一の姫の結婚
一体何が起こっているのかわからないまま、とりあえず庭に出て行こうとすると、後ろから女に呼び止められた。日ごろ仲良くしている大副付きの女房、まさしの君だ。三十歳くらいで、肉厚な唇にほくろがあるのが、艶っぽい人である。
「ちょっと、ちょっと。滝石ったら。大変なことになってるわよ」
「ねえ、びっくりしました。でもお札についてのお咎めはないようですね。わても一安心ですわいな」
「何よ。ふざけてる場合じゃないわよ。あんた、大殿様の一の姫と結婚させられるわよ」
どへっ?藪から棒な話だ。どういうことだろう。
「一の姫ってどなたのことですか?」
「ほら。亡くなった前の北の方との間の姫君で、この屋敷の東の対の一角に住んでいる方よ」
「え?一の姫って本当にいるんですか?」
幽霊のように暮らす一の姫の話は耳に挟んだことがあるものの、別邸七不思議のひとつくらいに考えていた。
「そうよ。大副様の新しい北の方にいじめられてこの別邸にきたものの、真弓様にも疎まれて東のあばら家に追いやられているのよ。大殿様ったら、めったにここには来ないくせに、来たらこんなに簡単に一の姫の結婚を決めてしまって、一の姫は本当に不憫な方ね。あんた、一の姫とお会いしたことないの?」
「ありません」
「そう。じゃあやはりこれも真弓君のいじめね。それにしても今回のは特にひどいわ。よりによって新参者で素性も知れないあんたを一の姫に娶わせようとしてるんだから。あんたときたら、身元は怪しいけれど身分の低いことだけは確かだし、世間知らずで、背ばっかりひょろひょろ高い割に胸板は薄くって、童顔で間抜けなお人よしで、かわいい顔して甘え上手の、どうしようもないうつけじゃないの」
「いやに手厳しいけれど、それなりに褒められてるようにも感じます」
「やっぱりばかねぇ。貶してるに決まってるじゃないの。それにしても、一の姫はまるで落窪の姫そのものだわよ」
落窪の姫とは、広く読まれている物語の主人公である。実母を亡くした美しい姫が、継母に疎まれ、落ちくぼんだ荒れ部屋に押し込められて過ごしている。姫らしく着飾ることもできぬまま、来る日も来る日も他の人の着物を縫って暮らしているのだが、やがてすけこましの公達に見初められて生活が好転していく、という筋である。
落窪姫は長年虐げられて暮らしているが、心根はまっすぐなまま保たれ、終始思いやり深いところが読んでいて清々しい。さらにこの公達が、最初は不実さ満点なのが、落窪姫に通うようになってからはすっかり一途になるという骨盤矯正の成功例のようなところが、女子から広く支持されている。私にしてみると、天性の遊び人である男が急にいい人になるところがどうにも腑に落ちなかった。きっとまたこの男が助べ心を発揮して物語に波乱があるのかと期待して読んでいたが、そんな展開はなかった。しかし、うむ。一途というのは今現在の私の心の琴線を震わせる言葉である。神祇伯邸に戻ったら、もう一度読もう。
「真弓君がおっしゃるにはね、一の姫がぜひあんたを婿にしたい、あんたと結婚できないなら死ぬって騒ぐんですって。だからもう一緒にさせるより仕方ないでしょうってんで大殿様を説得なさったんだけど。あんたが一の姫のことをご存じないなら、真弓君のでっちあげね。真に受ける大殿様も大殿様だわ。とにかく、あんたは近いうちに婿として一の姫のところに通わなきゃならなくなるわよ。せいぜい気張りなさいな」
落窪物語には典薬助というじいさんが登場する。落窪姫の継母と共謀し、落窪姫をさらに落ちぶらせるためにあてがわれる結婚相手である。このじいさんはかわいい落窪の姫を手籠めにできるので有頂天になるが、姫の閉じこもっている物置をこじ開けようと長いこと寒い廊下で頑張って、腹を壊してひちひちとおもらしをして退散してしまうという笑われ役だ。つまりその典薬助役が滝石ということである。
「そんな無茶な話、一の姫がおかわいそうじゃないですか」
私を典薬助にするのもひどい話だし。
「そうね。一の姫に日ごろ同情している女房が先ほど姫に事の次第を説明しに行ったみたいだから、今頃姫も嘆き悲しんでいるでしょうよ。でもあんた、もう一人かわいそうな女の人を知らない?」
「え?」
なんのことだろうか。もう一人のかわいそうな女の人?私のことかな?
