死神との契約
駿稀は帆乃里たちとの飲み会をさっそくその日の夜にセッティングしてくれていた。
会場は僕たちがよく利用していた洋食屋の『ふぁにーてぃーす』という店だ。ここは本来なら帆乃里たちとコンパをし、初めて顔を合わせる予定だった店だった。それにそのコンパをセッティングしたのはやはり駿稀だったのだから、前倒しになったものの歴史の大筋は変わっていないのかもしれない。
「──で、こいつが綾人」
「どうも、樫本綾人です」
妻に自己紹介をするのは想像以上に照れ臭かった。
「はじめまして、棚辺帆乃里です」
帆乃里はにっこりと微笑んでくれた。僕はコンパで初めて会った時のことを思い出す。
あの時も帆乃里は元々暗い上に緊張でぎこちなかった僕にも、分け隔てなく笑ってくれた。一目惚れするほど情熱がある人間ではないが、あの微笑みに少し惹かれたのは確かである。
その隣で美妃さんは白けた感じでジンライムを飲んでいた。その姿も前回と一緒だ。
正直はじめの頃は美妃さんが苦手だったけど、その性格を知るにつれ、好感を持てるようになった。
僕と帆乃里が付き合うことになったと言ったときはかなり驚いた顔をしていた。いつも帆乃里と二人で一つだった美妃さんだったから、少し寂しそうな顔をしていたが、「綾人なら、まあ、赦してやるか」と笑って祝福してくれた。
特に結婚すると報告した時のことは忘れられない。僕の手を握り「帆乃里をよろしくお願いします」と言ってもらった時は本当に嬉しかった。
クールで無感動な人に見えるが、僕たちの結婚式ではボロ泣きしたほど意外と情に厚い。
あんまり泣くから花嫁である帆乃里に慰められる始末だった。
「この子は立花美妃。高校からの同級生なの」
自己紹介しない美妃さんを見かねて、帆乃里が紹介してしまう。紹介されて美妃さんは渋々「どうも」と小さな声で挨拶してショートヘアの似合う頭を下げる。涼しげな目許も、シャープな鼻筋も、帆乃里とは真逆の中性的な美しさだ。美人だけど近寄りがたい空気を醸し出している。
二度目の初対面でも美妃さんはいつもの空気感を貫いてぶっきらぼうだ。でもその性格を知っている僕は怯むことなく「よろしくね」と笑顔で接する。でも美妃さんは不快そうに顔を背けてしまった。
帆乃里たちは英文科の三回生であり、二人は高校からの同級生で、少し離れた県からやって来てルームシェアをして暮らしているという、よく知ってる情報を聞かされた。
もちろん僕は多少驚いたりして、はじめて聞いたことのようにリアクションをする。
「俺たちは電子工学科で今年からこのキャンパスなんだよな」
「かなり広いキャンパスだから敷地内で迷いそうだよ」
あの時の僕はなんて言ったのだろう?
そんなことを必死に思い出しながら話をする。あまり違うことをしてしまったら歴史が変に歪むかもしれないと危惧したからだ。そして目立たぬよう、とはいえ無口すぎて微妙な空気にならないように心掛けた。
しかし僕が心配しなくても、帆乃里と駿稀がこのコンパで仲良くなるのは一度経験済みだから分かっていた。まるで一度観た映画をもう一度観るような感覚だ。
しかし映画とは違い、歴史は同じように繰り返すわけではなかった。
「で、俺が飢え死にしそうになった時、綾人がチャーハン作って持ってきてくれたんだよ。あの時はマジ神に見えた。しかもそれがすごい美味くて」
「へぇーそうなんだ! 優しいなぁ、綾人君って」
「いや、別に……」
ことあるごとに駿稀は僕の『いい奴アピール』をはじめてしまう。そして帆乃里はいちいち感動したように僕を褒めてくれた。
(違う。こんな流れじゃなかったっ……駿稀はいつも通りもっと自由に盛り上がっていたはずだ……)
帆乃里の想いを実らせてやる僕の計画が、意外なかたちで崩れ始めてしまってしまい、僕は一人焦っていた。
「感心してないで帆乃里も料理くらい出来るようになりなさい。帆乃里の料理当番の日、結局あたしが手伝うことになるんだから」
「わー、それここで言うっ!?」
帆乃里はあたふたしながら美妃さんに拗ねた態度を取る。
「今のうちにしとかないと将来困るよ?」
「いいの。私は将来お料理の得意な人と結婚するから!」
実際に当時の帆乃里は料理が苦手であったが、僕と結婚してからは一生懸命に勉強をしてなかなかの腕前に成長していた。少なくとも本気で旦那に料理を任せようとする性格ではない。
「おお! 料理が得意ならチャンスだな、綾人っ!」
駿稀はゴール前に絶好のパスを送ったサッカー選手みたいな顔をして笑う。
「僕、チャーハンしか作れないから」
僕はそのボールを蹴らずに鮮やかにスルーしてやった。
女性二人がトイレに行った隙に、テーブルの下で駿稀が僕の太ももを叩いてきた。
「痛っ。なんだよ」
「なんだよじゃねーし。お前が帆乃里ちゃん気に入ってそうだからコンパをセッティングして盛り上げてやってんのに、なんでそんなにやる気ねぇんだよ」
「よけいなお世話だ。別に気に入ってないし」
「うそつけ。最初に帆乃里ちゃん見た時のお前の顔、凄かったぞ。まるで運命の人とでも出逢ったような感じだった」
意外と鋭い駿稀の観察眼に思わず怯んでしまった。こいつの言う通り、僕は確かに運命の人と出逢った。
「馬鹿か……ちょっと知り合いに似てて驚いただけだ」
