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大歩危でのラフティング3

「おーい、大丈夫?」

「平気平気っ!」


 溺れたような恰好で帆乃里は手を振ってくる。ちっとも平気そうには見えない。

 呆れながら水を掻き、帆乃里に近付くが、焦ってはいない。前回も同じように流されていたので、こうなることは分かっていたからだ。


「ほら、帆乃里ちゃん。目的地と逆の方進んでるから」

「分かってるよ、もう! これから本気出すところだったの!」

「はいはい」


 こいつの強がりはいつものことだ。つい、いつもの癖で手首を自然に掴んでしまう。


(あっ……嫁じゃなかったんだ……)


 しかし一回掴んだ手を離すのはよけい不自然に感じ、そのまま引っ張りながら泳ぎ出す。


「すごい流れの速さだよね-。このまま海まで行っちゃおうか?」

「馬鹿。行けないよ」


 なんだかすごく懐かしかった。妻はいつも馬鹿なことを言って僕を笑わせてくれた。冷静に聞いたらそんなに面白くないようなことでも、勢いで笑わせてくる。


「あっ!?」

「ど、どうした!?」

「足、っちゃったっ!! 痛たたたっ!!」

「嘘でしょ!?」


 前回は流されかけていたけど、こんなことはなかった。

 救命胴衣を来てるから沈んでいくことはないだろうが、この流れの速さで帆乃里を引っ張りながら岸まで泳ぎ切る自信もなかった。


「おーい! マッキー!! ほのりんが足攣ったっ!!」


 大声で叫びながらボートに手を振る。しかし家族連れの客の方に気を取られていて気付いてくれない。


「大丈夫か? 頑張れよ」

「う、うんっ……痛っ……」


 いつもの空元気もない。僕は帆乃里を背中から抱く格好になり、ボートの方に向かって泳ぐ。


「おーい! マッキーィ!!」


 何度も手を振りようやく気付いたマッキーは、非常事態だと分かると慌ててボートを漕いでやってくる。


「大丈夫ですかっ!?」

「取り敢えずこいつを乗せてやってくれ!」


 マッキーが腋の下に手を回し、僕が本日二度目のお尻押し上げをして、ようやく帆乃里はボートに乗った。ついでに僕も乗せてもらう。


「ふー助かったっ! 死ぬかと思ったよ」

「馬鹿っ! だから無理するなって言っただろうっ!」


 僕はつい声を荒げてしまった。結婚していた時もほとんど上げたことのない怒鳴り声だ。


「ご、ごめん……なさい……」


 シュンとしょげる姿を見て抱き締めてやりたくなった。とにかく無事でよかった、と。

 でもそこまでする権利は僕にはない。そして今後もその権利を得ようとは思わない。


 騒ぎに気付いた美妃さんも駿稀もボートの近くまで来ていた。

 「綾人、英雄じゃんっ!」と囃し立てる駿稀の隣で、美妃さんは感謝の眼差しを僕に向けていた。僕は『どういたしまして』の意味を籠めた視線で返した。


 最後にそんなハプニングに見舞われたが、一応怪我なく無事にラフティングは終了した。

 陸に戻ってもしおらしく反省した様子の帆乃里だったが、最後におやつとして出された麦ウエハーを食べ始めてからはいつもの元気に戻っていた。


「なにこれっ! すごく美味しいっ!」

「本当だっ! 魔法がかかったみたいだ!」


 どこにでもあるごく平凡な麦ウエハーだが、昼も食べずに遊び続けた後に食べるとものすごいおいしさに感じた。

 あのクールな美妃さんですら一つ食べながらもう一つの手にキープするくらいなんだから、よほどの美味しさだったのだろう。口の中をパサパサにさせながら、僕たちはラフティングの思い出話と今後の予定を語り合っていた。


