大歩危でラフティング 1
僕たちの仲は前回同様、急激に加速するようによくなっていった。時間が合えば学食で一緒にご飯を食べ、たまにカラオケに行ったり、帆乃里のバイト先の喫茶店に顔を出したりした。
帆乃里は相変わらず元気いっぱいで、僕たちを笑わせてくれる。そしてなんだかんだ言いながらもカラオケにまでついてくる美妃さんも、少しづつ僕に慣れてきてくれてるようだった。
とはいえ駿稀とは馬が合わないのか、しょっちゅう口論になる。たしか前回でも仲はよくなかったものの、もう少しマシだったような気もした。もしかすると僕が帆乃里に対して一歩退いた態度を感じ取り、『根暗君の方は害はない』と判断したのかもしれない。
でもそれは間違っている。
こうして昔のように顔を合わしていると、僕は堪らなく帆乃里に惹かれていった。好きで好きで、息が苦しくなる時もある。むしろ前回よりも好きなのかもしれないと思った。
でも僕はこの気持ちを伝えることはない。
もう二度と、帆乃里を傷付けたくなかったから。
僕は卑怯な手で帆乃里と付き合うきっかけを得た。その繰り返しだけは、もう二度としたくない。
五月の連休が明けてしばらく経ったある晴れた日、僕たちはラフティングに出掛けることとなった。このところ暑い日が続き、既に気温は汗ばむものとなっていたので、予定よりも少し前倒しだ。
「楽しみだね-! あ、誰が一番ボートから落ちるか予想しない? 私は駿稀君だと思うな!」
「何でだよ……」
荷物をレンタカーに積みながら帆乃里は浮かれた声を上げる。
一方の駿稀は眠そうにあくびをしながらだるそうに答えていた。
帆乃里はジーンズにカットソーという軽装に薄手のウインドブレーカーを羽織っている。髪も一つに纏めて括っておりアウトドア気分満点だ。
「あんまりはしゃぎすぎて怪我しないでよね」
「もうっ、大丈夫だから。美妃こそ気を付けてよね。自分の能力を過信してる人が一番危ないんだから」
「トロいくせに舐めてかかる帆乃里よりはマシだから」
はじめは渋々参加した美妃さんだったが、案外愉しそうにしてくれていてホッとする。スカートは普段から穿かない美妃さんは、もちろん今日もパンツスタイルだった。
午前十時には着かないといけないので僕たちは日が昇る前に出発する。駿稀があんな調子だから運転手は僕だ。
「ごめん、綾人。ちょっと寝ていい?」
「寝るなら後部座席に行けよ。助手席の人にはナビしてもらわないといけないんだから」
「カーナビついてるだろ?」
レンタカーには随分旧式な感じだがナビが一応ついていた。
「苦手なんだよこういうの。運転しながら見られないし」
「ダサっ」
「いいから後ろで寝といて。でも帰りは駿稀が運転しろよな」
ナビが苦手というのは嘘ではなかったが、本当の目的は駿稀に帆乃里と今より親密になってもらうためだ。
「あ! はーいはーい! それじゃ私がナビしまーす!」
人の気も知らないで帆乃里が挙手で立候補してくる。
「……帆乃里ちゃんナビの使い方分かる?」
「ううん」
「地図見るの得意な方?」
「まっさかー!」
「方向感覚がいいとか?」
「あはは! そんなわけないしっ!」
なんでそれでナビ役を買って出ようとしたのか謎だ。
結局僕の思惑通り二人を後部座席に座らせて助手席には美妃さんに座ってもらい、車は一路四国のど真ん中にある大歩危峡へと走り出した。
「合流はもっとスムーズにっ!」
「ちょっと、綾人君。車間距離詰めすぎ」
「ほら、追い越し車線で前の車抜いて。抜いたらすぐに戻るっ!」
美妃さんは自動車学校の鬼教官のように手厳しかった。
後部座席では一眠りした駿稀が目覚め、わざわざ買ってきたらしい旅情報誌を見て盛り上がっている。
「おお、これ美味そうっ!」
「本当だっ! すごい!」
「でもやっぱり四国と行ったらうどんだよなー」
「やったー! 私は釜玉がいい!」
あまりにも愉しそうなのでつい視線はバックミラーに行ってしまう。
「ちょっと! ちゃんと前見て走ってよ!」
「あ、ごめんっ」