「この結婚で心を痛めるかわいそうな人よ」
やはり私だろう。まさしの君には私が女だとばれたのか?いえいえ、まさか。秋の寒風を理由に幾重にも着ぶくれているから体の線は見えないし、用足しだって十分に気を付けている。注意は十分なので見られることもなかろうが、衣の下の木綿の褌の絞め方だって完璧なはずだ。だから私とはばれていないはずだ。
強いて言うなら、私を狙っていた修理の君が悲しんでいるかもしれない。しかしねえ、彼女は本気で私に恋しているわけではなく、好き物根性で興味半分だっただけな気がする。
「さて……誰か、」
「私よ!あんたの恋人の!」
ぴしゃり、と音を立てて私の頬が鳴った。まさしの君が私の頬を思い切り平手打ちしたのだ。
「あんたが悪いわけじゃないけどさ。今夜から他の女のところに通うっていうんだから、餞別がわりよ」
まさしの君は私の胸倉をつかむと、もう必発ひっぱたこうと手をあげた。私は慌てて頭を覆った。
「き、今日は忌日だから、行動を控えろと先ほど大殿様が」
「情事を控えろって言われてるけど、喧嘩と人殺しはしてもいいのよ」
まさしの君はそれだけ言うと、今思い切り叩いたところに乱暴な口づけを落とし、大副の元に戻っていってしまった。ぽっかーん、である。
私としては、まさしの君とは親しくしていたけれど、特に男として口説いていた覚えはない。ましてや私たちが恋人同士だったと思ったこともない。どこで勘違いさせたのだろう。そうだ。手を握ったことはある。口づけをされたことも、あったような気がする。しかしそれだけである。まさしの君は生娘というわけではなかろうし、私から誘ったわけではない。たったそれだけのことでぶたれる筋合いはないのだが、まあこれくらいは色男の勲章ということで甘んじて受け入れてもいいのかもしれない。すごく痛いけれど。
しかしまさしの君が去った直後、今度は家人がやってきて、私を一発殴り、踏みつけていった。何々、今日は一体なんなの?尻もちをついてあっけにとられていると、
「お札を破いた罰と、長いこと大殿様のお気に入りであるまさしの君に手を出した罰に、大殿様から二発食らわせてやれと命じられたのだ。これに懲りたら女遊びは控え、一の姫に誠心誠意仕えるのだぞ」
なんて人だ、まさしの君。私以外にも恋人がいたとは。いえ、私は恋人ではなかったはずだけど。踏んだり蹴ったりとは、このことだ。なんで私がこんな目に合わなきゃならないのか。じわ……、と涙が浮かんできた。いや、卑屈になっても仕方がない。痛い思いをしただけだ。大丈夫、大丈夫。すぐに治る。そうだ、こんな時こそ歌を詠んでみようか。
「わが頬は、麦わらならで、叩くも吸うも、他探しけれ。草鞋、水呑みの管に向くものかは。好きがましきあだ人が頬に君な触れそ」
―俺の頬は、麦藁じゃないぜ!打っても柔らかくならないからわらじづくりにも向いてないし、吸い付いても管になってないから水を飲むもの(すとぅろぅ、と人間界では言うと梅太郎は言っていた。人間界にある文明の利器が、ここにないなどということはないのだ)にも使えない。そういうことがしたいんなら他をあたってくんなよ。色男の頬に気安く触れるもんじゃねえぜ。
という気持ちを込めて歌ったものである。
即興なので帰ってからよく吟味して、より良い歌にしていこう、しかしいい感じではないの、私も腕を上げたね。などと考えていると、歌を聞きつけた先ほどの男が足音高らかに引き返してきて、もう一度私の頬を殴った。
「意味の分からん歌だが、無償に腹が立つぜ。次にふざけた歌を詠んだら巻き藁にして木刀でぶんなぐってやる」
歌を詠んで自分を慰めただけじゃないか。
などと言い返したりして、さらなるいちゃもんをつけられてはかなわないので、私は頭をかかえてその場に突っ伏し、男が去るまで微動だにしなかった。情けないが、仕方ない。
