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北風日記  作者: 小烏屋三休
干滝殿
16/88

陰謀

 まだ暗いうち、ふいに近くの茂みで大きな物音がした。どうも猫がさかんに喧嘩をしているようだった。

「ふわっ?」

 その音に驚いて、私は目を覚ました。続いて、見慣れぬ天井にも驚かされた。それからすぐに、ここが梅太郎の塗籠だと思い当たり、身を起こす。

 塗籠の中に梅太郎の姿はない。私が昨日渡した手本となる文が、広げっぱなしになっていた。朝になって誰かほかの人に見られたら体裁が悪いので、それをひとまず懐にしまう。

 私はそろそろと歩いて、東の対を動き回った。この対に起き伏しする侍女はいないようで、梅太郎は一人きりで誰からもお世話されずに暮らしているようだった。侍女たちが人間と同じ屋根の下に寝起きすることを嫌がったのかもしれないが、それを許すとは、神祇大副もあんまりじゃないの。

 このままほっぽられているのであれば、梅太郎はいつまでも読み書きができるようにはならないし、貴族の作法も学べない。神祇大副には早急に、改善事項をまとめて訴えておかなければならない。

 一人きりであばら家にいるのも落ち着かない。私はおばけが苦手なのだ。そこで少しだけ神祇大副邸を回ってみることにした。

 留まっているのも怖いが、歩くのも怖い。びくびくしながら、まずは()殿(どの)へ向かう。いわゆる便所のことだが、梅太郎はそこにいる可能性が一番高い。樋殿に誰かが入っている気配があれば、私も一旦塗籠に戻り、梅太郎の帰りを待とう。

 ところが樋殿には誰もいなかった。そこで私は、先ほどから見まいとしていた、西の対に目を向けた。まさか、梅太郎は大副の娘のいる対に忍んで行ったりはしていないだろう。よりによって、私がいるときにそんなことはすまい。疑うことすら、恥ずかしいことである。

 だけど、私はどうしてもその恥ずかしい疑いを拭いきれなかった。気が付くと、西の対の廂の下に忍び込んでいた。そしてすぐに、何やら物音がするのに気が付いた。その音が大副の姫君の寝所となっているだろう母屋からするのか、侍女たちの寝る曹司(ぞうし)からするのかまではわからなかった。とにかくどこからか男女が身動きする気配がするので、私はそれ以上膝を進めるのをやめた。

 男も女も吐息のような声で会話をしている。時折悲鳴のような笑い声のようなものが混じる。男の声は梅太郎のものだろうか。ひそめた声なので断定はできないが、似ているような気もする。もしかして、姫君の鬢の毛をくしけずってあげてるのかしら。これは、共寝をしているということなの?

 私は自分がここに潜んでいることがばれてはいけないと、息はもちろん心臓さえ止めんとがんばった。

 建物が地震のように揺れている気がする。なんという喧騒だ。身の危険を感じる。ここで床が落ちてきたら不名誉かつ無念極まりない死を迎えることになる。女だてらに夜這いを試み、夫に逃げられてその夫の浮気現場に押しつぶされるなんて、時代を越えて語り継がれてしまいそうだ。

 一刻も早く引き返すべし。飛ぶがごとく帰宅し、ただちに体を拭いて清めるべし。全身がひりひりと痛むくらい洗い上げて、今聞いたことを忘れてしまいたい、早く。でも怖気づいた私の足はなかなか動かなかった。

 たくし上げた指貫からむき出している足に、先ほどの猫だろうか、ふわっと体を摺り寄せてくるものがあった。その刺激が足のしびれを解いて、私はよろよろと廂の下を進んでいった。

 門から遠ざかっている、と気づいたのはしばらく歩いてからだった。気づくと、頭上でまた誰かの話し声がする。再びの話し声に、私はぎくりとした。また睦言だったらどうしよう。収まりかけていた心臓の嫌な拍動がぶり返してきた。

