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脇役の退場

「勝手なこと言うなっ……そりゃ子供が出来た、命は大切とか、そんな綺麗事言うのは気持ちいいだろう。でもな、現実ってものがあるだろっ……」

「綺麗事? 違うそうじゃないっ」


 そんなつもりで言ってるんじゃない。なんで分かってくれないんだっ!


「俺と帆乃里で……話し合って決めたんだよ……今回は見送るしかないって」

「な、なに言ってんだよっ! ふざけるなっ!! それは帆乃里がお前に気を遣って言っただけだろっ!」


 脳内が燃えるように熱くなり、ほとんど反射的に立ち上がって、衝動に突き動かされて駿稀を殴りつけていた。


「きゃあっ!?」

「綾人っ!!」

「お前がお腹の子を殺すというなら、僕がお前を殺す。お前を殺して僕が育てるっ!!」

「お前こそふざけんなよ!!」


 駿稀も拳を振り上げて、僕の顔面に向かって振り抜いた。激しい衝撃で脳がクラッと揺れ、意識が朦朧とした。そこへもう一撃駿稀の拳が飛んで来る。ガツンッという衝撃で目から火花が散った。お互いに出鱈目に殴りあう。やはり体格差から考えても駿稀の方が優勢だった。

 しかしこの勝負だけは負けるわけにはいかない。転びかけた低い体勢のまま駿稀にタックルを食らわせて転ばせる。

 マウントポジションを取って殴りつけようとしたが、甘かった。駿稀が腹を蹴飛ばしてきて僕はすっ飛ばされる。


「うあああっー!!」


 しかしすぐに体勢を立て直し、今度は頭から駿稀に突撃する。


「ごふっ……」


 体格で大きく引けを取る僕だが、気迫では圧倒していた。


「駿稀ぃいい! 帆乃里のこと、大切にしてやれよっ!! お前だって分かってるんだろ、帆乃里が産みたいってことくらいっ!」


 僕は拳を振り上げて駿稀の顔面を狙う。

 駿稀は避けなかった。それは僕のパンチが速かったからではない。僕の言葉で動けなくなったからだった。

 拳を振り抜くと駿稀がふらりと蹌踉けて倒れた。殴られた顔やらあちらこちらがジンジンと痺れていたけど、不思議と痛みは感じない。口の中まで切れているのか、生温かい苦さがドクドクと溢れてくる。


「駿稀っ! 授かった命を大切にしろよっ! 逃げるなよっ!」


 胸ぐらを掴み、怒鳴りつけた。駿稀にはもう、戦意が消失している。苦しそうな顔で僕から目を逸らしていた。


「やめてぇええっ!!」


 帆乃里は叫びながら駿稀を守るように抱きついた。震えながら僕を睨む帆乃里の目に、気圧された。


(違うんだ、帆乃里っ……お前は、子供が出来づらい身体で、奇跡的に授かったその子供を守りたい一心で僕は……)


 慌てて駿稀の胸ぐらを掴んでいた手を離し、逃げるように距離を取った。


「わたし、私、産みたいっ……ごめん。駿稀っ! 私はこの子を産むっ! 私一人で育てるからっ……」

「帆乃里……」

「私は子供の頃からずっと、早くお嫁さんになって赤ちゃんが欲しいって思ってた……せっかく私のところへ赤ちゃんが来てくれたんだもん……私、産みたいっ!」


 駿稀は鼻や瞼辺りからぼたぼたと血を流し、俯いていた。

 まるで血の涙を流しているみたいだ。きっと僕も似たようなもんなんだろう。


「帆乃里……」


 駿稀は力なく呟く。


「ごめん……俺、自分のことしか、考えてなかった……帆乃里のことも……お腹の子のことも……考えてなかった。綾人が言うように、逃げていたんだ……」

「ううん……駿稀が悪いんじゃないよ……」

「なにもかも悲観的に考えて、自分だけが辛いみたいに考えていた……就職が決まらないくらい、どうってことないのにな……拗ねて、逃げて、いじけていた……かっこ悪いよな……」


 血が目に入って、開けていられない。

 落ち着いてきたら顔中に激痛が走った。


「どうしたらいいのか、もう一回ゆっくり話し合おう……」

「うんっ……ありがとう……駿稀……ありがとうっ……」


 二人は抱き合って、気持ちを一つにしているんだろう。血で目が開けなくて見られないのが残念だけど、助かった。


「行こう、綾人」

「……うん」


 美妃さんに手を引かれ、僕たちは脇役が退場するようにその場を立ち去った。


「取り敢えず手当てしないと……本当に無茶するんだから。びっくりしたよ」

「ごめん」

「でも、格好良かったよ。綾人は全然情けなくなんてない。頼もしかったよ」

「ごめんね、美妃さん。僕の血で服汚れちゃってるよね?」

「そんなこと気にしなくていいから」

「そうだ……お詫びに服をプレゼントするよ」

「え、本当? やった!」


 美妃さんは柄にもなく高い声を出して喜んだ。泣いてるような鼻声なのが気になる。

 かたちだけとはいえ、美妃さんは僕の彼女だというのに、彼氏らしいことを何もしてやれていない。こんな僕がよく駿稀に対して偉そうに言えたものだ。


「美妃さんにはなんかこう、ふわふわのモヘアニットとか着せてみたい」

「えー!? なにそれ? 無理」

「似合うかもよ? あとミニスカートも」

「無理無理。そんなの穿けないし」


 少し照れたような声がいつになく可愛らしい。いったい今、美妃さんはどんな顔をしてるんだろう?

