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北風日記  作者: 小烏屋三休
干滝殿
29/88

姉上様

 姉上様がお怪我をなさってお伏せになっているとのこと、胸が痛む思いでございます。

 思えば、わたくしが知っていることを事前にお伝えしていれば、このような事態を避けられたのかもしれませぬ。

 罪滅ぼしが叶うとも思いませぬが、わたくしが知りえたことをしたためてまいります。

 わたくしがことに気づいたのは太宮火事の翌日、神祇大副殿の別邸にて休んでいるときでございました。

 ご存じの通りわたくしの負った怪我は些細なものでしたので、一晩眠った後はいつも通り晴れ晴れと起きることができ、前の晩に大騒ぎで運び込まれたのが申し訳ないくらいでございました。

 わたくしは朝ごはんを頂いた後、のんびりお庭を見ておりました。大副殿のお庭の造形は素晴らしく、さすがは都の貴族であると感心することしきりでございました。そこへ大副殿が、わたくしの容態を確認にいらしたのです。鄙にはまず見ない、みやびな、遊び人らしい方でございました。白粉でも青々としたひげの剃り跡が隠しおおせておりませんでした。わたくしにはその濃いひげが、かの方の腹黒さを表しているように見えました。都というのはこのような方が他にもごろごろ住んでいるに違いないと思うと、自然と背筋が泡立ってまいります。

 大副殿が神祇伯殿を恨んでおいでだということは、すぐにわかりました。その敵愾心たるや煮えたぎるようで、わたくしは姉上様にも類が及ばないか心配になり、すぐに調べさせました。そして姉上様に毒が盛られているということを突き止め、急ぎ神祇伯殿に文を出したところ、こちらは心配ないということを内々に知らせられました。抜け目のない神祇伯殿は、すでにそのことはご存じで、姉上様のお食事に毒が盛られないように対処なさっていたのです。

 それからしばらくして、毒が一向に効き目を表さないことに業を煮やした大副は、今度は姉上を呪詛することにしました。姉上は、梅太郎のことばかり案じて、まさかご自分が呪われているなどと思いもよらなかったのですね。昔から、人のことばかりご案じなさるところはお変わりない。わたくしはそのお話を伺い、姉上のお優しさをかけがえのないものと思い、またその見当はずれのところを心配に思いました。人を出し抜くことに長けた貴族たちの中で姉上は無事に過ごしていけるのでしょうか。神祇伯殿、いまひとつ頼りないようなあの方に姉上が果たして守り切れるのだろうか、と。

 わたくしの勝手な心配などはよそに、神祇伯殿は今回も、姉上が呪詛されているということをいち早くお気づきになったようでございます。そこで呪詛から逃れさせるよう、姉上を神祇伯邸から秘密裏に移動させ、姉上の干滝殿には形代を残しておいてあったのです。一連のことは邸内の多くのものにも隠されたまま、実に巧妙迅速に行われました。あの小うるさい宛木だけが知っていたようですが、わたくしとしましては、宛木にも知らせなければ見ものだったのに、と少しばかり残念でございます。

 姉上の身の振り先ですが、雨のように降り注ぐ大副からの呪詛の対象外となる場所、すなわち大副の居住するところ(しら)城野(きの)の大副別邸に忍び込ませました。この日の元の国の津々浦々、もはや大副のおひざ元にしか姉上の平穏がないというのは、まったく難儀なことでございます。敵の懐に隠れるのですもの、本当のことを言えば姉上が不安に思うだろうとご案じになった神祇伯殿は、梅太郎殿を対象とする呪詛状をとってきてほしい、と方便を使って姉上を送り込みました。世間を知らない姉上に呪詛状などにかまけているひまはあるはずもなく、初めてのお屋敷勤めでてんやわんやで過ごすだろうという見積でいらっしゃいました。

 やがて呪詛が満願を迎えれば、その呪詛は姉上の形代に翻弄されて行き場をなくすのみ、ことなきを得るはずだったのです。その後、じっくりと時間をかけて大副殿のこれまでの悪事を数え上げ、除籍に追い込もうと、そう伯はお考えであったのでしょう。

 ところが姉上は神祇伯がお考えだったよりもはるかに行動力がおありになりました。少しもじっとしてられない姉上は、まず別宅の呪詛封じのお札を破かれました。これは呪詛が失敗に終わった場合に微弱になった呪いが大副本人に戻ってくることがあるのですが、そういったもろもろの微細な厄から別宅を守るために貼られていたものです。別宅に限らず、大副殿に縁のある屋敷にはすべてこれが貼ってあるとのことです。姉上はこれを破いてしまわれました。つまり、形代に向かってうまく作用しなかった呪詛が、大副へと帰る道すがら、別宅にいる姉上を見つける可能性が出てまいりました。微細な厄と申しましても、元をただせば人を呪い殺す呪詛です。わたくしも神祇伯殿も、それはもう慌て、神祇伯殿は胃痛で吐血なさりながら、それはそれは高価な呪詛封じのお札をお買い求めになり、ひそかに大副別宅に再度貼らせたのです。さあ、これでもう一安心でございますね。

 けれど姉上はまたもや自ら破滅に向かって突き進み、今度は実際に呪詛現場まで足を運ばれました。なんということでしょう。もし呪詛をしている現場などに踏み込めば、姉上とばれなくても、名もなき武士として人知れず葬られるだけでございます。姉上とばれたらばれたで露も残さず消されるでしょう。

 我々は青ざめ、急ぎ丸まろ殿を筆頭に神祇伯殿の配下の者が姉上の救出に向かいました。姉上が神祇伯殿のところに担ぎ込まれた時、わたくしたちがどれほど安堵したか、けれど姉上がひどいお怪我をなさっているのを見て、どれだけ驚き心配したか、ご想像ください。神祇伯殿ときましたら中門廊の松の木までよろめいて行ったはいいものの、わなわな震えていらっしゃるばかり、何のご指示も出さないのですから、客分とはいえわたくしが急遽屋敷の者を取り仕切って医師を手配したり、姉上を追ってきて狂乱のまま神祇伯のお屋敷の塀を壊そうとする無頼の者を取り押さえさせたりしたのです。

 姉上に怪我を負わせた責はあるものの、まあ命は取られずに済んだのですから、丸まろ殿もよくやった方でしょう。彼の方も大したお怪我をしたそうです。それから、呪詛封じのお札に出費を重ねた神祇伯殿も、寝込んでいらっしゃるそうです。無頼に塀を壊されたのがとどめでございました。どうぞ優しくお心遣いして差し上げてね。


最後となりましたが、大副の処分が表立ってなされる前に、わたくしはふるさとへと旅立ちます。大わらわの神祇伯様のところにご厄介になるわけにもまいりませぬゆえ、仕方のないことでございます。姉上様に今ひとたびお会いできぬまま帰ることが心残りでございます。どうかお許しくださいませ。


 怪我をした丸まろ殿が姉上を抱えて走りこむところ、物語よりも物語らしく、心打たれました。姉上も丸まろ殿も、昨今見ない武者ぶりでございました。余計なことかもしれませぬが。


かしこ


姉上様

しづこ


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