ベージュのダウンコート
「北浦は、『そよ風病院』の地図を、ざっと描いてBに渡した。コレはマユの推理通りだよね。……日時は口頭で伝えた」
12月○日に外耳切除の手術。
「義耳」装着まで約一週間滞在。
「耳」は冷凍保存し、失踪後にレターパックで送る。
猟奇的な殺人鬼が「耳」を送りつけたというストーリーになる。
両親は、現実的には厄介な息子が消えて楽になり、
社会的には、皆に同情される。
「世間は、注目してくれる、僕は有名人だ、と北浦は嬉しそうに言った」
「……そうなの。その気持ちが、とても可哀想ね」
「うん。だけど、Bは同調した。Aも、医大生も、心を動かされた」
Bは、本当に、自分も行っていいのかと、念を押した。
北浦は、ドクター・モローは拒まないと、答えた。
「Aさんと医大生も、12月の約束の日に、『そよ風病院』に行ったのね」
「行く前は好奇心の方が強かったらしい」
Aは病気の妻と、義理の母の面倒をみるだけの生活だった。
一生懸命、老いた女二人に尽くしていた。
義務だと、仕方が無いと。
しかし、この生活を捨てる道があると知った。
「愛も情も無かった。妻と義理の母には、嫌悪感しかないと、気がついてしまった」
「黒い感情があるのを、自覚してしまったのね。医大生も逃げ出したい現実だったの?」
「彼は、金では苦労していたみたいだね。アルバイトの掛け持ちで生活していた。周りの学生と経済レベルが違いすぎて、孤独だったらしい。……でも、そんなことより、医者にむいていないのが苦しかった。彼は人の身体に触れるのが苦手なんだ。克服できると考えたが、無理だった」
数百万の奨学金を借りている。
実家の親は、<息子は医者>の将来を待っている。
今更、医者は無理、と言えない。
「彼の場合は、ドクター・モローに惹かれたのも大きいけどね」
「そんなに、魅力的な人なの?……狂人ではなかったのね」
「魅力的な紳士だよ。ちなみに、精神病院に通院してたのは不眠症だったから。4人来てから眠れるようになったらしい」
「それは、良かったわね。結局、4人は家族に、きちんと話をして、『そよ風病院』で暮らすんでしょ? ……4人にとっては救世主だったのね」
「まあ、ハッピーエンドかもね」
Aは妻と離婚した。
<そよ風病院>では経理と師家の所有する(荒れ放題だった)山林と、畑の仕事をしている。
Cも山林と畑の仕事。それと掃除、洗濯を担当している。
Bは、結局、一家で移り住んできた。
Bは皆の食事を作っている。
Bの夫は長距離トラックの運転手だ。
殆ど不在だが、仕事が無いときは買い出しに行ったりする。
「Bさん、もう子供を殺したいとか考えなくなったのね」
「将来の大きな不安が無くなったんだ。人並みな居場所が無いと絶望していたけど、月並みじゃ無い居場所があった」
子供は山の中の暮らしが気に入っていた。
暴れても叫んでも、誰に咎められる事も無い。
何より、師から、
「この子は、そのうち畑仕事は出来るでしょう」
そう言われたのが救いだった。
「医大生は? 彼は大学に戻ったの?」
「いいや。彼も皆と一緒にいるよ。受験勉強している」
「まあ、そうなの。大学受け直すのね」
「うん。獣医になるらしい。『そよ風病院』はいずれ動物病院にするみたいだよ」
師は、咲良春樹と養子縁組をした。
獣医になりたかった師は、夢を叶えてくれる跡継ぎができ、満足しているだろう。
「4人の人生は好転したのね。彼らは被害者じゃなかった。被害者は騙された家族ね。……なんの罪にもならないの? <死の偽装>は犯罪じゃ無いの?」
「そこがね、すごくややこしいらしいよ。被害届けが必要だとか、なんとか」
警察は被害者の生存は発表したが、詳細は報道されていない。
<そよ風病院>の存在も伏せられている。
真相は<猟奇殺人事件>ほど、人々の関心を惹かなかった。
事件とすれば、主犯になる北浦が精神病障害者であった。
当然、名前は伏せられ、報道に限界がある。
精神障害者達の悪戯だった、そんなニュアンスで早い幕引きになった。
「セイが人殺しを見なくて、良かった」
マユの視線は聖の手に
軍手をはめた左手に落ちる。
「あ、コレ、汚いよね」
軍手は薄汚れていた。
聖は、軍手を外した。
ふと、マユの前でなら外せるかもしれないと思った。
