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北風日記  作者: 小烏屋三休
干滝殿
3/88

3. 萱草の袴

 その神祇伯であるが、私の調度の刷新を別にしても、この度の婚姻にはさぞ出費に出費を重ねているであろう。神祇伯は出費が重なると体調を崩されるそうだが、今回は大丈夫だろうか。

 大陸から北の方をお迎えするとき(神祇伯は地味な外見にかかわらず、当世めずらしい、国際結婚を成し遂げた人である)、北の方に住みよいように北の対の調度をすっかり異国情緒あふれるものに一新したときも、ひと月寝込んだという。お医師は最初の方は親身になって色々なお薬を処方してくれたが、最後は「出て行った金についていつまでもくよくよするのをいい加減やめなされ。金を心配することをやめたら、あんたはすぐに良くなるわい」と言って匙を投げたらしい。

 妻のために奮発する気概は素晴らしいが、精神と体がその心意気についていけないのだと察される。ここで働く女たちの話では、北の方をお迎えしてからというもの(あるいは私を迎えてからかもしれない)、神祇伯の精神と体はじわじわと土台がやられてしまったという。以来、少額の出費でも高熱を出したり、ひどく苦しそうに息をして、お勤めを休み勝ちだ。

「神祇伯様が倒れたら、婿取りもなくなったりして」

 大猩々と睦まなくて済むのは安心ではあるが、それでは私のお役目が務まらない。

「ご安心なさいませ、(とお)の君様」

 私の独り言を聞いていた女房の宛木(あてき)が、にっこりと笑顔を作った。

「姫君さえお健やかで鷹揚に構えていらっしゃれば、婿取りは(つつが)なく進むものでございますよ。そして遠の君様と言えば、毎回ごはんを三杯もおかわりをしていらっしゃるのですもの。お年のいった姫君にしてはお元気すぎるほどで、この宛木などは何度わが目を疑ったことか。思えばこの幾月、短いようで長うございましたね。姫様の御髪(おぐし)も、ようよう(かもじ)がつけられるまでになりました」

 (かもじ)というのは、付け毛だ。尼として出家でもしない限り、ここらの高貴な女性は、生まれてから顔の横の(びん)そぎとよばれる箇所以外は一度も髪を切らずにいるという。宛木もそうだが、貴人の身の回りの世話をする侍女たちでさえの髪の長さは優に身の丈と同じほど長い。深窓の姫君などは、日がな部屋にこもりっきりで動かないせいか抜け毛も切れ毛も少なく、さらに長い髪をしているという。髪の重さに首の骨が折れないだろうか。

 私がここに来る前、つまりひたすらに祈りを捧げる神子であったとき、周りの神子たちは髪を伸ばしたとしてもせいぜいが腰の長さだった。そして私といったら髪が肩や首に触れるのが嫌で、短く刈り揃えていた。そのため、ここに来てからというもの、毛生え薬と称する、麻の葉と桑の葉を米のとぎ汁で煮たもので髪を洗ったり、何やら脂っぽいものを髪に塗りたくったり、北の方が下さった漢方を飲んだりして、一日も早く毛が伸びるように手入れをしているところだ。

「この長髢(ながかもじ)っていうのは、とても長いね。これは、いつも拾っている髪を寄せ集めて出来ているのかな?そうとうな手間だったろうね」

 私はそれまでに、廊下などに髪の毛が落ちているのを、女たちが大切そうに拾ってどこかに持っていくのを見ていた。

「まあ姫様。そうしますと髪質の違う色々な人の毛が混じって、これほど立派な髢にはしあがらないのでございます。この髢は、一人の女人から取った髪でございますよ」

 では、生活に困窮した女性が髪を売ったのだろうか。今まで目にしてきた人々の髪に対する執着から(かんが)みるに、売った女性もさぞかし無念だったろう。しかも行きつく先が、長髪にたいして思い入れのない、ぽっと出の娘の頭なんて、浮かばれない。

