朝ご飯が余ったので
朝ご飯は要らないと言っても、親は作りたがるのは何故だろう。
弁当も学生時代のだから、大きい。
でかい弁当箱にぎっしり詰められたのを無言で睨んでいたら、泊まっていた妹が言った。
「兄さん、社会人になって痩せたじゃん。お母さん心配しているんだよ」
「成長期は終わって運動もしていない。カロリー過多だ」
「はいはい。でも、持って行ってあげなよ。それも親孝行なんだからね~」
というわけで、今日も通勤カバンが重い。
高田啓二 28歳
会社員 技術職 あだ名はジュンジ。
面白い事は言えない。
良く怒っている?と聞かれる。
女と子供と犬に怖がられ嫌われる。犬に至っては最初から噛まれる。
額から右目にかけて赤い痣がある。
痛くも痒くもないし、女の子の妹に無くて良かったと思うくらいだ。
しかし、そのせいもあってか、人の寄り付きにくい人間になっているようだ。
先週末から職場近くに借りたマンションの上の階から水が漏れて、補修工事で2週間かかる。
仕方なく通勤時間が40分伸びるが、実家から通っている。
まだ2日目。早起きに体が慣れずまだ眠い。
母親は、俺が居る事に困惑している。
朝ご飯は要らない。弁当も要らないと言っていたのに、早起きして作っている。
3年前に父親が他界して、悠々自適な年金暮らしで、宵っ張りだったのを知っている。
母親と妹は仲がいい。
結婚して家を出たのに、夕飯後に母親とカラオケに行っている。
まあ、寂しがる母親を遊びに連れ出して、カラオケや飲み代なども払っているようだから、親孝行なんだろうな。
でも、俺が帰ってきて(一応電話はしておいた)母親と妹のキャッキャした声が、俺の顔を見た瞬間に気まずそうに静かになったのは不快だった。
マンションの管理会社から出た1日6千円の補償の半額を食費として渡したせいもあってか、俺の食事を作ろうと空回りしている。
朝ご飯は、胃が入らない。
お昼は外やコンビニで適当に済ませていた。
朝は要らないと、出ようとしたら、朝ご飯の食パンに卵とハムを挟んだものをアルミホイルで包んで、玄関の俺に無理やり押し付けた。
午前の仕事の合間に喰えという。
そんなに暇じゃあないのだが、仕方なしに受け取った。
中味の入った食パン二枚はずっしりとしている。
これを食ったら、弁当が食えん。
そんな感じの二日間。
無駄に重いカバンだ。
駅の入り口近くにホームレスが居た。
昨日と同じように、ホームレスに声を掛けた。
「おっさん。今日はまだ温かいぞ。食べるか?」
ホームレスの爺さんは、一生懸命に手を合わせて受け取った。
「じゃあな。行ってくる」
後ろで爺さんがしゃわしゃわ言っていたが、良く聞こえないし、意味も解らない。
いつも通り、クライアントの無茶ぶりを何とかこなして、
(お前がいつも何とかしちまうから、ハードルがどんどん上がって困る)
と同僚から言われているが、クライアントだから仕方ねぇじゃん。
その日も、遅くなった。
ああ、職場から10分の我が家が恋しい。
つい、いつもの癖でコンビニでおにぎりを買ってしまった。
駅に着いた。
一応爺さんを探してみる。
あ、駅の隅に横になっていた。
今の季節は良いけれど、寒くなったら辛いだろうな。
「おっさん。起きてる?」
ホームレスの爺さんはビクッとした後、俺だと気付いて案心したような顔を見せた。
「今日さ、間違ってオニギリ買っちゃったんだ。食べてよ」
またワシャワシャ言いながら両手を合わせている。
「何やってんだよ」
俺は照れ隠しに言いながら、横に座り、おにぎりを開けてやった。
結構コンビニのおにぎりを奇麗に開けるのは難しいからな。
やっぱり、片方の海苔が三角に残った。
「はい」
渡すと、ゆっくりと食べ始める。
それを見ながら、一緒に買ったペットボトルのお茶を開けて一口飲んだ。
俺も喉が渇いていた。
三角の海苔を口に入れてから、数口飲んでから、ペットボトルの口を拭いて、
「俺の飲みかけで悪いけれど、お茶、飲まない?」
聞くと、うんうんと頷いてたので、渡す。
食べ終わったようなので、俺は立ち上がり、
「起こして悪かったね。お休みなさい」
と言って去った。