男が去ってしばらくしてから、私はようやくよろよろと立ち上がった。ぐらついている差し歯を一旦抜いて差し直す。余談だが、私は子供の時分の遊びが元で、前歯が二本ない。神殿では前歯がないまま過ごしていたが、還俗するにあたって神祇伯の好意で真珠の粉を練り固めて作った義歯を入れてもらえた。歯がないときは多少不便であるくらいにしか感じていなかったが、歯を取り戻してみるととても便利、これなしでは暮らせないほどだ。それに前歯のない私はさぞ間抜けな顔だっただろうと思う。アメノマルツチ様に逃げられたのも、このせいだったかもしれない。
寝殿を離れ庭で一休みしていると、東の対の屋にぼんやりと人影が現れ、幽霊のようにかすかな声が話しかけてきた。声がかすれすぎていて「かす、かす」という風にしか聞こえないが、私を呼んでいるらしい。
頼りない紙燭の灯りに浮かび上がっているのは、大副と同じおちょぼ口の女性であった。なんの予備知識もない私だけれど、この方が一の姫に違いないと確信できるくらい、大副と瓜二つだ。ただふてぶてしい大副と比べて、こちらはかげろうのように儚い様子だった。
こんな夜に身分もわきまえず姫の寝所に上がるのは、姫の外聞を考えると大変由々しいことなので辞退すべし。しかし声を上げて先ほどの男が帰ってきても嫌なので、大きな動作で手を横に振ると、相手ももっと激しく手招きをする。しばらくお互いに手を振りあっていたが、これでは埒が明かない。
観念してこちらから近づいていくと、一の姫はくるりと踵を返して室内へと私を案内した。
そこには古びた衾だろうか、青っぽい襤褸きれが部屋の真ん中にぽつんと捨て置いてあるだけであった。几帳や畳、灯りといった基本的な調度が一つもない。建物全体から生活感というものが抜け落ちていて、誰も人が住んでいないのかと思ったのだった。大副は本邸も別邸も、東の対をないがしろにする傾向があるね。
それにしても、近くで見ると一の姫の顔色の悪さが一層よく見えて、ほとんど病気なのではないかというくらい青白い。
まあしかし血の気も失せて当然だろう。使用人風情を相手に、不名誉極まりない結婚を強いられているのだ。もしもこれが中の君だったら、気が狂ってしまうかもしれない。その点、一の姫は正気を保っている。影は薄まっているけれど、背筋を伸ばし、当の相手である私ときちんと話をしようと対の屋に招き入れようとしている。なんとも気丈な女性である。私はもう一度差し歯をぐっと歯茎に押し込み、気合を入れた。
この東の対には、呪詛状を求めていた時に一度だけ足を踏み入れたことがある。夕闇に紛れてこっそり忍び込み、一通り検分してとっとと帰った。そのときには姫はいなかった。今思えば、姫はそのときもいたけれど、私が気づかなかっただけかもしれない。
改めてくる彼女の居室は、湿気ていて、少し黴臭かった。
一の姫はまたもやかすかすと何事かをしゃべったが、私には聞きとれなかった。きっと、
「荒れ果てた部屋で、お恥ずかしゅうございます」
とかであろうか。私はにっこり笑って、
「いえ、調度がないのは却ってすっきりと感じます」
と返しておいた。声が小さい人との会話は神祇伯とのやりとりを通して随分慣れたのだ。
一の姫は手ずからぼそんぼそんにほつれた藁座布団を出してくれた。つまり、衾かと思っていた襤褸が藁ザブトンだったということだ。寝るときはこれをひっかむっているのだろうか。え?こんな薄いざらざらしたので眠れるのだろうか。……まあ女性の寝姿を想像するのは失礼なので詮索はよしておくか。
そのぼそんぼそんが置いてあった場所に一瞬藁人形と木づちのようなものが見えた気もしたが、私は本能的に視線を逸らした。人は誰しも、闇の部分を持っているということだろう。
それにしても一の姫の着ているものは擦り切れた単の上に古びた表着のみで、ひどく寒そうだ。実の娘、しかもこんなに自分と瓜二つの娘をここまで無碍にできるとは、大副はどういう神経をしているのだろうか。
