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北風日記  作者: 小烏屋三休
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北風と結婚

 その夜は風が強かった。名見邸と、名見邸の北側にある衛門督(えもんのかみ)の邸は庭に樹木が多く、風が衛門督の邸の一番奥の竹林に届くと、次は背の高い楠、山枇杷(びわ)を揺らし、それから名見邸の壁際の杉から中庭の木々をさんざんざわめかせ、南へ続々と連なっている貴族の邸宅へと、うねるような音を響かせていた。

「梅太郎殿、来てたのね」

 隙間風に肩を冷やして目を覚ました遠の君が、穏やかな声で言った。自分が眠り込んでいる間に隣に床が並べられたらしい。

「もうすっかり傷はいいの?」

「すっかりじゃないが。まあ起き上がれる」

 梅太郎は起き上がって眼鏡をかけ、遠の君を覗き込んだ。暗がりの中でも彼女の顔の辺りはぼんやりと産毛のようなものが光る輪郭を形作っている。(ふすま)から出ている肩を見るに、美し気な小袿をきちんと着込んでいた。

「寒いのか?そんなにごわごわと着込んで」

「婚儀だから、一応」

 遠の君は衾を肩まで引き上げて、自分の装束を隠した。自分ばかりが着飾っているのは場違いではないかと案じたのだ。

 梅太郎は直衣で着たものの、今は小袖姿になっていた。その直衣だっていつもと同じもので、少しくたびれた瑠璃色と淡青の秘色(ひそく)の重ねが衣桁(いこう)にかかっている。

「や、それは。俺はすまないことをした。言い訳になるが、俺はこれ以外の服を持っていなくて」

「いいのよ。でもきっと梅太郎殿は明るい色も似あうと思うわ。いつも落ち着いた色のものを着ているけれど。梅にちなんだ重ねはたくさんあるから、華やかなのも着てみるといいわ。そうだわ、二人で一緒に着てみましょうか。男女で梅の重ねを着るのなんて、素敵じゃない」

 梅太郎は遠の君が弱っていると聞いていたが、小声でいつもの通りおしゃべりを始めるので、安心した。

「君は梅っていうより、桃って感じがするが。梅はもっと静かと言うかつぶらというか……」

 安心しがてら梅太郎が口を滑らせると、遠の君ははたと止まった。

「桃の方が春らしくって、華やかだ」

 慌てて梅太郎が言葉を選びなおすと、遠の君はにこっと破顔した。

「春が好き?じゃ、梅がまだ咲いていて桃が咲き始めるぎりぎりのときに、あなたは梅の重ね、私は桃の襲を着るわ」

 暗がりの中でその笑顔をよく見ようと梅太郎が眼を凝らすと、遠の君は静かな動作で体にかけていた(ふすま)をますます引き上げて顔を隠した。

 梅太郎は名見の言葉を思い出した。確か、分天寺から帰ってくる際、遠の君はどこかで差し歯を落としたらしい。遠の君は差し歯がないことをいたく気に病んでいる風で、名見が見舞いに行った時もこれまでになく顔を隠したままだし、ほとんどしゃべらないそうだ。

 おそらく熊笹の生い茂る獣道で寝ぼけた遠の君がふらふらと倒れたあの時だと思う。というのも、遠の君が転んだ拍子に白っぽいものが顔のあたりからはじけ飛ぶのが見えたのだ。一緒にいた仕丁も同じことに気が付いたらしく、遠の君を助け起こした後になんだろう、とそれを探して拾い上げていた。ところが男たちはそれが何かに気づかずに、またぽいと捨てたのだ。思い返せばなるほど、あれは差し歯だったのだが、そのときは砂にまみれたただの小汚い破片だった。もっとよく見て拾っておくべきだったと、梅太郎は悔やんだ。

 それから梅太郎は、一年のうち春先にしか着られない衣を所蔵することについて考えた。人間界ではそれなりに良い服を選べたが、こちらの世界の居候である自分にはまだまだできない贅沢に思える。通年で着られる衣を優先してそろえたい。が、それを今彼女に言ってもつまらないだけだ。

 梅太郎は再び眼鏡をはずして横になった。そのまま眠ろうとしたが、しばらくして遠の君がぽつりと言った。

「婚儀が終われば一度人間界へ帰してもらえるんでしょう」

「そういう話だ」

「梅太郎殿は彼女と会うのね」

 今更帰ったとして、自分の葬式もすでに済んでいるかもしれない、と梅太郎はぼんやりと考えた。そうだとしたら自分は名実ともに過去の人だ。

「会えるのが楽しみでしょう?」

「どうかな。長いこといなかったから、仕事も人間関係も、どうなっているか」

梅太郎は寝返りを打って遠の君に背を向けた。

「会ったら何て話すの?」

「彼女とってことか?さあ、な。それに神祇伯の話だと、すぐに帰してくれるわけではないみたいだが」

「ああ、そうなの。残念ね」

 曖昧な返答しかしない梅太郎に、遠の君はそれ以上追求するのをよした。言いたいことや聞きたいことがあるときはいつだってしつこく食い下がるくせに、めずらしいものだ、と梅太郎は驚いた。やはり相手もまだまだ本調子ではないのだろう。

 背後の気配に耳を澄ませると、どうも、遠の君は声もなく泣いているような気がする。これまであれ程結婚に乗り気で梅太郎への配慮もなく力づくで推し進めていたのが、今になって弱気になったのだろうか。様子を窺って慰めた方がよかろうか、と梅太郎は思案したが、結局よした。

 蝕は翌月の一日にある予定だ。この日には揖吹弥(いぶや)社という神社で儀礼が執り行われ、遠の君と梅太郎は互いの髪をより合わせて編んだ縄を奉納する。だから少なくともそれまでは梅太郎もこの世界に留まる必要がある。それから後、神祇伯が梅太郎の里帰りのために私財を投じて準備を整え次第の帰郷ということになるのだろう。来年くらいになるのではないかと梅太郎は睨んでいる。

 やがて高灯台に火が灯され、餅が運ばれてきた。梅太郎は遠の君が身を起こすのを助けながら、宛木がもったいぶった手つきで二人の前におしきを並べるのを見た。庇に衣擦れの音がして、名見が座る気配がした。

 名見邸に戻って来てからというもの、病人として粥生活をしていた二人にとって、こんもりと積まれた夜中の白い餅は、見るだにげっそりするものだった。

 どちらも手を出しかねていつまでも餅を見つめているかに見えたが、やがて遠の君が意を決したように自分の頬を軽くたたいた。

「これで、ようやく。明日からは新しい日々が始まる」

 おしきにいざり寄り餅を手づかみする遠の君につられるよう、梅太郎も餅を箸ではさんだ。

 野草のような風味のある餅だった。冷たい隙間風に吹かれながら、二人でもそもそと食べていると、ふと今度は梅太郎の目に涙が浮かんできた。子供じゃあるまいし食べながらなくもんじゃない、と梅太郎は自身に言い聞かせようとしたが、あまりにも寒くて暗いせいで瞼の力も弱まっているのか、抑えることができなかった。そして風の音がやむ瞬間瞬間に、板床へ涙の粒がぽつんぽつんと落ちる音が響いた。

 遠の君は梅太郎の涙に反応するでもなく、ただやたらと固形物であることを意識させてくる餅を飲み込むことに専念している様子だった。

 それでも餅を食べ終わるころには梅太郎の涙は止まっていて、外では雨が降り始めていた。遠の君はこの日初めて梅太郎に向き直り、床に手をそろえて深々と頭を下げた。

「以後、末永く」

 こうして二人は晴れて夫婦となった。


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