結局実家に着いたのは、12時近くだった。
ああ、疲れた。
でも、帰ったら食事がラップで覆われてある。
お風呂が焚いてある。
明日の着るワイシャツがハンガーにかけてある。
自分の部屋に戻ったら、風呂の回数を増やそうかと考えている。
そんな感じで、もう月曜日。
今週末には、自分の部屋に帰れる。
しかし、多少の心残りがあった。
駅前のホームレスの爺さんだ。
俺の気まぐれで俺の分を喰ってもらっていたが、それがなくなるのは痛いよな。
いや、生死にかかわるよな。
いつ言うか迷っていた。
水曜日、爺さんが受け取ってやはりわしゃわしゃ言っていた。
改札を通り過ぎてから、そういえば伝えなければいけなかったな。と思い出したが、
改札を抜けてしまったので、そこから出る気にもなれずにそのままにした。
まだ、二日あるから。
翌日、爺さんが居なかった。
俺が来ると知ってから、判りやすい場所に居てくれるようになっていた。
少し周囲を見て回る。
それに気づいた駅員が声を掛けてきた。
「あれ、あなたは、ここに居たホームレスにご飯をあげていた人?」
「はい。そうです。今日はどちらに居ますか」
「それがね、昨日、ポックリと死んじゃっていたよ」
「え?」
「それでね、手紙を預かっているよ」
「手紙ですか?」
「そう。今まで言葉らしいのは聞いたことなかったんだけれどね、
昨日の昼頃に改札に居る駅員に声を掛けてさ、筆記用具をお貸頂きたいって。
紙はコピー用紙渡して、あとボールペン。
最初に紙を半分に折ってから切って、その一枚に書いていた。
紙を二枚重ねて、私に食事を下さっていた若者にお渡しください。ってさ。
・・・その二時間後くらいかな。切符売り場の前から寝転がって動かないから、様子を見たら、死んじゃっていた。眠るようにね。
中味、先に読んじゃっていて、ごめんね」
「いえ・・・」
二つ折りにされた手紙を受け取る。
短い内容だった。
しかし、知識と人徳のような物を感じた。
「
この様な無様な老人に
毎日の食事をありがとうございました。
心より深謝申し上げます。
益々のご多幸をお祈りいたします。
家無き爺より 」
もう一枚の紙には何も書かれずに一緒に二つ折りにされていただけだった。
そういえば、手紙の書き方で、一枚で終わる手紙でももう一枚便箋を入れておけって言われたな。
それが、相手への敬意だと。
「本当はね、駅員は寝泊まりしているホームレスは駅に寄らせちゃいけないんだけれどさ、
あの爺さんは、余り汚くないし、毎朝、掃除してくれるんだよね。
だから、居てもらっても良いかなって思ってさ。
昨日みたいに、切符売り場の前とか、邪魔になる場所に居ることもなかったしね。
でも、もう運ばれたよ。
保健所の人が来て、遺族が判らなければ、数日後には火葬じゃないかな」
「ありがとうございます・・・」
俺はぼんやりした事しか言えず、その場を後にし、電車に乗った。
手紙を何度も読み返していた。
奇麗な字だった。
学もある人だったろう。
職場に着いてからも仕事に身が入らなかった。
先輩が心配してくれた。
普段なら、「いえ、大丈夫です」とか言うけれど、
なんだか、言いたくなった。
つっかえつっかえ、何とか話して、手紙も見せた。
「達筆な方だな。もしかしたら、高い地位まで行っていた人かもしれないな」
俺は、何度も頷いた。何か言ったら涙が出そうだったから。
何でだろう。朝の一分しか交流がなかったのに。
「昼は、そのパンにお茶を添えて、一緒に喰おうぜ。影膳になるだろう」
「ありがとうございます」
技術部門は昼ご飯を休憩室で、食べることになっている。
自分のお茶は事務の子が入れてくれている。
もう一つ必要なので、給湯室でお茶を入れようとするが、俺はお茶の入れ方を知らなかった。
「どうしました?」
事務の子が声を掛けてくれた。
俺がうまく説明できないでいると、先輩が休憩室から顔を出して、
「悪いけれど、お茶を一杯くれるかな」
「はい。わたしやりますから。休憩室で待っていてください」
「あ、ありがとうございます・・・」
しばらくして、
「はい。お待たせしました」
