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電飾に彩られた街

 毎年十二月の初旬、神戸の元町から三宮にかけて通りが電飾で彩られる。その美しさは広く知れ渡っており、遠くから観光ツアーが組まれるほどだ。

 そんな一大イベントを帆乃里が見逃すはずもなかった。

 学食で過ごす昼休み、帆乃里は予想通りみんなで行こうと誘ってきた。しかし僕としては四人で行きたくはなかった。晴れて付き合い始めたのだから、帆乃里と駿稀の二人で行ってもらいたい。


「駄目だよ、綾人君。ちゃんと美妃をデートに連れて行かないと!」

「いや、だけど俺も美妃さんも寒いの嫌いだし、人混みも嫌いだし」

「そういうこと言ってるとすぐにフラれちゃうよ? 絶対四人で行くから! ね、美妃っ?」


 帆乃里は相変わらずのテンションでそう断言して美妃さんの同意を伺う。


「え? あたしは、別に興味ないんだけど……?」

「えー? そんなこと言わずにっ! 美妃っ!」


 相変わらずの激しい温度差だ。これで親友なのだから不思議なものだが、案外これくらい違う方が仲良くなるものなのかもしれない。

 お互い付き合いだしたこともあり、この学生食堂での座り方も僕の隣に美妃さん、帆乃里の隣には駿稀というように変わっていた。


「こういう想い出が積み重なって、あんなこともあったねとか、あの時は感動したよねとか笑いあえて絆も強まるんだよ?」


 帆乃里は『いいことを言った』的な顔をする。僕と帆乃里にもたくさんの想い出は出来た。しかしそれが今はむしろ僕の心を苛んでいる。笑いあえるというのは幸せな『今』があってこそだ。


「はじめての四人でのデートだぜ? 愉しそうだろ?」


 駿稀も当然みんなで行くことを主張してくる。

 帆乃里と駿稀はようやくスタート地点の軌道に乗れた。僕としてはもう四人で一緒に盛り上がるより、駿稀と帆乃里の二人で絆を深めていって欲しかった。


「うーん? あんまり気乗りはしないけど……綾人、行ってみようか?」


 美妃さんは意外にもあっさりと折れた。少し驚き、隣に座る美妃さんを見たが、こちらには振り向かなかった。


「そう……だね。美妃さんが行きたいんだったら」

「じゃあ決まりっ!」


 帆乃里は僕たちの気が変わらないうちに、とでもいうようにトレーを持って席を立つ。


 学食を出てから帆乃里と駿稀は雑貨屋に用事があると、二人で向かっていった。二人で家を往き来して何か足りないものや欲しいものが見つかったのだろうか? 二人の愛の育みを垣間見た気持ちになり、煩悶が僕の心に滴り、墨のように広がっていった。


「今さら後悔してるの?」


 美妃さんは冷えた視線で僕を捉える。


「まさか……二人が上手くいってて、嬉しいくらいだよ」

「その割にはひどい顔色してるよ」


 二人の後ろ姿から目を逸らし、美妃さんの顔を見る。


「情けないなぁ……」


 美妃さんは、はぁっとため息をついて首を振る。


「ちょっとついてきて」


 そう言うと僕の確認など待たずに美妃さんは歩き出してしまった。なにも言葉を交わさずについていくと、そこは美妃さんと帆乃里がルームシェアで住むアパートだった。


「入って」

「お邪魔します……」


 以前帆乃里の部屋には入ったが、美妃さんの部屋に入るのははじめてだった。

 教科書類の他にも色んな本が並べられた本棚や、機能性を重視したようなインテリアは美妃さんらしい。


 促されて適当に座ると、美妃さんはお茶を淹れてくれた。


「綾人は未来からやって来たんだっけ?」

「まあ、そうだよ」

「帆乃里と離婚した未来から来たんでしょ? なんで離婚したのかは知らないけど、やり直せるなら今度は離婚しないように心掛ければいいだけじゃないの?」

「それは、そうだけど……それじゃ根本的な解決にはならないと思う」


 美妃さんの言うことはもっともだ。しかし問題はもっと根本的なところにある気がした。たとえるなら元々合わないピースを繫げるのに無理矢理削って合わせるような、そんな強引なその場しのぎの解決に思えて仕方ない。


