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大歩危でのラフティング 2

 ボートは川の流れに乗り、どんどんと速度を上げていく。水流に合わせて揺れるボートがなんとも心許ない。


「おおっ!! これはなかなかすごいよっ……」


 帆乃里は目を丸くさせながら川の水流を眺めていた。

 ゴツゴツとした岩の間を流れる水は幾重もの紐のように細く筋を作り、それが次第に束となって流れていく。

 既に漕ぐ必要はないのでパドルはしまい、ボートのロープを掴んでいた。

 激流に差し掛かったボートは突如速度を上げ、更に不安定にぐらぐらと揺れる。


「きゃああっ!!」


 帆乃里は黄色い声を上げる。僕は落ちないように必死にロープを掴みながら、帆乃里が落ちないか気を配った。美妃さんが指摘した通り、帆乃里は出来もしないのに無茶するタイプだ。

 水飛沫が上がって視界が遮られそうになるが、なんとか目を細めて視界を保つ。


「あっ!?」


 行く手にいきなり大きな高低差が現れる。身構える暇もなくゴム舟は激しくバウンドした。


「ひゃあっ!?」

「危ないっ……」


 帆乃里が離しかけたパドルを慌てて抑える。

 川に落ちるのは正直それほど危なくないが、パドルが暴れてしまうと危険だ。身体や顔に当たれば怪我をしてしまう。

 ラフティングボートは激しく川面を叩き、水をスプラッシュさせて止まった。

 幸い誰も飛ばされて落ちる人はいなかった。


「すごいっ! 気持ちいいっ!!」


 帆乃里は満面の笑みを浮かべ、隣に座る駿稀とハイタッチをした。

 もちろん落ちかけたパドルを僕が抑えたことなど知るはずもない。でも、それでいい。駿稀との仲が深まってくれるなら、僕は本望だ。

 水で濡れた横顔がとても綺麗だった。


 ふと視線を感じて隣を見ると、無表情の美妃さんがこちらを見ていた。

 パドルを抑えたのを見られたのかもしれない。別に見られたからどうということはないのだけども、なんだか居心地が悪かった。


「あたしたちもハイタッチ、しとく?」

「あ、はい……」


 美妃さんに促され、僕は片手を上げて軽く手のひらを叩き合った。恐らくハイタッチってこうやって確認してからやるものじゃないと思う。


 急流というのは待ってくれない。すぐに次のポイントがやって来る。

 今度は左右に振られるタイプの激流だった。

 帆乃里は鼻と眉間の間に皺を作るほど笑いながら叫んでいる。

 ふと二人で乗ったジェットコースターのことを思い出してしまった。僕はあまり絶叫系が好きじゃないのに、無理矢理帆乃里に乗せられ、死ぬほど怖い思いをした。ふわっと宙に浮いて内臓が飛んでいったような無重力の後、一気に駆け下りたその時に目を開いて見た帆乃里の表情と一緒だった。


「うわっ!?」


 しかしラフティングの時はそんなよけいなことは考えてはいけない。

 過去の淡い想い出に浸っていた僕はロープを掴み忘れ、ふわっと宙に浮いてそのままボートの外へと飛ばされ落ちてしまった。


 どぷんっと潜る水の中はやけに穏やかで、静かで、澄んでいた。ちょうど激流の最後で飛ばされたから、流れが穏やかなところで落ちたようだ。水の中で一瞬どちらが上でどちらが下か、分からなくなる。

 少し落ち着いてから僕は泳いで水面から顔を上げた。


「あはははは!」

「マジかよ、綾人っ!」


 ボートの上ではみんなが笑って僕を見ていた。あの美妃さんですら、少し頬笑んでいる。僕は照れ臭さを感じてボートへと戻っていく。


「綾人君面白すぎ! 大丈夫?」


 からかいながら帆乃里が手を伸ばす。僕が上がるのを手助けしようとしてくれいる。少し躊躇ってからその手を握る。

 過去に戻ってから初めて握る帆乃里の指は、当たり前だけど細くて綺麗な、妻の指だった。


「えいっ!」

「きゃっ!?」


 なんだかふざけたくなって僕は川の中へと帆乃里を引っ張って落とした。


「ひどーいっ!」


 ずぶ濡れになりながら帆乃里が笑う。五月の青空から光が射し、川面が反射して眩しい。

 僕は帆乃里の手を掴み、ボートに引き寄せ、お尻を押して乗せてやる。

 たとえ妻であってもこんなこと思うのは失礼だけど、やっぱり帆乃里のお尻はこの頃から大きかった。


 激流下りなんて、正直真面目に進んでいたらあっという間に終わってしまう。だから流れのほとんどない穏やかなところに行ったら他のボートとパドルで水を掛け合ったり、ボートから飛び込んで泳いだりと遊びを入れる。

