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北風日記  作者: 小烏屋三休
干滝殿
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栄光の人身御供

 凍てつくお宮で神事を行った後、真っ暗な山道を、屈強な(ごん)禰宜(ねぎ)がかつぐ背負子(しょいこ)に揺られていく。この先にアメノマルツチ様をお祀りした御神岩がある。

 私をかつぐ吉川大神宮の権禰宜とは縁があって、神殿(かむどの)に入る前からの知り合いだった。というのも、神殿のある吉川大神宮の近くに、神子たちの間に授かった子たちが数多く住んでいる集落があった。もちろん、神子は本来子をなしてはいけないし、神殿暮らしをしていればどんなに励んでも子ができることもほぼないのだが、やはりどうしても例外というものがあったのだ。

 私の父も元神子だったため、この集落に何らかの郷愁を感じたらしい。あるいは父のことだから、この村にも私たちのほかに子供がいたのかもしれない。父の再婚相手の里からは片道丸一日かかる道のりだったが、ふた月に一度は出かけて行った。それに私もよく付いていったものだ。物心がつくにつれ父とはなぜかしら疎遠になっていたが、この小旅行のときばかりは、以前に父一人子一人だったころのような打ち解けた雰囲気になれたので、私は毎回楽しみにしていた。

 権禰宜はここの村人だったから、彼の親のうちどちらか、あるいは両方が神子だったのだろう。

 父が用事を済ませているあいだ、この権禰宜に何度か遊んでもらったことがある。特別楽しい遊びをしたわけでもないから、さほど親しくはなれなかった。権禰宜がとても美しい顔をしていたので私が興味を持ち、遊んでくれろとせがんだのが始まりだった。そこで権禰宜が遊び相手となってくれたものの、すぐに退屈になり、挨拶もせずにササっとそこから抜け出した。次に訪ねた時もやっぱり権禰宜が美しいので私は遊び相手になってもらうのだが、やっぱりつまらなくて逃げ出すことの繰り返しだった。

 権禰宜の方は私より大分年上であったが、一方的な私の遊びに根気よく付き合ってはくれた。私が楽しめるように遊んではくれなかったが、いつも優しい笑顔を向けてくれて、今思えばありがたいことである。

 私が神殿に入ると同時期にこの権禰宜も吉川大神宮に見習いに入ったらしく、私たちはお互い思わぬところで再会した。

 神殿に入った当初の私は、泣き暮らしていた。周りにも心細がって泣いている子たちが結構いたのだが、一緒になって泣くと余計に悲惨な気持ちになるので、私は一人を好んだ。孤独に心行くまで泣ける場所を探しているうち、神殿には木霊(こだま)がいることに気づいた。いるどころではなく、群生していた。

 木霊というのはたいてい木の上に鈴なりに連なっているのだが、色も形も様々で、一見すると木の実のように見える。木の実と違うところは木霊は動いて、ころころした音をだすところだ。そして大きな生き物にたいそう興味を持っているようだった。特に人間に興味があるのか、人の話し声を聞きつけると色んなところから集まってくる。

 この物言わぬ木の精霊たちがどこに行ってもこちらを見てくるのをうっとうしいと感じたが、神殿内のどこに行ってもわんさかいた。ところがすべての人に木霊が見えるわけではないらしく、大半の神子たちは木霊がいることに気づかないまま暮らしているようだった。

 神殿の敷地ぎりぎりに流れている小川まで行くと、木霊の数がぐんと減る。私はそこで心行くまで泣いたものだ。

 ある日泣き疲れてあたりをぼんやりと眺めていると、季節が淡い春になっているのに気が付いた。木蓮の花がつんつんと咲き、春の訪れを告げている。その枝にも木霊が乗っていて、うつろな目で私のことを観察しているが、まあ地味な色合いだったし、数も許容できる範囲だった。

 小川の向こう、神殿の領域の外にあるウツギの生垣に権禰宜(このころは出仕(しゅっし)という立場だった)がいて、こちらをじっと見つめていた。私はあっと驚いた。相変わらず優し気で曖昧な笑顔を浮かべていたので、すぐに権禰宜と気づいたのだ。相手が私を覚えていたのかはわからない。権禰宜と違って、私の顔は平凡だから。

 声をかけようとすると、権禰宜が人差し指をそっと口にあてて、しゃべってはならないことを思い出させてきた。たとえ相手が神宮の人といっても、神子が神殿より外の人と勝手に話をすることは禁じられていた。それにここで声を 出せば木霊が集まってきて、せっかくの静かな場所が台無しになる。

 慌てて口をつぐむと、権禰宜はそっと小川の上流から笹船を流してくれた。笹船は私の前をすいっと横切って、どんどん遠くへと流されていった。紫色の木蓮の花がぽたりと水面に落ちて、それを追うように流れていった。私はなんだが元気づいて、きびすを返すと咲いている花々に感心しながら元来た道を辿った。

