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両手のマーク

仕事は定時とは言わないが、さっさと仕上げてさっさと帰るのがモットーだ。


いつも使う駅のエスカレーターに下から7、8段くらいの場所に、

両手を広げた絵に「注意」とあるポスターが貼ってある。


その意味を、珍しく出た飲み会の帰りに知ることになる。

島津恵津子 32歳

会社員 総務


少しほろ酔いで駅に着いた。


今日は営業部の成果達成の打ち上げに総務部も呼ばれて、一緒に楽しくお酒を酌み交わした。

いつもは、お局扱いだが、お酒を楽しく飲める恵津子は、営業の人たちに持ち上げられて少々浮かれてしまった。

三次会はさすがに断ったが、既に11時近い。


家に帰ってシャワー浴びたら1時かな。


10時半には店を出たのに、3次会に行こうと誘う営業部のノリから逃げ出すのに苦労した。


営業部さんたちも、体育会系で鬱陶しいと思っていたけれど、あれだけの団結力が無ければ、今回の大きな仕事は達成できなかった。


しみじみと飲み会の余韻に浸っていた。


エスカレーターで降りる。

ここのは、とても長い。


そして、いつも思う。

下に着く少し前の横の壁に、両の手の平がばーんと描かれているポスターが貼ってある。

手の上に赤い字で「注意」とも。


なんで、こんなもうすぐ降りる様な場所に貼ってあるのか?


下りのエスカレーターなら乗る高い場所に貼るべきじゃないかしら?


反対側の登るエスカレーターにも乗ってすぐの2メートル弱の場所の壁に貼ってある。

同じ場所だ。


なんかあったな。

老子だか、孔子だか、弘法様とか吉田兼好とか。


高名こうみょうの木登り」だ。


木登り名人が弟子に気に登らせて作業をさせていて、いざ降りる時に、高い場所では何も言わず、もう少しって低さになってから「気をつけろ」と言うやつ。

弟子がこのくらいの高さなら、飛び降りても大丈夫です。

なぜ高い場所では言わなかったのか?

と尋ねると、高い場所では危ないから十分に注意をするでしょう。

しかし、事故とは気が緩んだ時に起こるものなのだ。


そんな意味合いだったわ。


きっとこれもそうなのね。

うんうん。

と一人納得をした。


「くすっ」


「えっ?」


誰かに笑われた気配がして、後ろを振り返ったが、誰も居ない。

エスカレーターのずっと上に、男性が一人いるだけ。


気のせいね。


その時、いきなり背中を押されて前に突っ込み倒れた。


「きゃあああっ!」


エスカレーターで止まることも出来ずに、ずるずると手の平や肘や膝を打ちながら滑っていった。


ほんの2メートルもない高さではあったが、エスカレーターの下りで前に転ぶと予想以上の痛手であった。


「大丈夫ですか?」


電車を待っている何人かに加えて、駅員さんも来た。


「は、はい・・・」


と返事は出来ても、破れたストッキングがエスカレーターに挟まり動けないでいる。


駅員さんが、エスカレーターを止めてくれて、誰かがはさみを出して、それで絡まったストッキングを切り、なんとか立ち上がれた。


「あ痛たた・・・」


「これは酷い。少々お待ちください。車椅子を用意してきます」


え?そこまで?と思ったが、うつむいていると手の甲に血がぽたりぽたりと落ちた。

おでこに怪我をしている。

手の平の親指の付け根とか、肘に膝に、膝も血が出始めている。

これは、明日も痛いぞ。

いや、今も痛いが。


車椅子が届き、駅員さん二人に両脇を支えられ、車いすに乗せられた。

そのまま医務室に運ばれる。


怪我の治療は、年かさの女性の駅員さんがやってくれた。


そうだよなー。スカートにスリット入っちゃっているし。

ストッキングびりびりだし。


でも、こんな小さな駅に医務室ってあったんだ。


「あっ!」


傷に消毒液が沁みて思わず声が出た。


「ごめんなさい。痛かったですか?」


「大丈夫です。ありがとうございます」


「ここ、医務室なんてあったんですね」


「え?」


「いえ、勝手に医務室のある駅は大きな駅だと思っていたので」


「・・・・」


駅員さんの無言に気圧されて、なんとか上手い説明はないかと焦る。


「毎日、この駅を使っていましたが車いすとか普通にある物なんですね。凄いですね」


「普通の駅には、ないですよ。車椅子」


駅員さんが静かに話し出して、少し怖い。


「普通のこれくらいの小さな駅は、連絡を受けて、最寄りの大きな駅から車椅子が運ばれます。

ここは、怪我人が多いので、車椅子も医務室もあるんです。

そして、これくらいの時間には、女性の怪我人が出ることがあるので、私が常駐しているんです」


「怪我をする場所はエスカレーターのあの場所ですか?」


「はい。あの場所です」


「そして、女性で11時くらい」


「はい。金曜日と曜日も決まっています」


「おでこの傷は少し残ってしまうかも知れません。手の平も深いですね。明日の土日はお休みですか?」


「はい。休みです。休み前に飲み会で少しお酒が入ってしまったので・・・」


「お酒のせいばかりでは無いでしょう。怪我をされる方は女性で20代後半から30歳くらいの奇麗な方ばかりです」


き、奇麗と言われた。

髪を振り乱して、年甲斐もなく酒ですっころんだ私をか!