先輩が先に声を掛けてくれた。
「おお!悪いな。こっちくれ」
「はい。これは、どなたの分です?」
「こいつが、朝にホームレスに飯をやっていたんだと。
その爺さんが死んじゃってね。影膳ってやつさ」
要領よく端的に話してくれた先輩に感謝だ。
「そうなんですか。高田さん優しいですね」
事務の子が爺さんのパンの横にお茶を置いてくれ、手を合わせた。
「おじさん。もう、お腹は空きませんし、辛い事はありませんよ。
ご冥福をお祈りいたします」
事務の子の、澄んだ声になぜか泣きそうになって、慌てて手を合わせて俯いた。
それからは、自分の部屋に戻っての日常になった。
なぜか、週一か十日に一枚、母親から絵ハガキが届く。
内容は取り留めもない、今日はケーキ屋さんに行ったの。とかヒマワリが咲きましたとか。
俺は、筆不精だから返信は出来ないので、月一くらいで家に電話を入れることにしている。
話す事はないから、元気だ。くらいしか言わないけれど、向こうは、結構話してくる。
そんなある日、先輩から言われた。
「お前、顔の痣が薄くなっているぞ」
「は?」
「まじだって、鏡見て見ろ」
トイレに連れていかれる。
あ、本当だ。痣がほとんどない。
「お前、気付かなかったのか?」
「あまり気にしていませんでしたので」
「お前、男前じゃん」
「顔は変わっていませんよ」
あ、でも、人が見たら不快に思うかもって、伸ばしていた髪を切りに行こう。
その日の夕方に予約を入れ、髪を切った。
翌日なんだか、周りが騒がしかった。
総務の人まで来ている。
なんなんだ。
なんだか、入社以降から昨日までと同じくらい女性と話した感じだった。
知らない間に俺の好感度が上がっている。
「なんか、お前モテモテじゃないか」
「痣が薄くなって髪切っただけなんですけどね」
「いや、喋るようになったよ」
「そうですか?」
「ああ、ホームレスの爺さんの事、一生懸命に話したじゃん。それ以降、少し話すようになっているぞ」
「・・・俺は社会人として、おっさんに指導を受けていたのかも知れませんね」
「あの話も広まってな、事務の子とか、お前を褒めちぎっていたぞ」
赤くなり、俺は何も言えなくなる。
それを笑いながら、でも、追い詰めもしないで先輩は去って行った。
帰りに、自分の分ともう一つおにぎりを買った。
家の小さなちゃぶ台に二人分のお茶を用意した。
お茶の入れ方は、事務の子に教わった。
1人暮らしで親が入れた荷物に急須が入っていたが、それまで使うことは無かった。
「なあ、おっさん。
なんか、皆が俺の事を嫌いじゃなくなってきたみたいだ。
おっさんがなにかやったのか?
でもさ、俺、感謝されるほどの事やってないぞ。
痣もさ、消えたんだ。
あんたのおかげなのかな?
だったら、ありがとうな」
遅い夕飯を食べて眠りについた。
その晩は寝苦しかった。
なんだか、身体が重い、なんだろう。
頭が動かない。
金縛りか?
目だけでも開けられないか。
やっとのことで、目が開けられた。
すると、ホームレスの爺さんが、俺の頭を抱えて、痣を舐めていた。
ぺちゃぺちゃと何度も。
べろーりと何往復も。
歯の抜けている口腔内が眼前にある。
俺は気を失った。
翌朝、目の下にはクマがあった。
しかし、痣が奇麗になくなっていた。
どこか、素直に喜べないでいる。
自分の部屋に戻ってから、もっと食事を考えようと思った。
夕飯で卵焼きを作った。幾つ入れれば良いのかわからずに、卵を6個使った。食えたのは半分だけだった。
次の日自分で弁当を作った。白飯に卵焼きだけだったが。
それを見た事務の子が、おかずを分けてくれた。
そんな日が何日か続いた。
先輩が言う。なんかお礼をしてやれよ。
ホームレスの爺さんが奇麗な字でお礼を書いてくれたな。
俺は、字も汚いから、デパートでハンカチでも買おうかな。
なあ、おっさん。
なんか、あんたとあったおかげで、何かが回りだしたよ。
ありがとうな。
でも、痣を取るのに、舐める方法しかなかったのかな?
もっと別の方法を考えてくれても良かったんじゃないか?
俺は時々、おにぎりを一つ多く作っては、お茶を入れ、オッサンに話しかけている。