 帆乃里はやっぱりそれら全てを全力で愉しんでいた。


「じゃあ次はあの岩の上から飛び降ります! やりたい人だけでいいですからねー! あ、『ほのりん』は強制参加だけど」


 マッキーは帆乃里に勝手にあだ名をつけて、すっかりボートの中心人物として盛り上げ役に使っていた。


「飛び込めるの!? やった! みんなやろう!」

「あたしはしないから」


 美妃さんは即答だった。


「えー? やろうよ! アフリカのとある部族では岩から川に飛び降りるのが成人式の儀式らしいよ! 美妃も二十歳になったでしょ? やらなきゃ駄目だよ!」

「その説得であたしがするとでも?」

「俺はするぞ!」


 駿稀はやる気に漲っていた。


「だよねー! せっかく来たんだから飛び降りないと!」


 二人は顔を見合わせてまたハイタッチをする。


「綾人君もするよね?」


 帆乃里は首を軽く傾けながら笑顔で訊いてくる。反則的な可愛らしさだ。

 あまりその顔を見ないようにするため、飛び込む岩の方を見た。既に他のボートの人たちは奇声を上げながら飛び込んでいる。

 正直あんなものの比ではない高さから飛び降り自殺をした僕から言わせてもらえば、子供の遊びだ。


「いや、いいよ。高いところ苦手だし」

「えー? いいでしょ! 怖くないよ!」

「僕はいいよ。駿稀と二人で行っといで」 


 更に数回押し問答を繰り返し、なんとか諦めてくれた帆乃里は駿稀と二人で岩場を昇り始める。飛ばない人はボートの上からそれを見ていた。


 どうやら二人同時に飛んでもいいらしく、カップルらしい二人が手を繋いで飛び込んだ。それを見ていた帆乃里と駿稀は何か言い合って笑っている。読唇術がなくても二人がなにを話し合っているのかは想像ついた。


 駿稀は笑いながら帆乃里の二の腕辺りを軽く叩き、帆乃里は恥ずかしそうに少し顔を赤らめている。

 岩に昇るのはそれなりに大変そうで駿稀が腕を伸ばし帆乃里を引き揚げていた。濡れて足許が滑るのか、転びそうになった帆乃里を駿稀が軽く抱いて支える。それはとても仲睦まじい姿だった。


「本当によかったの、綾人君」

「え?」


 いきなり美妃さんに話し掛けられ、少し驚いて彼女の顔を見る。


「飛び込み、帆乃里と一緒にしなくてよかったの?」


 美妃さんは相変わらず心情が読めない無表情で岩の上の二人を見たまま、話し掛けてくる。


「僕は高いところ苦手だからいいよ」

「……そう」


 僕も視線を二人に戻す。次はいよいよ帆乃里達の番だ。


「おお、あいつらも手を繋いで飛び込むみたいだ。てか駿稀の奴あんなに張り切っていたのに下を覗き込んでビビってるし。ははは。帆乃里ちゃんに引っ張られてる。おい! 駿稀! 早く飛び込めよっ!! あっ、飛び込んだ。うわーっすごい水飛沫上がった。痛くないのかなぁ、あれ」


 僕はわざとらしいほど饒舌になる。けど美妃さんは一言も喋らなかった。それが気まずくて更に無理矢理テンションを上げた。

 飛沫を上げて沈んだ二人は、笑いながらすぐ水面から顔を出した。


「大丈夫かー?」

「余裕だからっ!」

「嘘つけ、ビビってたくせに!」


 飛び込む時に握り合っていた手はまだ水の中だ。あの手はまだ水中で繋がれたままなのか、僕は気になってしかたなかった。



 激流下りはいよいよ最後のポイントに到着した。

 ここを抜けたらみんな川に入り、その先にある川の真ん中辺りにある岩場まで泳いでたどり着くことになっていた。


「誰が最初にあの岩にたどり着けるか競争ね!」


 自信ありげに言うが、帆乃里は泳ぐのが得意ではない。


「なんか賭ける?」


 自信がある駿稀は強気だ。


「じゃあビリがみんなにうどんを奢るってことで!」

「よし、分かった」


 話が纏まったところで激流に入り、僕たちは左右に振られる。

 そして抜けた瞬間に駿稀が川へと飛び込んだ。


「お先にっ!」

「あ、ズルい!」


 慌てて帆乃里も飛び込む。続いて僕たちも川の中へと飛び込んでいった。


 激流は過ぎたとはいえ、この辺りは意外と流れが速かった。

 救命胴衣を着けているから溺れたりはしないだろうが、それがかえって泳ぎづらい。

 案の定、帆乃里は泳いでいるというよりは流されていた。


(あーあ、やっぱりな)


 この先は急に川幅が広がる。目的の岩場は川の中央だが、帆乃里は端へ端へと離れる方向に流されていく。

 他の二人を目で追うと、駿稀は帆乃里ちゃんが流されていることも知らずに岩に向かって泳いでいた。そして美妃さんは自分も流されまいと泳ぐので精一杯のようだった。

 そんな美妃さんと目が合うと、何かを訴えるように帆乃里の方を見る。「助けてあげて」そう伝えてくるのが分かった。僕は頷き、帆乃里の方へと泳いでいった。


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