「一の姫様。私は滝石と申す、侍所の横の小屋に詰める者です。あなたの婿になるように大殿様がおっしゃっていると聞いておりますが、ご安心ください。姫に無体はしません。こんな無茶苦茶な結婚は、当然成立しませんよ」
私にはすでに梅太郎という相手がいるのだ。相手がいるのに他の人とも結婚するなんて、お互いに対して失礼だ。それに私は女だし。
「大殿様と北の方様に、何か誤解があったのでしょう。なあに、すぐに解決して、この結婚話もなくなりますよ」
「えっ」
「えっ?」
初めて一の姫が声らしい声を出した。驚いて相手の顔を見てみると、おちょぼ口をぽっかりと開けてあちらも驚いている様子だ。どうも私の言ったことは的外れであったようである。しばらくどういう意味か考えながら姫の言葉を待っていた。ぶしつけながらも相手の瞳をじっと見据えると、そこに焔のようなものがくすぶっているのが分かった。修理の君もこの瞳を持っていた。神殿で私の袖を引いた神子たちも持っていた。これは恋の焔だ。もしかして、姫は私のことが好きなのかしら。ここにも滝石の色香に惑わされた女人がいるということか。まさしの君も知らぬ間に私のことを好きになっていたし。たは、色男にも困ったものである。
なんて冗談は置いといて。いったいどうしたものだろう、と姫の瞳をもう一度よく見ようと顔を寄せると、姫がそっと瞼を閉じた。
こ、これは?接吻を待っているのだろうか?声は小さいけど大胆だな、一の姫!
「あの、そのぅ?一の姫?」
「滝石様。わたくしはこの日をお待ち申し上げておりました。このようなことは初めてでございますからか、あまりにも強く願ったので、この身が溶けて雨のように流れてしまうのではないかと思う日もございました」
一の姫は目を閉じて微動だにせぬまま言うと、再び沈黙した。そのまま何も事態が進展しないので、私は困って辺りを見回した。当然だが、仲介して会話を円滑にしてくれる女房などもおらず、敗れた障子がほつほつと隙間風で揺れているばかりだった。
据え膳食わぬは男の恥、という言葉が世の中にはある。ここで何もしなければ、男であることを怪しまれるかもしれない。
ちなみに、私はこの恥を知らぬ男性陣に煮え湯を飲まされ続けている。マルツチ様しかり、梅太郎しかり。それならば私は、私だけはきちんと据え膳を頂いてみせようではないか。
初めての、失礼ながらたぶん初めてだろうな、初めての接吻の相手が女でごめんね、一の姫。そして私に結婚相手が他にいてごめんね。でも私も、ここで正体をあらわにするわけにはいかないんだ。でも思いっきり素敵な思い出になるよう、真心こめて口づけさせていただくよ。
視界の隅に藁人形と木づちが写る。思わずたじろいだ瞬間、一の姫の閉じた瞼が震えた。薄く、繊細そうな瞼は、閉じていても私のことを見ていそうだ。
私は意を決して、姫に口を寄せた。一の姫の唇は思った通り小さかった。そして思った以上に冷たく、荒れていた。とてもかわいそうな唇だった。
ところが、唇が重なったとたん、一の姫はひぇっと悲鳴を上げて体をのけぞらせた。
「なんと、なんということを」
小刻みに震え、信じられない、表情をしている。つまり、どうやら接吻を待っていたのではなかったのね。紛らわしいな、一の姫。
「し、失礼いたしました。無体はしないなどと申し上げながら、姫のご様子があまりにもをかしげで、つい口のやつが吸い寄せられてしまいました。この、この悪い口めが」
私は自分の唇を手の平で数回叩いた。いやもう、勘弁してよ。じゃあどうしたらよかったのさ。
まあ色男という設定だから、これくらいでいいのかもしれない。いやさ、結婚を阻止する方向で話を進めるのだから、こんなことはしてはいけなかった。第一、これでは一の姫を傷つけるだけだ。色男というのは女性にとって百害あって一利なしの役病神なんだから、今更ながら言うと。次に男を装う機会があったら、武骨で誠実な男という設定でいこう。
