天使の勤務表
病室を出て耳をそばだて、美妃の「馬鹿……ようやく気付いたの? もう、どれだけ待たせるのよ」という涙声を確認してからその場を離れる。
「まあ、よかったんじゃない?」
なんとなくいいところを持って行かれた感じなのが癪に障るが、まあよしとしよう。
あの男が生死を彷徨い続けている間ずっと看病し、声を掛け続けていたくらいだ。よほど強い思いがあったのだろう。
樫本綾人が死の淵から生還できたのも、あの女のそんな必死な呼びかけが届いたこともある。
(あー、でもなんか釈然としない……)
私はちょっと苛つきながら病院の廊下を大股で歩いていた。今回のことで上司から叱責されるのは免れないだろう。
看護師が眉を顰めて見てくるが知ったことではない。
とにかく仕事が終わったのだからさっさと天界に戻って報告しなくてはならない。
病院の外に出ると春特有の安穏とした空気を感じた。
敷地内には桜の木があり、ふわふわと舞い落ちては道をピンク色に染め上げていた。
こういう陽気の中では、私のゴスロリの服は一層異質さをましてしまう。
リハビリで歩く人、桜の風情など愉しむ余裕もなさそうに憔悴した顔でベンチでうな垂れている人、疲れた顔をしている夜勤明けのナース。
これだけ人が大勢いる割に活気がないところは、病院以外そうはないだろう。
「ん?」
突然私の前に五歳くらいの女の子がやって来てじぃーっと見上げてくる。
病院に来ることの引き替え条件として手に入れたのか、玩具のような容れ物に入ったラムネ菓子を手にしていた。
「どうしたの?」
私はこれでも子供には好かれる方だ。
今回はちょっとしたトラブルで綾人のような冴えない男の担当になってしまったけれど、本来であれば私は子供の担当がメインだ。
子供はいい。人を疑わず、素直で、正直だ。
好きな人には好きと言えるし、自分を偽らない。自分の愛する人を自ら手放そうとしていた樫本綾人とは正反対だ。
屈んで目線の高さを合わせても、女の子はなにも言わず私の顔を見詰めるばかりだ。
この子の母親らしき女の子が「さっちゃん、駄目でしょ。勝手に行ったら」と言いながら早歩きでやってくる。
さっちゃんというのか。沢山愛情を受けて生きているのがよく分かる、真っ直ぐな目をした女の子だ。
「ねえ、お姉ちゃん」
「なあに?」
「お姉ちゃんって死神さん?」
「はあああっ!?」
思わず叫んでしまうと、女の子の母親は慌てて駆け寄ってきた。
「すいませんっ。うちの子なんか失礼なことをっ?」
母親は謝りながらも私を非難するような目で見てくる。
「私は死神なんかじゃないっ! 天使よ、天使っ!」
大声でそう言うと女の子と母親はもちろん、辺りの人たち全員が何事かと私を見た。
綾人を騙すために渋々死神の振りをしてきたけど、その任務が終わってまで死神扱いされてはたまったもんじゃない。時間外手当をもらってもごめんだ。
「ほら、どこからどう見ても可愛らしい天使でしょ!」
両手を大きく拡げ、アピールするが人々の視線は険しさを増す一方だった。
やはり白と黒のモノトーンでフリルをふんだんに使ったこの服が良くないのだろうか?
大きな声を出してしまったから女の子は泣き出してしまう。
「え? ちょっとちょっと……待って? なにこの空気?」
遠巻きに見てくる人々の視線は、完全に邪悪なものを見る目付きだった。
「死神だってよ」「やだ、不審者かしら?」「警察読んだ方がいいんじゃないのか?」という囁きが聞こえてきて切ない。
そこへ運良く碧い目をした外国人の牧師がやってくる。病院という場所柄、こういう人も出入りするのだろう。
「神父さん! 私天使ですよねっ! 死神じゃないですよねっ!? この人たちに言ってやって下さいっ!」
「oh!? What!?」
牧師は私の姿を見ると瞬時に目を鋭くし、先ほどの母子を庇うように私の前に立つ。そして首からぶら下げた十字架を握り締め、私の方に翳しながら何やら唱えはじめてしまう。
「い、いやいやっ! おかしいからっ! 天使なの、私はっ!」
神父が邪悪認定をしてしまったため、いよいよ私は穢れた死神扱いをされはじめてしまう。騒ぎは大きくなり、人がどんどん集まってくる。
中には無礼にもスマホを向けて私を撮影している奴までいた。
ここでキレたらいよいよ死神確定してしまう。
私は顔の筋肉を引き攣らせながら無理やり天使の微笑みを披露する。しかし反応を見るに、それは逆効果だったようだ。
「あ、そうだ! ほら、これ! 平和の象徴の鳩の鞄も持ってるから!」
お気に入りのメタリックな鳩の鞄を見せようと翳すと「うわっ!」「カラスだっ!」と、まるで爆弾でも見せられたように人垣が後退る。
神父は額に汗を浮かべながら目を見開き大きく手で十字を切っている。
それに加勢するつもりなのか、隣でお婆ちゃんが数珠を握り締めてお経を唱えはじめてしまう。
もう神父の術にやられた振りをして立ち去ろうかとも考えたが、それは天使としてのプライドが許さなかった。
「仕方ない……これでも見なさいっ!」
こうなったら奥の手を使うしかない。
私は背中から真っ白い天使の羽を広げた。
──しかしそれが良くなかった。
