契約履行の時
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北野の坂にある途中のその教会はこぢんまりとしているが立派なステンドグラスがあり、そこから射し込む光が堂内を輝かせていた。
ヴァージンロードをお義父さんと歩く帆乃里は、いつもの弾け飛ぶような陽気さを消して淑やかだった。どこかの国のお姫様のような可憐で美しい姿を、今回の僕は来賓席から見守っている。
大学を卒業してすぐに結婚をするというのは、やはり両家の親から相当反発があったらしい。しかもその時駿稀はまだ就職先も決まっていなかったから、お義父さんの怒りはかなりのものだったと聞かされた。
僕が代わりに一発くらい殴られてやるなんて言ったが、今となっては身代わりにならなくてよかったと安堵している。
ちなみに無職で一発、妊娠で一発の計二発殴られたらしい。
でも今はわだかまりもなく、駿稀とお義父さんは帆乃里を受け渡すときに笑顔を交わし合っていた。
お義父さんは少し激しやすいが、後には尾を引かない明るい性格だから大丈夫だろう。
結婚式だけ身内で行い、披露宴はしないという質素な形で執り行われることとなった。ハネムーンも当然なしだ。
帆乃里の高校時代の友達も数人招かれており、美妃さんと共に帆乃里のウエディングドレス姿を目を細めて見守っている。
その中には僕が帆乃里と結婚してから親交があって顔を覚えている人もいた。懐かしい気持ちになったけど、もちろん向こうは僕の顔など知らない。
意外だったのは僕と帆乃里の結婚式の時にあれだけボロ泣きしていた美妃さんが、多少潤んではいるものの、泣いていないことだった。
「アナタハ病メル時モ、健ヤカナル時モ……」
お決まりのフレーズを碧い目をした神父さんが問い掛けてくる。
「わたし、外国人の神父さんが片言の日本語を喋るのを聞いたら笑っちゃうかも」という心配ごとは駿稀にも言ったのだろうか?
帆乃里は緊張した振りをして俯いているが、笑いを噛み殺してるのを僕は知っている。
誓いの言葉も終わり、次に指輪を交換をした。中々入れられなくて笑いを誘った僕とは違い、駿稀はそつなくこなしていた。
そして駿稀が帆乃里のベールを捲り上げ、見つめ合う。
二人は顔を寄せ合い、誓いのキスをした。
当然ながら僕は帆乃里が僕以外の人とキスをするのをはじめて目の当たりにした。
目を逸らさず、幸せそうな帆乃里を、しっかりと見届ける。
ようやく僕は、妻を、親友に引き渡せた。そんな想いが胸に去来して、鈍い痛みと憑きものが落ちたような空虚な安堵が僕を包む。涙は自然に溢れ、それを隠すことなく頬に伝わせた。
式がつつがなく終了し、友達や親族は二人を囲んで記念撮影をしている。
僕は散った花びらを踏みながら教会を出た。
「綾人っ」
呼び掛けられて振り返ると、美妃さんが僕の方へと歩み寄ってくる。
「いい式だったね……帆乃里ちゃん、幸せそうなだった」
「……うん。そうだね」
「あ、そうだ……」
僕は大切なことを忘れていた。
「恋人のカモフラージュ、今までありがとう……本当に美妃さんには頭が上がらないよ。この借りは、いつか必ず……」
「まあ期待しないで待っておくよ」
「あ、でも俺はもうすぐ死神に魂奪われるんだった……ごめん」
「まだそれ言う!? 未来から来たとか、死神がどうしたとか……最後まで綾人のキャラって理解不能。まあ、いいけど。死神に魂奪われなかったら借りを返してよね。待ってるから」
「うん。必ず。それじゃあ……」
「うん。じゃあまたね、綾人」
僕たちはほぼ同時に背を向けて、離れていく。
それを待っていたようにピッピッピッピッという死神鳥の鳴き声が聞こえてきた。
僕にまだ、やり残したことはあるのだろうか?