「狙ったように?」


「はい。狙っているんです。あの子は」


「あの子?知っている子供なのですか?」



沈黙。


「お膝の出血は止まりましたので、縫う必要はないと思いますが、もし、この後出血が酷くなりましたら、病院に行ってください」


「はい・・・」


自分でも歯切れの悪い返事だと思っている。


「見たことは無いのですが、私の娘なんです。あの場所から転倒して、死んでしまったのは、うちの娘だけなので。

たぶん、昔の私に似た人に悪戯して怪我をさせてしまっているのでしょう」


「どれくらい前ですか?」


「もう、十年以上前の事です。それ以来、昔の私に似た女性が怪我をすることが多くなりました」


十年以上前・・・30歳前後の女性が怪我をすると言っていた。


この女性は40代半ば。

うん?自分に似た女性を「奇麗な女性」と言っていたな。

奇妙な不快感が残る。


「はい。出来ました。簡単な手当てしか出来ません。痛み止めとかも出せませんので、酷いようなら病院へ行ってください。

・・・少し話過ぎてしまいました。忘れていただけると、有難いです。では、間もなく電車が来ますので」


なんだか、押し出されるように医務室から出た。

そして電車が来ると、先ほどの駅員さんが二人が


「さあさ、どうぞ」

「お気を付けください」

「足元ご注意ください」


等と連呼して、私を電車に追い込んだ。


なんか、追い出されたな。

ちっくそー。

明日身体がガタガタだったら病院に行って自動車保険使ってやろうか。


翌日、打撃痛だげきだ。

デコも膝も赤いが、酷くなっている感じはないので、病院には行かずに休むことにする。


上司にラインで報告。

決して飲みすぎたせいではないです。と太字で記入。

(w)が入っていたのはムカついたが、月曜日も休みにしてもらった。


意を決して火曜日の出社。

パンツスーツだコノヤロウ。もう5年は履いてないのでパツパツなのが悲しい。

しかし、色とりどりの脚を見せるわけにもいかない。


やっぱり、おでこの絆創膏に笑われる。

営業の人たちまで見に来て、笑って帰っていく。


後姿を睨んでいたら部長が、「彼らずいぶん心配してくれていたんだよ」

と教えてくれた。

そうなのか。ちょっと嬉しいが、恥ずかしい。


お昼はどうしようかと考えていたら、営業部の部長さんがサンドイッチと野菜ジュースと焼き鳥を買ってきてくれた。


「ありがとうございます。お代を支払います」


「大丈だよ~。だったら、次は早く帰すから、また飲みに行こうや」


「はい」


「えっ?良いの?マジで誘うよ」


「はあ、今週以外でしたら・・・」


「よし!聞いたからな。来週飲むぞ。予定決まったら、すぐ教えるからな!」


「はあ」


なぜか大股で去る営業部長に首を傾げた。


部長が背後に立っていた。


「あのね」


「うわぁ。っはい!」


「金曜日での飲み会でね、君、モテ期到来みたいよ」


「先週、お局から大局おおつぼねに進化しつつあると、給湯室では聞きましたけれどね~」


「あはは。他部署は、君の魅力が伝わらないんだよ。って感じだから、乗り気だったら頑張ってね。

3人くらい居る感じだな」


「来ますかね、春」


「他人事みたいに言わない。仕事しっかりしてくれるのは嬉しいけれど、ちゃんと自分の幸せも考えなさい。

ああ、結婚しろとかするなとかじゃなくてね。恋愛も必要ですよ」


普段、地蔵顔のくせに皮肉屋な上司に言われると、まあ考えてみようかな。と思ってくる不思議。


そんなこんなで金曜日。

それまで、ずっと営業部長のお昼ご飯の餌付けがあった。


ちなみに、来週の木曜日に飲み会が決まる。


「会費はいくらですか?」

「女からは取れねぇよ」

「なら行きません」

「はあっ?」

「私、並みの女より飲みますんで」

「なら、2千円な」

「はい。楽しみにしています」


など心温まるやり取りがあった。



金曜日は、ネットカフェで時間を潰した。

もう時間だな。


駅の下りのエスカレーター前に午後11時。


行くか。


一応、パンツスーツからスカートに履き替えてある。


エスカレーターは降りていく。


そして、あの場所に近づく。


背後に息を飲む気配。

くるりと回って、手を払ったら、細い腕らしきものを掴んだ。


「人に怪我させるんじゃない!」


見えない腕の持ち主に怒鳴りつけた。


「オカアサンガ ワルインダモン・・・」


見えないまま子供の声がした。

腕を掴んだまま、医務室に向かう。

後ろの子供は、暴れている様子。

でも、幽霊って掴めるのね。知らなかったわ。



トントン


ノックして、返事も待たずにドアを開ける。

あの女性の駅員が中腰になって立とうとしていた。


「入りなさい」


「イヤアア・・・」


「イタズラしていたあなたの子よ。捕まえてきたわ」