 ひと休憩を終えた僕たちは世話になったチャラいのか真面目なのか、結局最後までよく分からなかったマッキーに別れを告げ、次の目的地である日帰り温泉に向かった。


 川の水温で冷えた身体が温泉で温まるのが心地いい。


「あー、気持ちいい……」


 ゴツゴツとした岩で出来た浴槽の露天風呂に浸かりながら、青空を見上げて駿稀が呟く。


「ほっとするね」


 普段使わない筋肉を使った僕はほぐしながら答えた。


「しっかし帆乃里ちゃんは面白いよなぁ……本当に元気だし」

「そうだね……」


 元気というか無謀というかよく分からないが、面白いことだけは確かだ。


「ところで綾人、お前なんか美妃さんといい感じになってない?」

「は?」


 全く予想もしていなかった言葉に驚く。前回は一度も僕たち二人は美妃さんと『いい感じ』になんてならなかったし、そんな話をしたこともなかった。『嫌な感じ』になったことは何度かあったけど。

 確かに徐々に仲良くはなり、学生生活最後の頃は四人で飲み明かしてそのまま寝てしまうなどということもあったが、決して男女的な意味で『いい感じ』にはなっていない。


「行きの車でもナビとかで連携してたし」

「あれはお前が寝るからだろ?」

「まあそうなんだけど、なんて言うか……美妃さんお前のことしょっちゅう見てるような気がする」

「そうか? 気のせいだろ?」


 お湯を掬い顔をばしゃばしゃっと洗ったのは焦った顔を隠すためだった。温泉の硫黄の香りと少ししょっぱい味がした。

 確かに美妃さんは僕をよく見ている気がする。

 しかしそれは絶対に気があるからなんて理由ではない。

 美妃さんは恐らく気付いている。僕がついうっかり帆乃里を嫁扱いしてしまうところや、深い愛情を傾けてしまっていることを。

 もちろん未来では帆乃里と結婚していて、タイムスリップして過去に来たとか、そんなことまでは想像もしていないだろうけど。


 それはつまり、それだけ僕が帆乃里を気にかけていたり、想いを寄せてしまっていることに他ならない。

 ちょっと気を引き締めなければならないと肝に銘じた。


「前も言ったけどさ……俺は綾人に感謝してるんだ。だから俺に出来ることならお前を助けたいって思ってる。美妃さんと上手くいくようにも手伝ってやるから。お節介かもしれないけど」

「そう思うならそっとしておいてくれよ」


 そして帆乃里を幸せにしてやってくれ。あいつは、お前が好きなんだ。僕では、無理だった。今度は振らずに、ちゃんと受け止めてやってくれ。


 苦い想い出が脳裏を過ぎる。

 駿稀にフラれて傷付いて心が弱った帆乃里を慰めて、心の隙につけいって、付き合った。

 僕は、知っていた。駿稀が帆乃里と付き合う気がなかったことを。でも帆乃里には言わなかった。フラれて傷付くのを、待った。僕は最低の奴だ。


「吊り橋効果って知ってるか?」


 僕の心の懺悔は死神でもない駿稀には聞こえるはずもなく、弾んだ声で訊いてきた。


「吊り橋効果ってあれだろ。危険な状況に晒された男女がドキドキしてそれを恋のときめきと勘違いして付き合うとかいう」

「実はこの近くに吊り橋があるんだよ。お前と美妃さんにはおあつらえ向きだろ?」

「お前ってほんと、馬鹿だし、人の話聞かないな」

「俺ってなかなかの策士だろ?」

「吊り橋効果に本物の吊り橋を使う安直さで策士かよ」

 

 馬鹿だけど、やはりこいつは憎めない奴だなと苦笑した。


「俺は帆乃里ちゃんと、綾人は美妃さんと。分かれて渡ってみようぜ」

「吊り橋効果の意味をちゃんと分かってるか? そういう環境下では恋に落ちやすいが、そのあと別れやすいっていうオチがついてるんだぞ?」

「そんなのはそれから綾人がなんとかしろよ! まずはきっかけだろ、大切なのはっ!」


 策士が聞いて呆れるゴリ押しプランだ。しかし僕はその提案に乗った。もちろん僕と美妃さんのためではなく、駿稀と帆乃里に吊り橋効果が生まれることを期待して。


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