いよいよパニックはヒステリックなまでのものとなってしまい、母子や野次馬たちはもちろん、神父までが駆け足で逃げて行ってしまう。
「えっ!? ちょっ、ちょっと待ってって!?」
作戦変更。
もうこうなってしまっては今さら天使だと思われる方が恥だ。このまま死神と思われた方がマシだろう。
私は大きく羽ばたき宙に舞いながら笑った。
「ふはははっ! 愚かな人間どもよ! さらばだっ!」
涙を見られないよう、私は大急ぎで空を舞い、天空へと帰って行った。
もちろん帰るや否や、直属の上司である権天使にこっぴどく叱られたのは言うまでもない。
「そもそも貴女は死ぬ予定じゃなかった樫本綾人の自殺を止めることが出来なかったはおろか、飛び込み自殺の勢いをつけただけじゃありませんかっ!」
「それは、まあ……なんというか……不吉なものに勘違いされたというか……」
「先ほども病院の方々に死神と間違えられてましたけど、その服装が問題なんじゃありませんかっ!?」
だっさい天衣無縫の一枚布を纏ったおばちゃん権天使は、忌々しそうに私のゴスロリ服を睨めつける。
「服装は関係ないじゃないですか? 偏見だと思います。仕事はきっちりしたんだし、よくないですか!」
私の訴えを聞く権天使は困った若者を見る目で溜め息をつく。
「今回樫本綾人が死なずに生還できたのは貴女の力ではなく、あの看病を続けた立花美妃という女性の力だと思いますが?」
「そ、それはっ……少しはそうかもしれないですけど……でも私の作戦は完璧でした!」
「貴女は死神の振りをして脅していただけでしょう?」
「それが作戦なんですってばっ!」
思わず砕けた口調になってしまうと、おばちゃん天使は咳払いで注意を促してくる。
「死神の振りをして、後悔がなくなったら成仏させちるからねー、ほら、早く後悔をやり直してー、終わったら魂奪うよーって脅すことで樫本綾人の恐怖を煽ったんです。生きる気力を失った彼が脅されることで逆に生にしがみつくという高度な作戦ですっ!」
「でも結果としてそれで樫本綾人は後悔をやり遂げて死のうとしてましたよね?」
権天使は詰め将棋をするように次々と私を追い込んでいく。
権天使なんて大して偉い役職でもないくせに凄まじい上から目線なのが腹立つ。
「樫本綾人が最後に生へとしがみついたのは立花美妃の声、想いが届いたからです」
きっぱりと言い切られ、返す言葉もなかった。
確かにあの男は死を受け入れようとしていた。魂なんて奪う力がない私はどうしたらいいか分からずに、取り敢えず大きな鎌なんて出現させて時間稼ぎをするしかなかった。
「あの美妃という娘は天使の素質がありそうね。死後にスカウトしてみましょう」
権天使は手帳にサラサラとメモを走らせていた。
憎たらしい。このおばちゃん天使も、立花美妃も、どちらも憎たらしいっ!
「結果はどうあれ樫本綾人の死は防いだんですから私は休暇を取らせてもらいますんで」
「なに言ってるの。休んでる暇なんてありません」
「えーっ! 約束が違います!」
「貴女が樫本綾人に時間をかけすぎたのがいけないんです。すぐに次の仕事に向かってもらいますから」
「そんなぁ……」
いくら泣いても喚いても事態は好転しない。そうと分かっていてもぼやかずにはいられなかった。
天使という仕事は意外とブラックだ。
「えーっと……次の貴女の担当は……」
権天使は資料を捲りながら呟く。休みなしで働かされるなら、せめて純真無垢な可愛い子供にして欲しい。
「あーあった。これね。坂元一。四十二歳、男性。事業に失敗して多額の借金を背負い、奥さんと子供に見捨てられる。人生に嫌気がさし自殺をしようとしているわ」
「えーっ!? なにそれっ! 絶対嫌っ!」
「嫌ってなんですか。仕事ですよ? この人はここで死ぬ運命じゃないの。八十五歳まで生きる予定だし、このあと再婚もするの。仕事は大して上手くいかないけれど、このあとの人生で仕事やお金よりも大切なものを知ってとても幸せになる予定だわ」
権天使は尊いものを想うように、うっとりと目を閉じていた。
私はバカンスで行くつもりだった南の島を思い浮かべ、げんなりと目を閉じる。
「ほら、急いで! もう間のなく自殺するつもりよ。また意識不明になったら面倒なことになるわよ」
「えっ!? ちょっ……もうっ!」
私は慌てて地上へと向かう。
また飛び降りられて面倒なことになったら大変だ。
今度こそさっさと仕事を終わらせて長期休暇を取ってやる!
「ちょっと待ちなさいっ!」
そう叫びながら私は崖の上に立つ坂元一の前に降り立った。
しかしそれが良くなかった。
「うわっ!?」
突然空から降りたものだから坂元一は驚いて仰け反り、そのまま崖下へと転落してしまう。
「ちょっ!? 嘘でしょ!?」
このままではまたあのおばちゃん天使から叱責されてしまう。私は慌てて羽を広げて崖から飛び降りて坂元一を追いかけていた。
天使の勤務表 <終わり>
書籍化記念の追加エピソードです!
本エピソードは書籍版のエンディングにしようと思ってましたが、訳あってやめました。
でも捨ててしまうのが惜しくてWeb版のエピソードのようなかたちにさせて頂きました。
楽しんで貰えたら幸せです。
書籍版もよろしくお願い致します!