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北風日記  作者: 小烏屋三休
干滝殿
13/88

瓜太郎

 そもそも、どういう基準で梅太郎が選ばれたのだろう。

まず、世界の綻びである絶間は危険な化け物がうじゃうじゃいるというから、そこを越えてこられるほどの体力がある者でなければならない。

 神祇伯は吟味を重ねてとうとう条件に合う見目の良い男を見つけた、と言っていたらしいので、諸条件を備えた上で一番容姿が整っていたのが梅太郎ということか。こちらとしては、見た目は不細工でも構わないから、もっと寛容でやさしく、若木のように柔軟で融通の利く年齢の、本音としては恋人のいない二番目に格好良い男が良かった……。

 とまあ、そんなことを言ってしまえば神祇伯はがっかりして体の調子を悪くしかねないので、私は静かに離れにこもっていた。

 神祇官は焼けた太宮の対応に天手古舞らしい。神祇伯はあれ以来まったく帰ってこない。蝕が来る前に、結婚の日取りを設定し直さなければならないのだが、とてもそれどころではない。

 不幸中の幸いというか、妹の中の君は無事であった。逃げようとした際に転んで顔に痣をこさえたらしいが、大した怪我ではないらしい。

 中の君の身の寄せ先だが、神祇司(じんぎのつかさ)の二番手、神祇大副が彼女を当面の間受け入れることになった。交通の便の良い本宅ではなく、都の外れにある別邸の方へ運ばれた。神祇伯邸で受け入れてくれるのなら私も様子が直接知られていいのだが、近く神事(私たちの婚儀だけれども)が行われるこの邸は、潔斎のため客人の連泊はさせない決まりらしい。

 大副は当然、中の君が私の実の妹だと知っているはずだ。噂に聞く大副の人徳のなさ、それから神祇伯に対する大副の敵愾心(てきがいしん)から考えると、とても親切心で引き受けたようには思えず、中の君を人質に取られたように感じる。

 火事の夜から、五日たっている。中の君はまだ筆をとることができないのか、文をよこすことはない。それから当然のようだけれど、私と梅太郎との間にも文のやりとりはない。ふんだ。

 ただ、なぜか神祇大副がお文をこまごまとくれる。忙しくて邸にちょっとも帰ってこれない神祇伯をよそに、この人はずいぶん余裕がありそうである。時間があるならば私に文を書くよりも、梅太郎の教育に力を入れて、色々と言い含めておいてほしいところである。教育が難航したとして、せめて中の君や梅太郎の様子を書いてよこしてもばちは当たらないだろうが、そこについては一度も言及がない。

 私が中の君の様子を訪ねたり、それとなく梅太郎のことを尋ねても、返事の文にあるのは、どれもこれも的はずれな世間話や季節の話ばかり。ご丁寧にナナカマドなんかが添えられてほのぼのと届く文には、しかも毎回歌がついてくるのだ。こちらは歌を詠むなんて大の苦手なので、歌は返さずに業務報告のみ返信していたら、前回の文には、

「練習だと思って歌をお詠みください。ご希望であれば添削しますよ」

 と、書かれていた。ありがたいお申し出ではあるが、そのままうっちゃっておくことにした。

 そんな風に妹や婿殿の消息をしれない、かゆいところに手が届かない日々を過ごしていた。


 ある日、大副が今後の打ち合わせに神祇伯邸に訪れたので、ついてきていた牛飼い(わらわ)をちょっと呼び出してみた。

 この牛飼いは、先日も大副とともにこの屋敷に来ていた。従者の中で一人だけ、あまりにもみすぼらしい服装をしていたので、私が昔着ていた水干を下げ渡したのだ。もちろん、他家の者に勝手に衣を渡しては失礼かもしれないので、神祇伯に尋ねたら、伯は笑って「無礼にはなりませんよ」というようなことを小声で請け合ってくれた。ただ、衣を受け取る際のこの牛飼いの態度の尊大なこと、なんとも腑に落ちなかったが。

 そのときは純粋に善意から水干を渡したのだが、こうして考えると、他家の者を手懐けておいていろいろと情報を得るのはいい手かもしれない。都で生き抜く貴族たちというのは、こうやって情報屋を都中に放っているのだ、きっと。

「さてと、また会ったわね。そちらも太の宮の件の後処理で落ち着かない日々だと思うけれど、神祇の大副様のお屋敷で何か変わったことなどはあった?」

「何もねえす。特別なことは何も」

 膨らんだ頬をしもやけで赤くさせたその男は、体をぼりぼりとかきむしりながら答えた。その汚れた服からなんとも嫌な青臭いにおいが漂ってきて、顔をそむけたくなるのを、ぐっとこらえる。それにしても、前回渡した水干を、なぜ着ていないのだろう。

「ぺっ、変なにおいがしたうえ、えらく動きにくかったんで、欲しいって言う爺さんに売っちまったす」

 宛木が嫌そうに顔をしかめた。

「んまあ。長くしまっておいた衣っていうのは多少なりとも古びたにおいはするものですよ。陰干しすればにおいは消えるし、仕立てをほんの少し変えれば動きやすくもなるのに」