「この髢の主の手元にお金が溜まったら、髪を返せと(やしき)に乗り込んでくるかもしれないね。婚儀の最中に乗り込まれたら、それも婚儀を中断することになりかねないね」

 私がそう言うと、宛木は何かを言おうと口を開いたが再び口をつぐんだ。

 後日知ることになったけれど、この髢は死人から切り取ったものらしい。そういった習慣になじみのないだろう私を(おもんばか)って、このとき宛木は言わなかったのだろう。厳しいが、いい女房なのだ。

「もちろん、そのような心配はございませんとも。さてさて、お相手の君のご準備も、恙なく整っているということです。はばかりながらわたくし、大殿様が北の方様に、婿がねは吟味に吟味を重ね、ようよう抜擢なさった男前だと、たいそうご自慢されているのを耳にはさみました。大殿様のいつものほら吹きのお癖を差し引いても、みっともない婿が来るという心配はございませんよ。乞うご期待、でございますね」

 あらそう!男前って、どんなに男前なのかしら。

 いえいえ、期待はご法度である。私はすぐに騒ぎ出す胸を抑えるように、大殿様の話に戻ることにした。

「しかし、やはり大殿様のご容態も心配だね。なんだか今日も参内がかなわなかったようだけれど。あんまりご様子が悪いのであれば、婚儀も少し延期する必要が出てくるかもしれないね」

「恐れながら姫様、婚儀を前にするとさすがの遠の君様も多少は怖気をふるって、なんとなく先延ばしなさりたくなるとわかって、宛木は少し嬉しゅうございますよ」

「いや、そんなわけではなく、私は、本当に、そのね」

「さあさ、もう大殿様のご心配はおよしなさいませ。あの方のお体はまたお金がたまるまでお治りになりますまい。究極的に申しますと、婚儀に必要なのは大殿様の体ではなく、姫様と婿殿の体だけでございますわ。馬が飛んでも猫が吠えようとも、お体さえあれば!それで十分でございます。そりゃぁ大殿様のご病気は心配ですけれども、お金を心配する、いつものご病気でございますよ。むしろ、今までよくもあんなはげちょろげの調度を姫様にあてがってお茶を濁してきたと、お怒りになってもよろしゅうございます」

 宛木はおしゃべりが上手で、ほうっておくといつまでもとうとうと、よどみなく話す。手に乗りそうに小柄だが、ぎっしりと中に筋肉が詰まっている樽のような体格で、小さな顔に小さな目鼻がついている。眉が濃いようで、白粉を塗っても引き眉の跡がくっきりと見えた。

「婚儀をするのに、禿散らかした調度では盛り上がりますまい。北の方様がようやく姫様のお部屋に寿(ことほ)ぎにいらしたときに、お部屋があまりにうらぶれていることにお気づきになられ、大殿様をせっつかれたのは、幸いなことでございました。それにしても、おほほ、北の方様の剣幕ったら恐ろしかったですわ。(ぎん)(かつ)様の軍荼(ぐんだ)()明王のようでいらっしゃいました。腕を組んで大殿様に詰め寄られまして、最近ますます流暢になっていらっしゃるこの国の言葉で、針のように大殿様をお責めになりまして」

「はは、軍荼利明王とは、いいね。でもそれじゃあ大殿様にはご迷惑をおかけしたんだね」

「いいえ、この件に関しましては北の方に分がございますわ。大殿様は、尊い神子様をお迎えしているというのに、ありきたりのもので済ませていたのでございますから。八百万の神々を鎮め奉り、天災を未然に防ぐことができているのは、一重に神子様方の日ごろのご精進があってのことでございます。かりにも神祇伯というお役目を承りながら、それを軽んじるなど、あってはならないことでございますよ」

「軽んじていたわけではないと思うよ」

 ただけちっただけだ。

 私だって正直、古い歯のように変色していたり、ヒビがはいったりしていかにも年季の入った古出の調度には一抹の侘しさというか、恐ろしさを感じずにはいられない時があった。