「本当に? 俺に遠慮とかしてないか? 俺はいつも綾人に世話になりっぱなしだからさ……少しは借りを返したいんだよ」
そう言った後、駿稀は照れ臭そうに視線を逸らしてトイレの方を見た。
不真面目な駿稀に講義のノートを貸してやったり、金欠になったところを助けてやったりもしてやった。こいつはいつもそのことを感謝してくれていた。
「貸しとか借りとか、そんなものないだろう。僕たちの間では。それにああいう騒がしい女の子は、苦手だ」
「そうか……そうだよな。俺も綾人の趣味にしては元気よすぎる子だなって思ってたんだよ。……じゃあ俺が狙ってもいいの?」
心臓がどくんっと大きく鼓動した。どす黒い嫉妬心が渦を巻き、僕の心の中を発熱させはじめる。
「もちろん。好きにしろよ」
心の激しい動きを気取られないよう、僕は大して飲めもしない癖にグラスに残っていたビールを煽った。生温くて苦い感覚が流れていき、喉元まで競り上がってきた負の感情を腹の底に落ちていく。
帆乃里たちがトイレから戻ってくると、駿稀はそれまでとは一転して積極的にアピールをはじめる。帆乃里は相変わらずの笑顔でそれに応えていた。
僕は添え物のパセリのようにさり気なく座っていた。不自然じゃない程度に時おり相槌を打ちながら。
二十歳の妻の美しい横顔を見ていると、懐古の切なさがこみ上げた。
僕は知っている。
半年後に帆乃里が髪を短くすることを。
駿稀にフラれて泣くことを。
僕のプロポーズを受け入れてくれることを。
夫婦で月に一回はデートをしようと提案してくることを。
懐妊が難しいと知って落ち込むことを。
そして苦しそうに駿稀との浮気を告白してくることを。
でもそれは『前回』の話だ。その未来は僕が変える。
蘇ってきそうな帆乃里への想いを圧し殺しながら、僕は笑った。帆乃里の愛らしい笑顔を見ながら、歯を食い縛って笑った。
コンパの帰り道、僕は一人で街灯の少ない路地裏を歩いていた。コンパはおおむね成功と言えた。帆乃里と駿稀は初対面とは思えないほど意気投合していた。親しげにお互いの地元をからかったり、羨ましがったりする笑顔を見ているのは少し辛かったけど、すぐに慣れる。そう心に言い聞かせた。
ふと遠くからピッピッピッピッという無機質な機械音が聞こえてきた。
辺りを見回すが、それがどこから聞こえているのか分からない。しかし音は段々大きく、はっきりと迫ってくる。
と、その時。
「わっ!?」
暗闇から突如青白い二つの光りが僕の頭上に飛んできた。
「と、鳥っ!?」
それは一目で図鑑には載っていないとわかる鳥だった。
いや鳥と言うよりロボットといった方がいいかもしれない、機械仕掛けの鳥だった。
どこか忌ま忌ましさを感じるその鳥型ロボットはピッピッと一定リズムで鳴きながら僕の方を見ていた。
図鑑では見たことがないが、どこかで見たことがある。しかし悠長に思い出している心の余裕はなかった。
『人生をやり直せる気分はいかが?』
機械鳥はいきなり話し掛けてきた。それも直接脳に話し掛けるようなやり方で。
「お前はっ……何者だっ」
『声に出さなくて大丈夫。思うだけで伝わるから……』
逃げよう。何かよくないものを感じる。
『よくないものとはずいぶんな言い草ね。せっかく人生をやり直せてあげたのに。あ、逃げても無駄よ。すぐに追いつけるから』
僕が踵を返して駆け出したその目の前に、機械鳥はワープした。
「うわっ!?」
『話を聞きなさい』
派手に転び、その瞬間に思い出した。この機械仕掛けの鳥は死ぬ間際に見たゴスロリ少女が持っていたカバンとそっくりだ。
『ようやく思い出したのね。そう、私は死神。貴方はあの時、私と契約したのよ。人生間違ったところからやり直したいって』
やっぱりあのゴスロリ少女は死神だったのか!? しかし僕はそんな契約をした覚えはない。
『電車の中でずっと思ってたでしょ? 人生どこで間違ったんだろうって……だから私が叶えてあげたの』
あまりにも一方的な契約だ。消費者庁に相談したくなるほどに。
『いいじゃない。どうせ死ぬんだから。貴方が間違った過去をやり直し、望み通りの未来になった時、貴方の命を頂くわ』
結局死ぬのかよ。死ぬんだったら過去をやり直したって仕方ない。そもそも一度死んだ僕にやり直しをさせて、もう一度命を奪うってそんな回りくどいことをする意味はあるのだろうか?
『そりゃあるわよ。貴方自殺したじゃない』
「え、まあ……したけど」
『自殺じゃ困るのよ。私たち死神にもノルマってものがあってね。それをクリアしないと上から怒られるの。だから自殺じゃなくて私が魂を奪うってかたちにしてもらわないと』
「なんだそれ?」
昔何かの漫画か小説で見たような設定だ。そんなことのために僕の生き死にを弄ばれるのもなんだか癪だ。そう言えば僕が飛び込む瞬間、あのゴスロリ少女が「あっ」と叫び、慌てていたことを思い出す。
『癪でもいいじゃない。貴方もやり直せた方が心残りないでしょ? Win-Winの関係よ』
思っただけで会話が成立してしまうというのは怖ろしい。この死神鳥に隠し事は出来そうもなかった。
『そう、隠し事は無駄。頭が固そうなのに順応性は意外と高いのね。じゃあね。タイムリミットはないからせいぜい頑張りなさい』
機械鳥はそう言うと無機質な羽を音もなくはばたかせて闇へと消えていく。飛び去ったのにまだ微かにピッピッピッという音が脳裏に残っていた。