 しかしその声は先ほどのものよりも平板で、男同士で話をしているようだった。ほっ、とりあえずよかった。

「ほんまおおきにどっせ。えらい立派な護摩壇(ごまだん)いただいてしもて」

 気の抜けたような、締まりのない声だった。それがなんだか、仏様の声のように私を落ち着かせてくれる。

「うむ、特注品である」

「もったいのうてまだ火ぃを入れしまへん。しょもない祈祷で汚したないんで、ええ木を手に入れてから、気合の入った祈祷をするときにおろすと決めてるんどす」

護摩木(ごまぎ)には白膠木(ぬるで)を使うのか」

「あては白膠木にかぶれるんで、ゴンズイを使てます。ところがこのゴンズイにきくらげが繁殖してしもて」

「きくらげ。ああ、あのびらびらしたやつか」

「見た目もひどいもんどすが、何が一番困るって、中がすかすかになってしもて、火をつけるとあっちゅう間に燃え尽きてしまうんどす。そりゃもう、祈祷もへったくれもないくらいくらいの早さどす。せやから今ゴンズイも使うことかないません」

「ほう。では猩々木なんかはどうか。赤くてなんともいいではないか」

「大副はんは風雅でいてはります。猩々木もええおすな。あては今、裏山でどっさり拾える杉の枝でしのいでます。せやけどこれも早く燃え尽きてしまいます。早口で祈祷せんとあきません」

 声の主は片方はこの館の主である神祇大副、締まりのない方はお寺の住職といったところか。

 神祇官は仕事柄、寺社仏閣に知己が多い。とにかくお寺の人なら安心だ。私はそっと吐息をついた。こんな風に夜更けまで木の話などをしてなんと平らかなことか。しばしここでこの人たちの話を聞いて、耳の穢れを洗わせてもらおう。

「ふうん。杉ねえ」

 大副はさして興味もなさそうに返事をしている。自分から木の話を振っておいたのではなかったか。

「杉や(ひのき)みたいな葉ぁが尖った木は、すぐ燃えてしまいます。建物(たてもん)を作るときも、もっと燃すのに時間のかかる木でできた建物だったら、火事の広がりもちゃうかもしれまへんな。太の宮は見栄えばっか気にして檜がぎょうさん使われてた聞いてます。せやからぱっと火が広がってしもうたんやないですか。そういうとこ、神祇司(じんぎつかさ)で決めていかはらへんのですか」

「そういうことは、宮大工と施主が勝手に決めれば良い。私の知ったことではないわ」

 そうかな?火事に関するような大切なことには決まりを作ってもいいと思うけれど。大副は新しいことを始めるのを億劫がる性質なのかもしれない。神祇伯はああ見えて国際結婚などを敢行してしまうほど行動力のある方なので、同じ職場にいるとお互いにやりにくいのではなかろうか。

「さいですか。ま、先だっての火事はそんなに延焼せんかったですし。近うに住んでたら肝を冷やしますけど、うっとこみたく遠く離れてれば、のんきなもんどす。空が血ぃみたいにきれいに染まるの見て、お菓子食べてました」

「こちらは大騒ぎだったというのに、なんだその言い方は」

「おほほ。大騒ぎやったとおっしゃるのは、どのお口やろか。お宮の火事みて酒盛りしてはったと聞いとりまっせ。後始末もほとんど上役にやらせはったって。そのくせ火事で焼け出された別嬪さんを新しう囲ってはるって」

「私はくだらぬ仕事はしとうない。しかし、(あゆ)もなかなかしぶとい。太の宮の火事の責を負って、あのまま神祇伯の座を手放すかと思いきや、(うなぎ)のようにのらくらと逃げおおせるとは。鮎と呼ばずに、鰻と呼んだ方がいいかもしれぬ。まったく面倒なことだ」

「大副はん。火事のことはあくまで偶然どす。それがうまくいったら幸い、あんじょういかなかったから言うて、落ち込む必要はあらしまへん。鮎殿は、当初の手段で追い落とせばよろしおす」

 太宮の火事?神祇伯の座を手放す?鮎殿?睡魔に襲われかけていた私は一気に正気に戻り、耳をそばだてた。

「当初の手段って、毒入りの三日夜の餅は燃えてしまったではいか。まったく、鮎の膝元であれを食ってころっと夫婦御供が死んでくれたら手っ取り早かった。わざわざ取り寄せた毒だったのに。今盛っている微弱な毒も、餅に盛ったとどめの毒がなければどこまで効くかわからぬ」