 ウツギの生垣に近寄ったのはそれきりで、以降は神事以外で権禰宜の姿を見かけることはなかった。生垣のところには行こうと思えばいつでも行けたが、そこはまた本当に寂しくなったときのための特別な場所としてとっておこうと感じた。行けばいつだってそこには権禰宜がいて、同じように笹船を流してくれるに違いないと思っていた。

 ところが私はその後急速に神殿での暮らしに馴染み始め、ウツギの生垣に行く必要がなくなってしまった。そのうちに木霊を目にすることもなくなった。

 ただ、先ほども言ったように、公務などで神殿を出て神事をする際、この権禰宜の姿を見ることがあった。そういったとき、私は彼がいることをとても心強く思っていた。権禰宜は、男姿をした私に気づいていたのだろうか。それとも、端から私のことなど覚えていないのかもしれない。

 恋と言うほどのものではない。私はまだ幼かったし、何よりも神職とはいえ俗世に生きる男とも、自らの性とも無縁の神子であった。ただ彼の秀でた額は、いつも私の気持ちを落ち着かせてくれたし、ごくまれに彼が笑った際に白い歯がこぼれ見えると、私は非常に得をした気持ちになった。

 話をあの姨捨の日に戻そう。

 私を背負っているとき、権禰宜は泣いていた。顔は見えなかったが、時折鼻が鳴る音がしたり、肩が不自然に震えたり、低音の嗚咽さえ聞こえたりしていた。供物となる娘を不憫と思ったのか、笹船で交流した私を覚えていて感極まったのかわからないが、道中ずっとその調子だった。

 きっと権禰宜の顔は涙と鼻水で汚れていたに違いない。顔の異物感が気持ち悪く、拭いたかっただろう。それでも一度も顔を拭く気配はなかった。片手に道中の草を薙ぐ鎌を持ち、もう一方の手で私の入った背負子の紐を持っていて、それを一度たりとも離さなかったから。律儀な人である。

 権禰宜がえっさかほいさか歩くこと一刻。背負われる方も結構つらいけれど、背負っている権禰宜がそろそろ行き倒れてしまうんじゃないかと思える頃、まさしく虚無と言える闇の中に私は置き去りにされた。虫も泣かない、なんの音もしない場所だった。自分が下草を踏む音すら響かなかった。しばらくすると土の下からごぼごぼと水が流れるような音がして、腐った西瓜のような甘い臭気が漂ってきた。「いよいよか」と私は身構えた。

 それからのことは記憶が曖昧だ。後から聞いた話によると、帰り道を急いでいる権禰宜の耳に、甲高い、世にも恐ろしい奇声が聞こえてきた。私のものだったかはわからない。私には覚えがないが、私くらいしか声を発する人物もいないので、不本意ながら私の断末魔の声なのかもしれない。いくら神々は気まぐれと言っても、まさかこれから嫁に迎えようとする娘を前に奇声で威嚇するなんてこと、ないはずだ。

 責任感の強いその権禰宜は急ぎ(きびす)を返した。そうして私が椎の木に高いところにある枝に体を二つに折ってぶら下がっているのを発見した。死んでいるように見えた。彼は私を木から降ろし、再び背負子にしまって山道を戻った。よほど肝が据わっていて、体力のある権禰宜である。

 死んでいると思われた私だが、神殿に帰って祭壇に寝かされているうちに息を吹き返した。損傷が激しいと思われた肉体も、傷一つなくなっていた。不思議なものであるが、そんなわけで、今ここにぴんしゃんと存在するに至っているわけである。

 権禰宜のとった処置については議論を呼んだ。私がされたあれは風葬の第一段階で、遺体が風化することで清められた魂が神の元へ嫁入りするはずであった、すなわちあの体は、放ったままにしておかなければならなかった、とか、いやもう私はアメノマルツチ様に見限られていたので、これ以上神のご不興を買わないためにも、撤収したのは正解だった、とか、いろいろな意見が出た。本当のところはどうかわからないが、とりあえずこの不幸な権禰宜がすべての責をとって人間界に追放されることで、一件落着した。人間界追放がどういうことかというと、この権禰宜は人間として生き、人間として生を終え、今後も人間界で百十二回の転生を繰り返すらしい。大きな動物だと寿命が長いものもあるが、虫などで短めの生を次々と全うしていけば割と早く戻ってこられるかもしれない。いずれにしても申し訳ないことである。

 以後は私に人身御供の話もなく、粛々と神にお仕え申し上げる日々を過ごしていた。目立たぬように暮らしてはいたが、神様に見放され、風葬された神子という肩書がついてしまった私をさげすむ声は多かった。いじめもあった。だが私はそういうのは平気だった。

 我慢ができなかったのは、内から湧き上がる恐怖だった。私はいつも怯えていた。神様が怖かったし、追放された権禰宜の祟りも怖かったし、一度死んだのかもしれない自分の体が怖かった。ふとした瞬間に、四肢がぼろぼろと腐り落ちたり、部屋の隅の暗がりから得体のしれないものが自分を見つめているのではないか、襲われるのではないか、という疑心暗鬼を抱きつつ暮らしていた。