「どうやって・・・」


「私も解らない。こっち来て触ってごらんなさい」


女が、そろそろと来る。

子供が私の後ろに隠れようとする。


「隠れない」


女の子を引っ張り出す。


「あっ!」


女に子供がぶつかったらしい。

女が子供を抱きしめた。


「この子ったら、人に怪我させちゃダメでしょ!何度も言ったでしょ」


女は泣いている。しかし、私には疑問があった。


「怪我をさせると解って、曜日も時間も解って、なぜ、あなたがあの場所に居なかったのですか?

何か、御子さんに対して後ろ暗い気持ちがあったんじゃないですか?そのせいで、何人の女性が怪我をしたと思っているんです!」


女は、子供を抱いたまま話し出した。


「日々の育児で疲れて、子供を連れて同じ子供連れの友人と飲みに行きました。

良い気持ちになって、解放された気分になって、何度も行っていました。

それが、何年も続きました。

オシャレをして夕飯の用意をした後に飲みに出かける。

チェーン店は畳の個室を用意してくれていたので、他に気を遣わず、余計に楽しく過ごせました。

ある日、寝てしまった息子を抱っこし、ベビーカーを持っていた時、娘が酷くぐずりました。

自分も抱っこして欲しいと言うのです。私は、適当にあしらっていましたが、娘が体当たりをしてきました。

私は、ベビーカーで跳ね除けるような形になりました。娘は落ちていきました。

エスカレーターのあの場所です。

頭を打ち、髪がエスカレーターに絡まり続けました。

娘は、あそこで死にました。

それからしばらくして、女性の事故が多発すると耳に入り保健師の資格を持ってから、駅員になりました」


「その子は、女性を落としたかったのではなく、抱き着きたかったのかも知れませんね。ならば、近くに居るのですから、抱き締めてあげれば良かったじゃないですか!」


「この子が私を憎んで女性に危害を与えていると思うと怖かったのです」


泣いているが、本当に心から泣いているのだろうが、同情してやるもんか。


「余計に止めるべきだった。あなたの子だ。あなたに抱っこされたかった子だ」


「ごめんね。お母さん、こんなに待たせてゴメンね」


「オカアサン オコッテル?」


「怒ってないわよ」


見えない子供とのやり取りを聞き、その場を後にした。

ドアを静かに閉める。


丁度電車も来たな。

歩き出した時、


「ありがとうございました。それとお怪我を負わせて申し訳ありませんでした」


女の声が響いた。


腰のあたりにぼんやりとした人型が見えた気がしたが、気のせいだろう。

頷いて、停車した電車に乗った。


電車で座ったが、前の席からの視線を下の方に感じた。

ああ、そうだ。

事故から一週間。

まだ痣は盛りだくさんで膝から脛に数色の原色の地図のようなものを作っている。

トイレでパンツからスカートに履き替えたので、肌色のストッキングだったのだ。



まあ、良いか。


女の勲章だよ。


翌週の木曜日は楽しく飲めた。

営業部から6人と、総務部の部長と女の子2人と私。

総務部の二人は可愛いと評判なので、やはり直ぐに男性が両脇を固めている。

若いって良いなぁ。


「そこ。日向ぼっこの婆さんじゃないんだから、こっちに来なさい」


部長に呼ばれる。へいへい。酌っすか。


営業部の部長が横をポンポンした。

コッチ来いか。


「何飲んでいるの?」

「八海山です」

「冷で?」

「ぬる燗までは存在を許します」

「あははは・・・」

「あそこのカシスオレンジの子は、性格も良く仕事も出来て女子力高いです」

「え~、おじさん、あの中入っていけな~い」

「お幾つです?」

「35歳」

「十分若いですよ。自分で卑下しちゃいけません」

「そういう島津君はどうなの?」

「魅力の年輪と言いたいです」

「「あははは」」笑いあう。

「ライバルがいるから先に行っておくね。来週の木曜日に、二人で飲みに行かない?」

「まだ、早いですね~もう少し見極めたいです。品定めもしたいですし」

「マジ?俺以外の方が良いとか?」

「焦っちゃいけません。皆で飲みましょう」


営業部の若い子が反対側に座った。

「あ、島津さーん。お怪我は大丈夫ですか?俺も昼飯届けたかったのに、部長が仕事入れてきて、結局独り占めだったんですよ~大人げない」


すると、周りが笑った。営業部長も頭を掻いて笑った。


うーん。今はこれだけで楽しいなぁ。

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[一言] 思わぬ展開 ヒヤッとしたところからの優しい結末へ なるほど、そんな終わり方もあるのかあと思いました ヒヤッとしそうな場面から救いのない結末ばかり書くので…… 思わぬモテ期! モテ期、いいで…
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