 ところどころ欠けている(つの)(たらい)から、夜になると異国の老爺が出てきて、外国の言葉をつぶやいているだとか、あの手垢で黒光りしている鏡箱(かがみばこ)が幾度拭いてもきれいにならないのは、姫君よりも美しかった女房が、いじわるな姫君にいじめられて殺された恨みが宿っているからだとか、その調度が背負っているであろう不吉な歴史を想像して、夜中に震えることもあった。怖がりなのだ、私は。

 それでも元神子のくせに、いもしない怨霊を怖がっているというのも恥ずかしいので、何も言わないことに決めている。

「それはそうと、姫様、先ほどから、お言葉遣いが、少々、殿方のように戻っておりますわ」

「あ、ああ。大事を控えて、少し神経気味なのかもしれないね。いえ、しれませんわ。気を付けてまいります。これでようございますか?」

「ええ、大変結構でございます。万が一にも、初夜にそのような仕草や言葉遣いが出てはなりません。殿方は繊細、と申しますもの」

「ほほほ。殿方の気持ちなら、宛木よりもわたくしの方が何倍もよく存じておりますよ。教えて差し上げたいくらい」

 私は扇で口元を覆って呟いた。なんせ、私は数か月前までは男として暮らしていたのだ。

「ま、姫様ったら」

 宛木はぽっと顔を赤らめた。

「では、お相手の殿方は、朝明けやらでのお帰りの時間に、まだ起き上がれないかもしれませんわね。おほほ。そうなりましたらわたくしも、お婿様のお世話を一足早くお手伝いできる機会があるやもしれませぬ。不肖宛木、人間を見るのは初めてでございます。遠い道中を来る方ですもの、人間といえども、さぞかし屈強な、か、体つきを……」

 想像をたくましくして、楽しんでいるようだ。まあ、妙齢の女性だし、それくらいが健全なのだろうか。それとも、卑しい人間を婿に迎える私を慮って、気を紛らわせるように軽口を言っているのかもしれない。優しい女房だから、その可能性が高い。

「人間は、私たちと同じように見たり、考えたり、同じようなものを食べたりするのかしら」

「見た目はほとんど同じようでございますよ。少し知恵が足らないかもしれませんが、言葉も大体通じます。特に見た目もわたくしどもに近いというのは、ほんにようございました。いざ衣を脱がれて、犬のような毛並みに姫様が驚いて逃げ出す、などということはございませんとも」

 なんだ、では大猩々ではないのか。しかし私はどちらかというと、私を見て驚いた人間がどこかに逃げてしまったりしないかと、そちらの方を心配している。なぜなら、すでにそういうことを一度経験しているのだ。負け癖のようなものが、私にはついてしまっているかもしれないではないか。なんの、逃げたら追いかけよう。人間が鹿より速く走るとは考えられないから、追いかければ捕まえられるだろう。私は結構足が速いのだ。

しかし、怯えた顔をされたらどうしようか。追いかけようにも、萎んだ気持ちが体を動かさないかもしれない。宛木のおっしゃる通り、私の男心は繊細なのだ。今は女だけれども。

「何といっても、犬と人では、子を為すことはできませんものね」

 宛木は興に乗ってしまったらしく、あからさまな物言いを止める気がないようだ。もうそろそろやんわりと注意してみようかしら。しかしこの束の間で話はすでに私の手の及ばないところまですごいところまで発展していて、もはやどう収拾したらいいかわからない。

 途方に暮れかけたとき、

「ご心配なさいますな」

 宛木がきちんと座り直し、肥えた指先で袿の襟を整えた。この人は声が大きめなので、その声で励まされると、力がついたような気になる。当初こそあけすけな物言いや態度に戸惑ったが、いつも私の気持ちを配慮してくれる、頼りになる女房だ。

「万事うまくいきますとも。姫様」

「宛木」

「もっとも、土臭い、とは聞いたことがございますけれども。あれ、ほほほ、特にどこが、とは申しませんがね」

 私は扇で顔をすべて隠してしまうと、そっとため息をついて以降の宛木のおしゃべりを聞き流すことに決めたのだった。


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