表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
北風日記  作者: 小烏屋三休
干滝殿
24/88

呼び出し

 その後、丸まろと一緒になって一の姫を秘密裏に元の東の対に寝かせた。木づちや藁人形などはいずれしかるべき処分が必要だが目下は隠しておくしかない。人の目につかないところにしまった上で、姫の具合の悪いことだけがなんとか邸内に伝わるようにすると、看病のために侍女がついた。それは昔から姫のことを知る心優しい侍女だったから、一の姫も少しは慰められるといいのだけれど。

 一の姫が気を失ったことについてだが、私は自分の褌が暴かれないようにまじないをかけていた。一の姫が褌を踏みつけたので、そのまじないに当たって気を失ったのかもしれない。あるいは運動不足の体で大路を疾走、続いて神社の階段を上ったために失神したのかもしれない。とにかく、私は逆上した鬼にとばっちりで殺されることもなかった。これもひとえに神仏のご加護ゆえである。

 あの後私は東の対の簀子縁に朝摘みの野の花を置いておいた。それくらいしかできることが見つからなかったのだ。少し休んだら、なんとか姫を慰めるいい方法を考えよう。

 もう小屋まで帰るのもしんどくて、呪詛の行われている寺を突き止めたことについての文をしたためると、そのまま詰所で眠り込んでしまった。

 塩自に小突かれて目を覚ますと、もうすっかり辺りは明るくなっていた。勤務開始時間はとうに過ぎていて、私は夜番が帰ったのにも気づかず眠り続けていたらしい。飛び起きて謝罪を口にしていると、塩自は手をひらひらと振り、私に浜名の姫君、すなわち妹のところに行けと言う。

「へほ、一体、何のために?」

「お前、浜名の姫が目にかけている侍女に手を出したな?それが姫の耳に入って、事情聴取しようというお考えだろう。下手すると褌まで脱がされて検分されるだろうな」

「いえ、私の褌には鬼をも倒すまじないが、いえ、ごほん、な、なんと」

 修理の君との簀子縁での一件が漏れたか。漏らしたのは、当然丸まろだろう。丸まろをにらむと、やつも塩自に小突かれてちょうど起きたところらしい。手のひらで口元の涎をこすりながら、疲れ切った眼でこちらを見てくる。

 塩自が丸まろに、体がしんどいのであれば、今日は休んだらどうかと声をかけている。体の調子が悪いというよりも、ただ寝不足なだけじゃないかと思うけれど。奴の体からは寝不足の人間の強い香りが漂ってくる。いえ、寝不足に香りがあるのか本当は知らない。不健康で良くない香りがする、ということである。まあ昨日の折檻もあるので、一日休んで安静にするという手もあるだろう。奴をよく知る私の眼力で見る分には、臭いだけで実はすこぶる元気そうに見えるけれど。

「滝石、ここに戻ったら遅れた分と、丸まろの分の仕事をきっちりやるんだぞ」

「丸まろの分もですか」

「あいつはお前の相棒だろうが。昨晩は折檻されてかわいそうなことだったな」

 かわいそうなものか。いや、確かにかわいそうではあるが、塩自の頭越しにこっちを見て薄ら笑いをしているのをみるだに小憎らしい。最近思うのだが、塩自という男は丸まろを見限って奴の仕事を免除しているのではなく、むしろ奴をえこひいきしているのではないか。あるいは塩自はもてないので、色男の私をいびっているのかもしれない。そうだとしたら塩自も不憫である。牛額など集めるのに時間を費やすことをやめ、女性への贈り物の小花を集めるだとか、思い切って気になる子に話しかけたりしてみればいいのに。

「きっちり仕事をせいよ」

 塩自の言葉に私は生返事をしながら、まだにやにやしている丸まろに蹴りを一発お見舞いし、

「家に帰りがてら、この文を神祇伯の屋敷の宛木って女房に届けといてくれ。なんの手紙かなんて、野暮なこと聞くなよ」

と言って詰所を出た。

 妹はきっと滝石という男が遊び人であることを知っているのだろう。もしかしたらもう一の姫との結婚話までも知っているかもしれない。

 そうだとしたらきっと、衣服をはぎとられて十分に検分された後、さんざん嫌味を言われてから辱めを与えられ、浮気者め、ふしだらものめ、とこらしめられるだろう。きっと今頃鼻息荒く私の訪れを待っているのだ。

 しかし妹よ、私だってお前が大副なんぞを相手に道ならぬ恋をしていることについては、一言物申したいと思っていたのだ。夫のある身で妻子ある男を寝取るとは、不埒千万、返り討ちにしてやろう、と意気込みつつ、いかんせん修理の君と簀子縁で戯れていたと言うのは体裁の悪い話なので、最初ばかりは背中を丸めつつ、中途半端な姿勢で彼女のいる西の対へと向かう。

 てくてくと歩いていると、もう少し違った考えも浮かんでくる。

 まあ、そうね。今は神祇大副との道ならぬ恋に翻弄されて心乱れているはずの妹である。修理の君をたぶらかした滝石が実は男ではなく、なよなかな女性、しかも神祇伯邸にひっそり暮らしているはずの実の姉であると知ったら、いかほどの衝撃を受けるだろうか。取り乱して気を失ったりしたら不憫だし、肝心の説諭をすることもできなくなる。慎重に話を進めなければならない。