「はあ、そすか。ぺっ」

 この牛飼いは時おり唾を吐くというか、不如意に唾が口から飛び出てしまうようで、すこぶる口元が不愉快そうである。

「恩知らずな男ですわね。姫様の思い出の衣をいただいたというのに、なんて無作法な」

「そんなに大事な品ならくれんでも良かったすけどね。ま、爺さんは河っぺりの野原に住んでるんで、探したら今日もいるかもしれんすよ。爺さんが返してくれるかはわからんすけど、試してみるこったす。ぺっ」

 不遜な男である。宛木の引き結んだ唇から憤怒の吐息が漏れる音が聞こえてきそうだ。

「お前、口の中に何か食べ物を入れてるんじゃありませんか?」

「生まれつき頬が膨らんでるんでさぁ。こないだ会った時も言いましたがね」

「ふん。姫様の前でくちゃくちゃと食べてるのでないならいいんです」

「ぷぺっ」

「んまっ」

「それで、その、神祇大副様のお邸でのことなんだけど……」

 宛木が爆発してこの男を追い返す前に聞くことを聞いておかねば、と私は話を引き戻した。ちなみに、貴族の姫は直接よその下人と話をすることはない。特に宛木の監督下ではそんなことは許されない。だから会話は宛木経由で行っている。

 人を介しての会話ですでにややこしくなってる上、梅太郎や中の君のことを名指して様子を聞いてしまえば、どこから何が漏れるかわからないので、聞き方も慎重に、曖昧になってしまう。

 一応、露顕(ところあらわし)をするまでは梅太郎と私の関係は邸内の限られた者しか知らないし、中の君と私が姉妹であることも、中の君の体面を慮って伏せている。梅太郎が人間であることがばれた場合、その人間を夫にした私の身内であることが知れ渡って、世渡りがしづらくなってしまうからだ。

「うーん。わかんね。何言ってんのか、何聞きたいのかわけワカメです。もう帰っていいすか?」

 牛飼いは間の抜けた話し方をして、鼻の下をこすっている。こいつ、本当に阿呆なのかしら。

それとも主筋ではない私には敢えてとぼけてみせているのかもしれない。だとしたら骨のある牛飼い童だ。

 宛木が苛ついた様子で、

「本宅には男性の居候、別邸には太宮の火事で怪我をして運び込まれた姫君がいらっしゃるの。お前、そういう方々に仕える人から、その方々のご様子を聞いてないの?って姫様はお訊きになっているのよ。お元気そうだとか、日中は何をして過ごしていらっしゃるだとか」

 ずばり聞きたいことを言った。この男はあまり察しが良くなさそうなので、直接聞かねば埒が明かないと思ったのだろう。

「なんでそんなこと知りたがるんで?」

「え?」

「深窓の姫君が、他のお邸の中で起こってることを知りたがるなんて、良くないことでさ」

 油断していたら、意外と鋭い意見を言ってくる。腹の立つ男だ。

「んまあ!いいから聞かれたことにお答えなさいな。見知らぬ顔はいたの?」

 宛木はすっかり童に翻弄されている。ちなみに童と言ってもおじさんである。

「はいはい。別宅も立派なお屋敷ですたよ。小ぶりでも、庭も整っておったね。ぺっ、琴の音なんかがべらんべらんと響いちゃってサ。ここよか数段いい造りですた」

 宛木はうんざりしたように扇を口元にあてた。

「もう、下がらせましょう。この牛飼いじゃ埒があきません。イライラさせるわ、蚤だらけだわで、引き留めても百害あって一利なしですわ」

「もう、ちょっと」

 私は直に小者に声が届くように几帳に近寄った。

「その琴を奏でていたのはお客人ではないの」

「そうかもしれねえし、違うかもしれねえ。へへ、やっぱりお高くとまってる姫様っていうのは、いいお声をしてらっしゃる。もったいなくて人に直接聞かせたくねぇ気持ちになるんでしょうな」

 牛飼い童はにいやらし気に顔を歪めた。つつつ、と涎が垂れ、男は手でそれをぬぐった。

「姫様、直接お声をかけては差し支えますわ。さ、もう十分でしょう。下がらせてよろしゅうございますか。何やら青臭いですし」

「青臭いのは、さっきここの台盤所(だいばんどころ)で水と胡瓜をもらったんすけどね。ぺっ。たくさん余ってるからってね。わざわざちょっと傷んでるのをね、くれたす。けっちなお屋敷でさぁ。そういや、胡瓜が余っているのは、あんた様のせいなんでがしょ?なんでも、あんた様は胡瓜が嫌いだちゅうて、膳に出された胡瓜を指ではじいて飛ばすって。それが勢いよく自分の目に当たっちまったもんで、大騒ぎしたってね。その後目がぶんぶんに腫れて、何日も寝込んでがしょ。以来、胡瓜を切ったのと同じ箸でお菜を用意すれば、臭いがすると言って箸をつけないから、いちいち包丁やらまな板やらを洗ってからあんた様のお膳を用意しなきゃならんって。台盤係が迷惑がってたっす。姫様ともなると、好き嫌いも格段ですな」