 ところで、神子は心身ともに純潔でなければいけない、と言うのはあくまで建前だ。神殿での修練中に抑制された性は、普段の生活ではむしろ爆発して、神子たちは奔放な恋に明け暮れていた。

 私はどちらかというとそれまで、舞や歌の精度を上げることに血道をあげていたので、噂話や恋の駆け引きには応じてこなかった。周りも無理に硬派で優秀な私にちょっかいを出そうとはしなかった。ところが今回アメノマルツチ様に見放されてからは、からかい半分でちょっかいを出す輩が後を絶たなかった。なんといっても、将来に見込みがない私を相手にどんなひどいことをしたって、後から仕返しされる心配などはないのだ。

 身震いしたくなるような妖艶な相手にしなだれかかられたこともあるが、赤く塗った唇をびらびらさせた、気持ちの悪い神子にむさぼりつかれたこともある。あどけない顔立ちと思いきや息をのむほど熟した肢体で恐ろしい誘惑をしてくる神子もいた。その香りのなんと甘美で、その指先のなんと柔らかだったことか。腰に巻き付くたくましい腕の、なんと頼りがいのあることか。男女問わず私は人気があったのだ。

 ちなみに神子の神髄は中性なので、男性の格好をしている人は実は女性、女性の格好をしている人は実は男性である。だから相手は男性にしてはひ弱、女性にしては強い、という程度の腕力の持ち主しかいない。背が高くて体格的に恵まれている私は十分に対抗できたし、私を狙う別の狩人が助けてくれることもあり、これまで事なきを得た。

 私とて健康な体を持つので、積極的な態度を取られれば、妙な気を起こさないとも限らない。しかし私は全身全霊でこの試練に耐えた。耐え切ったと言ってまあ差し支えない範囲だと思う。そこまで頑張る必要はなかったのだろうが、意固地になって拒否し続けた。だってこのまま、なし崩し的に神殿の冷や飯食いとして暮らしていくのは、悔しいではないか。天は私を見放したもうた。あれ以来結構な時が流れたが、私は祈り続けた。これからも一方的に祈り続け、畏れ続ける。そしていずれは神子たちの慰み者となって、一生を終える。虚しい。大いに空しい。どうにかして一矢報いる方法はないものか。

 そこで私は、いっそ潔く、正反対の道を歩んではどうかと考えるようになった。どんな神子も二の足を踏んでしまうような道なき道、すなわち卑しい人間と結ばれ、夫婦(めおと)御供(ごくう)となって神界と人間界を結ぶお役目に志願したのだ。

 かくしてかつて神子として神に嫁ぐ栄光の道を歩もうとした私は、一転、地を這う人間と番うことになった。その噂が広まってからというもの、手のひらを返したように、私にちょっかいを出す神子はいなくなった。彼らも、さすがにそれはちょっとやりすぎじゃぁない?ケダモノ!と気分を害したようだった。

 アメノマルツチ様のときと違って、夫婦御供となった後どうなるかわからないとか、夫婦で生き埋めにされるとか、そういう荒々しい儀式をするわけではない。人間と私はどちらかの生の続く限り、『絶間(たえま)』と呼ばれる世界のつなぎ目が綻ばないように守っていくというのがお役目である。夫婦として仲睦まじく暮らし、時にお祭りなどをしていればいいのである。楽勝ではないか。

神に清い身を捧げる人身御供とは違って、のんきで気長なお役目である上、禁忌である人間と非常な接点があるため、余計に神子たちからは侮蔑の対象となるのであろう。

 そういうことで、私は二十年近く住み慣れた神殿を出て、この憂き世へと戻ることとなった。お役目がお役目だからか、神殿の事務の人たちもあまり手続きを手伝ってくれなかったので、自ら率先して手続きを進めた。

 幸い、神祇伯が私の手続きを手伝ってくださったので、準備は着々と進み、私はとある吉日に神祇伯の屋敷に住み始めた。

 神祇伯も、さぞかし苦労をなさっているのだろう。人間などというゲテモノを屋敷に上げることについて、北の方を説得し、先ほども言及した、人間界とこの世界をつなぐ空間であり、婿殿が通ってくる道、すなわち魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)跋扈(ばっこ)する絶間(たえま)の整備を進めたのだ。さらに秋口というのは神祇官内での祭事が多く、一年の中でも繁忙期である。通常の参内(さんだい)も定刻通りに終わらない中での仕事となっているのだ。神祇伯は夜も昼もなく働き詰めで、疲労困憊しているに違いない。屋敷内で神祇伯の歩いた後にはそちこちに抜け落ちた毛が見られ、さながら毛の墓場である。

 このような神祇伯の八面六臂(はちめんろっぴ)の奮闘のおかげでほぼ準備は整った。神に人に世に見捨てられて十余年、一世一代の、とまれ婚儀は二回目なので半世半代くらいの役回りか、お役目として人間を寝屋に上げることと相成った。


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