 計画というほどのものではないけど、ことの進め方はこうだ。まずは顔を伏せ、姉であることを隠したままにする。そして修理の君の件に関して、決してふざけて手を出したわけでもないことを説明する。言葉の端々に私が誠実な人物であることを匂わせ、滝石って結構いい奴じゃないの、簀子縁での出来事は羽目をはずしただけね、と思わしめる。まずは彼女に落ち着いてもらうのが先決なのである。

 彼女の心が十分に凪いだころ、顔を上げて実は姉であることを伝える。段階的に種明かしをするわけだが、それでもさぞ驚くことが容易に予想できる。驚愕し髪を振り乱す妹を優しくいたわりつつも、父母が故郷で帰りを待っていることを伝え、好き物の大副とはきっぱりと別れなさい、と教え諭す。ここで大副の呪詛がらみの悪事をあばくことはやめよう。ただただ懐かしい親族の話をする、これに限る。なあに、この邸を去ればすべて過去のことになるだろうから、わざわざ恋人が悪人であることを知らせて、無用に悩ませることもあるまい。ただ、一刻も早くここを立ち退くように言わねばなるまい。このように話を進めれば、万事うまくいくように思われる。

 西の対の東の廂に通されると、私はうつむきながら浜名の姫に挨拶の口上を述べた。まだ私が姉であることはばらしてはいけないので、大っぴらに顔を上げて室内を確認したりはしないが、修理の君は浜名の姫に寄り添っているようだ。不安そうな気配が彼女の方から漂ってくる。

 部屋にはとてもいい香が焚かれている。これは、なんの匂いかしら。私もこのお香をお部屋で焚いてみたいな。そういえば、もしも梅太郎が出世したら、そのうち私も薫物(たきもの)合わせなどに呼ばれることがあるかもしれない。神祇伯邸に戻ったら、北の方か大君にお願いして、色々と教えていただかなくてはならない。

 ついつい考え事をしていると、

「さて。一体どういうつもりか、聞かせてもらいましょう」

 なんだこの声は。これは、浜名の姫ではない。恐ろしく低い声なのだ。閻魔大王さながらの、地響きのような声である。浜名の姫の部屋ではなく、どこかの男の部屋に入り込んでいたのだろうか。私は額を床にこすりつけながら、すっかり言葉に窮してしまった。

「黙ってちゃわからないでしょう」

「わ、私は決して……。いえ、あの、誤解なのです」

 今しがた耳にした声に(おのの)きすぎて、私の声は蚊のように情けない。

「何が誤解ですか!顔をあげなさい!」

「あっ、違うんです。ごめんなさい」

 やや押され気味である。これはまずい。負けちゃだめ、巻き返すのよ、滝石! あなたは誠実な色男なんだから。

「失礼。あなたは一体誰かな?私は浜名の姫君にお会いしに来たのですが」

 私は精いっぱい威厳ある表情を作って面を上げた。声は震えたが、一応明瞭に言えたことにほっとする。しかし目の前にそれらしい人影はいなかった。

「あれ?今男の人の声がしなかった?」

 私はきょろきょろと辺りを見回した。いつの間にか、修理の君も他の人たちも、一人もいなくなっている。几帳の陰に女性の気配があるだけだ。隙間から中を除こうとしたら、あちらから白くふくよかな指、これは妹の指に違いないと思えるものがぽちっと出てきて、中にいる人の顔がかすかに見えた。

 それは、鬼女だった。口を半開きにし、恐ろしい金色の目をして角を生やした鬼だ。私は危うく悲鳴をあげるところだったが、かろうじて抑えた。他の者に妹が鬼女だということがばれてはならない、ととっさに思ったのだ。しかしこれは、どえらいことでないの!

 私は几帳を思い切り横にずらすと、中の鬼女を凝視した。凍り付いたような青白い怒りを湛えた鬼女の顔。かわいらしい黄菊のあわせの衣との差異でよけいに恐ろしい。私はたまらなくなって、妹をかき抱いた。

「中の君!恋に悩んで、あんたまで生なりになっちゃったの!?(をこ)ね!大副のタコ吉なんてさっさと忘れていいのよ」

 必死に妹の背を撫ぜた。ぬおお、と手のひらにありったけの気を込める。私に癒しの霊威が宿ればいいのに。神殿にいたころ、同じように生なりになっている神子を、癒しの祝子(はふりこ)がこんなふうにやっていたのを思い出す。かなり強く撫でているが、妹はされるがまま、時折震えるばかりだ。

 角も撫でようと思って手を頭に移動させると、頭に紐がついているのに気が付いた。

 頭の後ろで結ばれているその紐を引っ張ると、紐がほどけ、妹の顔がはらりと外れたではないか。

「ん?」

 すると妹は、こらえきれない、という風な笑い声をあげた。驚いて体を離して妹の顔を見てみると、以前と同じ、平常の人の顔になっている。

「お面ですわ、姉上。驚いたでしょう?」

 そう言われて剥がれ落ちた顔を見ると、確かに面である。そうか、鬼女の面をつけていたのか。とにかく無事な様子なので、私はほっとした。心臓に悪いよ、もう。

 でもまんまと騙されたと思うと、次第に笑いがふつふつとこみあげてくる。

「やるわね、あんた」

「神祇伯様の北の方由来のもので、渡来品ですわ。昨日姉上を訪ねたときに頂いたのです」

「うちに来てたの?」

「そうですわ。まったくもう!無茶もたいがいになさってくださらないと!」

 妹が言う分には、次の通りである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