空を見上げて思い起こす。いや、あったとしてももう時間切れだ。
機械鳥は高い空から真っ直ぐに舞い降りてきて俺の目の前に降り立つと、一瞬でゴスロリ少女の姿に変身する。
『ようやくやり残したことは終わったみたいね』
やはり脳に直接語り掛けてくる。
ありがとう。おかげ様で、なんとか。
『お礼はいいのよ。私はその代わりに貴方から魂を頂くんだからgive-and-take? Win─Winの関係? まぁそんな感じだから』
魂を抜かれるのって痛いの?
『痛くはないわよ。まあ、ちょっと苦しいみたいだけど。なに、ここに来てビビってるわけ?』
そうじゃないけど。
僕は目を閉じてこの約二年間のことを思い返した。
妻の恋を成就させたいという僕の願いは、帆乃里が子供を授かるという最高の奇跡が起き、二人の結婚という結末で達成された。
『よかったわね。まあ、私は別にどうでもいいことだけど』
死神娘は面倒くさそうに語り掛けてくる。
このやり直しの二年間を振り返れば、辛かったことも多かったけど、やはり愉しかった。
でもそれは美妃さんのお陰だ。俺一人では絶対に堪えきれなかっただろう。
美妃さんが助けてくれたから、何とかやり切れたんだ。本当に返しきれない恩が出来てしまった。
その恩を返さずに魂を奪われるのは本意ではない。
確かにそれは心残りといえば、心残りだ。しかしそんなことを言っていたら世の中心残りだらけになってしまう。
『そうよ。生きるなんて後悔の連鎖なんだから。何かをすれば何かを後悔する。いちいち付き合ってたらきりがないの』
そう言うと彼女はいきなりデカい鎌を虚空から出現させ、何やら呪文めいた言葉をもごもごと唱えはじめる。
(こいつが死神っぽく見えたのははじめてだな。ちゃんとこんな鎌も持ってるんだ……)
まだ時間がかかりそうなので、僕は再びこの二年間を振り返る。
今回の経験で今まで知らなかった美妃さんのことも色々と知ることが出来た。浴衣姿もはじめて見たし、イルミネーションに行ったときに照れ臭そうに手を繋ぐのを見られたのも貴重だった。
俺が未来からやって来たという話は最後まで信じてくれなかったけど、付き合った振りまでして助けてくれ──
そこで僕はハッとなった。
(まさかっ……!?)
そうだ。美妃さんは美妃さんは最後の最後まで未来から来たことや死神との契約の話を信じていなかったんだ。
僕はもしかするととんでもない思い違いをしていたのかもしれない。
美妃さんは帆乃里の幸せのため、そしてよく分からないが必死な僕のために手助けしてくれてると思い込んでいた。
でも、もし、そうじゃなかったら?
僕の憶測は自惚れも甚だしいかもしれない。
でも帆乃里と付き合う気がなかった駿稀の気持ちが変わったんだ。
歴史が変わり、美妃さんが僕のことを好きになるということも、絶対にあり得ないことじゃないっ……
僕は慌てて振り返り、来た道を駆け戻る。
『ちょっとっ!? 逃げるなっ!』
呪文を唱えてる途中だった死神は慌てて呼び止め、瞬間移動で僕の目の前に立った。
ごめんなっ!
それをすり抜けて更に走った。
『ちょっ!? 駄目ッ! もう終わりだからっ! ズルいよ!』
もし美妃さんが僕のことを好きだとしたら、僕はとんでもないことを美妃さんにしてしまったことになる。
好きな人に自分の親友が好きだと言われたら、どれだけ苦しいか、僕は知っている。
好きな人のことを想って目の前で泣かれたり、命を賭して好きな人を幸せにしたいとか言われたら、いったいどれだけ苦しいのだろうっ!!
遅すぎた! 僕は気付くのが遅すぎたっ!
でもまだ手遅れではない。
坂を駆け上り、小さな教会が見えてきた。まだ美妃さんは教会の前で記念撮影をしている。
「美妃さんっ!!」
俺が大声を張り上げると、遠くの美妃さんはゆっくりと振り返る。