「お前、誰に向かって口をきいているの!もっとわきまえなさい」

「ぶへえ、お許しくだせえ、ぺえっ、ぺっぺっ」

「唾を吐くのをおよしなさい!」

 宛木は今にもこの牛飼いの男につかみかかりかねない。牛飼い童は素早く一歩退いた。

「あー。そうそう。最近うちの大殿様のお屋敷に居候ができたかなぁ。なんかの願掛けか、目に氷を乗っけた変な奴らしいす。そういや、こっちの居候の方は胡瓜の香の物が大好物らしくって、やたら食ってて、胡瓜のない生活なんて考えられないって言ってまさ。最近どこの馬の骨ともわからない男みたいな女と無理やり結婚させられそうになってるが、相手の女が胡瓜が嫌いだって言うから、これはもう絶対に結婚できんと、こう言い張ってるらしくてさぁ。この男みたいな女って、もしかしてあんた様のことで?」

 そうよそれよ、と宛木が膝を叩いた。え?どれにそれよと言ってるのよ、宛木。

「その居候について、もっと聞いていないの」

「はあ。貴族じゃねえが、けっこう風情のあるいい男らしいっつってたす。変人らしいすがね。もしも姫様の相手ってんなら、考え直した方がいいですわ」

「梅太郎様ですわ!ねえ姫様、きっと梅太郎様のことですわね」

 宛木はこちらに同意を求めるように目を向けたが、私は憤懣やるせなくなっていて、目を合わせることができなかった。梅太郎、あいつ、胡瓜をあてつけがましく食べまくるとは、なんて憎らしい。目眩さえしてくるのは、運動不足の姫君生活のせいで低血圧になっているから、急な血液の循環に体が耐えられないのだろう。

「それにしても、邸の者に変人の居候と蔑まれているなんて、梅太郎様はあまりいい待遇を受けていないようですね、姫様。きっと寂しくしているんですわ、やはりお文をお送りくださいませ」

 宛木は私にだけ聞こえるようにこっそりと言ったのに、この小者は地獄耳らしく、

「そんなこたねぇよ、ぺっ」

 と口をはさんできた。

「本宅にはかわいい姫君がいて、居候はこの二の姫とよろしくしてるみたいす。それから太の宮から別邸に運び込まれた浜名(はまなの)(かみ)の姫君でげす。居候殿はこの方とも親しくして、お互いを訪ねあってます。なんとも楽しそうに話に花を咲かせてるみたいすね」

 なんと?浜名守の姫君とは中の君のことだ。容態がもうすっかりいいようで、まずは一安心だ。

 いえ、そうではない。梅太郎が中の君と行き来しているだと?いつどうやって二人は知り合ったのだろう。まあ、きっと好奇心を抑えきれない中の君が梅太郎に文でも出したのに違いない。私の文には返事も書いてくれないのに。

 お互いを訪ねあっている、というのは、梅太郎の方からでも別邸に赴いているということか?下界の恋人はどうしちゃったんだ。私のことはだめでも、妹ならいいのか?そうなの?

 ま、そうかもしれない。私が男だったら、かわいらしい妹の方にふらっとなびいてしまうだろう。でも、妹も根はいい子だけど、結構振り回す性格だから大変だわよ。何と言っても、結婚しているし。

 でも、他の女にうつつを抜かしているときではないのよ。我らの結婚の儀こそが、目下の急務でしょうが。瓜食って恋してる場合じゃないのよ、瓜太郎め!

「姫様、姫様。しっかりなさって」

 ふと気づくと宛木がすぐ横にいて、私の腕をとっていた。

「大丈夫よ。えっと、お前はつまり、浜名の姫と居候殿が恋人関係にあると、そう言いたいの?」

「え?さぁ、どうっすかねぇ。まああの男は考え直した方がいいっすよ」

「はっきり言いなさい」

 私が声音を変えても、牛飼い童はたじろぎもせず、

「考え直しなよ」

 と言い捨てた。

 宛木がさらに寄り添ってきて、私の手を取った。

「姫様、お気になさることございませんよ。この者の言うことがすべて本当とは限らないのですからね。でもね、お前、他に浜名の姫のご消息などは知ってるの」

「男とじかに会ってるくらいなんだから元気なんじゃねぇの」

「じかに会ってるとは、お前、誤解を生むような言い方は控えなさい。お前がその目と耳で見聞きしたことだけを言いなさい」

「二人がしっぽりしてるところをを俺が見たかどうかが知りたいってことかい?」

「んまっ。しっぽりするわけございませんでしょうが!」

「どうだったかな?俺は何を見たっけ?姫さんの素直な声を聞かせてくれれば、思い出すかもしれねぇな。宛木さんの声じゃだめだ。かぁかぁ、怒ってばかりでさ」

 宛木が再び声を荒げたが、私はもう色々な方面に考えすぎてしまって、頭が沸騰寸前になっていたようだ。脇息を押しよけるように畳に手をつくと、そのまま意識を失ってしまった。


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