共産主義について。(ついでに共産党批判のおまけつき)
※自分のツイートから抜粋、一部改訂。
冗談抜きで共産主義と言う思想ほど私に言わせれば悪魔の思想と言っても過言なものは無い。
私に言わせればあんなもの「感情論の行き着く先」だ。
上の奴らが金使ってるのが結局奴らは「羨ましくて」その末「憎い」のだ。
そこから「負けないぞ」に繋げられない奴らは非常に哀れである。
つまり上の連中を「許せない」のだ。もはや趣味の問題のような気がする。
趣味を議論に持ち出されてもぶっちゃけ困る。
「上の方から金をとって貧困層に回す!これのどこが悪い!」←これも感情論の末である。
悪いに決まっているどころか大論外である。
貧困層の人は確かに何とかするべきだが、富裕層を潰す必要性は全くない。
むしろ、最終的な理想として、「今の「富裕層」レベルにみんながなれるようにする」これがあるはずだ。
つまるところ、「下を上に引き上げる」のだ。
つまり、「上を下に引きずり降ろす」必要性などこれっぽちどころかむしろ「本末転倒」と言ってもよいだろう。
バッサリ切り捨てるならば、「労力をかける方向性を間違えている」と、言える。
そして、私を含め今努力してる人間は大多数が貧困層のために努力してるわけでも働いてるわけでもない。
多かれ少なかれ、「今よりももっと金がもらいたい」という気持ちがこの中にはほぼ必ずあるのだ。
さて質問だ。この努力している人間は「名誉」だけで上に上がる気になるだろうか。
共産主義的、社会主義的な手法がとられれば上の立場の人間には「金」も「権利」も残らない。あるのは「名誉」だけだ。
これを読んでいる君はそれでも上に行きたいと思う人間は今よりも多くなると思うか?
もしくは今の数を保てるか?
・・・もちろんそれでも上に行きたい人は居ると思うけど、その数はどれほどだろうか。
結局、上に行きたいから競争して、その中で切磋琢磨しあうから技術は進歩し、発展するのだ。
上に行こうとする人の数が減れば当然競争も少なくなり、その中に含まれる「切磋琢磨」も少なくなるのは自然な考えだ。
さて、そう考えると取るべき主義は資本主義であり、その上での政府の仕事はセーフティーネットの構築とセーフティーネットから社会復帰するサポート。そして資本主義の闇の部分と言っても良い「ブラック企業」など一言でいうならば「労働者の敵」の撲滅など。まさに政府のお仕事とはこれではなかろうか。
ここをわからなかったから、ソビエトは崩壊へと至ったのだ。
ストレートに言うならば、「肝心の労働者が前よりも怠けるようになった」のである。
はっきり言って大きな要因の一つとなっているのは間違いないだろう。
まとめると、共産主義は「感情論」から生まれ、多くの人々のやる気を削ぎ、さらにそれに伴って成長の芽も摘み取るのだ。
これが悪魔以外に何があると言えるだろう。
勿論、現在の資本主義にも改善するべき点があるのは事実だ。
だがそれは、感情論と趣味嗜好によってではなく根拠と理論によって行われるべきである。
余談だが、この主義を謳っておきながら日本共産党は何をやっているのか。
前議長の不破哲三氏は裕福な暮らしをし、(ソース:https://www.sankei.com/premium/news/161029/prm1610290015-n4.html)
おまけに労働者を感情論を持ち出してまで擁護する主義のはずなのにまさかの身内(生協)で過労死である。「日本共産党 生協 過労死」でグーグル先生に教えてもらうか、
https://twitter.com/sharenewsjapan/status/1063076254121787392
で確認すると良い。
おかしいと思うはずだ。有言実行と言う言葉は彼らの辞書には載っていないのだろうか。
若しくは墨汁か何かで塗りつぶしてしまったのかもしれない。
塗りつぶしすぎたからかどうかは別にしても別の理由で共産党は見事に公安から監視対象に指定されている。前に「そんな事実はない」と戯言を抜かしたのでソースをここに叩きつけて逃げ道を塞いでおこう。
(ソース:http://www.moj.go.jp/psia/habouhou-kenkai.html)
そしてそんな連中が集まる政党に加担する立憲など野党六会派。
あなたは彼らを信用できますか?