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秘めた想いを温めて

────

───


 綾人が意識を戻さないまま、三ヶ月が過ぎた。



 崖から飛び降りたという連絡を受け、妻である帆乃里はすぐに駆けつけた。

 発見が早かったのと岩の上に落ちなかったのが幸いして、何とか命は取り留めた。

 しかし着水するときに頭や身体を強く打って内臓までやられ、長くは持たないだろうと医師には言われたらしい。


 発見が早かったのは目撃者がいてくれたお陰だ。

 深刻そうな顔をして電車に乗っていた綾人を見て、よくないことを想像した少女は自殺名所が近い駅で降りた綾人の後をつけてくれたそうだ。


 あたしのところに帆乃里から連絡が来たのは、綾人が投身自殺を図ってから一週間後だった。取り乱した様子の帆乃里は電話では泣いて謝るばかりで要領を得なかったので、あたしは取るものも取りあえず病院に向かった。

 病室の前で待っていたのは帆乃里と、駿稀だった。

 メッセージなどのやり取りはあったものの、駿稀とは卒業以来、帆乃里ともここ数年会っていなかった。

 二人ともあたしの顔を見ると気まずそうに目を伏せる。


「綾人はっ!? 綾人は無事なのっ!? なんで自殺なんてっ……」

「ごめん、美妃っ……」


 泣き崩れ、呼吸をしゃくり上げながら説明したその内容は、とても受け入れがたいものだった。


 綾人はずっと子供が出来るのを望んでいた。しかしなかなか授かれず、病院で検査した結果、帆乃里が不妊症であることが判明した。それは仕方のないことで誰が悪いわけでもない。


「でも、だからって……なんで駿稀と不倫して一緒に住んでるなんて()()()()()()()いけないわけっ!?」

「それはっ」

「あんたは黙ってて」


 過呼吸気味な帆乃里に変わって説明しようとした駿稀を制する。


「綾人を解放してあげたくて……」

「解放……?」

「子供が出来なくたっていい……子供を作ることだけが夫婦じゃないって……綾人はそう言ってくれたの。綾人はずっと子供が出来ることを楽しみにしていた。でも私は、それを叶えてあげられないっ……それどころか、子供なんていらないっていう嘘まで、綾人につかせてしまっている」


 学生時代、あんなに明るかった帆乃里とは思えないほど笑顔をなくし、憔悴しきっていた。

 でもそれを今のあたしは同情できない。


「そんな嘘をついてでも帆乃里を励ましたかったんでしょ。綾人にとって子供よりも大切なのは、帆乃里だったんじゃないのっ!」

「本当の気持ちを殺して、苦しんでいる綾人を見ていられなかったのっ。私じゃない人と結婚していれば、恐らく手に入れられていた幸せを私が奪ってるのよ。そんなの、残酷すぎるよ」

「だからってなんでよりによって駿稀と不倫したなんて嘘をつくのよ! どれだけ綾人が傷付くと思ってるのっ!」


 あたしはとても冷静でいられなかった。眩暈を覚えるほど頭の中が煮え滾っていた。


「不妊症だと分かってから、綾人に別れようって言ったことあるの。でも私がそういうことを口にするだけで、綾人は自分を責めてしまう……そんな、あり得ないほど優しい人だった」

「『優しい人だった』って。過去形で言わないでよ。綾人はまだ生きてるんだよっ!」


 腹立たしくて、言葉の端を突いてしまう。嫌な性格だ。

 夫婦にしか分からない綾人の顔を語られた気がして余計に苛ついてしまったのかもしれない。


「ごめん。そういうつもりじゃ……結局私は綾人を苦しめるだけの存在になってしまって、そして縛り付けてしまっていた。だから私は憎まれてもいいから、綾人を苦しみから解放させてあげたかったの」

「それで駿稀と不倫してるから別れって? そんなの無茶苦茶だよっ!!」


 理解できないと言わんばかりに怒鳴っていたけど、あたしもほんの少しは帆乃里の気持ちは分かった。

 綾人はどんなに辛くても、帆乃里が不妊症だと分かればなおさら、離婚なんてしないだろう。そして子供を欲しがって帆乃里を苦しめたと自分を責めるだろう。

 綾人はそんな奴だ。

 そして帆乃里はすぐに暴走する。それも今に始まったことじゃないから分かっているけど、でもだからといって帆乃里のしたことはとても許されることではない。

 もちろん二人は不倫などしていないし、今も一緒に暮らしているわけではなかった。しかしそんなことは関係ない。

 その嘘でどれだけ綾人が傷ついたか、想像するだけで胸が張り裂けそうだった。帆乃里は恨まれることで立ち去りたかったというが、きっと綾人は帆乃里を恨んでいない。むしろ自分を恨んだはずだ。