「……まあ、いいけど。やり直したいことがやり直せて満足出来た?」

「多分、まだなんだと思う」

「なに、その他人事みたいな言い方は?」

「実は悔いなくやり直せたら、死ぬことになっているんだよ」


 我ながら無茶苦茶な発言だとは思う。これ以上美妃さんの頭を混乱させるようなことは言いたくなかったが、ここまで説明したら言わないわけにもいかない。


「死ぬって……まさか、綾人っ!?」

「自殺するわけじゃないよ。契約でね。悔いなくやり直せたら魂を奪われる約束なんだよ」


 美妃さんが驚いた顔をしてるのはきっと契約内容についてではなく、僕の発言が突拍子もないからだろう。


「……美妃さんと帆乃里は高校の時、文化祭で『ロミオとジュリエット』を演じたでしょ?」


 仕方なく僕がそう切り出すと、美妃さんは目を剥いて僕の顔を見た。いつも冷静沈着な美妃さんとは思えないほどの狼狽えぶりだ。


「どうして、それを……」

「もちろん美妃さんがロミオで、帆乃里がジュリエット。女子校だもんね。男役も女の子がしないといけない。でもそれがきっかけで」

「ちょっ……ちょっと待ってって! なんで綾人がそれをっ……」


 狼狽え振りが凄い。申し訳ないけど、僕が未来から来たことを証明するためだ。我慢してもらおう。


「帆乃里は複数の生徒から嫌われ、靴を隠されるとかの嫌がらせを受けた。なんといってもその手の趣味の人たちから人気者の美妃さんの彼女役なんてしてしまったんだから。しかも私生活までいつも一緒」

「もうやめてぇーっ!」


 美妃さんは顔を真っ赤にして慌てふためく。


「ほ、帆乃里から聞いたの?」 

「ごめんね。でも夫婦の間の会話だし、もう十年近く前の話だから時効でしょ?」

「そ、そんなの過去の話だからっ……綾人が未来から来た証拠にはならないからねっ……」


 美妃さんは強がるように吠えた。でも動揺の度合いから見ても、先ほどまでよりは僕が帆乃里と結婚していたという事実を信じかけているようだった。予言者というのは未来を当てるより過去を当てた方が信用されるという話を昔どこかで聞いたのを思いだした。


「僕の魂が奪われないということは、まだやり残したことがあるということなんだと思う」


 僕はいきなり話を戻す。

 帆乃里は希望通り駿稀と付き合えた。でもここがゴールではない。まだ死神に魂を奪われないということは、きっとそういうことだろう。


「だからもし僕がいきなり死ぬことがあっても、驚かないで欲しい。それは、僕の願いが叶ったということなんだから」

「綾人……」


 美妃さんはなんと返していいのか困ったように微笑む。


「でも本当だね」

「なにが?」

「美妃さんにすべて話してから、確かに心の負担が半分くらいになった気がする。美妃さんが僕の苦しみを半分持ってくれてるみたいだ……ありがとう」


 お礼を言うと美妃さんは鼻から息を抜くように力なく笑った。


「どういたしまして」

「でも情けない僕を鍛え直す為に付き合ったっていうのはひどいよね」

「本当じゃない?」


 美妃さんは意地悪そうな顔をして僕をからかう。


「まあねー……情けないよな、僕は」

「そう。もっとしっかりして」

「こういう性格だからなぁ……」


 恥ずかしくて頭を掻くと、美妃さんは首を横に振る。


「ちゃんと頑張ってるよ、綾人は。だって自分の奥さんを幸せにするために身を退いて親友の彼女にしてるんだよ。普通出来ることじゃない。いいか悪いかは別にしても」

「そ、そう?」

「でもね、せっかくそこまで出来たんだから、あとはしっかり受け止めなきゃ。なんでもない振りして、笑ってなよ。あたしもいるんだし……一応」

「そうだよね……うん。頑張ってみるっ! ありがとう、美妃さん」


 美妃さんの言う通りだ。こんなところで腐っていたら悔いなくやり直したとは言えない。



────

──


 イルミネーションが点灯する瞬間が一番きれいだという情報を仕入れた帆乃里は、点灯時間の一時間前から並ぶと言って聞かなかった。

 並ぶと言ってもここはイルミネーションが始まるまでは普通の道だ。車も普通に往来があり、もちろん車道に並ぶことは出来ない。必然的に点灯の瞬間を見ようとする人たちは歩道に集まるしかなく、結果として人で溢れかえっていた。