 視界が効かないのが実に惜しい。



 駿稀のアパートからは僕のアパートの方が近いので、治療は僕の部屋でしてもらった。


「はい、治療終わり」

「ありがとう」

「鏡見てみる? 凄い顔になってるよ」

「うわっ……本当にひどいな」


 あちこちが痣になり、目の上などは凄く腫れている。ただ傷口は意外なほど小さくて少ない。あれだけ血が出たのだからもっと切れているのかと思っていた。

 僕を支えてきてくれた美妃さんは服だけでなく手や顔も血塗れだった。


「本当に服をプレゼントするから。ごめんね」

「洋服買いに行くのは腫れが引いてからね。そんな顔で買い物に行ったら店員さん引くし」

「でもあんまり遅いと買いに行けないかも?」

「なんでよ?」

「だって、僕、やり直したいことは全てやり直したし……もうすぐ死神が魂を奪いにくると思うから」

「まだそれ言う? そんなわけないから」


 笑い飛ばそうとしてる美妃さんだが、目はまるで笑えていない。嘘もつき続ければ人は信用するものなのだろうか? まあ、僕の話は嘘じゃないんだけれども。


「あー、血塗れだからシャワー借りるね」

「え、それはいいけど……」

「綾人、覗かないでよね?」

「わ、分かってるよ、そんなこと」


 美妃さんがうちのシャワーを使うなんていうことはもちろんはじめてだった。

 僕の部屋にはシャワールームの手前に脱衣所なんていう気の利いたものはない。

 美妃さんはシャワールームに入り、中で服を脱いで浴室の前の廊下へと畳んで積み重ねていく。


 僕はもちろんそちらを見ないように背を向けた。


「ねえ、綾人」

「なに?」

「ちょっと、こっち見てよ」

「な、なんだよ」


 仕方なく振り返ると美妃さんは浴室から首から上だけを出していた。その下の床には着ていたものが全て畳まれていた。


「覗かないでよね?」

「馬鹿。しつこいよ」


 美妃さんはシャワー前なのに火照った顔をひょいっと引っ込めた。

 シャワーの水音は別に普通の音なのに、なぜか艶めかしく聞こえてしまう。着替えになるようなものはジャージしかなく、それを浴室の前へとぽんっと投げた。

 なんとなく気まずくて音楽をかけ、意識をなるべくシャワーから遠ざけようと目を閉じる。でもその歌は帆乃里が好きだったバンドのものだった。なんだかひどく美妃さんに失礼な気がしてしまい、慌てて消した。


 帆乃里が懐妊できたということは、本当に奇跡のようなことだ。健康に赤ちゃんが生まれてくるまではまだまだ油断できないが、とにかく嬉しかった。


 シャワーの音が止み、ふわっと湿気を孕んだ石鹸の清々しい香りが鼻腔を擽った。


「あー、さっぱりした」


 ジャージに着替えた美妃さんがタオルで髪を拭きながら戻ってくる。ショートヘアだから渇きも早そうだ。


「ジャージ、ちょっと大きすぎるかな?」

「そんなことないよ」


 僕のジャージを着た美妃さんはなんだか新鮮だ。


「綾人の匂いがするね」


 すんすんと鼻を鳴らしながら袖口を嗅ぐ姿は小動物的な愛らしさがあった。


「ごめん。洗ったやつだけど、匂う?」

「ううん。悪い匂いじゃないんだよ。なんか、綾人だなぁって匂い」


 ほんの少し目を細めただけだけど、恐らく笑っているんだろう。


「そういえば覗きに来なかったね?」

「行くわけないし。ってか今日の美妃さん、なんかキャラ違うね?」

「そう? まあ、嬉しかったからかな……」

「やっぱり? 帆乃里が懐妊してよかったよね!」

「それは微妙だけど……」


 美妃さんは苦笑いをして首を傾げる。


「じゃあなにが嬉しかったの?」

「そりゃあ、綾人が必死だったことだよ」

「え? そんなこと?」

「いつも冷静で物静かなのに、人が変わったみたいに喜んで、叫んで、怒鳴って、殴り合いまでして」


 改めて言われると照れ臭かった。確かに思い出すと恥ずかしい。でも駿稀のことだ。きっと明日会ったら笑ってからかうだけだろう。


「馬鹿だなぁって思ったけど……でもつくづく帆乃里が好きなんだなって思ったよ。帆乃里も幸せ者だね」

「好きっていうか……妻だったしね……好きとか恋とか、そんなものは超越しちゃってるのかも」

「おおーっ。すごい。私もそんな風に想ってくれる人と巡り会えるのかな?」


 美妃さんはやけにはしゃいで僕の隣に座った。湯上がりの、爽やかでありながらどこか蠱惑的な香りが鼻腔を擽った。


「それは──」

「ストップ! 言わないでっ! 未来のことは言わないでよ!」


 美妃さんは手のひらを翳して、僕の言葉を慌てて制した。


「なに? 僕が未来から来たってようやく信じてくれたの?」

「そうじゃないけど……なんか気味悪いじゃない? 自分の将来とか告げられるのって」

「そう。じゃあ言わないよ」


 言ったところで未来は変わる可能性だって充分にある。

 僕が知ってる美妃さんの未来は既に消えていて新しい未来に塗り替えられてる可能性だって大いに有り得ることだ。きっと未来なんて決まっていない。この一瞬一瞬をどう生きるかでいくらでも変わっていく。

 人生をやり直せて、つくづくそう感じていた。


(そろそろお迎えが来る頃かな……)


 僕は目を閉じて機械鳥のピッピッピッピッという鳴き声が聞こえないか耳を澄ます。しかし不思議と死神はやって来なかった。

 僕にはまだ、やり残したことがあるのだろうか?



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