 聞いているうちに肌が粟立つ。これは、夫婦御供を失敗させ、神祇伯をその座から蹴落とす話だろうか。

「済んでしもうたことぶつくさ言うても仕方あらしまへん。次いきまひょ、次。ええと、毒入り餅の目的は夫婦御供死なす、ちゅうもんどしたやろ。遠の君、あ、堪忍してくれやす、こないな名ぁを大きな声で言うてはいけんのどした。なんと呼んではりましたっけな、あ、そや、三毛猫とひょろ瓜や。三毛とひょろ瓜、どちらか一人死んでくれはったら、いちゃもんつけて鮎殿のせいにして神祇官から追い払ってしまえばよろしおす。それより大副はん、新しう夫婦御供にする者の手立ては、そろそろついてはります?」

「ひょろ瓜の代わりの算段はとっくについてる。鮎が失脚したら、すぐに呼び出す予定だ」

 なんじゃ、この悪人たちは。人を死なすだの、不吉なことをいとも簡単に言っておる。私は急いで難を避けるまじないを手先で切った。

 それにしても神祇大副は話し方がおかしい。鼻から抜けるような声の出し方をして威張っている。宛木に聞いた公達風しゃべり方とでもいうのだろうか。馬鹿げた発声方法である。

「こないだちらっとお見掛けしたのやけど、三毛猫殿は出自に似合わず、たいそう見目好いお人おすなぁ。喪服着させておくんがもったいないて、女たちが騒いでますわ。あてなんかはいかに見た目が良くても、やっぱり出自のやすけないんはどんなん整った見た目でも駄目ですわ」

「うむ」

「大副はんも三毛殿にはきちんと線を引いてはりますもんなぁ。でも鮎殿の方は、すっかり惚れこんでしまったか、その卑しいもんを下にも置かぬもてなししはると聞きました。鮎がパクパクとさせて猫の世話を焼く、その様を見とうおましたが、あてらの悲願がかなってしまえば、その機会もなさそうで、そればかりは残念どす」

 鮎殿というのは、神祇伯のことと思われる。確かに、神祇伯は目がくりっとしたところが、鮎に似ていなくもない。この二人、万が一誰かに聞かれたときのために、それとわかる呼び名を使わずに、符丁のようなもので話しているのだろう。そして、見目好い喪服の三毛猫、が私のことなのだろう。三毛猫とは、何に由来しているのだろう。姫君らしからぬ俊敏さや、人に媚びないところかな?

 まさか深夜の廂の下にその三毛猫が潜んでいるとも知らずに、言いたい放題である。警戒もせずに話しているので、私にだって二人の企てがようく理解できる。油断のしすぎじゃ。

 神祇大副は、神祇伯を追い落として自分が神祇の長官になろうとしている。長官の特典で、娘を今上帝のところに入内させようとでもいう魂胆だろうか。

「はあ、ここはお湯がおいしおすなあ。ずずず」

 ずずず、というのは湯をすする音である。神祇大副の話し相手が誰だかはわからないが、声の出し方と言い、この湯をすする音といい、下品な男である。

「しかし、そろそろ鮎殿の方も騒ぎ出してもええようですのに。寝込んでいるとは言え、まだたいそうなことにはなっていいひんそうどすえ。もうとうに毛がすかすかになって骨みたくなってるはずやのになぁ。あれだけ毒を仕込んでも大事ないんは、ほんまにしぶとい言うか、図太い言うか。ずるずる、あ、おいし。やっぱり都の水は違うんかなぁ」

「それなんだがな。特別に体の丈夫な娘らしいわ。これ以上強い毒を盛ると、斑点なんかもでてくるやもしれぬ。毒とばれては次の候補選びまでごたついてくる。あくまでも、衰弱死して死んだ、ということにしてもらわないと」

「鮎殿も今回の妻選びには、経歴やなんや様々なことは不問にして、体がようけ頑丈なのを選んだらしいどす」

 な、な、なんと?毒とな?まさか私に毒を盛っているのか?私は思わず体をまさぐってみた。ははぁ、最近元気がないのはそのせいかもしれない。それに、そう言われるとお腹のあたりがごろごろ不調な気もする。

「別に誰を死なせんでも、神事が鮎の名の元で失敗すればいいだけなんだがな。それこそ娘と婿がこのまま不仲で神事が滞るのでもよい」

「手ぬるうおますな。人の心の動きは推し量れるもんやないよって、そんなあやふやなものに事の成り行きを託すことはできひんのどす。せや、刺客を放ったらいかがでひょ」

「刺客?」

「そうどす。刺客にひょろ瓜やってもらいまひょ」

「この職にいる間は血の汚れは避けるようにと、伯父から口うるさく言われている。まったく、年寄りの言うことはくだらないな。くだらないが、これを守った上でまずは神祇伯の座を得なければ、伯父も俺を認めん。認めてもらわねば、今後も要職につくことかなわぬ。俺はこんなところで止まる男ではないのだ。そのために心の蔵を弱める毒を、まわりくどいが使うておる」

