左手
「マスター、カメも剝製に出来るの?」
作業室で、
昴は嬉しそうに寄ってくる。
「違うんだ。……実はこの子はね、」
聖は、<空>が来ていると教えた。
「……ソラが、居るの?……本当に?」
少年の幽霊は、嬉しそうだ。
その事にまず安心する。
辛かったり、悲しんだりする結果も予測していた。
「会いたいか?」
聞いてみる。
「うん。……でもさ」
照れたように瞳を伏せる。
長い睫、白い顔。
見慣れたジャージ。
今日は、幼く見えるのは、さっき高校生の<空>を見たせいか。
「すごく会いたいんだけど、会っても話す事が無いよ……顔見たいだけ。側にいたいかな」
「多分、ソラも同じ事、思っている。このカメ、スバル、って呼んでた」
「そうなの?」
昴は、跳び上がった。
思いがけないプレゼントに喜ぶ子供のように。
「でも、死んじゃったんだ。……諦めが付かなくて、此処に来た。俺に、死んだカメを生き返らせる力があると思ってるみたい」
霊感剥製士、らしいけど、そんな力は無い。
誰にも、そんな力は無い。
二人言葉に詰まり、小さなカメを、……ただ眺める。
「……この子、まだ完全に死んでないよ」
昴が呟いた。
「死んでるさ」
「マスタ-、腐ってないよ」
「そうだけど」
「循環が止まってるだけでしょ?機能してないだけ」
「それが、『死』じゃないか。まず循環が止まって、それから、」
聖は、小さなカメを凝視する。
尻尾に触ってみると、しなやかだった。
でも、死んでいるには違いない。
「マスター、僕、このカメになりたい」
「へっ?」
「マスター、助けてよ」
昴は、すがるような声で言う。
「何を、助けるんだ?」
「カメに『取り憑ける』ように、助けてよ」
「トリツク?」
昴の<望み>が分かったとたん、涙が出そうになった。
願いを叶えてやりたいが、無理だ。
死んだカメを生き返らすことが不可能なように、
死んだカメに、死んだ少年の魂を入れることも、
不可能だ。
「不可能じゃないです。……道を作って下さい。入り口が無いんで、入れない」
「……入り口が、あったら、カメに入れるの?」
「はい。入れる気がします」
知らなかった。
そんな事が出来るのか?
幽霊が、言ってるのだから出来るのかも。
「そうか。取り憑くには、入り口が必要なんだ」
入り口?
つまり、身体の内部への……口か?
試しにやってみる。
傷つけないよう、そうっと、甲羅の中で縮こまった頭部を引っ張り出す。
それは、上手くいった。
しかし、口を開ける作業が難しい。
慎重に細い綿棒を動かすが、上手くいかない。
左手の、手袋が邪魔だと気付く。
軍手が、邪魔だと。
「ようし、」
軍手を外した。
左手が露わになる。
<母の手>が。
プラチナの結婚指輪は真新しい。
「う、わ、マスター、凄いや。……や、やっぱ、人間じゃ無かった」
昴が分けの分からない事を言っている。
左手の上で、
カメの小さな口が、
開いた。
「やったー」
と昴の声。
歓喜に満ちた……でも、姿は見えない。
消えた。
声と共に瞬間で、消えた。
左手に、指先まで静電気が走る。
と、
リクガメの死体が、痙攣を始めた。
「嘘……いや、夢じゃない。この子、動いている……あ、あ、……生き返っちゃったよ、なあスバル……スバル」
慣れ親しんだ少年の幽霊が答えることは無かった。
シロが、飛びついて、カメの臭いを嗅いでいる。
カメはゆっくり頭と手足を出す。
犬を恐れはしない。
「……スバル、お前……、入ったの?」
聖は小さなカメを、
絶対に落とさないように、
両手で
しっかり包んだ。