左手は、自分には母の手に見える。
青白い細い女の手だ。
結婚指輪は真新しい。
出産時に亡くなった母の手。
自分が、生まれ出てくるときに、
殺したらしい。
<人殺しの徴>があるのだから
間違いは無い。
でも、他の人には、見えていない。
右手に合う男の手なのだろう。
自分は、それが、どんなだかも知らないが。
母の手を長く見るのは辛いが、
マユが側に居てくれたら、平気でいられるかも。
「……セイ。……その手、」
マユは、露わになった<手>を凝視している。
「な、なに? なんか変?」
自分以外は普通に見える筈……。
マユは答えない。
ゆっくり自分の手を、近づける。
そして、聖の手に、重ねた。
「えっ」
聖はブルッ、となった。
左手に、マユの手を感じる。
生身の手に触れられたように、
温かくて柔らかい。
マユは、パソコンの前に、
並べて置いた椅子に座っている。
長い髪とベージュのダウンコート。
向こうに剥製棚が透けて見えている。
(どこかに)帰る時が近づくと、身体が透けてくる。
それはいつもの事だった。
生身の人ではないのだ。
はっきり見えていても、声が聞けても
触れないのだ。
何回か触れたような気がした瞬間はあった。
でも、こんなにハッキリ、長く感じたことは無い。
「ほんと、驚いちゃった」
マユは嬉しそうに言う。
「な、なにが?」
問うた時には、
マユは消えていた。
まだ手に……温かいマユの感触が残っている。
ふと、リクガメを載せた時の事を思い出す。
「確か、あの時もこっちの手は手袋外して……」
「おい、入るぞ」
回想していたら、声。
結月薫の声が
部屋に入って来た。
声だけでは無い、雨合羽の上下で、目の前に現れた。
「うわ、急に現れるな」
聖は慌てて軍手をはめた。
「ごめん。実は県道でガス欠、なってん。……ガソリン、ちょっと頂戴」
バイクは県道の脇に置いてきたと言う。
草刈り機用のガソリンが有るのを、知っているようだ。
「ここは温かいな。外は雨降っているし、寒い」
スーパーマーケットの袋をテーブルの上に置く。
カッパを脱いで座って、
いつものように、ビール缶、巻き寿司、串カツ、生ハム、とかを並べる。
「なんだ、結局、遊びに来たんだ」
「まあな。バス停の手前でアウトや。あっから、歩いてきた」
「……かなり、あるな」
聖は、
どうしてだか嫌な予感がした。
「県道なら、30分かかる。山に入って斜めにきた」
という。
「なるほど」
嫌だなと、はっきり思う。
何故って、
途中にマユの骨があるから……。
「どうした?」
勘が鋭い刑事は、幼なじみの不安を嗅ぎ取る。
「いや、雨で山道、お前、靴がドロドロ、って」
と、床の汚れを責めるかのように
薫の靴に、視線を移した。
スエードのスリッポンは元の色が不明なくらい泥だらけ。
そして、
靴の底に、
何かへばりついている。
「なんや、鳥の死骸か?」
薫は靴を脱ぐ。
靴を両手に持ち、
顔を近づけ、
靴底にへばりついたモノを見る。
「おい、そこで見るなよ。外で、落としてこいよ」
「この塊は鳥の羽根……これは布やな」
言うことを聞いてくれない。
食べ物の上で、いじくっている。
「これは鳥の死骸の一部では無いな。……おそらくダウンジャケットかコートの、」
聖の頭に、マユのダウンコートが浮かぶ。
……まさか、
……いや、そうだとしても、
「頼むから、やめろ。汚いって。今、ここで触るなよ」
動揺を隠す為に、声を荒げた。
「……ごめん」
薫は素直に靴を片手に外へ出た。
すぐに、靴を履いて戻ってくる。
手に、何も持っていない。
マットでこすり落としてきたのだと安心する。
「手、洗ったら。泥、付いてる」
注意すると、素直にトイレで洗ってきた。
そして、缶ビールを開けて美味そうに飲む。
聖はほっとする。
偶然、さっきのが、マユのコートの切れ端だったとしても
薫には判らないと、確信する。
だが、それは希望的観測だった。
薫は雨水で布きれの泥を落とし、
それが白っぽい生地でドット柄だと確認した。
山本マユの失踪時の服装にすぐ結びついた。当然、ポケットに、しまいこんだ。
聖は、
結月薫が、どれ程マユに執着しているか、
分かっていなかった。
最後まで読んでくださり有り難うございました。
シリーズはまだ続きます。




