ブレない想い
帰りは讃岐うどんを食べる予定だったが、走り出してすぐに一番張り切っていた帆乃里は寝てしまった。散々騒いで体力を限界まで使い、最終的には寝る。子供のような奴だ。
「帆乃里ちゃんも寝ちゃったし、うどんはまあ、いっか」
運転手の駿稀の意見に反論する者はいなかった。僕は助手席に座ってナビ役を勤めていた。しかしあくびをしたり目を擦ったりと見るからに駿稀は眠たそうだった。
「僕が運転代わるから駿稀も寝てなよ」
「いいよ。帰りは俺がする約束だったし」
「危ないからいいって」
途中コンビニに寄って運転を代わり、駿稀は後部座席で帆乃里ちゃんの隣に座るとすぐに寝息を立て始めた。二人の頭が寄り添って並び、僕は胸に痛みを覚えながら微笑む。
「運転、変わろうか?」
助手席の美妃さんが訊いてくる。
「いや、いいよ」
「なんかしっかりしてるよね、綾人君って」
「僕が? 全然だよ」
会話は途切れ途切れで続かない。無口な二人だけになると車内はやけに静かだった。
「なんかさ……綾人君ってずっと歳上の人みたい。落ち着いてるし、気が利くし」
「悪かったな、おっさんぽくって」
冷静を装っていたが、心の中は動揺していた。僕の身体は二十歳だが、意識や記憶はタイムスリップしてきた三十歳手前だ。確かに大学三回生からみれば大人だし気遣いもあるように見えるだろう。
「それになんか帆乃里に対して……」
言いかけたまま言葉は切れてしまい、その続きを美妃さんが続けることはなかった。
無言のまま車を走らせていると、またあの音が聞こえてきた。
ピッピッピッピッ……
無機質な機械音のような音がしたと思うと、いつの間にかハンドルの上にあの機械仕掛けの鳥が止まっていた。
「うわっ!?」
思わずハンドルを切りそうになる。
「どうしたのっ!?」
「いや、なんでもない」
やはり助手席の美妃さんには見えていないようだ。
『そりゃそうよ。貴方にしか見えてないわ』
運転中は勘弁して欲しいんだけど。
『ふふ。ちゃんと後悔しないようにやり直せてるの?』
心配されなくてもそれは進んでいる。
『それならよかった。やり直しても後悔が残ってしまう人って結構いるから』
確かにそれは言えている。後悔したことをやり直したと思ってもまた新たな後悔は生まれてしまうものなんだろう。この世の中には『なぜあんなことをしたのだろう』という後悔と『なんでああしなかったんだろう』という二種類の後悔しかないという言葉を聞いたことがある。
『でも悔いが残ろうが私には関係ないけどね。やり直せるのは一度きりだから。ぶれずにしっかりとした強い意志を持つのが大切よ』
言われなくても分かっている。僕の目的は決してぶれない。
妻の恋を成就させるということだ。
『そう。ならよかったわ。決して欲張ったりしないようにね』
それだけ言い残すと死神の鳥は消えていった。
高速道路は空いていて前後に車はいない。辺りは暗いから深い海の底にいるみたいだった。
天気予報では言っていなかった雨粒が落ち始め、僕はワイパーを動かした。
もう僕たちの住む兵庫県に入った頃、ようやく帆乃里は目覚める。
「あれ? ここどこ?」
現在地をナビで確認した美妃さんが伝えると帆乃里は「えーっ!」と不満の声を上げた。
「讃岐うどんは?」
「帆乃里が寝てるのが悪いんでしょ」
「まさかみんな食べて私だけのけもの!?」
「そんなことしてないよ」
発想が恨み節で思わず笑いながら答える。
「少しは感謝しなさいよ。ずっと綾人君が運転してくれてるんだから」
「あ、ほんとだ。てかなんで駿稀君が寝てるのよ。帰りは駿稀が運転するって言ってたのに」
ぺちんと腕を叩かれたが、駿稀は起きない。
「讃岐うどんは無理だけど美味しいうどん屋があるから帰ったらそこ行こうか?」
「うんっ! 行く!」
運転席と助手席のシートの隙間から帆乃里が顔を出し笑う。
帆乃里は食べることも大好きだ。そんなにもの凄い量を食べるわけではないのだけどもとにかく好きだ。
「危ないから座ってなよ帆乃里」
「はぁい」
まるで子供と保護者だ。
騒がしい帆乃里の声で駿稀も起きたようで、大きなあくびをする。
「あれ、もうこんなとこまで来てるんだ」
「あれ? じゃないよ、もうっ。ずっと綾人君が運転してくれたんだから。感謝しないと駄目だよっ」
ついさっきまで寝ていたくせに帆乃里は偉そうに説教をしていた。
「ごめんな、綾人」
「別にいいよ」
適当で、馬鹿で、いい加減で、でもそんな駿稀が嫌いじゃなかった。
今さらながらパーキングで運転を交代してもらい、僕は助手席に座る。もちろん寝る暇などなく着いてしまい、レンタカーを返してから歩いていけるうどん屋に行った。
別にいつもと変わらない味だったけど、ラフティングという共通の思い出を語りながら食べるうどんは特別美味しく感じた。
帆乃里の足が攣った話やかずら橋の恐怖などで盛り上がり、隣同士に座った帆乃里と駿稀は仲睦まじげに笑い合う。
妻の淡い恋は、必ず成就する。僕がさせるから心配するな。
そう思いながら僕はうどんを啜っていた。