「もういいから。あんたたちはどっか行ってよ……綾人が可哀想だよ……目が醒めたときに帆乃里と駿稀がいたら、綾人が可哀想すぎるじゃないっ!」

「美妃っ……」

「あたしが看るからっ! あんたたちは帰ってよ!」


 結局は夫婦のことは夫婦しか分からないのかもしれない。部外者のあたしが口を挟む問題じゃないのは分かっている。でもこれ以上帆乃里達と顔を合わせていたら、叩いてしまいそうだった。


 二人が病院から去ったのちに、あたしはベッドに横たわる綾人と対面した。

 体中に包帯が巻かれ、何だかよく分からない器具をつけられた痛々しい綾人を見た瞬間に涙がこみ上げる。


「綾人っ……」


 ベッドの端に捕まり、崩れるように蹲って泣いた。

 病室は静まりかえっており、綾人に繋がれた機械だけがピッピッピッピッと無機質な音を立てていた。


「綾人……目を醒ましてっ……」


 聞こえるわけない綾人に呼びかけたが、もちろん反応は返ってこなかった。



 そして昏睡状態から三ヶ月。


 綾人は医師も驚くくらい快復していった。手の施しようがないと思われた内臓の方も奇跡的によくなってきている。

 しかしやはり、綾人の意識は戻らなかった。


「綾人、ほら、見て。いい天気だよ。覚えてる? ラフティング行ったときもよく晴れていたよね。駿稀の馬鹿が寝てばっかりだから綾人ばっかり運転させられて文句も言わないんだもん。怒ればいいのにって腹の中で苛ついたけど、偉いなぁってちょっと尊敬してたんだよ」


 こうやって目を醒まさない綾人に話し掛けるのも日課になってきてしまった。

 貯金もあったし、そろそろ別のことをやりたいって思い始めてもいたから、仕事は辞めた。

 こうして毎日病院に通い、綾人の世話をしている。世話って言っても動かないし、喋らないし、何も口にしない綾人は世話なんて必要ないかもしれないけど。


 こうやって話し掛けているといつか綾人が気付いてくれるような、何の根拠もない蜘蛛の糸のように細い希望に賭けていた。いや、諦めきれなかったといった方が正しいのかも知れない。

 二週間に一度くらい、帆乃里もやって来る。あたしがいない時を見計らいたいのだろうが、お生憎様。あたしはこうして毎日いるから。

 でももうあの日みたいに怒鳴ったり、責めたりはしない。長居はさせないけど、顔くらいは見せてあげる。

 だけど私はもう二度と、綾人を帆乃里に譲ったりはしない。


 綾人はいつでも真っ直ぐに帆乃里だけを見ていた。だからあたしは綾人に想いを伝えることは出来なかった。

 帆乃里と綾人が付き合うことになったと聞いたときは辛かったけど、綾人の思いが帆乃里に通じたんだと少しだけ嬉しい気持ちにもなった。それに綾人なら親友の帆乃里を大切にしてくれる。そう確信した。


 でも結婚するときは胸が痛んだ。あたしはずっと綾人のことが好きなままなんだって気付かされた。「帆乃里をよろしくお願いします」なんて言ったけど、強がりだった。

 二人の結婚式の時は嬉しくて、寂しくて、見苦しいほど泣いた。

 そんなあたしの想いは帆乃里すら知らない。死ぬまで隠すつもりだった。

 綾人は眠り続けているけど、ようやくあたしの番が回ってきたんだ。

 手を握り、穏やかに目を閉じる顔を見詰める。


「ねぇ綾人……ちょっとこっちを見てよ……」


 もちろんなんの反応もない。けど反応はなくても綾人はあたしを感じてくれている。何故だかそう確信していた。


 もう一度あの頃をやり直せるなら、あたしは絶対に綾人を帆乃里に譲ったりはしない。こんな結果になるんだったら、あたしが綾人を幸せにする。まあ、人生をやり直すなんて、そんなこと絶対にあり得ないんだけれど。


 更に一ヶ月が過ぎ、二カ月が過ぎても綾人は目を醒まさなかった。

 お医者さんの話だと、身体の方はもう大丈夫だが、あとは脳の問題だとのことだった

 脳は奇跡の臓器と呼ばれているらしく、ある日突然目覚めることもあれば、このまま一生目醒めないことも有り得るらしい。


 昏々と眠りにつく中、綾人はどんな夢を見ているのだろう?