 交通整理をしていた警官も見兼ねて前倒しで車道を封鎖し、集まった人たちは車道に流れ出して列を成す。


「凄い人の数だね!」


 そう言う割に、帆乃里は嬉しそうだ。賑やかなことが好きな帆乃里にとって、人混みというのは素敵なことに映るのかもしれない。

 みんなイルミネーション点灯の瞬間を期待しながら待っていた。このイルミネーションはただ美しいだけでなく、阪神淡路大震災の鎮魂と追悼という深いメッセージが籠められている。

 きっとこの中にはあの震災で悲しい思いをした人たちもたくさんいるのだろう。


 集まった人たちの熱気と静かな興奮で辺りは埋め尽くされ、冬だというのに少し汗ばむくらいだった。

 この中にいる人たちの中には夏に同じ花火を見上げていた人もいるかもしれない。その人たちはこの半年にどんな出来事があったのだろうかと、ふと思いを馳せた。


 無意味に騒いでいた男は、予想通り思いを馳せていた女の子に振られてしまっただろうか?

 集まって写真を見ていたグループではカップルが生まれたのだろうか?

 当たり前だけどこの世の中にはたくさんの人が住んでいて、その人たち一人ひとりにドラマが生まれている。

 隣にいるカップルにも、母と父と手を繋いでいるあそこの女の子にも、女の子同士でやって来ているあの二人にも、残業中に抜け出して点灯を見に来た様子のあのサラリーマンにも、みんな色んな想いがあり、色んな歴史がある。


 この人混みはそんなドラマで溢れかえっていた。

 そんな当たり前のことが壮大で、尊く、かけがえのないものだと気付かされた時、ゴーンゴーンという鐘の音が鳴り響いた。


 鎮魂の鐘の音だ。

 次の瞬間、手前から奥に向かってアーチの電灯が灯っていく。

 天の国に繋がる光の道が現れたように眩く美しい。

 人の歓声が折り重なり、轟音となって響き渡る。


 その灯りを見た帆乃里は驚きと喜びで破顔した。そして隣に立つ駿稀の手を握り、興奮した様子で何かを伝えていた。

 観客たちは一斉に、その輝きに魅せられたように歩み始める。圧されるように僕も一歩、一歩と踏み出していく。

 光に導かれて飛ぶ羽虫というのは、恐らくこんな気持ちなんだろう。


 美しさと荘厳さに放心した僕の手を、誰かが握った。


「綾人、なんか天に召されていく人みたいだよ」

「美妃さん……」

「ボーッとし過ぎ。ちゃんと隣を歩いてよね、()()()()()()()()


 僕は美妃さんの手を握り返す。


「ごめん……」


 生まれて初めて繋いだ美妃さんの手は、思ったよりずっと小さくて細くて弱々しかった。


 何か興味深いものを見つけたのか、不意に帆乃里が振り返る。そして僕と美妃さんが繋いだ手を見て冷やかすように笑いかけてきた。

 それでも僕は繋いだ手を離さなかった。

 僕の彼女はこの人だと、妻に見せてやる。だから帆乃里は気にせずに駿稀と仲良くすればいい。

 美妃さんが僕を励ますように、ぎゅっと強く握ってくれたのが堪らなく嬉しかったし、ありがたかった。


 数々のアーチを潜る。みんな笑顔で歩いていた。

 止まって記念撮影するグループ。

 光りの(つぶて)を取ろうと懸命に手を伸ばすお父さんに肩車をされた男の子。

 寄り添いながらゆっくりと歩き、目を細めて景色を仰ぎ見る初老の夫婦。

 警備をする警察官ですら、少しにこやかに見える。

 

 帆乃里と駿稀の寄り添う姿を見ていると辛いとか悲しいとかではなく、何故だか肩の荷が下りたような楽な気持ちになった。

 そんな気持ちになるのは、やり直し人生が始まってからはじめてのことだった。

 帆乃里はどんどん、僕の人生から遠離っていく。

 

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