慌てて注意を運転の方に戻す。
「っとにもう……」
白けた目で睨まれてしまった。運転はなんの問題もなかったが、僕が美妃さんに帆乃里を意識していることがバレたような気がして冷や汗が流れる。
でも心の芯では優しい美妃さんは意地悪なからかいはせず、苦笑いで流してくれた。
高速道路を降りてしばらく走ると、大歩危峡が近付いてくる。
「わーっ!? 見て見てっ! 見てっ!!」
新大陸を発見した冒険家のように帆乃里は指差し叫んだ。目の前には剥き出しの巨大な岩壁が現れる。今にも崩れてくるんじゃないかという迫力だ。
そして道の下には吉野川が流れていた。驚いたことにその川はエメラルドグリーンに澄んでいた。切り立った巨大な岩肌に翡翠色の清流。まるでどこか、ファンタジーの世界にでもやって来たような気分になる。
「わー!? 見て見て! 綺麗な川っ! さすが最後の清流だね!」
「それは四万十川だろ?」
思わず後部座席の帆乃里にツッコむ。
「え、違うんだ!? ヤバい、ハズいっ!!」
大げさに手のひらで顔を覆うのがバックミラー越しに見えた。
いつもはツッコんだりするのは全て駿稀に任せていたが、気が緩んでつい夫婦の時のような気安さでしてしまった。
しかし帆乃里は特に気にした様子もなく笑っている。だが助手席の美妃さんは、なにか物言いたげに僕の横顔を凝視してきた。僕はそれに気付かない振りをして運転を続ける。
ラフティング集合場所に着いたときは意外といい時間になってしまっていた。僕たちは受け付けを済ませ、慌てて支給されたウエットスーツに着替える。
「はい、皆さんこんにちは!」
やたらハイテンションなインストラクターは、僕達よりも少し歳上という感じだ。
「こんにちはーっ!!」
臆面もせずでっかい声で返事をしたのはもちろん帆乃里だ。
「おおっ! 今日のお客さんは元気がいいですね! 私はインストラクターのマッキーです! いえーい!」
「いえーい!」
帆乃里は出会って数秒で意気投合したのか、マッキーとハイタッチする。
平日とあって予約したツアーには僕たちの他に親子三人の家族客だけだった。小さな男の子は父親の腕にぶら下がったり、母親の脚にしがみついたりと忙しそうだ。その姿が可愛すぎて、つい「子供はやっぱり可愛いよね」と言いそうになり、慌てて口をつぐんだ。
参加者たちに軽く自己紹介をさせた後、マッキーは注意事項の説明を始まる。先ほどまでのテンションが嘘のように、その時だけはマッキーはチャラけなかった。
説明終了後、いよいよラフティングボートを川に浮かべる。
「冷たっ!!」
「うわっ!!」
男二人は川の水の清らかな冷たさに怯んでしまった。
「いえーい! 一番乗りっ!」
ハイテンションな帆乃里は恐れを知らず、水を軽やかに蹴ってボートにしがみつく。しかしラフティングボートというのはそんな簡単には乗り込めない。
「きゃっ!?」
無理矢理登ろうとしがみついていたが、足を滑らせて豪快に川へと転落した。
僕たちも、マッキーも、家族連れの人たちもみんな笑いに包まれた。
「うー……」
恨めしそうに立ち上がる帆乃里は早くも髪までずぶ濡れだった。
川には既によそのツアーの複数のラフティングボートが浮かび、インストラクターの説明に合わせてパドルを漕ぐ練習などを始めていた。
色んな運営会社が存在するようで、ボートの色や模様がそれぞれ違う。
一応パドルでの漕ぎ方は教わるものの、始まってしまえばほとんど意味のないことと知っていた。川には流れがあり、別に漕がなくても簡単に流れていくからだ。
「ほら、綾人君っ! サボってないで漕ぐ練習だよ!」
それを知らない帆乃里は僕の前のシートに座り、全力で漕いでいる。いや、たとえ知っていても帆乃里はやはり全力で漕いだだろう。むしろ漕いで進むのはこのスタート地点のような流れのないところくらいだ。だから漕げるときに漕いで進むことを愉しむに違いない。
そして練習が終わると、いよいよボートは大歩危の激流へと向かい、吸い込まれるように流されていった。