 せめてその夢だけは幸せなものであって欲しい。自分がこうなったらいいなと思うような、そんな夢を見ていて欲しい。

 でもきっと、無理なんだろうな。

 夢の中でも綾人は人のために尽くしちゃっているに違いない。そう言う類の馬鹿だから、綾人は。

 そっと頰を撫でる。なんの反応も返ってこないけど、それでも確かに綾人は生きている。

 仄かに温かな肌と、弱々しく続く鼓動だけが、それを教えてくれていた。



────

──


 うららかな春の日。

 あたしはベッドのそばの椅子に腰掛け、眠り続ける綾人の顔を眺めていた。

 穏やかな顔を見ていると、このまますうっと魂が抜けていってしまうのではないかと不安になる。



 ガタンッという物音がしてあたしは驚いて目を醒ます。膝に置いていた小説が落ち、目覚めきっていない脳はぼんやりとしていた。

 いつの間にか眠ってしまっていたようだ。


「えっ!?」


 ベッドのそばには見知らぬ少女が立っていた。

 白と黒の二色しかない割にフリルがたくさんついた、派手とも地味ともつかない服を着た少女だ。袖口に見えた水玉模様は、よく見ればドクロという悪趣味ぶりだ。鞄も個性的で、機械仕掛けの鳥のかたちをしたものを斜め掛けしている。

 ゴスロリって言うんだっけ、こういうの。


「あっ!?」


 この子はもしかしたら綾人が崖から飛び降りた時、通報してくれた少女じゃないのか?

 救助の人が駆け付け、綾人を救った時には既に少女の姿はなかったらしい。結局どこの誰だったのかも不明なままになっていた。一時期警察はその少女が綾人を突き落としたのではないかと疑い、捜索もしていたらしい。


 警察ですら見つけられなかった少女が、今私の目の前にいる。

 少女は何故かあたしの方を怨みがましく睨む。初対面なのに感じの悪い子だ。そしてそのまま無言で病室から出て行こうとしてしまう。


「あなたっ……綾人を助けてくれた女の子っ!?」


 追い掛けようとすると少女は何も答えず、代わりに真っ直ぐに綾人を指差した。


「え?」


 振り返ると、綾人は「ううっ……」と小さく呻いた。


「あ、綾人っ!?」


 慌ててベッドに駆け寄る。


 瞼がぴくぴくっと痙攣したように動き、そしてゆっくりと開かれていく。


「綾人っ……」


 眩しそうに薄く目を開いた綾人は朦朧とした様子だったけど、あたしの顔を見て微笑んだ。ような気がした。

 まるであたしがここにいるのを知っていたかのように、弱々しい瞳が真っ直ぐにあたしに向けられていた。

 

「綾人っ……」


 感情よりも先に涙が溢れ、頬を伝って流れ落ちた。

 帰ってきた。綾人が、帰ってきてくれた。

 涙は次から次とこぼれ落ち、綾人の布団を濡らしていく。綾人はあたしに何か伝えようと口を開くが、声の出し方も忘れたか空気だけが漏れる音だけがした。


「馬鹿……ようやく気が付いたの? もう、どれだけ待たせるのよ……」


 やつれた手を握り、あたしは綾人に泣きながら微笑んだ。




 〈時間遡行で学生時代に戻った僕は、妻の恋を成就させたい〉  終わり





 「僕の妻の恋を成就させたい」を最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 こんなに沢山の方に読んで貰えるとは思ってもみなくて、驚きました。あまり人気になるようなテーマでもないのに、こんなに反響を頂けるとは夢にも思ってもみませんでした。

 本当にありがとうございます。


 連載開始時は栞が2とか3で、こんなものかと諦めておりましたが、まったく面識のなかった方にTwitterで呟いて頂き、そこから徐々に人気が広まりました。

 本当に感謝してもしきれないです。

 そして皆様の感想を頂き、作品がよりよいものになりました。

 元々完成していた作品なのでストーリーが変わったりはしてませんが、細かいところなどを手直しできました。本当にありがとうございます。

 

 この作品はあまりこちらのサイト、「小説家になろう」様向きではないと心配して頂いたこともありましたが、私はこのサイト向きの作品だと強く思いました。

 このサイトにはものすごく沢山の読者の方がいらっしゃいます。多種多様のニーズがあると感じてます。大多数ではないにせよ、こんな作品を読みたいと思って下さる方もいらっしゃる。そう感じました。


 次の作品をアップしたいと思いつつも、しばらくは本作の手直しをするかもしれません。


 本当に今までありがとうございました!

 次回作でお会いしましょう!


廉野入鹿


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