「首を絞めれば血ぃも出ずにあんじょういきまひょ。三毛はともかく、ひょろ瓜やったら騒ぎ出す前にわてでもこてんとやれる気がしますわ」

「三毛はともかくってお前、三毛に刺客は送るなよ。三毛の方は下手にやると、こちらに類が及びかねない」

「わかっとりますがな。ひょろ瓜言うてますやろ。ひょろの方やったら、食うて寝てるばかりやさかい、そこらの手弱女(たおやめ)でも絞め殺せましょ」

 くひひ。梅太郎のやつ、瓜ばかり食べているから、相当軽んじられている。

「そんなにうまくいくといいがな。はあ、このまま、男が浜名の姫に懸想して、逆上した娘が夫婦御供を破断にしたいと騒ぎ出す、とかいうのでもいいんだがなぁ。これがうまくいけば手を汚さずに事が運ぶ」

「何をいまさら、気弱なことを仰いますな。元神子の娘が、そないふわふわした心根で夫婦御供に挑んでいるわけあらしまへんがな。もっとも、悋気(りんき)おこして逆上するくらいかわいげがあったら、男の心ももそっとうまくつかめるかもしれまへんけど。浜名の姫なんかに目移りされてしもて、ほほほ、おかしったらないですわ」

 腹の立つ言い方である。しかし幾分かは的を射ている。流鏑馬(やぶさめ)なら二つ的中くらいである。そうなの、私は梅太郎が誰に懸想していようが一向にかまわないのだ。これは神事としての婚姻、何よりもまず形式を整えることが大切なのだから、かまわないに決まっている。

 決まっているけど、さ。でも、梅太郎ってば、彼女もいるのに、大副の娘や浜名の君つまり私の妹やらにも手を出すなんて、結構やり手だね。女ならなんでもいいんじゃないの。やっぱり獣ね。でもじゃあなんで私はだめなのよ。

「今ひょんと思いついたよって聞きますけど。まさか大副はん、怖気づきはりましたん?毒をしこたま盛ってたのに、効かなかったからいうて今更引き返そう思てはります?」

「何を言うか。おじに潔斎を言い渡されているから汚い人死(ひとじ)にを避けているのみ。やむを得ぬ場合は、いささかの怯みもなく、何人でも殺してやるわ」

「おっほ、怖、怖。えらいお気ぃを悪うさせてしもうて、堪忍どすえ。せやけど、もうもう日もあらしまへん。あと半月のうちに決着をつけんと、その後の手続きが詰まりますのや。手っ取り早く死んでもらいまひょ」

「じゃ、やるか。ひょろ瓜のやつを」

「やりまひょ」

「でもなぁ。いや、決めた!」

「どうやってやらはりますのん」

「そりゃ、もちろん、お前」

 とんとん、と指で床を叩く音がしたので、私は気づかれたかとひやりとした。

 が、どうもひょろ瓜の始末の仕方を身振り手振りで示しただけらしい。

「ほな、それで。ずずず、ぷはぁ。やや、虫が入っとります。ほら、ほら、危うく飲んでまうところどした」

「飲みかけのもんを見せんでよろしい。ふわあ、ああ、眠た眠た。そろそろ寝るか。じゃ、まあそんなことで」

 結局どんな風な手段でひょろ瓜を殺すことになったのか、私にはわからなかった。

 それにしても、私の方はいつどのように毒を盛られているのだろうか。食事か、水か?顔や口を洗うときだろうか。枕に忍ばせてあるのかもしれない。私はなんだかお腹に違和感があるのに今更気づいた。

 それから、最近神祇伯殿の顔色がとみに優れないのは、やはり神祇伯も毒を盛られているのだろうか。中の君には何もされていないだろうか。大副は私と中の君のことをどれだけ知っているのだっけ。とにかく、一刻も早くこの悪党の邸から出るように言わねばなるまい。様々のことが渦となって頭の中を駆け巡って、消えた梅太郎のことはすっかり忘れてしまった。

 私はごろごろ鳴るお腹を抱えて、なんとか網代に乗り込み神祇大副邸を後にした。


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