吊り橋効果がもたらすもの
有名な吊り橋である『かずら橋』は車で少し走ったところにあった。
駐車場に車を停めて遠目で吊り橋を見ただけで、僕は駿稀の誘いに乗ったことを後悔していた。
その橋はツタが絡まって出来たような、映画でしか見たことない原始的なものだった。
しかも橋は結構な高さで、その下には川が流れており、ゴツゴツとした岩肌も剥き出しになっていた。映画なら絶対に切れて落ちるタイプのものだ。
「やっぱ、僕はいいよ……」
「ここまで来てそれを言うっ!?」
帆乃里は先ほどの足を攣るというハプニングをもう忘れてしまったかのようなテンションだ。
「帆乃里、本当にはしゃぎすぎないでよね?」
美妃さんも非常に不安げだ。
「大丈夫だって! それにね綾人君。あの橋ツタが絡まって出来てるように見えるけど実際はワイヤーで出来てるんだよ。そのワイヤーにツタみたいなのを絡ませてるだけなんだって。だから切れたりしないから心配しないで」
帆乃里は観光ガイドブックに載っていたであろう知識を披露して僕を安心させようとする。
別に切れる切れないの心配はさほどしていない。だからといって高所恐怖症の恐怖ポイントを一つひとつ列挙してもどうせ理解されないだろうから黙っていた。
こんな怖ろしい橋を渡るのかと思うと気が重くなるが、考えようによっては吊り橋効果というものは、吊り橋が危険であれば危険であるほど効果が期待できるのだろうから悪くない。
しかしそんな悠長なことが言えたのも料金を払う前までだった。
通行料を払い、いざ橋の前まで来て、僕は度肝を抜かれた。
「ゆ、床板がない、だと……?」
遠巻きに見てるときは気付かなかったが、その橋は床に板が敷かれていなかった。丸太のような木を繋ぎ合わせているだけだ。しかもそれだけならいざ知らず、その丸太はやけに間隔が広く、広く空いた隙間にはネットすら敷かれていない。おかげで橋の下が丸見えになっている。
鞄やスマホなどをもし落としたら川まで一直線だ。
「嘘だろ……こんなのっ……」
足が竦んで一歩も踏み出せない。もちろんその事実を知っていた様子の帆乃里は臆することなく橋に乗った。
「大丈夫だから。手摺りを持って、ほら、早くっ!」
そう言う帆乃里は手摺りを持たずに丸太の上に立っていた。
「うわぁ……想像以上だな、これ」
さすがの駿稀も手摺りを持ちながら及び腰で歩き始める。
前回来たときはこんな橋に来るプランはなかった。やはり歴史は着実に変わりつつあるようだ。
「美妃さんも無理だよね、これは」
物静かな美妃さんを振り返るとガチガチに固まった姿勢で橋の下を見下ろしている。見るからに僕より駄目そうだった。
なかなか歩き出さない僕たちを置いて、帆乃里と駿稀は橋を渡り始める。駿稀と帆乃里の組と僕と美妃さんの組なんて分ける必要もなく、自然と二手に分かれることだけは成功した。
「わっ!? 揺らすなよ、帆乃里ちゃんっ!」
「ごめんごめん」
渡ってるとはいえ、駿稀は手摺りを掴みながらゆっくりとした歩みだ。一方の帆乃里は手摺りを掴まずに橋の中央部付近を悠々と歩いている。
「い、行こうか、僕たちも」
美妃さんに声を掛けると、無言でぶんぶんと首を横に振る。いつもの彼女からは想像も出来ないくらい可愛らしい仕草だった。
「私は無理……ごめん……渡らずにリタイアする」
「えー?」
それはそれでもったいない。それにこんなに怖がる美妃さんを見るのもなんだか面白かった。
「行こうよ」
僕は手摺りを掴み一歩を踏み出すと、重みで橋が揺れる。
冷や汗が吹き出した。
「だ、大丈夫だよ……ほら……」
僕はもう一歩進み、美妃さんを見た。仕方なさそうに美妃さんも手摺りを握り締め僕の後に続く。僕たち以外の観光客も悲鳴に似た笑い声を上げて歩いて行った。その度にふわっふわっと橋が頼りなく揺れ、内臓が縮み上がるような恐怖が襲う。冷や汗を出し過ぎて汗腺がピリピリと痺れるような気がした。
「少し、慣れてきたね」
無理矢理でも笑って美妃さんを励ましたが、あまり効果はなさそうだった。
下を見たら怖いと分かっているが、何せ丸太の間隔が広いから足許を見ないわけにはいかないという、なかなか悪魔的な仕掛けになっている。
丸太の隙間から見える眼下の景色は目も眩むほどだ。
気付けば帆乃里達はもうだいぶ先までいってしまっている。どうやら帆乃里がふざけて橋を揺らすから駿稀に怒られているようだったが、そんなことはもはやどうでもよかった。
ようやく橋の真ん中付近に来た。もう引き返すことも出来ないし、あとは覚悟を決めて進むだけだ。既に帆乃里達は渡りきりこちらに手を振っている。どこかで買ってきたらしいソフトクリームを食べながら笑っている姿がなぜか腹立たしかった。
「きゃあっ!!」
突然背後から美妃さんの悲鳴が響いた。
「どうしたのっ!?」
慌てた振り返ると足を滑らせて転びかけていた。
「もう嫌っ! やっぱり戻るっ!」
「落ち着いて。戻るっていってももう半分まで来たから向こうに渡っても同じだから。頑張ろう」
そう励ますと涙目の美妃さんは小さく頷く。正直、ちょっと可愛かった。これが例の吊り橋効果なのだろうか?
僕は美妃さんの速度に合わせてゆっくりゆっくりと進んでいく。気分はハリウッドのアクションスターだった。
「ちょっ、ちょっと速いっ!」
「あ、ごめん」
三分の二を過ぎて慣れてきた僕は心の余裕も出て来た。
しかし未だに慣れていない美妃さんは相変わらずの様子だ。
「美妃ぃ! あとちょっと! 頑張れ! ソフトクリーム美味しいよ!」
こういう時に脳天気な帆乃里の声は、少し癪に障る。
「うっさいっ! きゃあっ!!」
「おっとっ!」
再び転びかけた美妃さんを慌てて抱える。その肩は意外に小さくて細かった。
「あ、ありがと……」
美妃さんは気まずそうに体勢を整え、僕から身体を離す。
それを見ていた駿稀が嬉しそうに笑っていたのは、もちろん見て見ぬ振りを貫いた。