一の姫の眦から、つつ、と涙が伝い落ちた。
ほら、泣かせてしまったではないか。経験値が高い私なので、臭くて汗っぽくて阿保な、ちっとも本意でない男に唇を奪われるその口惜しさは十分にわかる。ま、私は今はちょっと臭うけれど、本来は臭くも汗っぽくもないけれどね。
私は懐紙をさぐったが、武士の滝石は懐紙を常備していないのだった。仕方がないので、袖でなるべく汚れていない部分を手に握り、姫の目にそっと押し当てた。
「初めてお見掛けしたときから、お慕いしておりました」
え、やはり私のことは好きなの?でも接吻は意外で不本意だったのね。女性とはとかく複雑な生き物である。
それにしても、距離が非常に近いのと、私の耳が彼女の声量に慣れてきたのとで、口をほとんど開かないで不明瞭にしゃべる彼女の言葉が聞き取れるようになってきた。
「初めて、とはいつですか?」
「望月のころ、何ゆえかあなた様がこなたへ忍んでいらしたときです」
たは、やはりそれを見られていたか。あの時私は呪詛状を探しに来たが見つけられなかったので、帰り際、落ちていた青い衾、もとい藁ザブトンの匂いを嗅いでみたのだ。何を期待したのかわからないが、ザブトンは黴の臭いがしてがっかりした。自分でも自分の行動の理由が分からないが、一の姫にはもっと不可解で、不気味に映ったに違いない。
「滝石様は、主人のいない衾を、きちんと畳んで差し上げていらっしゃいましたね。こまやかな配慮と丁寧な手つき、とても尊いものと思われました」
そんなことしただろうか。覚えていないが、それを見て、一の姫は私に好意を持ってくれたらしい。え、それだけで?などと疑うのは無粋である。なんとなくそれがきっかけとなって興味をもってくれたのであろう。まだ知らぬ人をはじめて恋ふるかな、一の姫。
「この結婚は真弓の方の思いつきではございますが、わたくしは神仏のお導きと考えております」
「さて、そのことなのですが、」
「お相手が貴方様で本当に良かった。これまでは神仏はわたくしを見放しておられると泣き暮らす毎日でしたが、これからは、どうにか希望をもって生きていけそうでございます」
きちんと声を出すのもつらいのか、一の姫はぜいぜいと息を休め休めしながら語った。
「はあ、そうですか。それはなんとも……」
そうか。神仏がお導きになったご縁なのか。それなら、考え直した方がいいかしら。でも、私には神に捧げるべく準備した夫婦御供もあるがな。どうにか両立できないものか。でも、何といっても私は女だし。やっぱり結婚はできないだろうな。
ところが考えているうちに一の姫があれやこれやと神仏のお導きの前例のような話を紡ぎ出すので、もはやこちらに結婚する気がないということが伝えづらい状況である。仕方なく私は曖昧な微笑を浮かべた。
それから私たちはぽつぽつと夜語りをした。本日は忌日だし、人に見咎められては面倒なことになるので、早めに退出するべきだったが、なんとなく流れを断ち切れないままぐずぐずしてしまった。
といっても、時折神仏の話が出るばかり、一の姫も私もあまり身の上話をしないので、会話は途切れがちであった。実際、帰宅を切り出す機会は数回あったのだが、そういうときに限って不思議と、一の姫が口を開いて話を違う方に差し向けるのだった。それからもう一つ、私は可能な限り一の姫に丁寧に接しようと心がけていたので、気を使いすぎていたのも原因だろう。梅太郎という反面教師がいたので、あやつのようにだけはなるまい、と心に決めていたのだ。乱暴で、思いやりのかけらもない男。私は婿にはなれないし、男でもないけれど、心細い夜に寄り添うことはできる。一の姫も、とても優しく対応してくれた。気配りの利く、心の柔らかな方という印象を受けた。丁寧な時間を過ごすうち、いつしか私たちはうつらうつらと寝入ってしまった。