えてるか聞いてあげればよかったのに。ゆっぴぃだってそうだよ。私の同意も得ずに勝手に唇を奪ってさ、」

 これはうっかりだ!私は口走りながらハッと口を押えた。人妻でありながらゆっぴぃのことをあだ名のまま呼んでしまったのだ。ちなみに、この帰路でゆっぴぃは友怜(ともさと)という名前だとひょんなことから分かっている。友怜の友の字を音読みしてゆっぴぃなのか。

「なんだと?」

 梅太郎が再び起き直った。そのただならぬ雰囲気に背中がぞくりと震えた。

「ゆっぴぃと言ったな、今。ゆっぴぃが、きき、キッスをしたのか?誰に?」

「いえ、はい、友怜さんです。もちろん友怜さんと言いましたよ。その友怜さんが、私にしたであります」

 梅太郎が妙な表情で口をパクパクさせている。

「梅太郎殿。きききっすというのは、なんのことですか?」

「きききっすというのは、その、こちらで言う、口吸いのことだ」

 ああ、つまり口づけのことね。なんだろ、古風な言い方をするのね、梅太郎殿は。やっぱり陰陽寮の爺さんのところにしばくいたのが影響しているのかしら。

「口吸いというよりも、口づけでありました」

 あれはもっと前衛的というか、過激派の一瞬のひらめきのようなものだった。口吸いなんていうねちねちした古代の呪術用語のようなものではない。しかしそう言いながらも、友怜との口づけのことなど言うべきでなかったと思った。あだ名のことより、こちらの方がよっぽど秘匿すべきだったのだ。なんでこんな簡単なことに思い至らなかったのだろう。

 そんなことを思っている間に、梅太郎の手がゆらりと近づいてきて、頬を優しく包んだ。また抱き寄せられるのかと思ったが、今度は違った。私の顔に奴の顔がみるみる近づいてきたのだ。

 梅太郎の形のいい唇は、思いのほかとても熱い。最初火に触れたようで、思わず体をびりっと震わせると、梅太郎が太い腕を私の体にからませ、落ち着かせるように抑えつけた。そのうち温度にも慣れてくると、その感触を味わえるようになってきた。彼の真ん中がふっくらした唇は、食べるとこんな感じなのね、と。それは、それこそは口づけ、というよりも口吸いだった。

 ぽうっと目を閉じて浸っていると、いつの間にか梅太郎は離れていた。濡れた唇にすぅすぅ風が当たる違和感で目を開くと、梅太郎が間近に私のことを見つめているではないの。私は呆けた顔を見られているのが気恥ずかしくなって、急いで首をねじって彼から離れた。

「い、今の。神様もご覧になってるといいけれど。い、今何刻で、ここは神祇伯邸から見てどの方角かしらね。あ、鬼門でないことは確かだから、大丈夫かしらね」

「はあ」

 梅太郎が大きなため息をついた。それは過去最大の空気量を持つ、声を伴ったため息だった。

「なんなんだよ。鬼門だったらしちゃいけないのか?」

「そ、そういうわけじゃないけど。せっかくしたんだから、む、無駄になっちゃったら困るじゃない」

「無駄って」

 梅太郎はもう一度ため息をつくと、私に背を向けて自分の寝床に入っていった。

「だ、だって。私は夫婦御供に命をかけてて」

 私が言い訳のように言っても、梅太郎はもぞもぞと身じろぎするだけでその晩はもう何も答えてくれなかった。


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